第4話 灰の中から豆を拾う
さて、と改めてマリーちゃんの前に立つ。突然現れた魔法使いさんが謎の宣言だけして行方不明になったのに、不安がるでもなく探してる様子もない。随分と肝が据わってらっしゃる。
「遅くなっちゃってごめんなさいマリー。あなたのこれからの事を一緒に考えましょう」
マリーちゃんには私の姿が見えてないから「突然謎の声再び」状態になってるけど、ぱっと明るい表情になったので気味悪がってたりはしないらしい。それもそうか。不思議な魔法でドレスや馬車を用意されても、何の疑いもなく受け入れてた子だもんな。
「マリー、あなたは」
いずれ王子様が、と続けようとしたけど、私の声に被って勢いよく部屋の扉が開いた。盛大な音を鳴らして。
「ここにいたのねマリー」
扉の前には二人の美人が立っている。これからどこぞでパーティーですか? ってくらい飾り立てた姿も相まって、凄みをきかせてくる様子は大変に怖い。
「お義姉さま!」
すぐに部屋の扉に負けない勢いでマリーちゃんは立ちあがる。胸の前でギュッと組んだ手は微かに震えていて、まさに鬼から隠れていたのを見つけられた様相だ。
「え? あれが義理のお姉様?」
立ちあがる勢いの良さに驚くよりも、マリーちゃんの口から出た言葉の方が衝撃的だった。
一目で分かる美人さん。シンデレラに比べて義理の姉たちは意地悪ついでに不細工扱いされる事が多いけど、彼女たちを見て醜いだなんて思う人はいないだろう。系統は違うけど、マリーちゃんと並んでも遜色なんか一切ない。
「金糸雀色のドレスを着ているのがジャヴォットお義姉さま、薔薇色のドレスを着ているのが下のお義姉さまです」
口の動きを最低限にして、小さな声でこっそりとマリーちゃんが教えてくれる。迫力美人のジャヴォットお義姉様と、それより少し幼い面立ちの下のおねぇ……。
「おはぎさんちょっとタイム」
思わずタイムアウトのハンドサインを出してしまう。
「下のお義姉様ってなに」
「この場合は三人姉妹の次女という意味ですね」
「いやそうでなく」
大事なシーンを見逃すまいと三人の様子を視界に入れたままにはしてるけど、どうやら私がおはぎさんに相談をしてる間は大きな動きはないらしい。扉から姿を現した義理の姉二人とマリーちゃんは対面したまま動かないし、なんなら私とおはぎさんの会話も聞こえてないのかな? って程にマリーちゃんの反応もない。ありがとうご都合主義。
「上のお義姉様と下のお義姉様なら分かるけど、なんでジャヴォットお義姉様は名前呼びでもう一人は“下のお義姉様”なんですか?」
大兄さんと小兄さんみたいな呼び方に統一されてるならともかく。というか、地位の高い人間の方が名前呼びは失礼にあたるのでは? 多分勢力図としては次女より長女の方が権力あると思うんだけど。
「ジャヴォットはシンデレラの中で唯一名前が出てくる人物ですからね。内川さんは原作基準の物語を想定している部分が多いのでジャヴォットとして登場したのでしょう」
「唯一?」
「唯一です。なので下の義姉の名前をマリーは呼ぶことができません。知りませんので」
そうだっけ? シンデレラって義姉たちの事名前で呼ぶシーンってなかったっけ? なかったな。名前がないと呼べなくて不便だから、映像化した時は後付けで名前が追加されてるのか。
「下の義姉だけ名前がないのは不便ですね」
「やっぱりおはぎさん、私の心の中覗き見してません?」
「してませんよ。さあ内川さん、下の義姉のお名前をどうぞ」
おはぎさんの羽が、お義姉様たちがいる扉の方へと向けられた。
「どうぞ?」
「はい。不便なので」
ピンク色のドレスを着た美人さんを見て、おはぎさんを見て、もう一度ピンク色を見る。文脈の前後関係から求められてる事はすぐに理解してしまったけど、簡単に認めてはいけない気がする。あなた私がマリーの時にあれだけ悩んだの、隣で見てましたよね?
