四十一

 邦子と律は川辺の茶店に立ち寄った。

 店先の縁台に座り、出された茶をすすり、大福をほおばりながら話をしていると、自然に話は病気の話題となった。

 樋口家と正岡家の境遇は似ている。どちらの家も母と子二人、ちいさな家を借りて暮らして生きてきた。その後、家族の一人が肺結核を患った。病人を看護するのは両家ともに母と妹であった。

 この話のなかで両人をもっとも驚かせたのは、病名が同一のものでありながらその症状に差異があったことである。 

 一葉の症状で主だったものは発熱と喉の腫れであったのに対し、子規の症状は喀血が多かった。邦子の記憶によれば一葉は喀血をしたことはなく、医者に診てもらうまでは風邪だと思っていたそうである。子規の症状は一葉に比べればずっと重いものであった。

 前年に近所の医者から脊椎せきついカリエスを診断され、腰部ようぶうみを注射器で抜き取り、そこを消毒する処置をとられた。

 さらに、この年、明治三十年三月下旬には二度目の手術にいどんでいる。以前とおなじ治療をすると聞かされ、子規は憂鬱ゆううつそうにしていたが、それよりずっとおおげさで患者に激しい痛みを与える手術となったのは病人には悲劇であった。

 この二度目の手術を執刀したのは東京帝国大学医学博士の佐藤三吉(のちに貴族院議員)である。

 まず佐藤は金属製の漏斗ろうとれた腰部へ乱暴に突き刺した。麻酔はない。子規は歯をみしめて激痛に抵抗した。

 つづけて佐藤は漏斗の穴に注射器を刺し入れ、溜まった膿を抜き取ろうとするがうまくいかず、別の場所に漏斗を刺しなおすことになった。それを聞いた子規は青くなった。この間、彼は時が過ぎゆくのをただじっと待つのみであった。

 その後、佐藤の手術は順調に進み、腰部の膿はすべて取り除かれ、患部の消毒も終えた。

 子規は肺結核が完治せずとも、今度こそ腰の痛みは消え失せるのではないかと淡い期待を抱いていたが、治療の予後は悪く、四月の末には病状が悪化し生死の境をさまよった。

 いまでは子規の身体の臀部でんぶから腰部は膿だまりの褥瘡じょくそうとなり、患部に巻いた包帯を交換するときには悲鳴をあげてのたうちまわった。

 このような状況にあっては、律の看護の時間は増えるはずであった。

 ところが、子規は叔父の加藤に頼んで赤十字社から看護婦を呼んでもらい、みずからの看護にあたらせることにした。

 このことについて子規は特段の理由を語らなかったが、おそらくは律に散歩の時間を与えるためであったのだろう。

 初夏になり、子規の病状は一応の落ち着きをみせた。家に泊りがけで子規の世話をしていた看護婦も、その役目を終えて去っていった。

 近頃の子規は、思いのほか忙しい毎日を過ごしているらしい。

 律に助けられ身を起こし、めしや菓子を食う。家に客人がくれば病間で談笑にふけったり、読書をしたり、俳句や短歌を詠んだり、絵を描いたりしている。

 さらには仕事もしている。子規は「日本」の記者であるから、月給をもらうために筆を取らねばならないのである。

 それだけでなく春先には一篇の小説を書き上げ、文芸誌に掲載されたのだという。

 邦子は耳を疑った。前年に子規と話をしたときに、彼は小説に関心をしめすような様子は微塵みじんもみられなかったからである。

 以前にふれているが、子規は幸田露伴ろはんや坪内逍遥しょうようあこがれて小説家を目指していた時期があった。

 その道筋は明治二十年、子規が書生の頃に書いた「竜門」という小説からはじまり、日本新聞社に入社後の同二十七年二月には、自身が編集責任を務めた「小日本」の紙面にて――恣意的しいてきながらも――小説家としてデビューしている。

 子規は「小日本」の創刊に際して、紙面の内容を充実させるために、彼が以前に書いた「月の都」を提供し、その後も「一日物語」「当世媛鏡とうせいひめかがみ」という二篇の小説を書き上げていたが、同年七月に「小日本」が廃刊になると、そこで小説の執筆は途絶えてしまった。

 ところが二年後の明治二十九年になって、突如として子規は小説を書き始めたのである。

「去年、兄さんが新聞に一葉さんの『たけくらべ』の批評を書いたんですよ。それはご覧になりましたか」

 邦子はうなずいた。子規が再び小説の筆を取ったのは、どうやら一葉が関係しているらしい、と律はいう。

「まさか」

 といって苦笑する邦子に、

「そのまさかなんですよ」

 律は真面目な顔をしていった。

 前年の四月、陸羯南くがかつなんが見舞いに訪れて、子規に「文藝倶楽部ぶんげいくらぶ」を贈った。子規はその雑誌に掲載されていた「たけくらべ」を読んだことで、一葉に心酔しんすいし、「日本」に批評を書いた。それでも彼の熱はおさまらなかった。

 その年、ある日の夜更け、律は低いうめき声に気付き、目を覚ました。

 隣の病間に顔を向けると、ふすまの間から灯りが漏れているのがみえた。音を立てずに布団から抜けでて、襖からそっとのぞき見ると、かぼそい灯りのもとでうつぶせのまま筆をとる子規の姿がみえた。

(仕事じゃろか)

 律は襖越しに、「兄さん痛むのですか」と声をかけると、

「起こしてしまったかの」

 子規は小声で返事をした。律はそっと襖を開いて病間の子規の枕頭ちんとうに移った。

「腰はもちろん痛い」

 子規は顔をしかめていう。だがうなったのはそれとは別で、

「目を閉じる前に天井をみていたら、無性に筆を取りたくなって、それから小説を書いておったのよ。しかし、小説というのは難儀じゃな。筆がまったく進まん」

 遅々ちちとして進まない筆のために呻き声が出たのだ、と子規は苦笑いをして律に教えた。それを示すように布団の周りには何枚もの丸められた書き損じの紙が転がっていた。

 子規の筆が軽やかに運び始めたのは翌年の初頭であった。書き終えた小説に子規が「花枕」と名付けたのは三月初旬のことであり、その翌月には文芸誌「新小説」に掲載されている。

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