第2話 概念シンデレラと暫定シンデレラ
「はい。今のところはまだ自由気ままな生活をしていますが。ここは、灰かぶりさんのお宅ですよ」
「灰かぶりさん」
「ご存じありませんか?」
「存じ上げておりますが?」
よっしゃ。シンデレラならシンデレラモチーフのゲームにハマった時に原作も少々嗜んだ! 某アレソレな歌も歌詞はちょっと怪しいけど歌える。歌わなきゃいけないような事態は決して求めてはいないけど!
いける。やれる。やってやろうじゃないシンデレラの魔女!
「ん? 魔女? シンデレラに出てくるのって魔女でしたっけ?」
「魔女でも、魔法使いでも、妖精でも、名付け親でも、仙女でも、なんでもどうぞ。ここは内川さんが干渉する物語ですから」
「じゃあ名付け親さんでお願いします!」
グリム版でシンデレラを助けるのは、確か母親の遺言で育てた木だった気がする。あれ? お父様のお土産だったっけ? どっちにしても登場人物に制限がある学芸会じゃあるまいし、さすがに木の役は切ない。魔法のステッキでお手軽にやりたい放題やるなら名付け親の方が便利! な、はず!
「それに木じゃ動けないしね」
ぐっと拳を握りしめながら、うっかり声が漏れた。
「動けますよ」
「動けるの!? 木が!?」
「はい。内川さんが“動ける木”になりたいと願えば」
わぁ、本当になんでもアリなんだぁ。でも木になって動いてみたいとは思わないので、人の形でいさせてください。
そう考えると、おはぎさんの姿を指定されたおはぎさんの中身は今とても不便なんじゃないだろうか。出会った時のギラギライケメンの方が動きやすかったかな。でもアレが横にいたら私が落ち着かないしな。人型じゃなくてもいいって言ったのはおはぎさんだしな。
「おはぎさん、その姿って、あの、不便……ですよね」
文句を言われる筋合いはないと思うけど、一応不満があるなら聞いておきたい。できればオブラートで何重にもぐるんぐるんに包んだ柔らかい言葉で。なんなら否定してほしい。
「そうですね。指が無いので詳細に物を指し示す事ができないのと、表情筋が少ないので意思疎通に不足が出そうなのと、足が遅いのと、地面を歩くと内川さんが遠いのに飛べないのは不便ですね」
肯定された。オブラートの欠片もなく。一つ一つ説明される内容がどすどすと耳に刺さる。
私だって前以て教えてもらってれば、もうちょっとこう、利便性重視した姿をね? 想像する事だってできたんだけどね? だってそんな説明何もなかったじゃん?
「でもこうして肩に乗らせていただければそれほどでもありませんので」
そうだった。おはぎさんは私を乗り物扱いしてるんだから、足が遅いなんて全然関係ないわ。
「表情は作れませんが多少のエフェクトは出せますし」
「は? エフェクト?」
私の罪悪感を返せと言おうとしたのに、謎に謎を重ねて翻弄しようとでもいうかのように新たな謎の言葉が耳に入った。
さっきの失敗を生かし、今度は少し顔を引いておはぎさんを見る。
「わぁ……ほわほわしてる」
おはぎさんの周囲には、暖色パステルカラーのケセランパセランのような物が浮いていた。顔に当たっても感触はない。目や唇に張り付くかと思ったけど、どうやら実体はないらしくふわふわとすり抜けていく。
「エフェクト、ですね」
「はい、エフェクトです」
おそらく今のおはぎさんは機嫌が良いと考えてよさそうだ。落ち込ませたらどんよりするのか、ドヤ顔したら目元が光ったりするのか。薔薇背負って出て花びら撒き散らしたらどうしよう。
色んなおはぎさんを想像していたら、ドスッと今度は強めにくちばしが側頭部に刺さる。
「ほらほら内川さん。次は灰かぶりさんがこき使われてる場面まで飛びますよ」
「あの、おはぎさん。ひとつ気になってた事があるので聞いてもいいでしょうか」
「はいどうぞ」
「“シンデレラ”ではなく?」
「“灰かぶり”さんです。あ、飛びましたね」
おいぃ! 質問には最後までちゃんと答えて!