「えーっと、そうですねー、不便ですよねー。でも原作には出てこないままで問題なかったんですもんねー」
「そうですね。原作だと短編程度の文字数ですからなくても問題はなかったんでしょう。実際主人公ですら本名は出てきませんから」
「ですよねー」
「なので内川さんが下の義姉の名前を付けてください。不便ですので」
逃げられなかった。
「無理ですよ! マリー・アントワネットでフランス人名の在庫ゼロです!」
「フランス人じゃなくても構いませんよ」
「構いますよ! ジャヴォットって響き、絶対ドイツ語でも英語でもないでしょ! マリーとジャヴォットがフランス人名なのに次女だけ日本人名とか特別扱いにも程がありますよ!」
「随分と極端な例を出しますね……」
親に悪気がなくても子供からしたらたまったもんじゃない。なにか……他になにか有名なフランス人……頑張って思い出して世界史選択だった私。高校時代の記憶を引きずり出せ私。フランス……フランスで有名な事件……フランス革命……いやフランス革命で有名な女性ってマリー・アントワネットくらいしか出てこない。他に何か……何か……。
「コゼット! コゼットってフランス人ですよね!?」
「内川さんはミュージカルも嗜むんですね」
「私が見たのは映画化されたやつですけど!」
ジャヴォットの妹でコゼット。響きも似てるし、これは得点高いんじゃない?
「コゼットも本名ではありませんが、まあいいでしょう」
「本名じゃない?」
「愛称のようなものですね」
完全に勝利を確信した私におはぎさんの残酷な声が被さる。
「じゃあ……コゼットという名前の人は」
「現代では分かりませんが、当時はあまりいなかったのではないでしょうか。不要なものという意味合いが強いので」
不要な……もの?
「あの……ちなみに今からお名前を変更するのは」
「ジャヴォットお義姉さま、コゼットお義姉さま!」
私がおはぎさんの目を見るよりも先に、マリーちゃんがお義姉様たち二人の名前を呼ぶ。
「無理ですね」
「ソウミタイデスネ」
ごめんね下のお義姉様。原作ではちょっとだけ良い人っぽく描かれてるのに酷い名前つけちゃって。文句はおはぎさん宛てでお願いします。
「そういえば内川さん、お伝えするのをすっかり忘れていました」
「やだ、なんですか?」
お義姉様たちに近寄るマリーちゃんの背中を、ちょっと遠い目になりつつ視野に入れていたら物凄い危険物を押し付けられる気配がした。
サポートしっかり! 伝え忘れとかよくないよ!
「マリー・アントワネットはフランスに嫁いで来ましたが、出身はオーストリアですよ」
「早く言え!」
フランス語圏の名前を! 頑張って引きずり出した私の努力!
「いえいえ、これは称賛と受け取ってください。現在のオーストリアの公用語はドイツですので」
「えっ、と?」
「グリム版とペロー版、ドイツ語圏でもフランス語圏でも通用する適切なお名前かと」
ツッコミを抑え込もうとしてうっかりガニ股気味に踏ん張ってしまった私に、おはぎさんは確かに褒めるような口調で喋ってくれる。うまく丸め込まれそうになる事は多々あれど、口調自体を偽ってきた事はない。私はチョロいのでこれ以上の褒めは危険だ。
「ドイツ名ではマリアですね。マリーはフランスの王太子妃として呼ばれるようになった名前です」
「じゃあ一応フランス人名としては……」
「よくある名前だと思います」
よっし、褒められた。ガッツポーズを取りかけ、自分の下半身がまだ踏ん張ってる事に気付いて姿勢を直す。完璧にとは言えないけど、名付け親としての任務は果たせてる。
「コゼットも“他の人には不要でも、自分にはかけがえのないもの”という意味が込められていたとも聞きますし、悪いだけの名前という訳でもなさそうですね」
「謙遜て言葉を知らなさそうなお国では珍しいですね」
他の人からどう思われようがこの子は私の宝物、って意味で名前を付けたんだとしたら、まあ、一応、愛情は感じられる……のかな?
