魔女、育成中。

清河 海

第1話 物語、始まり。

「っしゃぁ! 本当に!? 本当ね!? 今さら嘘ですとか言わないでしょうね!?」

          

 目覚めると同時に……というか、聞き覚えのない女性の声で意識が浮上した。どうやら座ったままで寝てしまったらしい。体が沈むほど柔らかいソファーの上だったおかげか、全身が凝り固まったような不快感がないのが救いだ。着ているスーツにも大きな皺はできていないし、いや、待ってここどこ。

 女性が喋りかけている相手の声は聞こえない。ぼんやりとした視界の向こうで、声の主らしきスーツ姿の女性が文字通り飛び跳ねて喜んでいる。


「ここ……どこ?」


 クリアになりはじめた視界に映ったのは高級そうなバーカウンター。奥には色とりどりなのにどこか統一された色合いのビンが棚に並び、特に飾り要素のないその棚すら落ち着いた空気を演出する一端となっていた。こうやって「本物」を見せられると、自分の行った事があるバーは随分と庶民的でガチャガチャしたお店だったんだなぁ……などと軽く現実逃避をしていたら、私に気付いたスーツ姿の女性が物凄い勢いで走って来た。


「あなたが私の後任者ね!? あいつの事はストレス解消道具だと思っていいから! 遠慮も容赦もいらないし罪悪感なんかもいらないから! 後は任せたわ! 頑張ってね!」

「は、はぁ」


 走って来た勢いのまま両手を握られ、状況把握が終わらないうちに何かアドバイスのような事をまくし立てられる。あいつ、というのはカウンターにいるバーテンダーさんの事だろうか。


「え、いや、ここどこ、ですか?」

「詳しい事はあいつに聞いてちょうだい! それじゃあお先にっ!」


 言うなり女性は走り去って行った。

 そう、走り去って行ったのだ。店を出た訳じゃない。ドアを開ける仕草もしていないし、そもそもこの店にはドアがない。なのに女性は、壁に吸い込まれるようにして走り去って行った。


「……なるほど、明晰夢」

「違いますよ」


 夢に違いないと結論付けてもう一度目を閉じると、今度は知らない男の人の声で呼び戻される。他に人はいなかったから、きっとバーテンダーさんだ。


「これからは私が貴女のサポートをさせていただきます。まずは現状の確認を」

「変な夢ぇ」

「夢ではありません内川さん」


 思ってたよりも近い場所から聞こえた声に目を開けると、ギラギラという形容詞の似合うイケメンが私の前に跪いていた。心臓に悪いからやめてほしい。


「ここで内川さんは、魔女としての経験を積んでいただきます」

「帰っていいですか」

「駄目です」


 茶髪をさらっさら靡かせて男はにっこりと笑う。


「説明を続けますね。この場所には魔女としての適性がある方をお呼びしています。ここで“物語”があらすじから逸脱しないよう魔女として見守り、時には修正をしてください」


 私はなんだってこんな夢を見てるんだろう。


「時代に合わせて細部が変容していくのは“物語”の常ですが、昨今はそれがあまりにも著しい。それを軽度で収めるのが内川さんのお仕事です」


 疲れてるのかな、そりゃ疲れるよね、勢いで会社辞めちゃったけどこんなに就活が難しいとは思わなかったんだもん。


「聞いていますか内川さん」


 せっかく夢なら開発部の岸さんとか出てくればいいのに。結局一度も会話できなかったなぁ。でも明らかに話しかけるなオーラが凄かったし、いや、そんなところも好きだったんだけど。


