第9話 いざ前哨戦

「帰ったわよ」


 言いつけ通りに何の心配もなくぐっすりと眠っていたマリーちゃんは、不機嫌そうなコゼットお義姉様の声で起こされた。


「灯りをつけてちょうだい」


 継母さんがガウンの留め具を外しながら言う。こちらはそれほど不機嫌という感じじゃない。


「よくやったわマリー。レースは二重にして正解だったわ」


 ジャヴォットお義姉様は上機嫌で大変よろしい。

 蝋燭に火を灯したマリーちゃんは、すぐに継母さんのガウンを受け取りに走る。この手慣れてる感が少し物悲しい。


「その、どうでしたか舞踏会は!」


 マリーちゃんステイ。そんなに前のめりで聞いたら警戒されちゃうから。

 なんて言っても、マリーちゃんの耳には届かない。舞踏会は明日も開催されるって知らされた継母さんにとって、マリーちゃんがまだ舞踏会に興味を持ってるのは喜ばしい事じゃない。マリーちゃんは明日そこに自分が参加できて、なおかつ自分が王子様と出会えて結ばれるって知ってるからテンション上がっちゃうのも仕方ないんだけど。でもステイ。継母さんはまだ、コゼットお義姉様との入れ替わり計画すら知らないんだから! 余計な警戒心でハードルちょい上げしないで!


「へぇ? マリー貴女、舞踏会に興味があったの?」


 一呼吸置いてから、マリーちゃんのやる気を削ごうとジャヴォットお義姉様が嘲り笑う。

 こうやって一人ずつの動向見てると、ジャヴォットお義姉様は全力で継母さんのフォローに徹してるなぁ。明日も舞踏会が開催されるなんて聞いたら絶対マリーちゃんは行きたいって言うし、そうなったら継母さんの頭痛と胃痛はノンストップ待ったなし。コゼットお義姉様がお仕事で継母さんのお手伝いをしてるんだとしたら、ジャヴォットお義姉様はメンタル面で継母さんを支えているっぽい。これが苦労して育った長女の処世術というものなのか。


「着ていくドレスも無いのに? そんな灰だらけの顔で王子様の前に出るの? 王子様と結婚できないのに舞踏会に参加して何をしようと言うの? お妃様選びの舞踏会なのに、王子様と結婚のできない貴女が行っても仕方ないでしょう? それとも貴女、王家主催の舞踏会が婿漁りの場所だとでも思っているの?」


 淡々と、でも確実にマリーちゃんのやる気を叩きのめしていくジャヴォットお義姉様、強い。

 みるみるうちに眉がハの字になっていくマリーちゃんを見て、継母さんは静かに胸を撫で下ろしていた。コゼットお義姉様は完全にマリーちゃんへの興味を失っている。失うというか、別の事で頭がいっぱいというか。


「マリーが場違いなのは間違いないわ。変な夢を見ていないでさっさと台所に行きなさい。どうせ明日のパンの仕込みも終わってないんでしょ」

「っ……」


 ついにマリーちゃんは、スカートを握りしめて俯いてしまった。

 ごめん、早く寝なさいとか唆したけどまだ今日の仕事残ってたんだ。


「マリー?」

「っはい、お義母さま」

「何か様子がおかしいわね。まさかまたスープ用のレンズ豆を灰の中に落としたんじゃないでしょうね」


 おや? 今なんか不穏な発言しませんでした?


「嘘でしょ!? せめてエンドウ豆にしなさいよ!」


 コゼットお義姉様、それは「せめて」の内に入るんでしょうか。


「落としてません! あの、私……パンの仕込みをしてきます!」

「えっ、マリーちゃんちょっと」


 マリーちゃんに向かって伸ばしたまま、行き場を失った自分の手をじっと見る。

 基本的にあの子、私の制止は聞いてくれないんだな。


「お母様、マリーの様子何か怪しくありません?」

「そうねジャヴォット、何かを隠してるのは分かるんだけど……コゼット、何か心当たりはある?」

「さあ? どうせ一人で舞踏会ごっこして疲れて眠ってしまったのが恥ずかしいとかじゃない? 私ももう眠いから部屋に戻るわ。明日は無駄な時間を過ごさなきゃいけないみたいだし」


 そう言ってコゼットお義姉様はひらひらと手を振って階段を上りだした。継母さんとジャヴォットお義姉様は呆れた顔をするだけで、後を追う事も呼び止める事もしない。マリーちゃんの前ではあまり見せないけど、これがコゼットお義姉様の通常営業モードなのか。そして私は、コゼットお義姉様のあまりの言いように思わずおはぎさんを見てしまう。


「無駄って言いましたよコゼットお義姉様」

「言いましたね。内川さんの設定がしっかりと反映されているようです」

「あそこまでやる気無くさなくてもよかったんですけどね?」


 明日も舞踏会だ腕が鳴るぜ! って帰ってこられたら困った事になるから、設定作りの成功を喜ぶべきなんだろうけど。でも、それにしてもさぁ? 明日も営業できるかなぁくらいの感想があってもよくない?