私は今まさしく私がそんな名前を付けてしまったコゼットお義姉様に目を向けた。確かにしっかり愛情を受けた顔をしてらっしゃる。姉妹揃ってそれはもう母親に溺愛されていたに違いない。
「お義姉様たち、美人さんなんですね」
意図せずぼそりと呟いてしまった声を、おはぎさんはしっかりと拾い上げる。
「静止画だけであれば、美しい女性と表現してもいいでしょうね」
「静止画?」
疑問を返すのと同時に、その美しいお義姉様たちがマリーちゃんに向かってずんずんと勢いよく歩き出した。足首まで隠す長いドレスをむんずと掴み、それでもまだ足に絡まるのかバッサバッサと激しい音を立てて、私のへなちょこガニ股に負けない足さばきで迫って来る姿は正直怖い。初見の迫力ある凄みよりも怖い。そして当然のように足音も大きい。
「ああ、そういう事ですか」
所作立ち居振る舞いが美しさに繋がる、という金言を実際間近に見せつけられると納得しかない。がさつ、といえばいいのか。絶世の美女が口を閉じないでくっちゃくちゃ目の前で食事してる時の絶望感ってきっとこんな感じなんだろうなとうっかり遠い目をしてしまう。
なるほど、この時代のお貴族様のマナーがどんなものかは詳しく知らないけどこれが正解じゃない事は分かる。お義姉様たち二人は「美しい女性」の基本が備わってないから「不細工」扱いなのか。で、そこが備わってるからシンデレラは美しい女性として扱われると。
「マリー何を怠けてるの。私は部屋の掃除をしなさいと言ったわよね?」
「っ……はい。ジャヴォットお義姉さま」
迫力美人の長女が硬い声でマリーちゃんに話しかける。いじわるというよりも蔑んでいるの方が近い。
「マリー、夕食の準備は終わったのっ?」
「コゼットお義姉さま! これからすぐに!」
長女より少し幼さの残る顔をした次女は、声こそまろやかで優しそうだけどマリーちゃんにかける言葉に優しさはない。
「今日も随分と遅くまで寝ていたわよね。マリーは仕事が遅いんだから日が出る前から起きて働きなさい」
「そのせいでマリーは朝の火起こしもサボったのよお姉様」
「水汲みの仕事も任せたいのだけど、マリーなんかに務まるかしらね」
「実際にやらせた方が覚えやすいんじゃない?」
二人が次から次へとマリーちゃんに用事を押し付けてくる様子は、話に聞いてた通りのなかなかの義妹いびりだ。一つ言われる度に、どんどんマリーちゃんの顔は俯き身体も縮こまっていく。途中からは用事の言いつけというより難癖に近いような発言まで飛び出し、それはマリーちゃんが「夕食の準備をしてきます」と言って部屋を出るまで続いた。
「マリーちゃん待って!」
数テンポ遅れて私も後を追う。
ドレスをつまむ指先も足音をほとんど立てずに小走りする技も、どちらかと言えばおてんばさんにジャンル分けされる仕草なのにマリーちゃんがやると優雅に見えるから不思議だ。マリーちゃんがおはぎさんと同じ能力を持っていたら、きっと周囲には繊細で可憐な花が飛び散ってるに違いない。
ようやく走り着いた台所でマリーちゃんは石造りの床にへたり込む。周囲には誰もいないのに涙はこぼすまいと堪えている姿は、か弱いだけのお姫様じゃない事を物語っていた。
「マリー?」
あともう一言でこぼれてしまいそうな涙を袖で拭い、マリーちゃんは私がいると想定した方向へと顔を向ける。水分は袖に吸い込まれていったけど、また新しくあふれて来た涙はマリーちゃんの目を容赦なく濡らしていた。
「すみません、魔法使いさんにみっともない姿を見せてしまって」
それでもにっこりと笑ってみせるもんだから、私の方が代わりに泣きそうだった。
「掃除も料理も、本来はマリーの仕事じゃないんでしょ?」
「でも、パンが食べたければそれに見合う仕事をしろって言われているので。私にはこれくらいの事しかできませんから」
この子は笑顔だけで私を浄化させようとでもする気か。これが、純真無垢の清い心の持ち主なのか。主人公たるもの心の清らかさは常に一定の品質をキープしなきゃいけないんだな。輝いてる、輝いて見えるよマリーちゃん!
