四十六
月日が経ち、草木が紅葉に色付く頃、吉原遊郭へ通じる曲がりくねった道を斎藤
吉原への道は一本しかなく、
道の両側は町家となっていて、商店にまじって引き手茶屋が数軒ほど見受けられた。その距離がおよそ九十メートル(五十間)ほどであることから、この道は
廓の入口に近づくと、
この門から廓内に伸びる三間幅の大路は、水道尻と呼ばれる突き当りまでまっすぐ通っている。その大路は所々で道が左右に枝分れし、それぞれが廓を囲うお歯黒溝まで伸び、町々を形成してゆく。
町の数は七つ。その区割りされた町には妓楼や引き手茶屋のほか、油屋、八百屋、酒屋、菓子屋、豆腐屋、荒物屋、紙屋、染物屋、診療所、髪結いに湯屋……たくさんの店々が軒を連ねている。
緑雨は大門を抜けて遊郭に立ち入った。そこから大路を少し歩いてゆくと、道の両側には内茶屋と呼ばれる格式の高い引き手茶屋が見え始める。通常、遊郭の引き手茶屋は郭内にある内茶屋のことであり、五十間道の引き手茶屋は格の低さから外茶屋と呼ばれた。
緑雨は伊勢久の看板をみつけるとそこに立ち入り、
「樋口邦子さんという女性はおいでかな」
店先にいた番頭の男に尋ねると、彼は緑雨が来訪することを聞いているらしく、
「斎藤さまですね。二階の部屋におりますよ」
と言い、店にあがるよう手招きをした。緑雨は靴脱ぎから座敷にあがり、奥にある狭く急な階段をのぼった。二階にあがると、すぐそばに
邦子は緑雨を見ると微笑し、
「お忙しいところ本当に申し訳ありません」
そういって深々と頭を下げた。
前年の十一月から数ヵ月ほど、緑雨は積もりに積もった借金の取り立てから逃げるため、千葉県の方へ逃げていたが、この年の二月には本郷森川町の下宿に戻っていた。多喜の葬儀や邦子の大橋家への引越もその頃である。
春先に、緑雨は大橋乙羽から邦子が出て行ったことを教えられたが、その消息は大橋も知らず、秋になって突如として邦子から緑雨宛の葉書がきたのである。
「あれには驚きましたよ」
「もっと早くに手紙を出そうと思っていたのですけれど、なれない生活に筆不精となってしまいましたかね」
邦子は苦笑する。しばらく互いの近況を語りあい、そのあとで本題となった。
「それで話とは」
「姉の遺品のことです」
緑雨の片眉がかすかに動いた。
邦子は腰を上げると、部屋の隅に置かれた風呂敷包みの結び目を解いた。そこから何冊かの冊子を手に取ると、緑雨に手渡してやった。
冊子は半紙を束ねて和綴じにしたものである。表紙には墨書で「なつ子」と署名があり、それぞれの冊子には異なる題名が記されていた。
「これは一葉さんのものですか」
緑雨は冊子をめくりながらいった。
「姉の日記です」
緑雨は頁をめくる手を止めると、邦子の顔をみつめ、
「お邦さんは以前、一葉さんが筆をいれたものはすべて焼いてしまった、と
戸惑った表情を浮かべながら尋ねた。
「実は、遺品を焼いたというのはそらごとなのです。書き損じや覚書、日記は六十冊ほどあったのですが、すべて焼かずにいままで保管していました」
そのような嘘をつかねばならなかったのは、新聞記者が遺品の有無を嗅ぎまわっていたことが原因であるが、それだけなく極めて個人的なことが書かれている日記を世間から隠したいという家族の――おもに多喜の――事情もあった。
邦子はそれらを口にして伝えた。緑雨は黙って話を聞いていたが、それが終わると、
「僕は以前、一葉さんに文人との交際は慎重になりなさいと忠告していた。貴方はお姉さんに代わってその約束を守ってくれたのですね」
彼はそれを感謝するかのように喜んでいたが、不意に邦子の心変わりに疑問を感じ、それを問うと、
「他家に嫁いだ姉がつい最近に亡くなったのです」
この年の夏頃に、久保木から葉書が届いた。藤が危篤にある、と短く書かれていた。すぐに藤の見舞いにゆくと、枕頭には夫の長十郎と長子の秀太郎がいた。医者の診断によれば、藤は結核ではなかったが、夏が終わる頃に死んだ。
二年前に一葉が、この年に多喜と藤が、次々と周りのものが去っていく様子に邦子は不安や焦燥を感じ、極度に遺品の散逸を恐れるようになっていた。
もし、邦子が落命するようなことにでもなれば、一葉の遺品はどうなってしまうのであろうか。棲み処としている伊勢久は仮宅である以上、遺品のゆくえは立ち込めた霧のようにはっきりとしない。
「そうなったとしても、貴方にはお兄さんがいるでしょう」
緑雨が虎之助のことをいうと、邦子は首を振り、
「そういうことに無頓着な人ですから、他人から欲しいと言われたら二つ返事で渡してしまうでしょうね」
嘆くようにいってから、ひと呼吸おいて、
「是非とも日記の出版に協力していただきたいのです」
と頼んだ。
「僕がですか」
緑雨は驚いていった。邦子は強くうなずいた。
少し前に書いたように、緑雨は文人との交際は慎重を要することを忠告していた。邦子もそれを知っている。それなのに文人の一人でもある緑雨に、遺品の在りかを示し、日記の出版に協力することを求めたのは、幾度も家のことで助力してくれた彼が信頼に足る人物であると判断したからなのだろう。
「まず斎藤さんに日記を読んでもらい、そのうえで、ご協力願えるなら本屋(書肆のこと)を紹介していただきたい」
邦子はすがるような目つきでいう。
「協力することは構いませんよ」
と緑雨はいうものの、
(いくら世に出ていない文章とはいえ)
故人の未発表の小説や随筆であればまだしも、膨大な量の日記を出版してくれる書肆があるのかどうか疑問を持たざるを得ない。それに日記である。書いて千年も経てば文学にもなろうが、つい先ごろなくなった人物である。それも当代きっての人気女流作家であった。
「世に出せば困る人もいるのではないですか」
緑雨はいった。それは邦子も重々承知のことであった。
「ですから、そぐわないところがあれば指摘して欲しいのです。それに斎藤さんだって姉の日記にご興味がおありでしょう」
と、邦子がいってやると、緑雨は微苦笑を浮かべた。
たしかに彼にとっては好機であったといえよう。一度はあきらめざるを得なかった一葉の日記を読むことができるのである。
「僕だけでは判断を見誤る可能性もあるから、森さん(
この提言に邦子は了承するほか手立てはなかった。
緑雨はとりあえず、一葉の日記を持ち帰ることにした。邦子は帰宅する緑雨を大門まで見送った。彼が背中に背負っている風呂敷は日記の厚みで大きく膨らんでいる。
「ここの人々は頭が固いですね。触れがだされた徳川の時代など、すでに一新されて遠く過ぎ去ったというのに、いまだ店先まで車をつけることすらできないなんて」
と、緑雨は皮肉を言い、邦子は苦笑した。
緑雨は伊勢久を出るときに、荷物が重いから店先まで人力車を呼んで欲しい、と店の番頭に頼んでいた。だが、遊郭内は「乗物一切無用」のお触れがだされているから、どのような理由であれ番頭はそれに従わざるを得ない。
結局、緑雨は五十間道を歩いていき、そこを抜けたところで客待ちの車夫に声をかけ、人力車で家路に着いた。
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