さっきはおはぎさんの羽毛で見えてなかったけど、今回はぐにゃりと視界が歪んだのが分かった。貧血で視界が回るのとも、方向感覚を見失ってめまいを起こしているのとも異なる。ゆらゆらと景色は揺れて、見えていたあらゆる物の境目が混ざり、視界全部がくすんだ一色になったかと思ったら今度は逆再生するかのように物体の輪郭が見え始めた。揺れる景色が程よく私の三半規管にダメージを与え、吐き気が本格的になった頃にようやく景色の揺れが収まる。
「おは、ぎさん、気持ち悪い」
まだ視界が揺れてる気がして、私はその場でしゃがみ両手で目を覆った。
「内川さん乗り物酔いのご経験は」
「小学生の頃からブランコも乗れません」
「それはそれは。では一度目を閉じてください」
「もう閉じてます」
まぶたの裏がチカチカするくらいに強く目を閉じて、それでもまだ足りない気がして両目を手で覆っているのだ。おはぎさんからは見えないかもしれないけど、ぎっちぎちに閉じている。
「では内川さんにもご都合主義を体感していただきましょうか」
私が疑問を投げる前に、目を覆っていた両手にふぁさりとおはぎさんの羽が触れた。何故かほんのりと温かく感じるたと思ったら、突然頭の中のもやもやも、胸から喉元までを占領していたむかむかも、一気にスコンと下に落ちたような感覚になる。
「え?」
何事かと恐る恐る手を離すと、それはもうすっきりとした視界が広がっていた。
「さてお仕事にかかりましょう内川さん」
「いやいやいや、おはぎさん今のなんですか」
一度の失敗だけでは学べない私は、勢いよくおはぎさんの羽毛に顔を突っ込む。骨っぽさが無いから多分これば胸毛。柔らかい。
「ほうきで空を飛ぶと言われている魔女の三半規管が、弱い訳ないじゃないですか」
「えぇ……」
「今の内川さんは、そういう“設定”なんです」
「せっ、てい」
今の私はこの物語の中では魔女。
魔女は空を飛ぶと言われてるから乗り物酔いはしない。
魔女である今の私は乗り物酔いをしない強固な三半規管を持っている。
なので、私が視界のゆがみごときで気持ち悪くなる事はない。
「なる、ほど。これがご都合主義」
「ご理解いただけましたか?」
「はい、身をもって」
そうか、今の私は魔女なんだ。いや、私シンデレラの名付け親がいいって言わなかったっけ?
「名付け親も魔法のような現象を起こせますので、魔女という括りで問題ないでしょう」
「おはぎさんって私の考えてる事が分かったりします?」
羽毛を避けておはぎさんの目を見ると、こてんとおはぎさんの頭が傾げられた。
「分かりませんよ?」
このアヒル、自分の可愛さを最大限に引き出す方法を知ってやがる。
「今回は私からの特別体験です。ここから先は内川さんがご都合主義製造機となって、物語が破綻しないように“設定”を作ってください」
「私がここで魔女代わりをする事で、すでに物語は破綻してると思うんですが」
「いえいえ。内川さんが魔女役として登場する程度、破綻でもなんでもありません」
「という事は、これから私が乱入する以上の破綻が訪れる、と?」
「はい」
つぶらな瞳が私を見る。
なんの躊躇いもなく「はい」って言いやがった。
「それなら私じゃなくて、おはぎさんの方が適任なんじゃないかなぁ~と思うんですが」
魔女だから三半規管が強いとか、強引すぎるけど「まあ、言われてみれば……?」と納得できる内容を私じゃ急に思いつける気がしない。私は突然この世界に放り込まれたけど、おはぎさんは経験者みたいだし。適材適所って大事だと思うんですよね!