「私たちも明日に備えて寝ましょう。もう一度戦略を練り直す必要がありますからね」

「はい、お母様」


 継母さんとジャヴォットお義姉様も疲れているのは同じらしい。初めての舞踏会参加で精神的に疲れたのか、それとも予定外に踊り続ける羽目になったのか。舞踏会の様子を知りたいのはマリーちゃんだけじゃない。私だって知りたい。なんで私はご都合主義装置なのに分裂できないんですかねおはぎさん! なんて言わない。物語を進めるために必須じゃない設定は面倒だから考えたくない。

 それにしても、明日継母さんたちがどんな戦略を練り直すのかがちょっと楽しみだな。戦略を練り直さなきゃきけない何があったんだろう。


「ねえ、おはぎさん」

「なんでしょうか内川さん」 


 二人が階段を上るのを陰ながら見送り、今さっき聞いたばかりの不穏な発言をおはぎさんと共有すべく名前を呼んだ。


「灰の中に豆ぶちまけたの、マリーちゃんなんですか?」

「継母はそう言ってましたね」

「灰の中から豆拾いは無駄な嫌がらせの代名詞なのでは?」

「そのような代名詞は知りませんが、無駄であることは確かです」


 無駄、間違いなく無駄だ。だってそんな事しても誰も得をしない。意味のない作業をさせて溜飲を下げてるんだとしても、その光景を嘲りながら見学する時間はお義姉様たちにはない。


「時は金なりを地で行く継母さんが、そんな無駄極まりない虐めを許すはずないですよね。どうしましょう、そもそも本当に虐めがあったのかさえちょっと怪しくなってきたんですが」

「そうですね。わざわざ豆を拾わせるという非効率的な事をさせるくらいなら、その時間を家事に回せと言うでしょうね」


 継母さんとお義姉様たちの性格設定が随分と変わっちゃったせいで、灰の中から豆を拾う原因がマリーちゃんの失敗になってしまった。マリーちゃんってば、私の知らないうちにこんな立派なドジっ子キャラに育っちゃって。概ね私のせいではあるんだけど。


「ちなみにですが内川さん。レンズ豆がどういった物かご存じですか? あまり日本ではメジャーな食べ物ではありませんが」

「おっしゃる通りあまりご存じないですね。名前は知ってますけど」

「大きくても直径八ミリ程度の小さな豆です」

「小っさ」


 なんとなくで記憶してる一センチ幅を、親指と人差し指を使って作ってみる。これよりも小さい物体を集めるのは随分と時間がかかるのでは? 篩があればあまり時間はかからなさそうだけど、この時代って八ミリ豆を通さない網目の篩ってあったのかな。


「そして厚みは三ミリあれば大きい方かと」

「厚み?」

「レンズ豆は扁平ですから」


 指先の一センチがさらに小さくなった。三ミリは相当薄い。そんな小さい豆、料理に使うなら結構な量が必要だろう。


「それを、灰の中から?」


 豆まきに使う大豆の方がまだましだ。小さい上にそんな摘まみにくそうな形だなんて。


「お義姉様方がやる虐めじゃないですね。非効率すぎます」


 例え八つ当たりだったとしても、どうせなら自分や継母さんの利益になる事を押し付ける。どうしても豆が使いたいなら、レンズ豆の収穫をマリーちゃんにやらせるとか。今この物語の中のお義姉様たちはそういう性格だ。

 家事は人手不足とマリーちゃんを一人前のレディにするための通過儀礼。豆拾いはマリーちゃん本人の失敗。マリーちゃんの格好をバカにしたのは舞踏会に乱入するのを防ぐため。でもって多分、マリーちゃんだけがいつも質素な服を着てるのはドレスを着て家事はできないからだ。自分でもお仕着せだって言ってたし。

 どうしよう、本格的にお義姉様方の虐め実績が無くなっていく。虐げられてない状況で王子様に見初められて、それでもシンデレラストーリーとして成り立つんだろうか。どうしよう、ここまで来てやり直しって言われたら。


「いや、大丈夫。いけます。虐めは、加害者にそんなつもりがなくても虐められた方がそう感じたら虐めなんです。それに家事は貴族のご令嬢がやる仕事じゃないのは確かですし!」


 もうこうなったら言ったもん勝ちですよおはぎさん! 令嬢らしからぬ生活を強いられているマリーちゃんはシンデレラとしての条件をクリアしてます!

