第10話 姉と妹と商売人

「あらマリー、また掃除をサボってるの?」


 入室一番にジャヴォットお義姉様が目を細めてマリーちゃんを批難する。やっぱり最初に立ちはだかるのはジャヴォットお義姉様か。さりげなく継母さんの前に出てくるあたり、防壁としての能力が高すぎる。ならば私もマリーちゃんに武器を与えよう。


「マリー、説得相手はお義母様よ。今はジャヴォットお義姉様の言葉には反応しなくていいから、お義母様の目を見て、お義母様に話しかけて」


 私の声に小さく頷きながら同時に一度まばたきをし、深呼吸する事でマリーちゃんは決心を表明してみせた。目線はしっかり、お義母様に向けて。


「お義母さま、ぜひ昨日のお話を聞かせていただけませんか? ジャヴォットお義姉さまとコゼットお義姉さまがどれだけ素敵だったかが知りたいんです」


 おお、上手いなマリーちゃん。舞踏会に行く準備を手伝ったんだからその成果がどうだったか知りたいと思っても不自然じゃない。しかも「どれだけ素敵だったか」って、二人が素敵だった事を確定事項にするとは。


「そうね……マリーの付けたレースの評判はよかったわ」

「よかった! ジャヴォットお義姉さまの美しさに負けないようにした甲斐がありました」


 きゃっ、と頬を染めてマリーちゃんは純真無垢な微笑みを返す。腹芸が出来ないと思われるマリーちゃんに嘘が吐けるとも思えない。これが素の反応か。まあジャヴォットお義姉様が美しいのは同意するけど。


「ジャヴォットもコゼットも、舞踏会に参加している方々に負けないくらい美しかったわ。王子様が目に留めてくださるくらいにね」

「王子、さまが?」


 自慢げに言う継母さんの言葉にマリーちゃんの“きゅるん”が少し翳る。信じていない訳じゃないけど、自分を選ぶはずの王子様が他の女性に目移りしている様子は想像したくないんだろう。

 安心して、その王子様はマリーちゃんを幸せにしてくれる王子様とは別人だから。


「大丈夫マリーちゃん! 王子様がお義姉様のどっちかをお妃様に選んだなら、家に帰ってきて一番に報告してくれるはずだから! とにかく王子様の話は聞き流して!」


 もう威厳とか言ってられない。なんとかして継母さんの了承をもぎとるまでは、マリーちゃんは王子様になんて興味ありませんって姿勢を貫いてもらわないと。


「そ、そうなんですね、素敵です! コゼットお義姉さまはいかがでしたか?」

「そうね……私も王子様とダンスを踊ったわ」


 コゼットお義姉様はマリーちゃんから目を逸らして返事をする。

 おや? 三人の様子が何かおかしい。王子様と踊ったなんて、それこそ帰宅一番に高笑いで自慢しておかしくないのに。って、継母さんの目が虚空を見つめてる。仕草と口調はドヤっとしてるのに、目が死んでる。

 そうだ忘れてた。この三人、王子様の視界にすら入らないようにって気合い入れてたんだった。え、じゃあもしかして本当に主催のアホ王子に見初められてしまった? マリーちゃんを諦めさせるための嘘じゃなくて、本当に王子様とダンスを踊ったの? いやいや、嫁探し舞踏会だから招待された御令嬢は端から全員と踊ろうとしてたに違いない。だから一晩じゃ時間が足りなくて今晩も延長戦になったのか。時間配分はちゃんと考えておきなさいよ。

 どちらにせよ、王子様と距離を置く気満々だった三人にとっては想定外だったんだろうな。そりゃ疲れもするわ。でもって戦略の見直しも必要だわ。


「私もお義姉さまたちが踊る姿を見てみたかったです!」


 そんな空気をものともせずにマリーちゃんは目をきらきらと輝かせた。ものともせずというか、気付いてない可能性あるなこの子の場合は。


「またお義姉さまたちが舞踏会に参加される時は、その時もお手伝いさせてくださいね」

「そうだわマリー、実は今晩も舞踏会に参加する事になっているの。また準備を手伝ってちょうだい」

「もちろんです! ぜひお手伝いさせてください!」


 全力の“きゅるん”で引き受けたマリーちゃんは、ようやく今夜も舞踏会が開かれるという情報を手に入れた。昨日の舞踏会の様子を聞くのが楽しくなって忘れちゃったのかと思ったわ。次の舞踏会の話題を振って今日の舞踏会の情報を引き出したのはわざとか? マリーちゃんって駆け引きとかできたんだ。