「駄目ですよ。ここは内川さんの物語なんですから」
「その、ずっと気になってたんですけど“私の物語”ってなんなんですか?」
「おや?」
「おや? じゃなくて」
可愛いから首を傾げるな。
「ここは内川さんが魔女になるための実習の場です。私はあくまでサポートですので、物語の修正は内川さんご自身で行ってください」
「えっ、私もう魔女扱いなんじゃないんですか?」
だって魔女って。私は魔女だから三半規管が強いんだって。そう言われたのに。
「今の内川さんは魔女の職業体験中のようなものです。今回は得意分野の確認も兼ねていますので、本格的な実習は次からになりますが」
「すみませんおはぎさん、その言い方だと次があるように聞こえるんですが」
「ありますよ?」
「あるんですか?」
「あります」
じっとおはぎさんと見つめ合う。絶対に「冗談ですよ」なんて言わないであろう事くらいは、この短い時間で把握している。
「安心してください。一人前の魔女になるまでは私がサポートに付きますから」
あ、ちょっとおはぎさんの周りがきらきらした。
心配してるのはそこじゃねぇんですよと言いたいけど、なんとも言えない「任せてください!」みたいな空気を壊すのも少し躊躇われる。
「ありがとう、ございます?」
「いえいえ、それが私の仕事ですから。さ、こんなところで油売ってる場合じゃありませんよ内川さん。灰かぶりさんに会いに行きましょう」
びしっと廊下の先に羽を向けるおはぎさん。まだ問い詰めたい事は山ほどあるけど、ここは私が大人にならなければ。いいでしょう。おはぎさんの要望に応えてみせましょう。
「シンデレラがいる場所といえば、やっぱり暖炉のそばですかね?」
「そうですね、では暖炉のある部屋へ行きましょう」
相変わらず私の肩の上に座るおはぎさんと、とりあえず歩き出した私。毛足は長くないけど、廊下は全部絨毯に覆われている。これだけの量が敷き詰められるんだから、やっぱりお金持ちなんだなぁなどと思いながら足を止めた。
「どうしましたか内川さん」
「えっとですね。暖炉のある部屋、とはどこでしょうか」
現在廊下に面している扉は全部閉まっている。もしかしたら奥から何番目の部屋は何置き場とか決まっているのかもしれないけど、ヨーロッパの豪邸に縁のない私にはさっぱり分からない。
「内川さんはこれから灰かぶりさんの所へ行こうとしていますよね」
「はい」
「でしたら好きな部屋を開けてください。そこに灰かぶりさんはいますので」
「はい?」
何度目か分からないおはぎさんとの見つめ合いが始まった。
おはぎさんは今の説明で、私が状況を理解してると思ってる。という事は今まで説明された中に理解に至るまでの情報は含まれていたって事で。
「ご都合主義ですか」
「魔女は必要でもないのに寄り道はしませんからね」
「シンデレラがいる場所に私が行くんじゃなくて、私が行く場所にシンデレラがいるんですね?」
「その通りです」
よくできました、とでも言いたげにおはぎさんがにっこりと微笑んだ。微笑むというか、微笑んでますよというエフェクトが漏れ出てきた。
「じゃあこの部屋で!」
間髪入れずに一番近くの扉に手をかけると、それはもうこれでもかというくらいに哀愁漂う少女が暖炉にぺったりと張り付いて座っている。もう火は消えてるので暖を取るにはくっつくくらいが丁度いいのだろう。
金色の髪にぱっちりおめめ、白い肌にほんのり色づいたほっぺ、あえて形容するなら「きゅるんきゅるん」な仕草。部屋の中には彼女しかいないから、あのきゅるんきゅるんは誰に見せるでもなく素なんだろう。哀愁ときゅるんきゅるんを同時発生させるとはなかなかの手練れ……。
「シンデレラって、もっとボロ布みたいな恰好してるんだと思ってました」
おはぎさんに顔を寄せて、シンデレラには聞こえないようにぼそぼそと囁く。
「そこは解釈によりますね。彼女は灰かぶりさんですから」
「あの、おはぎさん?」
「なんでしょうか内川さん」
「シンデレラ、ですよね?」
さっきから、いや、ずっと気になっていた。というか一度は質問したのにはぐらかされた。
「灰かぶりさんですよ」
「何が違うんでしょうか」
シンデレラではない。でも灰かぶり。もしかして彼女はサンドリヨン?
