第11話 ガラスの靴
「ではマリーお嬢様、いきますよ」
「はいっ! お願いします!」
話が纏まると同時に、ドレスルームには昨日の戦場が再び出現した。コゼットお義姉様が自室に戻ってしまったので戦闘員は減っているけど、早々に着飾られる事に疲れてしまった昨日のコゼットお義姉様とは違いマリーちゃんはまだまだ元気が有り余っている。
「ジャヴォットお義姉様、今夜はストマッカーにもレースを使いませんか? ジョンブリアンのシルク地にスミレの花が刺してある物を持ってらっしゃいますよね。ひだの多いレースとベルベットのリボンを合わせたら昨日よりもさらに華やかになると思うんです!それから、」
「マリーは少しおとなしくしていなさい」
家政婦さんがぎちぎちにコルセットを締め上げているというのに、マリーちゃんにはまだ喋り続けられる余裕があった。そりゃ継母さんも黙ってろって言うわ。
すでに髪型が大方整っているジャヴォットお義姉様も今日は少し余裕があるらしく、マリーちゃんの提案に「いいわね」と納得して昨日とは別のレースを持ち出して来る。ドレスって色々なパーツに分かれてるんだなぁと昨日感心したばかりだけど、その一部を変更する事で別のドレスに見せる技があるとは思いもしなかった。胸元を飾る布の種類が変わっただけでこんなに印象が違うものなのか。
「あの、奥様。マリーお嬢様のドレスはどうなさいますか?」
それほどの苦労もなくコルセットを装着できたマリーちゃんは、全身が写る鏡の前で嬉しそうに腰のくびれを触っている。家事をしてる最中はここまで締め上げる事もないだろうから、この時点でもう特別なおめかしをしてる満足感が味わえてるのかもしれない。そんなマリーちゃんを余所に、いくつかのドレスを手にした家政婦さんと継母さんが相談をしている。
「コゼットの代わりに行くのですからコゼットの物を。どちらにしてもマリーは舞踏会用のドレスを持っていませんから」
「かしこまりました」
そう言って家政婦さんは持って来ていたドレスを再び保管場所へと戻した。
「ん? おはぎさん、家政婦さんが今持ってきてたのってドレスじゃないんですか?」
「あれは普段着のようなものですね」
「普段着、というのは」
「特別なイベントがない日常の中で着る服の事ですよ」
そういう事を聞いている訳じゃないとおはぎさんを見つめても、しれっとした顔で家政婦さんが向かった先を見ている。しれっとした顔というか、標準装備のアヒルの無表情というか。
「ほら内川さん、あれが正しい舞踏会用のドレスですよ」
家政婦さんが新しく持ってきたのは、昨日コゼットお義姉様が着ていたドレスだ。ジャヴォットお義姉様のド派手な赤に対して、薄いグレーと水色の間のようなシンプルなドレス。よく見れば銀糸でびっしりと刺繍がしてあるけど、よく見なければ生地の光沢にも見える。
刺繍の量で普段着用と舞踏会用とが分かれてる? でもジャヴォットお義姉様のドレスにはそれほど刺繍が多くない。じゃあ生地の問題?
「私にはさっきのもこれも似たようなドレスに見えるのですが」
コゼットお嬢様が昨日着ていた時は、もう少し派手さがあったような気がするような? と思ったけど、具体的にどこが違うのかは分からないのでこの感想は言わないことにした。
「内川さんは庶民ですからねぇ」
「ええ庶民ですので!?」
布地の違いもドレスの型も分かりませんよそりゃ! 今までの人生で必要なかったんですもの!
「ああ、問題なさそうですねお嬢様」
マリーちゃんの体型は想像していた以上にコゼットお義姉様と近かったらしく、家政婦さんも継母さんもほっと息を吐いたのが分かった。少し肩周りがダブついてるかなと思っても、そこは素人の私よりもプロの家政婦さん。ひょいひょいとピンを刺してサイズを調整していく。
舞踏会用のドレスって、そんな直接ピンぶっ刺していいものなんですかね?