「で? パンが食べたいお義姉様たちはいつもどこで何をしてるの?」
「お義姉さまたちは、その……テラスで、お茶を」
「働けぇい!」
いっそ清々しいな!
「魔法使いさん、私どうしたらいいんでしょうか。お義姉さまたちはいいんです。それよりもお義母さまが、私の本当のお母さまの部屋を好き勝手にしてしまって……。お母さまの宝飾品がどんどん売られているんです。でも私は絶対に入っちゃいけないと言われてるし、お義母さまがいない時を見計らってもほとんど部屋から出てこないんです。私のお母さまの部屋は、今どんな事になっているのでしょうか」
はいアウトー。
さすがに前妻の持ち物を勝手に売りさばいちゃダメでしょ。シンデレラの父親は前の嫁を嫌ってたから愛人を後妻にしたとかそんな事なかったはず。この子にとっては母親の形見になる訳だし、わざわざ売り払うとか完全に嫌がらせだわー。お父様しっかり管理してー。
ごめん、お父様を退場させたのは私だわ。
「お母さまに会いたい」
ぽつりと呟いたマリーちゃんは、はらはらと泣き始めた。
「ごめんねマリー、そこまでの力は私にはないの」
「いいえっ、魔法使いさんは私にとても良くしてくださっています! これ以上を望むのは罰当たりです!」
本当にいい子なんだなぁシンデレラって。心根が美しいって言われるのも納得だわ。
頭を撫でてあげたくて、涙を拭ってあげたくて、差し出した私の手はするりとマリーちゃんをすり抜けていった。
「……おはぎさん?」
「直接の接触はできません。ここで内川さんがマリーを持ち上げたら、マリーは台所で一人浮かんでいる状態になりますからね」
「それはご都合主義装置の適用内じゃないんですか?」
「ご都合主義を適用させたいのでしたら、今ここでマリーが宙を浮いていてもおかしくない設定を作り上げてください」
「無理です」
ご都合主義はゆるふわ万能じゃなかったか。
「あれ? でもさっき扉は自分で開けられましたよね? あれもポルターガイスト状態になってたんじゃないんですか?」
廊下を歩いていた時だ。手近な扉を開けて私はマリーちゃんがいる部屋に入った。私の姿が見えていないのなら、うっかり自動ドアになってたはずだ。
でもマリーちゃん、私が声かけるまで何も気付いてなかったよね?
「扉などの無機物に関しては内川さんの認識基準が適応されます」
「認識基準とは」
「内川さんは扉を開けたと認識していますが、物語の登場人物目線では扉は開いてません。内川さんがおっしゃる通り、誰もいないのに勝手に扉が開くのは異常事態ですからね」
おはぎさんの説明を聞きながら、さっき扉の取っ手を握った自分の右手をまじまじと見る。
確かに金属の質感があったはずなのに、実際は触ってなかった?