「内川さんはこの物語での役割として、名付け親を選びましたよね。木では動けないから、と」
「はい」
「灰かぶりさんの父親と継母になる女性との結婚式で敷かれていたバージンロードの色は覚えていますか?」
「バージンロード? 白、だったと思います」
「継母のドレスの色は?」
「白ですよね?」
突然何を聞かれているんだろう。周囲の光景を覚えるのはあまり得意じゃないから、覚えておかなきゃいけない事は最初に教えておいてほしい。
「内川さんは名付け親と木、そのどちらにでもなれました」
おはぎさんがなんでもいいって言いましたからね? そりゃ木よりは名付け親を選ぶでしょうよ。
「最初からグリム版の原作を忠実になぞるのであれば、内川さんに選択肢はありません」
「問答無用で木になってたんですか。じゃあ私が名付け親を選んだから、サンドリヨンの世界になったって事ですか?」
「それも違います。一般的に白いバージンロードはプロテスタントのものですが、ペローはプロテスタント迫害真っ最中のフランスを生きた人間なので描くとしたらカトリックの赤でしょう」
「えっと? じゃあつまり?」
「ついでに言いますと、白いウェディングドレスが定着したのは、1840年イギリスのヴィクトリア女王の結婚式以降です。グリム版でもペロー版でもまだ一般的な色ではありませんね」
話が難しくなってきた。
私が木か名付け親か選べた時点では、シンデレラかサンドリヨンかはまだ決まって無かった。私は名付け親の方を選んだけど、結婚式はグリム版のプロテスタント式だった。でもって白いウェディングドレスはグリムでもペローでもない。
「え、じゃあ私がいるここはどっちの世界なんですか?」
「どっちでもありません。しいて言うのであれば“灰かぶり”として世界各地に浸透している物語の概念のようなものです」
「概念、とは」
「虐げられた娘が王子に見初められてハッピーエンド、という枠の事ですね」
「雑ぅ……」
なんでもいいのか。所謂「シンデレラストーリー」と呼ばれる内容から逸れなければ、なんでも構わないと。
「そうそう、内川さんはシンデレラかサンドリヨンかと聞きましたが、グリム版ドイツ語では彼女はアッシェンプッテルと呼ばれています」
「アッシェ?」
「シンデレラは英語です」
「英語……」
盲点だった。そういえばシンデレラは灰と本名のエラを合わせた物で~って説が出てたけど、あの説で言われてる「灰」は確かに英語だった。
「どれでも構いませんよ。内川さんの呼びやすいお名前で」
「お名前は、大事ですよ?」
花子ならともかく、急にヴィクトリアを名乗れとか言われたら私は全力で拒否しますよ?
「……ここって、フランスでもドイツでも英語圏の国でもないんですよね」
「はい。なんとなーく皆さんが想像する、近世ヨーロッパあたりの世界でしょうね」
「雑ぅ!」
あまりにも雑な……いや、適当な……柔軟な? 状況設定に、思わず勢いよくツッコミを入れてしまった。
分かるけど! なんとなく分からなくもないけど! 王子様が舞踏会を開くような世界って言われても、具体的にどんな生活してるのかとか出てこないけど!
思わず握った拳を胸の前でぶんぶん振り回していると、暫定シンデレラが突然立ち上がりきょろきょろと辺りを見回し始めた。こてん、と首を傾げてから、また暖炉の横に座り込む。
「おはぎさん、もしかして、なんですけど」
「どなたかいらっしゃるのですか?」
やっぱり。私の声、この子に聞こえちゃってるわ。
「内川さんはこの世界のご都合主義なので、主人公とは会話ができます」
ご都合主義とか主人公とか、本人の前でなんて事を言うんだ。
「安心してください、私の声は内川さんにしか聞こえませんから」
「安心しにくい!」
「あの?」
おっといけない。おはぎさんの声がこの子に聞こえないなら、私は一人でツッコミを入れ続ける不審者になってしまう。
一つ咳払いをしてから、ちょっと威厳のある雰囲気を醸しつつ声をかける事にした。
「ねえ、あなたが」
言葉を続けようとしたけど、口が動かない。
『あなたがシンデレラ?』
ない、それはない。
私は急いで少女のいる場所から離れ、部屋の隅でおはぎさんにだけ聞こえるように小さな声で囁く。
「シンデレラもサンドリヨンもアッシェ……なんとかも蔑称ですよね? 突然現れた謎の声に灰かぶりって呼ばれるのはどうかと思うんですが」
「アッシェンプッテルですね。そこは特に気にしなくても大丈夫ですよ。彼女はシンデレラでありサンドリヨンでありアッシェンプッテルですから。そう内川さんが呼びかければそれが彼女の名前になります」
「責任重大じゃないですか!」
意地悪な継母や義姉から蔑まれて、本名すら呼んでもらえなかった子に。嫌がらせとして付けられた名前を、それが貴女の本当の名前だなんて押し付けたくない。物語の中の、空想の人物だったとしてもだ。むしろ、後世にまで蔑称しか伝わっていない子にそれを受け入れろなんて。
「なるほど、内川さんはそういった考え方をするんですね。では内川さんが名前を付けてください」
「私が?」
「内川さんが」
「何故」
「名付け親ですから」
っはー、ありましたねそんな設定も!