「あっ、あの、お義母さまっ! 私もお城へ連れて行ってもらえませんか? 外から建物を見るだけでもいいんです。きっとこんな機会は二度とないから、一目だけでいいんです!」


 わぁ、直球。もうちょっとこう、間に小粋なトークを挟んでからでも良かったんじゃないかな? 準備しておいたお願い事を隠し続けて、関係のない会話をするのは難しかったか。という事は、さっきのも駆け引きじゃなかったんだな。天然か。天然の純真か。


「マリー、貴女ねぇ」

「お城を一目見たら、ちゃんと馬車の中でお義母さまとお義姉さまたちが舞踏会から戻って来るのを待っています! だから、お城に私も連れて行ってください! お願いします!」


 マリーちゃんはそこまで言い切ると、継母さんの足元に身を投げ出して跪いた。確かにジャヴォットお義姉様の言葉に反応しなくてもいいとは言ったけど、そんな全力で無視しなくてもいいんじゃないかな? 真横をすり抜けられたジャヴォットお義姉様が能面みたいな顔になってるよ?


「貴女、王子様と結婚したいって言ってなかった?」


 継母さんが探るようにマリーちゃんの目を見る。やばい、継母さんはマリーちゃんが嘘を吐けない事を知ってるっぽい。


「マリーちゃん! マリーちゃんが王子様と結婚したい訳じゃないでしょ! 王子様が勝手にマリーちゃんを見つけてくれるの! だから、マリーちゃんが王子様に会いに行く訳じゃないんだよ!」


 詭弁にも程があるけど、今この瞬間にマリーちゃんを騙せればそれでいい。マリーちゃん本人が騙されてくれれば、嘘を言わないままこの瞬間を乗り切れる。一度約束を取り付けてしまえばこっちの勝ちだから! ほら、さっき自分で言ったことを思い出して! マリーちゃんは、一目お城を見たいだけなんだよ!


「まあお義母さま、からかわないでください。ドレスも持たない私が舞踏会に参加できるはずがないじゃありませんか」


 素晴らしい。欠片も嘘吐かなかったよマリーちゃん。

 胸の前で握りしめた両手と、必死さのあまりこみ上げた涙でうるうるの目。そこに追加して「ダメですか?」と首を少しだけ傾げる上目遣いの美少女を断れる人間はそういないだろう。


「……マリーはこの家の跡継ぎです」

「はい」

「だから貴女の分の招待状は用意されていません」

「はい」


 ゆっくりと一言ずつ説明する継母さんには、昨日ほどの勢いも呆れた様子もない。王子様と結婚したいから舞踏会に連れていけと元気に言い放った子が、自分は舞踏会に参加できないのだと学んだ。それが偽りでない事は目を見て分かったはずだ。


「この家の跡取り娘として連れて行く事はできません。それは理解しなさい」

「はい」


 私が見てきた中で、一番大きいため息が継母さんの口から漏れる。こめかみに指を当て、それはもうじっくりと考え込んでいる。


「いいでしょう」

「お母様!?」


 ジャヴォットお義姉様が能面を剥がし、そのまま一回転でもするんじゃないかって勢いで振り向いた。声は出していないけど、コゼットお義姉様も継母さんの決断に驚いた顔をしてる。

 そうだよね、呼ばれてもない娘を連れて来たなんて事がバレたら家の恥さらしもいいとこだもんね。


「我が家で招待された娘はジャヴォットとコゼットだけです。もう一人娘が馬車に乗っていれば、招待されていないマリーもついてきたのだと気付かれるでしょう。だから貴女は使用人としてついてきなさい。決して自分が“跡継ぎのマリー”である事を知られないようにすると約束ができるのなら、お城の近くまで共に来る事を許可しましょう」

「っ……ありがとうございます!」


 正直そこまで具体的には考えてなかったけど、継母さんが素晴らしいパスを投げてくれた。渋る継母さんに、コゼットお義姉様とマリーちゃんがタッグを組んで無理矢理許可を引き出す事になると思ってたのに。これがご都合主義の真骨頂というやつか。ありがたい。


「ねえお母様」


 来ましたコゼットお義姉様! どうぞ! 乱入会場はこちらでございます!


