第8話 一人と一羽の悪巧み


「マリー」


 三人が馬車に乗り込み舞踏会へ向かうのを見送るマリーちゃんの背中には、今までで一番の哀愁が漂っている。あれだけ舞踏会に行きたいと願っていたんだから当たり前だ。もしかしたら私がマリーちゃんにかけた言葉のせいで、継母さんとお義姉様たちと一緒に馬車に乗れると思っていたのかもしれない。だとしたら、上げて落とされたような気持ちになっててもおかしくない。ごめん。


「分かってます。私なんかがお城に行けないことくらい」

「マリー、あのね」

「いいんです。だって私は呼ばれてないんですもの」

「マリー」

「それに舞踏会で踊るドレスだって持っていないし」


 綺麗な涙をはらはらと流しながら訴えかけてくるマリーちゃんは、やっぱり視線が少し私から逸れてる。おかげで私は完全に観客状態だ。

 いや、いいからちょっと私の話聞いて。


「大丈夫よマリー、言ったでしょ? 私がマリーを舞踏会に参加させてあげるって」

「でも、もう馬車はっ」

「マリー落ち着いて聞いて」


 危険だなこの子。見張ってないと今にも自分の足で走って行きそう。実際その根性は必要なんだけど。主に馬車無しで帰宅する時には。


「貴女はね、王子様と結婚して幸せになるの」


 マリーちゃんと、それから自分に言い聞かせるために、ゆっくりはっきりと声をかける。明言した以上これでもう逃げ道はない。この物語の中におけるマリーちゃんの幸せは、王子様との結婚が最低条件に定まった。


「では内川さん、ご都合主義の大盤振る舞いを始めますか?」


 総仕上げの段階に来たのだとおはぎさんもやる気に満ちている。私の肩の上で立ちあがり、ばっさばっさと羽を広げた。

 動きとしては大変可愛らしいけど、容赦なく顔面に当たってるからやめてほしい。

 そんなおはぎさんのやる気を鎮めるのは少し申し訳ないけど、ご都合主義装置の出番は明日までお預けだ。そして物語修正のお仕事としては、ある意味ここからが本番。思いついた事を端から垂れ流すと今までの経験上迂闊な事を言ってしまうので、脳内で整理した内容を少しずつ引きずり出す。


「今日は待ちの日です」


 私の宣言に、マリーちゃんとおはぎさんが同時に動きを止める。今すぐにでも魔法使いさんによる素敵な謎力で舞踏会に参加できると思っていたらしいマリーちゃんは呆けた表情になるし、おはぎさんからもこれでもかというくらい困惑エフェクトが漏れている。


「マリー、今夜開かれる舞踏会は王子様がお妃様を見つけるための物よね?」

「でも……私は舞踏会に参加できないから見つけてもらえません」


 魔法使いさんから聞いた言葉への絶対的な信頼が原因だとは思うけど、選ばれる気満々なマリーちゃん凄いな。あれだけ継母さんに言われたのに、まだ王家への嫁入りを信じてるんだろうか。原作シンデレラはきっと、王子様が靴の持ち主を探し始めるまでは自分が選ばれるなんて思ってなかっただろうに。

 まあそんな性格になってしまったのは私が原因なんですけどね!


「じゃあマリー、選ばれるはずの貴女が参加しない舞踏会で、が結婚したいと思う相手を見つけられなかったら。その時はどうなると思う?」

「え?」

「内川さん、今のは」


 王子様、と強調したのがおはぎさんには伝わったらしい。嘘は言ってない。別に、マリーちゃんを選ぶのが舞踏会主催の王子様、なんて言ってないもん私。


「貴女が運命の王子様と出会うまで、舞踏会は続くの」

「本当に? 本当ですか?」

「もちろん」


 だってシンデレラストーリーは、そういうの物語なんだから。


「さあ、明日は今日よりも忙しくなるわよ。マリーも舞踏会に行く準備をしなきゃいけないからね。だから今日は安心して眠って」

「分かりました魔法使いさん!」


 マリーちゃんはやっぱりちょっとずれた位置にお辞儀をして、言われた通りに自分の部屋へと戻って行った。マリーちゃんにとっては明日が本番だから、是非とも万全な体調で挑んでほしい。