「名前、名前、グリムはドイツだしペローはフランスだし……」
「落ち着いてください内川さん。貴女が名付け親なんですから、好きな名前をつけていいんですよ。どうせ原作では本名なんか出てこないんですから」
「そんな事言われてもドイツ人の名前もフランス人の名前も出てこないんですけど!?」
狭い世界で育ってきた私には、フランス語圏の友人もドイツ語圏の友人もいない。著名人も思い出せない。グリムもシャルルも男性名だし、いやグリムは名前じゃなくてファミリーネーム!
「あっ、マリー! マリー・アントワネット! マリーで!」
フランスといえばケーキを食べればいいじゃない! 最期はアレだけど王家に嫁いで波乱万丈な人生という共通点はあるし! 何より無難!
部屋の隅から暖炉の横に座る暫定シンデレラの前に戻り、んっ、と咳払いからやり直して声をかける。
「あなたがマリーね?」
これで「違います」とか言われたらどうしよう。信じてるからねおはぎさん!
「ええ、そうです、姿の見えない御方」
姿の見えない。そうだった。私の姿は誰にも見えないって言ってた。そうか、主人公には声が聞こえるだけで、私の事は見えないのか。ホラーだな。
「えー、訳あって姿を現す事はできないの。でも怖がらないで。私はあなたを幸せにー……導く? お手伝いをしに? きま、した」
「内川さんちょっと疑問形が多すぎませんか?」
マリーには聞こえないのをいいことに、おはぎさんは普通にしゃべりかけてくる。
そうですけど。そうなんですけど。シンデレラを王子様と結婚させてハッピーエンドにするのが私の役目なんだけど、これまでの失態を考えると「絶対に」とは宣言しにくい。
「幸せ? 私は幸せになれるのですか?」
私の声を頼りに位置を想定して喋りかけてくれるけど、残念、ちょっと視線が左にずれてる。虚空を見つめながら胸の前で両手を組む姿は、なんというか舞台でも見てるみたいだ。
「幸せになれる、予定です。私ができるのはそのお手伝いで……」
「ありがとうございます魔法使いさん!」
名乗る前に魔法使いさん認定されてしまったわ。どうしようこれ。声は出さずに口パクで「いいの?」とおはぎさんに聞く。シンデレラに魔法使いさんは出てこない。
「いいんじゃないですか? 似たようなものですし」
相変わらず判定が雑だ。いいならいいんですよ別にね。ただ最初に何になるかを選ばされた身としては、結局主人公の言葉が絶対なんじゃんという脱力感というかなんというか。
さて、魔法使いさんとしてこのマリーちゃんに何を伝えようかと考えて記憶を探る。探って、探って、あれ? シンデレラが名付け親と出会うのって、舞踏会に行けなくて悲しんでる時じゃなかったっけ? という結論に辿り着いた。
ダメじゃん。今こんなところでコンタクト取っちゃダメじゃん。物語の破綻を私が作り出しちゃったよ。
「ちょっ、ちょっと待ってねマリー」
おはぎさんはともかく、私の声はマリーに聞こえてしまうからおはぎさんと会話ができない。マリーをそのまま暖炉横にステイさせて、さっきと同じように部屋の反対隅まで離れて声を潜めた。
「舞踏会への招待状ってまだ届いてませんよね? 私、まだマリーと接触しちゃダメでしたね!?」
「大丈夫ですよ。灰かぶりのご都合主義装置たちは舞踏会に行けなかった灰かぶりを慰めに登場しましたが、それよりも前に一度も会ったことはないなんて記述もありませんし」
「それは……確かに」
いいのか? 確かにその日が初対面だなんて書いてないし、悲しみに打ちひしがれてる時に突然「名付け親さんだよー」なんて現れる不審者よりは、もっと前から交流があった信頼できる人の方が感情としては受け入れやすいだろうけど。いいのか?
「物語の概念さえキープできれば、多少の些末事は目を瞑りましょう」
「些末事……待っておはぎさん、目を瞑ってくれるのはどなた?」
「私です」
じっとおはぎさんの目を見つめる。
「私は内川さんのサポート兼試験官ですから」
「つまり……おはぎさんに目隠しをしてしまえば、なんでもやりたい放題という事ですか?」
「物語の微細な差異は気にするのに、何故そんな型破りな案を持ち出すんですか」
「割り振られた仕事はミス無くこなしたいけど、ミスがミスとしてカウントされないならさっさと終わらせたいじゃないですか」
短縮できる作業はできるだけ短縮したい。無駄な時間は使いたくない。自分の一挙一動が見られていて細かい部分までミスが許されないなら慎重にもなるけど、私の行動を見ているのがおはぎさんだけで尚且つそれがミス扱いにならないんだとしたら……ショートカットも致し方なし!
