四十七
日記の出版は遅々として進まなかったが、邦子は催促をするようなことはせず、伊勢久で針子として働きながら時がくるのを待っていた。
余暇には知人や友人に手紙を書いた。宛てた手紙の返信は、彼女の孤独を紛らわす慰みとなった。正岡律もその一人であった。彼女の手紙から両国橋の架け替えの話を知った。いまある場所から上流側に鋼鉄製の橋を架ける予定だという。
邦子は刻々と変わりゆく世間の流れに反するように伊勢久での生活を続けていたが、日ならずして彼女の人生にも大きな転機が訪れることになった。
伊勢久にきて一年ほど経った頃、西村釧之助から邦子のもとに葉書が届いた。その内容を端的にいえば「邦子に会わせたい男がいる」という。
西村は滅多に葉書を書かない筆不精なところがあった。そういう男が突如として連絡をよこすことに邦子はいぶかしく思ったが、ちょうど衣替えの時期も近かったので、冬物の衣類を受け取りにゆくついでに西村を訪ねることにした。
その日、邦子は店から
小一時間ほど人力車に揺られ、
「こんにちは、樋口です」
奥の座敷に向かって呼びかけると、西村があらわれ、
「いらっしゃいましたね。彼はもうきていますよ」
といって座敷にあがるように手招きをした。
八畳ほどの座敷には小柄な男がいて、神妙な顔つきで畳の上の座布団に座っていた。
邦子は男の顔を知っていたので、
「ああ、紙屋さんの……」
というが、名前を知らないからあとが続かない。
「吉江政次くんと言います」
西村がいうと、吉江は表情を変えずに会釈をした。彼は紙問屋で働いている男で、この礫川堂に品物の紙類を運ぶために出入りをしていた。邦子も店をしばしば訪れていたので、吉江の姿をみかけたことがある。
「僕と同じ茨城の出身で、うまれた村も近いんです」
明治八年、茨城県真壁郡鳥羽村にうまれた吉江政次は西村の弟が働いていた商店の手伝いをしていたが、その後、西村を頼って上京し、東京市内の紙問屋で働いていた。
「邦子さんはおいくつになられたのかな」
「今年で二十六になります」
「とすると吉江くんよりひとつ上ですね」
「はあ」
邦子は気のない返事をする。
「今日、貴方を呼んだのはね、吉江くんはどうだろう、と思いましてね」
「どうと申されますと」
邦子が
その結果、邦子は紙問屋に勤める男が、賭け事を好まず、酒も煙草もやらない誠実な男であることを知った。
「家に入ってもらうならこれほどの男はいないでしょう」
と西村は太鼓判を押す。
「しかし、ご存じでしょうが、私の家には父の代から続く負債があります。家に入ればそれがすべて身に降りかかるのですよ」
邦子は吉江へ視線を向けるが、彼は真顔のまま表情を崩さないでいた。それを聞いて西村は、
「そこについても考えていますよ。この礫川堂を譲りましょう」
と教えた。つまりは吉江と二人で店を営み、そこから少しづつでも負債を返済して暮らしていけばいい、というのである。
「お店をですか」
邦子は目を丸くしていう。
西村は以前から肺病を患っていた。近頃になってその病勢が進行し、療養するために礫川堂を畳もうと考えていたが、同郷の吉江が経営を引き継ぎたいと申し出たのである。吉江は西村にひとつの頼みごとをしていた。
「それが貴方ですよ」
「どういうことですか」
西村は口元を緩め、
「見染めたということでしょう」
と吉江に聞いた。彼は黙っていたが、邦子は察し、そして頬を染めた。
ただし、店の譲渡は無償ではなかった。西村には妻と子が一人がいた。しばらくの療養を望む彼には金が必要であった。その譲渡額は四百円と教えられると邦子はおののいたが、
「半分はすでに吉江が用立てている」
と教えられた。吉江は
「ほんとうによろしいのですか」
と邦子が問うと、
「はい」
吉江はひと言であったが力強く答えた。
突如として騒々しい日々がはじまった。
明治三十二年十二月、樋口邦子は吉江政次と結婚をした。政次はあの日の約束通り、樋口の名を残すために入婿となった。
媒酌人は斎藤緑雨がつとめた。皮肉な言葉で文壇をけなし続けた彼も、その日ばかりは柔和な表情をみせ、夫婦の門出を祝福していた。
この縁談をまとめた西村釧之助は、邦子と吉江の祝言を見届けたあと、療養の生活に入ったが、その甲斐なく翌年に亡くなった。
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