「あら」
そのプロが手を止めた。
「コゼットお嬢様のローブではマリーお嬢様には少し大きいようですね」
どうやらマリーちゃんはコゼットお義姉様よりも身長が低いらしい。ローブをマリーちゃんの背中に当てた家政婦さんが困り顔になる。さすがに今から裾を詰める時間はないようだ。
「裾が床を掃くのは避けたいわ。奥に白のローブがあったでしょう、あれなら銀糸で縫い取りがしてあるからドレスにも合うわ。持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
そう言ってドレスルームの奥へと駆け込んだ家政婦さんは、すぐにもっさりとした布の塊を抱えてきた。
ああ、そうか。コゼットお義姉様は金色の刺繍を目立たせたいって言ってた。あれはローブの話だったんだ。金色の刺繍から銀色の刺繍に代わっても、付けるダイヤモンドの留め具は変わらない。全部それなりのサイズがあるから、ダイヤモンドの印象でコゼットお義姉様を覚えてる人ならきっと今日も同一人物だと思うだろう。
「髪型も昨日のコゼットお嬢様と同じように結いますか?」
「まったく同じにすると違和感が目立つでしょうから、マリーの髪は全部巻いて結い上げてちょうだい。胸元に流す分はいらないわ」
継母さんと家政婦さんの会話を聞きながら、マリーちゃんの目はきょろきょろと二人の間を行き来するように動いて楽しそうだ。舞踏会用のドレスを持ってないって事は、舞踏会用の髪型をした経験もないのかもしれない。もしかしたら誰かに髪を結われるのもお母様が亡くなって以来なのかもしれない。そう思ったら、鏡の前で嬉しそうに微笑むマリーちゃんがとても可愛くて可愛くて……。
「内川さん、目を逸らさないでください」
「だって」
「だってじゃありませんよ、内川さんが言い出した事ですからね。ちゃんと見ててあげてください」
凄く可愛いマリーちゃんの顔が、みるみるうちに真っ白に塗りたくられていく。何故私は現代人なのか。何故ナチュラルメイク派なのか。今だけでもこの時代の美的センスを持ちたい。でっかい布製の付けぼくろを貼られて目を輝かせたマリーちゃんに、心の底から「綺麗だよ」って言ってあげたい。言ってあげたいのに!
「おてもやんじゃないですか……素顔の方が絶対可愛いじゃないですか……素材って関係ないんですか?」
「おそらくリアル至上主義者の方々も同じように思っているんでしょうね。シンデレラの物語に対してルッキズムに言及する人は多くても、化粧に関する口出しは少ないんですよ。化粧の濃さで本当の顔が分からなくなっているという設定を作ったのも、内川さんが初めてですし」
「そうなんですねぇ。え? 私が初めて?」
なにその言い方。私以外にもシンデレラの物語を修正した人がいるって事? 誰が? 修正したのに、また私が修正してるの? それともその人が修正を失敗したから私がこの物語を引き継いでるの? 本当に物凄く本当に今さらだけど、私何をやらされているの?
「ほらほら内川さん、考え事をしてる場合ですか。お三方が出発しますよ」
「えっ、待って、待って、出発!?」
見れば、家の前に停められていた馬車にマリーちゃんがちょうど乗り込むところだった。
「おはぎさん私はどうすれば!? 一緒に馬車に乗った方がいいですか!? それとも馬車を追いかけて走った方が!?」
今さらな事は今考える必要なし! 今必要なのはマリーちゃんを見守る事! なのに今の私の状況は見守るじゃなくて見送ってる!