「内川さん、初日は舞踏会に行けないパターンなんですね?」

「はい」


 シンデレラの舞踏会参戦はそれなりに種類がある。一晩で一発勝負な事もあるし、三日間連続で舞踏会に通うパターンもある。でも今回は初日不参加、二日目参戦、そして一目惚れへのコースを選んだ。


「理由をお聞きしましょう」


 完全に質疑応答の姿勢になったおはぎさんは何のエフェクトも出さずに真顔で見てくる。ずっとサポートとして付き添ってくれてたけど、きっと今ここにいるおはぎさんは試験官としてのおはぎさんだ。なら私も、全力でそれに応えるのみ。


「おはぎさんも言ってましたよね。リアル至上主義者どもに目にもの見せてやりたいって」

「私はそこまで言ってませんよ」

「じゃあいいです、私がそう思いました」


 言ってたような気がしたけど記憶違いだったっけ。どちらにせよ、おはぎさんが物語に現実を持ち込まれて迷惑してる事に違いはない。だったら優しく甘やかしたりご機嫌伺いする必要はない。売られた喧嘩は、それなりに買う性質なんですよ私。私が直接売られた訳じゃないけど。


「リアルにはリアルをぶつけてやります。マリーちゃんの舞踏会参加には、ご都合主義の“魔法”は使いません」


 文句を言うならまずそこからだろうリアル至上主義者どもめ。魔法があるなら何でもありでしょうが。シンデレラを虐める継母も義理の姉も、魔法で追い出しちゃえばいいじゃない。いっそシンデレラのお母様の病気を治してあげれば、父親の再婚なんて悲劇は始まらなかった。それともドレス制作に特化した魔法なら認めてやってもいいとか思ってる? ファンタジーにリアルを求めるなら、もっと徹底的にやりやがれ。


「私が知ってるシンデレラの原作では、魔法の杖で着ている服をドレスに変える名付け親さんと、揺さぶったらドレスを落としてくる木の、二種類のご都合主義装置さんがいました。という事は、ドレスの産地はそれほど重要視されてない。そうですよね?」

「産地……まあ、はい、そうですね」


 だったら私が魔法でドレスを作り出さなくてもいい。マリーちゃんが普段は着れないような、舞踏会に参加できるような豪奢なドレスが用意されてれば問題ないはずだ。


「ドレスと同じで、馬車はカボチャじゃなくてもいいし馬もトカゲじゃなくていい。だったら魔法なんて使わなくてもいいと思いませんか? シンデレラが舞踏会に行くために必要な物が準備できるなら」

「馬車とドレスこそが、招待状を持たないシンデレラが舞踏会に参加するための証明なのでは? 内川さんはその両方を、魔法を使わずにマリーに提供する事ができますか?」

「できます。だってコゼットお義姉様は、最後まで舞踏会に行くのを渋っていましたから」


 私の疑問のせいでシンデレラの家は裕福じゃなくなった。

 継母さんがシンデレラの実の母親の宝飾品を売り払ってたのは、きっと資金繰りのためだ。

 原因はお父様の商才の無さ。

 商売を手掛けている貴族が持参金目当てで政略結婚をするほど困窮してる理由なんて、事業の失敗以外に思いつかなかった。

 だから継母さんのご実家は政略結婚が成立するくらいのお金持ちじゃなきゃいけない。

 一方的に得をするような結婚は政略結婚とはいえないので、継母さんのご実家はシンデレラの家よりも格が劣る家という事になった。

 それでもまだシンデレラの家は裕福じゃない。

 何故か。

 お父様がまた失敗したから。

 追い討ちをかけるようにお父様はお亡くなりになられ、負債は全部継母さんの元に。

 だから二人の娘は、継母さんのお手伝いができるように教育を受けている。

 そして王子様がアホなので、お義姉様二人は王子様との結婚ではなく継母さんの手伝いのため営業を重視して舞踏会へ向かった。

 どこからが原作準拠で、どこからが私が作った設定なのか分からなくなってるのはこの際見なかったふりをしてもらおう。とにかく現状この物語の中では、継母さんとお義姉様方は王子様との結婚を狙うような夢見がちな人物じゃない事は確定している。だったら後は、私が魔法を使わずご都合主義装置として設定を作ればいい。