「馬車の中に三人娘が居るのがダメなんですよね? だったら二人で行けばいいんじゃありません?」

「え……コゼットお義姉さま?」


 聞きようによっては「マリーは連れていかなくてもいいじゃない」とも取れる発言に、マリーちゃんの顔からさっと血の気が引いた。せっかく手にしたお城行きのチケットが、コゼットお義姉様の手でぷらぷらと弄ばれてるように見えてることだろう。今にも泣きだしそうになってるマリーちゃんの感情を爆発させないためにも、そろそろと忍び足で近付いて耳元でささやく。


「大丈夫マリーちゃん、コゼットお義姉様は、貴女の味方だから」


 そんな私の行動に対して、右肩からとても熱いじっとりとした視線を感じるけど気にしない。だってこれだけ人数がいるなかで大声を出すのは勇気がいるんですよ! たとえ私の声が! マリーちゃんにしか聞こえないと分かってても!


「私の招待状をマリーに貸すわ。“コゼット”が舞踏会に行くのは何も問題ないでしょうお母様。中身がマリーだってバレなければ」

「コゼット貴女もしかして」

「……私はっ! 舞踏会は昨日限りだと思って全力を出しましたわっ! 予定にないダンスもしました! 今夜の舞踏会では壁の花になるつもりだったのだから、私の代わりにマリーを壁に飾ってもいいと思うんですのっ!」


 コゼットお義姉様の迫力が凄い。いつもはジャヴォットお義姉様のド迫力に隠れてるけど、嫌な事はやりたくないですという意思表示をするコゼットお義姉様は目力が強い。

 その前に自分で壁の花宣言もどうなのよ。あとマリーちゃんを壁に飾ろうとしないで。


「内川さん、コゼットの性格が相当な事になっていますが」

「すみませんおはぎさん、これは私の関与する事じゃありませんここまでは想定してませんでした」


 だってコゼットお義姉様も最初は喜んでたじゃん! 舞踏会の参加はチャンスだって! 今思うと、自分たちよりも上位の貴族に営業をかけられるチャンスって意味一択だったって分かるけど! 上のお義姉様よりも心優しい感じに描かれてる下のお義姉様だったら、マリーちゃんに同情してたくさん悩んだ後に入れ替わりの提案してくれたりしないかなーっとか、そんな軽い気持ちだったんですよ私は!


「だからお母様、マリーを私の名前で舞踏会に連れて行ってあげて。そうすれば私は家に残っていても構わないでしょう?」

「構いますよ。昨日あれだけのご婦人の前で名乗ったんですよ? マリーに同じことができるとは思いません」

「ええ、ですからお母様がマリーのそばについていてください。お母様がいればわざわざ娘の“コゼット”に話を振る事はないでしょうから」


 ああ、継母さんの眉間に皺が。コゼットお義姉様も少し落ち着いてください。マリーちゃん非常識発言の翌日に実の娘の盛大な我儘発言なんて、継母さんが大変可哀想すぎるので。しかも尻拭いを母親に任せるとか。筋書を作った私でもびっくりですよ。


「コゼット貴女ね、そんな我儘を言ってお母様を困らせるものじゃないわ」

「あらお姉様、別に私は絶対に舞踏会に行きたくないという訳じゃないんですよ? ただの私の代わりにマリーが参加した方が、我が家にとっては都合がいいんじゃないかしら? という提案をしているだけで」


 おっと姉妹喧嘩勃発ですか? 継母さんとマリーちゃんの戦いにコゼットお義姉様が乱入したら、ジャヴォットお義姉様が継母さん側で参戦してもおかしくはなかったですね! こんなところに盲点が! でも継母さんのためにジャヴォットお義姉様は味方になってあげてもらえると助かります! 継母さんの心のために! 最終的に負けてはもらいますが!


「コゼット、我が家にとって都合がいいとはどういう意味かしら」


 そんな観戦実況もどきな事をしていたら、こめかみに当てていた手を綺麗に膝に乗せ、継母さんがコゼットお義姉様に問いかけた。眉間の皺もすっかり消え、そこにあるのは商売人の顔だ。コゼットお義姉様の性格的に「都合のよさ」とはつまり損得の話だと見当をつけたのだろう。さすが継母さん、自分の娘の性格をよく把握してらっしゃる。


「できるだけ急いで、昨日お話をさせていただいた方にお手紙を送りたいの。舞踏会の準備をして、お城に行って、王子から逃げて、そんな事をしている間に何通のお手紙が書けると思います? 舞踏会に招待された令嬢たちはどうせ母親にお伺いをたてなければいけないし、彼女たちの母親にはもう私がお披露目しているんですもの。令嬢の輪に入って見せびらかしても意味ないわ。もちろん私の方から男性に声をかけるわけにはいかないし。今晩も私が舞踏会へ参加したところで、時間を無駄にするようなものじゃありません?」