「駄目ですよ。私が見ていない状態で物語を終わらせたら、もう一度最初からやり直しですからね」
呆れたようなため息と共になにか耳を塞ぎたくなる言葉が聞こえた。
「やり直し?」
「やり直しです」
じっと見つめた先のおはぎさんが、同じようにじっと私の目を見つめてくる。
「これ以上はリカバリー不能だと判断された場合は、強制的に物語の始まりからやり直しです」
「リ、リカバリー不能、とは」
「ご都合主義の方向性を間違い、主人公が物語の途中でリタイアしてしまった場合が多いですね」
あ、これ大変まろやかな言葉選んでるけど、主人公お亡くなりになられてるわ。
「そうなると物語が完結しませんから」
「ソウデスネ」
主人公不在の物語なんてもはやただのスピンオフ。それは物語の修正とは違うお仕事だ。余計に私の手には負えない。
「えっと、じゃあ今のところこの物語の中では、ご都合主義装置の私は舞踏会の日以前からマリーと顔見知りで、これから彼女が暫定シンデレラとして王子様と結婚できる道筋を教えてあげればいいんですね」
ぐっと拳を握る。遠い未来の事まで視野に入れて計画を立てるよりも、目の前に出された課題を一つずつこなしていく方が得意だ。
「なんですか“暫定シンデレラ”って」
「シンデレラでもサンドリヨンでもアッシェなんとかでもないんですよね? じゃあ“暫定”って付けておいた方がいいかなと思いまして。あとシンデレラが一番呼びやすいので」
「アッシェンプッテルですね。なるほど、そういう事でしたら“暫定”を取って“シンデレラ”と呼んでも構いませんよ。すでに内川さんは、彼女に“マリー”という名前を与えてますから。シンデレラと呼ばれる物語の主人公、という意味で使う分には問題ないでしょう」
私の行動一つでマリーの居場所は確定してしまったのに、こういう大雑把な部分も紛れてるから油断ができない。逐一確認を取らなきゃいけないのは地味に面倒だけど、主人公リタイアからのトライアンドエラーは避けたいし。それになんとなく、色々と情報の出し惜しみをされてるような気がするし。
「分かりました、じゃあシンデレラで。今は物語でいうどの辺りなんですかね? 継母さんが家に来てから舞踏会の招待状が届くまではそれなりに日にちありますよね?」
迂闊な事を言ってしまわないように、全部を疑問形にしておはぎさんに聞く。義姉からのいじめを乗り越えるために応援する期間を設けた方がいいのか、それともできるだけ原作に近づけるように舞踏会直前の方がいいのか。
「いつでも構いませんよ、内川さんのお好きな時間軸で」
ほらーやっぱりこういう事言うー。好きに選ばせておいて、設定が確定したら「そちらの設定はもう使えません」とか言うやつじゃんかー。
「うえぇ……シンデレラ……シンデレラ……確か商人の父親にお土産ねだって、木の枝地面に刺して育てるバージョンもあるから……育てる時間は必要か? さすがに木は一日二日じゃ育たないよね……」
考えろ私。最善の時期はいつだ。これからマリーに「お父様に木の枝をお土産に欲しいと言いなさい」ってアドバイスするのもありだし、木が育ったから私はマリーの前に現れたんですよって言うのもありか。
「お父様は商人なんですね」
「へ?」
しまった。もしかして独り言も設定に採用されるパターンか?
「いやっ、商人の可能性もあるなーってだけで、ほら、父親は貴族だったバージョンもあるし、父親はもう亡くなっててそれで継母たちが調子乗ったってバージョンもあるし、まだそこまでは」
「では灰かぶりさんの父親は商売を手掛けている貴族で、すでに故人という事にしましょう」
「しましょう!?」
「はい、内川さんが今そう決めたので」
「決めてませんが!?」
おかしい。選択肢を並べたのに全部が採用されてしまった。お父様ってば作中での影は薄いくせに、余計な属性が勝手に付与されてく。
「私は……いくつかある設定の種類を言っただけですが……」
「いくつか設定を言っていただけたので、具体的な父親像が作れましたね」
おはぎさんは私の肩の上でにっこりと笑った。エフェクトを見なくても分かる。微笑んでるこのアヒル。
迂闊な事は独り言でも漏らすまい。
そう、改めて私は心に刻んだ。
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