 大丈夫、私が信じなくてどうする。きっちりシンデレラストーリーを仕上げてやろうじゃないの。と、決意を新たにした途端に視界が歪む。

 あ、やばい、これアレだ。飛ぶ。


「慣れてきましたね内川さん」

「どう、にか」


 飛ぶための条件を知ったおかげで、少しだけ心の準備ができるようになってきたらしい。この場限定の現象だから、そんな耐性いらないけど。

 さてどこに飛んだんだろうと自分が立っている場所をぐるりと見まわすと、恒例マリーちゃんが座っている暖炉のある部屋だった。


「マリー」

「っ! 魔法使いさん!」


 俯き気味だった顔を勢いよく上げてたマリーちゃんの目には、寝不足による疲労とうっすらと涙がにじんでいる。窓の外を見ると、陽の高さ的にもうお昼頃なのかもしれない。昨日は結局舞踏会に行けなかったし、帰宅したジャヴォットお義姉様に厳しい事言われたし、今日もずっと私が出てこないから不安でいっぱいだったんだろう。悪い事したな。って、飛ぶ場所と時間帯は私が指定した訳じゃないんですけどね? 私の意思とは関係なく勝手に飛ばされるんですよ。


「さて、これから舞踏会に行く準備をするわよ」

「はい!」


 いいお返事ー。でも今後の人生を考えたら、ちょっとは躊躇したり疑ったりしてほしいなー。


「最初にすべきは顔を洗う事ね。昨日お義姉様にも言われたでしょう? 頬にも首にも灰が付いてるって。マリーは肌が白いんだから、汚れを落としただけで随分と見違えるはずよ」


 ジャヴォットお義姉様は「灰だらけ」と誤魔化してくれたけど、こうして見ると灰以外の汚れも残っている。入浴習慣がなかったにしても、顔くらいは洗ってもいいんじゃないかな? これも文化? 水が不足している土地ならともかく、この家には井戸がある。使いたい放題とはいかなくても、汚れを落とすくらい使ってもよさそうなものなのに。


「マリーは顔を洗うのが下手だったのかもしれませんねぇ」

「へっ?」


 またもや人の心を覗いたみたいにおはぎさんが言う。


「ほらよく見てください。頬と鼻の頭が煤けてるのは、今朝の火起こしに付いた物でしょうね。でも髪の生え際には煤以外の汚れが残っています」

「マリーちゃんは……ぱちゃぱちゃお水をかける程度の事しかしてなかったと? あ、それで顔と首の色が少し違うんだ」


 お風呂は滅多に入らないもんね。って事は、髪を洗う回数も少ないよね。となると、頭皮に垢が溜まっててもおかしくないか。そういえばこの時代に石鹸ってあったっけ?


「ここをフランスに近い世界と仮定して時代を考えるのであれば、マリーは入浴の経験が無いのかもしれませんね」

「入浴の経験が……ない?」

「おや? ご存じありませんか? 香水が体臭を誤魔化すためという説を」

「それはご存じなんですけれども。入浴回数が少ないからじゃなくて、入浴経験が、無い?」


 温泉大国の人間としては、それはとてつもなく勿体ないと感じてしまうのですが。湯舟に浸かってリラックスという幸せを知らないのかマリーちゃんは。いや、入浴経験がないなら、とつぜんお湯の中に突っ込まれるとか普通に恐怖体験だな。自分の幸せを押し付けるのはよくない。じゃなくて。


「マリー、水で洗うよりも、少しだけ濡らした布で拭く方がいいわ。首も手も、灰で黒くなってしまった部分は全部ね」


 どうだ。これなら水でぱちゃぱちゃするより広範囲を綺麗にできるはず。本当なら蒸しタオルと基礎化粧品を与えたい。そんな事しなくても、毛穴レスのうるおい肌なんだろうけど。

 マリーちゃんは言われた通りに顔を拭き、首を拭い、手から肘までしっかりと汚れを落とす。ごしごしこすりすぎて、少し赤くなってるけど……まあいいか。痛くない程度にそこは自分で加減してくれ。


「ペローの時代、入浴は病気の元だと思われていたんですよ」


 マリーちゃんを見守る私の耳元で、おはぎさんがぼそっと豆知識を披露してくれた。

 入浴が病気の元?