「内川さん」


 こういう、ぐいぐい来るタイプ苦手だからなぁ。……って、誰だこれ。夢にまで見ちゃうくらい衝撃的な出会いでもした? いや記憶にないな。


「聞いていませんね?」

「あまりにも話が荒唐無稽すぎて……こういう時ってどうすれば起きられるんだろう。もう一度寝てみる、とか?」

「試していただいても構いませんが、ここの空間では食欲、睡眠欲、性欲は正常に機能しないので眠れないと思いますよ」


 そう言ってギラギライケメンは、その顔面が最大限の魅力を引き出すであろう笑顔を見せてきた。見せてくるんだけど、さっきから感じるこの胡散臭ささはなんだろう。

 そんな気持ちを隠しもしないで見ていたら突然イケメンから笑顔が消えた。それはもうスッと、今までの全部は演技でしたというように。


「内川さんは私のこの顔がお好みではないようですね」

「あー……、はい、まあ」

「具体的に理由をお伺いしても?」


 なんて事を聞いてきやがるんだこの男は。現実でそんな事を言う人間がいたらナルシスト認定してやるのに。


「顔が良い男の人ってやたら距離感バグってるじゃないですか。近寄って、相手に嫌がられた経験が少ないんだろうなぁって勢いで距離詰めてくるから怖いんですよ」

「それはさすがに偏見では?」

「偏見です」


 世の中のイケメンに対する偏見なのは分かってるけど、今目の前にいる男に関しては事実だ。初対面なのにこんな近距離で跪いてくる奴はヤバイ。


「では内川さんが好ましいと思う姿に変えましょう。目を閉じて、想像してください」

「夢って便利ですね」

「夢ではないんですけどね。この際、夢という認識でもいいでしょう」


 何故かちょっと呆れたように言われた。どんな精神状態だとこんな夢見るんだろう。起きた時に覚えてたら夢占いのサイトでも探してみよう。


「これからしばらく内川さんは私と一緒に行動する事になります。長時間そばにいて安心できる存在、もしくは見る事で活力を得られる相手を思い浮かべてください。特定の個人でも構いませんし、非実在の人物でもいいでしょう」

「知らない人と長時間一緒にいるって状況が、もう不安で仕方がないんですが」


 こう見えて私、そこそこ人見知りなんで。


「では人間じゃなくても構いませんよ。ペットでもマスコットキャラでも架空の生物でも」


 なるほど、なんて私に都合のいい。

 言われた通り目を閉じて思い浮かべる。

 安心できて、活力を得られる存在。最近アカウントを見つけて毎日の更新を心待ちにしている。本当に見れちゃうのかな、触れちゃうのかな。これは私の夢だもんね、ご都合主義万歳!


「アヒル、ですか」

「おはぎさんだー!」


 足元に突然現れた、真っ白な塊に手を伸ばす。当然夢の中のアヒルは逃げたりなんかしない。画像と動画でしか見た事のない憧れのおはぎさんが私の手の中にいる。もちろんオレンジ色のくちばしには、おはぎさんのトレードマークであるハート形っぽい黒い点もある。


「指がないのは少々不便ですが、人型を好む人の方が少ないですからね。まあいいでしょう」

「おはぎさんが喋ってる……!」

「この姿でなら話を聞いていただけますか?」

「聞きましょう! おはぎさんとお喋り! なんて贅沢な夢!」


 ふう、とため息を吐く音がおはぎさんから聞こえて、いやアヒルってため息なんか吐くか?


「内川さんにやっていただくのは先程も言った通り“物語”が必要以上に逸脱しないよう見守り、時に修正する事です」


 膝の上に乗ったおはぎさんは、オレンジ色のくちばしをぱかぱかと開閉して何か言ってる。可愛い。


「ちゃんと聞いてください内川さん」

「あっ、はい。物語って何ですか?」


 聞いてます。聞いてましたよ一応。理解が追い付かないからちょっと頭の端に避けてただけで。


「内川さんは今回が初めてですので、馴染みのありそうな作品を用意しました。まずはその世界で魔女、魔法使い、妖精、名付け親、仙女、とにかく人外扱いされている存在になってください」

「私は人間ですが?」

「メタ認知を超えた存在はもう人外を自称していいと思いますので」

「メタ」


 こくんと、私の膝の上でおはぎさんが頷いた。


「とある人間の人生を知り、その先の未来まで知っている。その人間が幸せになるため、間違いが無いように導く。充分人外だと思いませんか?」

「私自身がご都合主義の装置になれと」

「理解が早くて助かります」


 おはぎさんの目が満足そうに閉じられ、これはもしかして微笑んでるのかな?

 鳥類と爬虫類は何考えてるのか分からない系の可愛さだと思ってたけど、こうやって見ると案外表情が豊かだ。今ここにいるおはぎさん限定なんだろうけど。


「では“入り”ましょうか」

「入る?」


 すい、とおはぎさんが羽を動かすと、突然私は結婚式真っ最中の教会の隅に立っていた。ついさっきまでバーにいたのに、一体ここはどこだ。夢か。夢だもんな。場面の切り替わりくらい当たり前。大丈夫、まだついて行ける。

 よく分からない決意を固めたおかげか、周囲を観察する余裕も少しだけ出てきた。新婦はもうバージンロードを歩き終わった後らしく新郎と手を取り合い微笑んでいる。ヴィンテージ感のある教会の中は少し暗いけど、その分ステンドグラスから差し込む光が綺麗に床に落ち荘厳というより幻想的に見えた。