「一晩だって舞踏会に行くのを渋ってたコゼットお義姉様が、翌日もお城に行けるって喜ぶと思います?」

「……どうぞ続けてください」


 おはぎさんの胸が丸く膨らむ。


「上手い理由を付けられるなら、不参加を決め込みたいって思っててもおかしくないですよね? でも舞踏会の参加は王命だから逆らえない。ここで一つの需要と供給が成り立ちます」


 私はぴっと両手の人差し指を立ててから、ゆっくりとそれをクロスさせた。片方はコゼットお義姉様。もう片方はもちろん。


「舞踏会に行きたいマリーちゃんの存在ですよ」


 おはぎさんはじっと私の目を見る。探るように、見定めるように。一言でも間違えればこのプレゼンは失敗になる。おはぎさんを説得する事ができれば、この物語は、この世界は、私が作った設定通りに動く。

 ここが正念場だと思いっきり深呼吸をした。


「マリーちゃんに舞踏会の招待状が届かなかったのは、マリーちゃんは王家に嫁げる女性じゃないと判断されたからですよね。だってマリーちゃんはこの家を継ぐために婿取りをする立場だから。でも本人が王家への嫁入りを目的としてないのなら、舞踏会に参加するハードルが下がると思いません?」


 今マリーちゃんの目の前に立つハードルは、継母とお義姉様二人からの許可だ。原作では招待状も無しに舞踏会に乱入できてるんだから、この世界はもうマリーちゃんの舞踏会参加を許している。


「マリーちゃんとコゼットお義姉様、二人の希望は合致してます。後は二人が継母さんを説得できればいい」

「コゼットの代わりにマリーが舞踏会に参加する。内川さんはそれが本当に可能だと思いますか?」


 おはぎさんの質問は否定的だけど、まだ完全な否定はされていない。


「可能にします。ついでに、招待状を持たないマリーちゃんが堂々と舞踏会に参加できるようにします」


 ご都合主義でねじ込む訳じゃない。これは継母さんとお義姉様たちの準備が整った時から考えていた。


「マリーちゃんがコゼットお義姉様の振りをして参加すればいいんですよ」


 マリーちゃんは主人公属性を煮詰めて固めたような子だから、コルセットなんか必要ないくらいに細い。ジャヴォットお義姉様のメリハリボディは無理だけど、スレンダー体型のコゼットお義姉様を真似する事はできるはず。

 そして最大の難関は、体型よりももっと簡単にクリアできる。


「私がペロー版で想像する事が多かったからなんですかね? 三人が舞踏会に行くために完成させた格好って、あれフランス様式ですよね」


 少しずつ完成に近付いていく様子を見ながら、私は少しずつお義姉様たちを注視できなくなっていった。

 袖にレースが大量に使われたドレス。ぎゅうぎゅうに締め上げられたコルセット。盛りの激しい髪型。極めつけは、現代人ドン引きサイズの付けぼくろだ。


「白粉で顔は真っ白だったし、眉もしっかり描いてたし、あれだけ迫力のある付けぼくろがあったらそっちに目が行って、素顔がどうだったかなんて記憶に残らないんじゃないですか?」


 目元とか口元にひっそり添えられるくらいなら「その人の顔」を印象付けるかもしれない。でも、親指の爪サイズのほくろが頬にどーんと貼り付いてる顔は、その人どころか付けほくろしか記憶に残らない。これが現代人である私だけの感覚なのかどうかは賭けだけど、いや、だってあの同じような厚化粧で人の見分けつく? 白地に黒い点がどーんよ?