「マリーの足にすら追いつけなかった内川さんが、馬車と並走できるとは思えませんが」
「もっともでございます!」
想像しただけで軽くめまいがした。今とは道路事情が異なる時代、馬車はそれほどのスピードは出せないだろうけどそれでも馬だ。速さもさることながらお城までの距離を走り続けられる自信はもっとない。じゃあどうすれば、と答えを求めておはぎさんの方を向けば、もふりと顔面が羽毛に埋まった。既視感凄い。
そうだった、移動は私基準。マリーちゃんがこの家を出てしまったのなら、私がここに居る理由もない。家政婦さんとコゼットお義姉様しかいないこの場所で、私が出来る事なんてないんだから。
「う、わ」
おはぎさんのもふもふから顔を剥がすと、私が想像していた以上の光があふれていた。シンデレラがお城の光を、何千もの明かりと称した理由が分かる。
どれだけ誇張しても所詮はロウソクの時代だなんて侮って申し訳ない。これは凄いわ。まだお城の外に漏れ出る明かりだけでこの光景なんだから、中に入ったらどれだけの光で埋め尽くされてるのやら。
「わぁ」
ぽかんと口を開けたままお城を見上げていたら、背後からマリーちゃんの小さな感嘆が聞こえた。直後に、多分閉じた扇で叩かれたような軽い音も聞こえた。
「いいわね“コゼット”、何があっても私のそばから離れない事。喋らない事。笑顔を絶やさない事。それから、王太子殿下の視界に入りそうになったら私の陰に隠れなさい」
「お母様、今日は出来るだけ私も近くにいるようにするわ」
口をきゅっと閉じ無言でこくこくと頷くマリーちゃんを挟んで、継母さんとジャヴォットお義姉様が並んで立つ。マリーちゃんが何かをやらかした時はすぐにフォローができる距離にいるという宣言だろう。そんなジャヴォットお義姉様の気遣いを継母さんも今日ばかりは素直に受け取った。
あの扉から先は無礼が許されない戦場。継母さんとジャヴォットお義姉様が纏う空気は、とてもじゃないけど優雅にダンスを踊りに来たとは思えない。いざ出陣という気配が盛大に漂っている。
まあ気配に関しては、他の参加者も割と似たような感じだけど。
「行くわよ」
事前に忠告を受けていたのだろう。マリーちゃんはしっかりと扇で口元を隠し、コゼットお義姉様の仕草を真似て舞踏会の大広間へと入って行った。
「あ」
「どうしました内川さん」
「大変ですおはぎさん。とても大切な事を伝え忘れました。というか、私マリーちゃんにガラスの靴あげてません」
ここに来てまさかの大失態だ。
マリーちゃんに本物のガラスで作られた靴を履かせるつもりはない。人の体重を支えられるようなガラスが存在してるとは思えないし、実際にあの靴を履いて踊れるとも思えない。だから金色の靴を履いていくように言うつもりだったのに。リアル至上主義者の化粧問題なんかに引っかかってる場合じゃなかった。
冷や汗が流れるのが分かる。
ここまで来て失敗か。あれだけ無茶を言って、あれだけ無茶をやったのに。
「おはぎさん」
いや、まだいける。だって私はご都合主義装置だから!