「だから健康を保つためにも、垢を落とすのは最低限にするのが貴族の身だしなみだったんです」


 何を言ってるのかしらこのアヒル。


「そこに至るまでには色々な背景があるんですが、続きはまた今度にしましょう。マリーの準備ができたようですよ」


 どんな時代背景があればそんな妙な事になるのか今度じゃなくて今すぐ知りたい。けど、今の私は受講生じゃなくてマリーちゃんのための魔法使いさん! ほらやっぱりマリーちゃんてば地肌白い!


「これで灰だらけなんて言われないわね。次はお義母様の部屋へ行きましょう、きっと三人で今夜のための話し合いをしているはずだから」


 継母さんたちは戦略の練り直しだって言ってたし、私がこの時間に飛ばされたという事は今まさにその会議中なんだろう。やる事がない場所と時間には、どうやら私は長居できないみたいだから。


「魔法使いさん、お義母さまは私を舞踏会に行かせてくれるでしょうか」

「大丈夫、こう言えばいいの。私は舞踏会でダンスを踊りたいんじゃありません、一目でいいからお城が見てみたいんです、って。王子様の事は一言も言っちゃダメよ。王子様には興味がない振りをして。そうすれば上手くいくから」


 大事なのは王子様に会って嫁ぐのが目的じゃないと思わせる事。まずそれに納得してもらえないと継母さんは絶対に首を縦には振ってくれない。マリーちゃんは私の声を聞き逃すまいと、今までで一番小さな歩幅で歩く。豪速で走るマリーちゃんを知っているだけに、とても新鮮に感じた。きっとこれも不安の表れなんだろう。


「でも、それでは……私は王子さまに会えません」

「ねえマリー。昨日も教えたわよね? 貴女と王子様が出会うのは運命だって。正式な紹介なんていらないの。マリーがお城に入れば、王子様の方から貴女を見つけてくれるわ」

「本当ですか?」

「ええ、もちろん。自信を持って。これからマリーは誰よりも美しくなるんだから。そのためにはまず舞踏会に参加しないとね。お義母様たちに昨日の舞踏会の話をねだってごらんなさい。お城に憧れていると言えば、きっと今晩も舞踏会があると教えてくれるから」


 また準備にマリーちゃんの手が必要だから、話を向ければ聞かなくても教えてくれるだろうけど。

 舞踏会が始まったのだから、マリーちゃんが一人前のレディになる準備は整った。と、この世界は判断した。マリーちゃんは王子様と結婚したいと言ったけど、別にこの家の娘としての義務を捨てたいとは言ってない。その上で「王子様にも舞踏会にも興味はない、ただ一目お城を見たいだけ」とマリーちゃん自身が言葉にすれば、これまで付き纏っていた「常識を知らない子」というレッテルは剥がれる。

 だってシンデレラは、教訓を含んだ物語なんだから。

 実際にマリーちゃんがどう思ってるかよりも、その行動が第三者から見てどう判断されるかが重要なんだと思う。たとえどんな事情があっても、マリーちゃんが望まない事を強要した継母さんやお義姉様たちが意地悪で高慢な人物と判断されたように。


「それからね、マリー」

「はい」


 次に重要なのは、シンデレラの物語を構成する一つのパーツ。


「舞踏会では自分の名前を言ってはダメ。マリーとして参加するのもダメよ」


 名前もしらぬお姫様。だから王子様はシンデレラを見つけられなかった。唯一残されたガラスの靴を片手に、素性も分からない女性を探し回るというアホ王子になった原因でもある。シンデレラの方から自分を売り込みに行ってはいけない。あくまで、王子の方から探させなければシンデレラストーリーとはいえない。


「私として参加をしてはいけないとは、どういう意味ですか?」


 きゅっと胸元で握られた震える両手を包んであげる代わりに、少しでも安心できるように優しい声で喋りかける。マリーちゃんに私の姿は見えなくても、エフェクトだけでも伝えられればいいのに。


「大丈夫、マリーの味方は案外すぐそばにいるから」


 あまり情報を与えすぎるのもマリーちゃんにとっては良くない。この子腹芸とかできなさそうだし。コゼットお義姉様は行きたくないですよね? だったら私が代わりに行きます! なんて突撃したら、三人の警戒心を煽るだけだ。

 大丈夫。私が蒔いた設定の種はしっかり根付いてる。昨日のコゼットお義姉様の様子なら、この話に乗ってくれるはず。大丈夫。

 マリーちゃんを励ますために言った大丈夫という言葉は、いつの間にか自分を鼓舞するための言葉になってる。


「魔法使いさん、そばにいてくれますか?」


 継母さんの部屋の前でマリーちゃんはそっと呟いた。


「もちろん」


 マリーちゃんがこの扉を叩いたら、交渉という名の戦いの始まりだ。

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