「正直ですね……私、完成系のジャヴォットお義姉様とコゼットお義姉様の違い、体型でしか分かりませんでした」


 継母さんは大人の色気がちゃんと身についてるから、さすがに見分けはついた。だからこそ思う。同年代は確実に無理。


「所作の美しさがその人の美しさを表すから、お義姉様たちは美しい女性として描かれていなかった。逆にシンデレラの美しさが所作由来なんだとしたら、別に顔面の作りはそれほど重要じゃないと思うんですよ」


 着飾るだけの財力と、身についたマナーで育ちを判断する。顔貌の美しさに言及したシンデレラ作品はすぐには思い出せない。あったとしても、私がすぐに思い出せないんだからかなり珍しいタイプだ。白い肌は厚塗りされた白粉と付けぼくろ、薔薇色の頬はこってり塗られた頬紅、みずみずしい唇は口紅。あえて顔面を形容するとしても、それは全部化粧一つで賄えてしまう。


「それにですね、おはぎさん」


 これが最大のリアル。


「入れ替わりができるレベルの厚化粧だったら、ガラスの靴が履けるまで惚れた相手の顔が分からなかった理由になりません?」


 シンデレラは舞踏会に参加した時と王子様再会の時とでかなり見た目が変わってるから、すぐに気付けなくても仕方がない。許そう。問題はお義姉様たちの方ですよ。


「だってお義姉様たちは、それなりに着飾った姿でガラスの靴チャレンジしてますよね。無理矢理足ねじ込んででも選ばれようとしたんですから。舞踏会の時と同じように着飾った女性を見て、それが惚れた相手とは別人だって気付けないのはいかがなものかと。血まみれだろうが靴に足が入ったからってシンデレラ判定したんですよ? アホ王子の称号があっても酷すぎますよ」


 王子様が直接靴持って駆けずり回らないパターンもあるけど、その時だって靴を持って訪ねて来たお偉いさんは舞踏会でのシンデレラを見てるはずだ。あれだけ「美しい」だの「王女のよう」だのと絶賛しておいて、顔は分かりませんというのは無理がある。シンデレラの家に来るまで国中の女性に靴を履かせたエピソードもあるくらいだから、相当数の女性がガラスの靴チャレンジをした後だ。そしてその結果もちゃんと原作には書いてある。

 シンデレラ以外誰も靴を履くことができなかった、と。


「あれだけ美しいって称賛したのに、もう一度顔を見てもこの人は違うって確信が持てなかったんですよ? 平安時代のお姫様じゃあるまいし、靴が履けるか試した時に顔隠してたって事もないでしょう。だとしたら前提が一つ生まれます。シンデレラが王子様に選ばれるために必要な条件に、顔は入っていない」


 クロスしていた人差し指同士を、またぴっとそれぞれ天井に向ける。おはぎさんの視線は、よりおはぎさんに近かった右指に向けられた。私の中では勝手に右指をマリーちゃんに見立てていたから、そっちを凝視してくれるのは少しうれしい。


「いいでしょう」


 たっぷりと時間を取った後で、おはぎさんが頷く。


「シンデレラが王子に選ばれる要因に顔は関係ない。だから別人の、コゼットの顔を真似て舞踏会に行ってもマリーはマリーとして王子に選ばれる。大きな破綻にはなりませんね」

「っし!」


 今までどうにか拳を握るだけで感情を抑えていたけど、ついに声が出た。このコゼットお義姉様との入れ替わり作戦が実行可能かで、この先の展開は大きく変わってくる。

 マリーちゃんがドレスを着ても怒る人はいない。お城までは継母さんとジャヴォットお義姉様と一緒に行くから馬車は新たに用意する必要がない。馬も、御者も、全部最初から揃ってる。ちゃんと招待状を持って行くからお城の入り口だって堂々と通れる。よその国のお姫様と勘違いされるエピソードは消えるけど、そこを補うのこそが主人公補正とご都合主義でしょ。大勢の中からたった一人を見つけ出す。それがシンデレラに登場する王子様なんだから。


「あとは継母の説得方法ですが、そちらは考えていますか? マリーはすでに王子との結婚を目論む危険人物だと認識されています。そしてコゼットは父親より商才があるとのお墨付きがありますから、おそらく営業役としての実績を携えて帰って来るでしょう。二人の入れ替えを継母に頷かせるには何かしらの理由が必要ですよ」

「任せてください」


 大丈夫。リアルにはリアルを。私のご都合主義は、ゼロから一を捻り出すんじゃなくて、一を二に、二を三に補強するために使います。


「まずはマリーちゃんの危険人物疑惑を払拭しましょう」

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