「つまりコゼットにはもう、商売相手がいないという事ね?」

「ええ」


 姉対妹の戦いが、事業主対営業マンの戦いに移行した。可哀想に、マリーちゃんは完全に部外者扱いだ。


「舞踏会に招かれていた服飾と宝飾関係の店は問題なく。すぐにでも交渉の場を設けてくださると言っていたから、お礼状を送るつもりよ。自分用にと言ってくださった方は五名、あとはおばあ様へのプレゼントにしたいというご婦人が一人と、娘の婚約祝いに揃いのアクセサリーを贈りたいというご婦人が一人、夫が特製の額縁を作りたいと言っているから打診してみるというご婦人もいたわ。これに関しては実際の交渉相手が旦那様になるだろうから、まずは実際にお屋敷に招いてもらえるよう先にお手紙をお送りした方がいいでしょう?」


 ね? と可愛らしく首を傾げてみせるコゼットお義姉様は、マリーちゃんに負けず劣らず攻撃力が強い。その可愛らしい仕草から発せられた営業報告の内容は、可愛らしさを超えて覚えきれない件数になってるけど。


「あの、おはぎさん。下のお義姉様が超有能やり手実業家になっちゃっても、シンデレラストーリーは破綻しませんよね?」

「まあ、そうですね。シンデレラにおける義理の姉たちの行方については、諸説ありますから……その後どういった人生を送るかについては問題ないでしょう」


 ここまで想定の範疇からはみ出てしまうと、もはや何をどう修正したらいいか分からない。とにかくコゼットお義姉様は、マリーちゃんのお父様に負けないくらいの複属性持ちさんとなった。


「いつの間にか貴女も一人前の商売人になってたのねコゼット。ジャヴォットに比べて着飾る事にも興味を持たないから心配していたのだけど……これならどこの商家にでも嫁がせられるわ」

「ありがとうございますお母様っ。ジャヴォットお姉様は今夜も引き続き、舞踏会に参加してらっしゃる方々の視線を集めてくださいね。やっぱりその役割は私には荷が重かったわ。今言った奥様方とも、ほとんど喋り倒して契約をもぎ取ったようなものですもの」


 ジャヴォットお義姉様が広告塔でコゼットお義姉様が営業、社長は継母さんというところか。じゃあマリーちゃんは王子様との繋がりを使っての資金集め係かな。うん、大丈夫、四人で仲良くやっていけそう。


「内川さん、顔が現実逃避してますよ。戻ってきてください」


 ドスっと側頭部におはぎさんのくちばしが刺さり、床に座り込んでしまったマリーちゃん以外の女性たちを改めて見る。コゼットお義姉様の発言で商人モードに意識が切り替わったのか、継母さんもジャヴォットお義姉様もとても生き生きとしてらっしゃる。


「コゼットが二日間とも舞踏会に参加していると思い込んでる方々は、手紙の到着の早さに驚くでしょうね」

「一晩かけてゆっくり丁寧に書きなさい。そんな時間は無かったはずなのに、まるで時間をかけたかのような手紙を受け取れば感心してもらえるわ」

「今晩のうちに書き上げられれば、明日には届けられるかしら」


 これは良い方向に話が流れているのでは? 目の前に商機がぶら下がった商人は、何をしてでも掴み取るに違いない。いいぞ、この調子で頼みます!


「マリー、いいわね。貴女は私の隣で離れないようにしなさい」


 ようやくマリーちゃんに顔を向けた継母さんの眉間には、もう皺が寄っていた気配すらない。闘志と呼んで差し支え無さそうな雰囲気すら漂っている。


「貴女にコゼットの真似はできないでしょうから、喋ってはいけません。舞踏会の最中はずっと微笑んでいるように。守れますね?」


 継母さんの許可が下りた! ジャヴォットお義姉様もコゼットお義姉様も、不満そうな様子は欠片もなかった。途中から会話の内容にさっぱりついていけてなかったマリーちゃんも、どうやらその空気は感じ取れたらしい。ようやく実感が湧いてきたのか、マリーちゃんの表情はどんどん嬉しそうにほころんでいく。


「はい!」


 そして、それはもう今までで一番元気な良いお返事がマリーちゃんの口から飛び出した。

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