「壁や床などが、さきほどのマリーと同じように触れられないとしたらどうなると思いますか?」
「壁抜けができますね!」
「そうですね。床も抜けますね」
「あ」
確かにその通りだ。私の足は今床を踏みしめてる。壁が抜けられるなら、床だってすり抜けちゃうしそのまま地中の中にだって埋まれちゃう。
「幽霊みたいに自分の好きなようには動けないんですか? ちょっと浮いてれば地中落下もしないし、その気になれば一階の天井を貫通して二階の床から頭出す事とかできるじゃないですか」
「システム的に不可能ではありませんが、そういった“通常では起こりえない事”を続けると内川さんの脳に負荷がかかりすぎるんですよ。例えば内川さん、この壁の厚みが分かりますか?」
ペシペシとおはぎさんの羽が石造りの壁を叩く。切り出した石を積み上げたような、レンガ造りよりも少し武骨な印象の壁だ。一階部分は、上の階を支えるためにも十分な土台にならなきゃいけない。この時代の家は壁が柱代わりにもなってるだろうから、私が想像する部屋の壁よりも分厚いはずだ。
「壁をすり抜けるというのは、壁を構成する全ての物質の中に飛び込むことになります。もちろん真っ暗ですよ、壁の中に光は射しませんから。地中やコンクリートの塊に頭を入れたようなものだと考えていただいて結構です」
「死んでるじゃないですかそれ」
「はい。死にでもしないと見れない光景です。そして現実的に実行不可能だと判断している事を行うと、人間の脳では処理が追い付かないんです。地面を踏む感覚がなくなれば二足歩行のための姿勢制御が難しくなります。内川さんご自身が“自分はそういう存在だ”と受け入れられる設定を付与できなければ、基本的には大多数の人間が実践可能な行動しかできません」
「脳みそがキャパオーバーになるという事は理解しました」
説明されてもあまり実感はできないけど、やらない方がいいと言われた事を無理にやる必要もない。できない事はできないと一刀両断するおはぎさんがここまで説明してくれるという事は、本当に危険な行為だろうから。
「私のために私は物質に干渉できるけど、私は見えない存在だからマリーちゃんたちには“いないはずの私”が起こした事象は見えない。みたいな理解で問題ありませんか?」
「はい、その認識で問題ありません」
こっくりとおはぎさんは頷く。いつになく真剣な様子から、出された問題を一つをクリアしたような気持ちになった。
「すり抜けを可能にすると、分厚い壁の中で厚みを把握できずに迷子になったりしますからね」
「怖っ!」
脳内とかシステムとか色々言われるよりも、私がやらかしそうな実例を想像する方がよっぽど怖い。どこを見ても壁の中。どこまで行っても壁。うん、発狂待ったなしだわ。
なるほどねぇと納得しながら、うっかり放置してしまったマリーちゃんの背中を見る。つらい気持ちを抱えたままでも言いつけられた仕事はこなさなきゃいけない。細い腕で多分パン生地をこねる様子はなんとも物悲しい。
「私に実体があれば、お手伝いくらいできたのにな」
料理は別段得意じゃないけど、まったくできない訳でもない。自炊してますと言える程度の技術はある。なのに、ただ見てる事しかできないのが悔しかった。
「ご令嬢であれば本来携わらない仕事を押し付けられるのも、シンデレラという物語を構成する一つですからね。内川さんが肩代わりしてしまっては意味がありません」
「そうなんですけどね」
柔らかい生地がべたべたと指に絡まり、マリーちゃんは悪戦苦闘してる。パン作りはしたことないけど大変なんだなぁ。
お仕事中のマリーちゃんの邪魔をする訳にもいかないので、そっと台所を離れる。声以外の音が聞こえないって事は足音も聞こえないんだろうけど、なぜか物音を立てないようにしてしまうのは仕方ない。きっとこれも、自分の行動として一番疑問に思わない選択肢なんだろう。
コツコツと響く台所の床を抜け、玄関ホールらしき空間を抜け、階段を上り、再び絨毯が敷き詰められた廊下へと出る。
「ねえおはぎさん、私さっきから誰ともすれ違わないんですが。主要人物以外は目に見えなかったりします?」
「いいえ、そういった仕様にはなっていません。村人Aとしか名付けられそうにない人物も、間違いなくこの物語に必要な構成員ですから」
「じゃあこのお屋敷は本当に人がいないんだ」
マリーちゃんがいた部屋に入る前も、廊下には誰もいなかった。お義姉様たちから逃げるマリーちゃんを追った時も誰にも遭遇していない。今も、部屋の全てを見た訳じゃないけど廊下もホールもがらんとしてる。
「もっと大量の使用人がうろうろしてるんだと思ってました」
「この規模の家なら住み込みの家政婦さんが一人とそのお手伝いさん、あとは屋敷の管理を任されている家令と料理人、庭師くらいでしょうね」
「へぇ、そんなものなんですね。ずらっとメイドさんが並んで『お帰りなさいませ旦那様』とかはないんだ」
「時代と家柄と規模が違いますから」
時代か。産業革命がなんちゃらで大量にメイドさんが必要になって経験値低い子もつれてこられてイギリスには飯マズ文化が根付いた。なんて話もあったもんな。いや違う違う、それはイギリスの話なんだってば。
「規模が違うっていっても、それなりに大きいと思うんですけどこの家」
「内川さんのご自宅よりは大きいですね」
「羽毟りますよ?」
そりゃ大きいですけど。間違いなく大きいですけれども。実家も戸建てじゃないから確実に大きいですけれども!