「リカバリーしに行きます!」
予備動作無しに走り出せば、右肩でずるりとおはぎさんの重心がずれたのが分かった。それでも今は気にしない。どうせ落ちてもおはぎさんは自力で走ってこれるし。
とにかく走って、人込みの中に消えたマリーちゃんたちの背中を探す。ドレスの柄も、盛大に飾り立てた髪型も、戦闘服が仕上がるまでずっと近くで眺めてた。だから見つけるのはそれほど難しくはない。マリーちゃんがいる場所を私は探さない。私が行く場所に、マリーちゃんは居るんだ。
「マリー!」
もうたくさんの人の前で大声を出すのだって躊躇わない。
「っ!」
マリーちゃんが私の声に気付いてぴくりと肩を動かした。自分の後ろから聞こえたのは分かったらしく、ちらりと肩越しに後ろを見る。
ごめんねマリーちゃん、探してくれても私の姿は見えないんだ。
「どうかしましたかコゼット」
突然不審な動きを見せたマリーちゃんに、継母さんは冷たい声で囁きかけた。喋らない事を厳命されているマリーちゃんは、小さくふるふると首を振って答える。
ああ、凄い不安そうな顔してる。ごめんね、舞踏会が始まったらあとは勝手に物語が進むだろうから、声はかけないつもりだったんだ。なのにこんなよく分からないタイミングで名前を呼ばれたら驚くよね。
「マリー、返事はしなくて大丈夫。これから言う事を覚えていて」
どうにか息を整えてマリーちゃんの背後から喋りかける。王子様はシンデレラが登城してすぐにマリーちゃんを見つけるはずだから、もうあまり時間はない。私が伝えられるのは、一つだけ。
「もし靴が脱げてしまっても、それを取りに戻ろうとしないで」
見落としがあったり、私の迂闊な発言でシンデレラストーリーらしからぬ状況がいくつも生まれてしまった。だからこそ、ここだけは絶対に抑えておかなきゃいけない。
「マリーが落とした靴を手掛かりにして、王子様は貴女を探しにくるから」
靴だけが王子様をシンデレラの元へと導けるのだ。万が一足の速いマリーちゃんが靴を拾うのに成功してしまったら。本当の名前を名乗っていないマリーちゃんには辿り着けない。辿り着いたとしても、マリーちゃんが舞踏会で踊った相手であるという証明ができない。
「それだけ。ほら、王子様がマリーを見つけたわ。後は楽しんでね」
楽しんでねと私が言い終わるよりも先に、分かりやすく豪華な衣装を着た男性がマリーちゃんに向かって手を差し伸べた。きっと周囲のざわつきすら今のマリーちゃんの耳には入らないだろう。王子様からの直接の誘いであれば、継母さんもジャヴォットお義姉様も断る事はできない。マリーちゃんは少しだけうろたえたけど、すぐにその手を取った。
大丈夫、マリーちゃんは今日ここで王子様と出会う事を知っていたから。心の準備だってもう出来てるはず。
「マリーにガラスの靴は渡せましたか?」
「はい」
ホールの中央へと向かうマリーちゃんと王子様の背中を見送って、私は肩から振り落とさないで済んだおはぎさんにしっかりと頷いてみせる。
「ガラスの靴はシンデレラの代名詞だけど、ガラス製じゃない靴を履いているシンデレラもいますよね」
「そうですね。だからといって、靴ならなんでもいいという訳じゃありませんよ?」
分かってる。さすがに理由もなく靴のくだりを省略するつもりはない。
「おはぎさん、ガラスってなんだと思います?」
「構成する物質の話、ではなさそうですね」
私からの質問におはぎさんが答える。何度も経験した問答の、質問者と回答者の位置が入れ替わったみたいでなんだか少し笑えた。
「ガラスって脆いじゃないですか。今は強化ガラスなんて物もありますけど。ガラス細工みたいって表現されたら繊細って意味だし、ガラスの心って言ったら傷つきやすい、みたいな。凄く弱い存在ですよねガラスって」
王子様に手を取られて、マリーちゃんは優雅にくるくると踊る。ドレスの裾から先だけ覗く靴は、金色でもガラスでもなく、銀色に見えた。
「弱くて、あいまいで、すぐに形を失ってしまう。でも空気とも水とも違って、ちゃんとした固体です。氷みたいに時間が経ったら溶けて消えてしまうものでもないです。そこに間違いなくあるのに、手に持つのをちょっとためらうような、うっかり壊してしまいそうなそんな不安も与えてくる。これってシンデレラの方の事情というよりも、王子様の方の感情だと思いませんか?」
たった一つだけ残された手掛かり。そこにあるけど、持ち主はいない。誰も見た事がない美しいお姫様は幻だったんじゃないか。だって残された靴は、誰にも履けないくらいに小さかったから。間違いなくお姫様は存在したんだという証拠が、手を取って踊った相手はもしかしたら人間じゃなかったのかもしれないという不安を同時に与えてくる。
「だから、シンデレラを探すために存在する靴が、ガラスの靴なんですよ」
「それが内川さんの解釈なんですね」
「はい」
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