「んー、なるほどこれが内川さんの結婚式のイメージですか。時代的に色々問題はありますが一応許容範囲内という事にしておきましょう」

「うぉっ! 耳元で話しかけないでくださいよ!」

「これは失礼。地面に立つと少々距離があるので、内川さんの肩をお借りさせていただきました。飛行機能を搭載したキャラクターとかだと便利だったんですが」


 声をかけられるまでさっぱり気付いていなかったけど、おはぎさんは私の右肩にどっしりと乗っかっている。重みは感じられないのに、気付いた途端に存在感が増してくるのが不思議だ。


「それで、あの、おはぎさん。ここは?」

「物語の冒頭部分です」


 さらりと何事もなく言うおはぎさんの目が新郎新婦に向かう。釣られて視線を向けるけど妙に二人とも淡々としていた。笑顔は笑顔なんだけど、目が笑っていないというかわざとらしいというか鬱陶しい客に絡まれてる店員さんというか。


「結婚式が物語の冒頭なんですか?」


 苦難苦節の末に結ばれて物語はおしまい。めでたしめでたし、ではないのか。まあよく見ればハッピーエンドというにはハッピー感が足りない事は認めよう。じゃあ不幸な結婚から始まる物語? 記憶を端から掘り起こせば何かしら見つかるのかもしれないけど、こんな訳の分からない状況ではすぐには出てこない。

 なにかヒントでもないかと改めて教会を見渡す。参列者は、ほぼ後ろ姿しか見えないけど金髪茶髪黒髪多種多様。着ている服もお呼ばれしたにしては豪華だ。なんとなくだけど、現代日本じゃないなという事は分かった。


「内川さん、前に回って出席者の顔も見てみますか?」

「私こんな格好ですが!? 目立ちますよ!?」


 たった今「日本じゃないかもしれない」と判断した場所で、黒髪黒目の平たい顔が乱入したら即つまみ出されるだろう。さすがにこの場では不審者極まりない。非常識人に向けられる視線は私にとっては恐怖でしかない。ましてや、今の私は肩にアヒルが乗っかってる。

 そのアヒルは声量を落とすことなく笑った。


「内川さんの姿は誰にも見えませんから目立つという事はないでしょう。ご希望という事でしたら、魔女っ子衣装を投影する事もできますが」

「結構です仕事といえばスーツですよねうわぁ身が引き締まるー!」


 やめてくれ。例え夢の中だったとしても私の顔面でカラフルなフリルとかパステルカラーのレースとか本当やめて。たとえ数年前の物をクローゼットから引きずり出してきて、あまりの似合わなさに半笑いになったとはいえリクルートスーツ万歳。


「まあすでに“入って”しまったので、今さら格好の変更はできないんですけどね」


 悪びれもなくしれっと言うおはぎさんの声は軽い。人が本気で動揺してる様を見て楽しむタイプかこのアヒルは。思わずじっとりとした目でおはぎさんを睨み付けて……やりたかったけど、なにせおはぎさんは私の肩に乗っている。目を合わす間もなく、もふっと羽毛の中に顔が埋まった。幸せ。


「ああほら、場面が変わりますよ」


 つんつんと頭頂部におはぎさんのくちばしが当たり私を呼ぶ。

 何か誤魔化しやがったな、と思いつつも顔の向きをずらすと、目に映る景色がおはぎさんの羽毛から豪邸の廊下に移動していた。


「え、ここどこ」


 視界に収まる扉の数からいってそれなりのお宅っぽいのに、廊下はがらんとして誰もいない。室内からは音も漏れてこないし、正直怖い。


「この辺りは省略される事も多いので飛ばしましょうか。あまり詳細を語りすぎると、それこそ原作を著しく損なう行為になりますしね」

「いやいやいや、説明。ちゃんと説明して。ここ、どこ。どうやって教会から移動したの。報告、大事」


 報! 連! 相!


「先程まで教会にいたのは、結婚が物語の始まりだからです。一応観測者として見ておいていただかないといけないので」

「結婚が始まりって珍しくありません? 結婚後がメインの物語って思い当たる作品が少ないんですけど」

「主人公の結婚式じゃありませんよ。主人公の父親と、新しい奥さんの結婚です」

「あ、はい。大体わかりました」


 それはアレですね、結婚というか、再婚というか、継母の爆誕ですね!


「で、この家は?」

「主人公の家です。今その扉一枚向こうで、主人公の父親が新しい奥様と」

「それ以上は結構です」


 そんな生々しい話は聞きたくない。しかも、さっき教会でお二人の顔もしっかり見てしまった後だ。


「という事は、この家の中に物語の主人公がいるんですね?」

「はい。今のところはまだ自由気ままな生活をしていますが。ここは、灰かぶりさんのお宅ですよ」     

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