「あれ? シンデレラの話って使用人出てきましたっけ?」
「明確には出てきませんね」
「……回せるんですか、この屋敷、シンデレラ一人で」
「回せると思いますか?」
「まっ……」
落ち着け私。おはぎさんから物語の内容に関する質問だ。きっと私の返答でシンデレラ家の使用人事情が確定する。勢いで口走らなかった私、よくやった。
実際問題、回せるとは思わない。プロのお掃除屋さんは短時間で素晴らしいお仕事をなさるとは聞くけど、シンデレラはお嬢様育ち。手際なんて良くないだろうし、朝から晩までみっちり詰めても終わらないだろう。というか、そもそも家事の方法なんて知らないんじゃない? 洗濯機に洗剤全投入して泡製造機にさせたとか、塩一つまみを一つかみと勘違いしたとか、家事初心者さんのやらかしネタが次々と脳裏をよぎる。お屋敷勤めの使用人さんたちに仕事マニュアルがあるかは分からないけど、それでも最初は経験者が直接手ほどきしないと無理だ。
かといって、大量の使用人と一緒に家事をしている姿も想像できない。使用人がいるタイプのシンデレラを私は見た事がないからだろう。
「おはぎさん、確か義理の姉たちは舞踏会に行く準備をシンデレラに手伝わせましたよね?」
「はい」
「城での舞踏会という大舞台に行くんだから、可能な限りのスペシャルな自分で挑むと思うんですよ」
「そうですね」
「シンデレラのセンスが良くても、どれだけ手先が器用だったとしても、その道のプロには敵わないと思うんです。なのに義理の姉たちがシンデレラを呼んだのは、それを任せられる使用人はいなかったんじゃないでしょうか」
おはぎさんは私の発言一つ一つに相槌を打ちながら聞いてくれる。
「ではシンデレラ一人で家事は全て行えていたと」
「それは無理です。やっぱり仕事を教える人間は必要です。だっておはぎさん、シンデレラを虐めるために料理作らせても、それ食べるのは自分たちですよ? それってわざわざ身を削ってまでやる虐めですか?」
残念ながら、世の中には「何故こんな事になった?」という料理を錬成してしまう前例がいくつもある。それを毎日食べるのはある種の拷問に近い。
「部屋の掃除だって、これまで一度も掃除道具を持った事のないお嬢様に任せたら、絨毯をモップ掛けとかしそうじゃないですか。偏見ですけど」
「偏見だと自己申告する姿勢は良いと思いますよ」
「ありがとうございます。灰の中の豆拾えとか意味の分からない虐めならともかく、家事に関してはシンデレラに任せても被害被るのは自分たちですよ。最悪の自体にはならないように、最低でも一人はそれをフォローする使用人がいると思います」
「では、シンデレラの家には使用人が存在するが、必要とされる人数は揃っていない。という事ですね?」
「はい」
多分これで方向性としては合ってるはずだ。どれだけ最強主人公でも、お嬢様育ちが使用人の才能まで持ち合わせていたとかチートがすぎる。一度見れば完璧に覚えられる能力があったとしても、一から十まで使用人が行う全部の仕事を見て回っていたというのも考えにくい。
「……あれ? じゃあシンデレラの家ってそれほど裕福じゃないんですかね?」
パンを食べたきゃ仕事しろってお義姉様たちは言ったらしいから、働かない人間に食事を与えられるほどの余裕はなかったのかな。いや家計事情は関係なく、裕福な家で生まれたお嬢様に「使用人がやるべき仕事」を任せる事でシンデレラの自尊心を……。
「父親もお亡くなりになられてますし、この家は義理の母と姉が散財したパターンという事ですね」
「えっ」
何かが確定したらしいおはぎさんの言葉に、勢いよく顔を向けてしまった。
もふりと顔面が羽毛に埋まる。
ごめんマリーちゃん。プライド踏みにじられついでに、貧乏設定まで追加させちゃった。
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