三十八

 ところが邦子は姉の日記を焼いてなどいなかった。

 借家の押入には一葉が愛用していた装飾品のほか、日記や小説の草稿、さらには覚書おぼえがきや書き損じの紙片に至るまで、数多くの遺品が風呂敷に包まれた状態で保管されていたのである。

 邦子は遺品の行方を探ろうと取材にやってきた記者に嘘をついていたのである。

 ある新聞記者による遺品探しがはじまったのは、一葉が亡くなってすぐのことであった。記者は毎日やってきた。悲しみに暮れる遺族の気持ちなど考えない男の厚かましさに、樋口家の女二人はうんざりした。

 十日、二十日、時が過ぎた。彼は真相を聞きだそうと食い下がった。ついに邦子は辛抱ならず、とっさに借家の南面を指さして遺品はすべて庭で焼き捨てたといって、記者に嘘をついてみせた。あとになって邦子は嘘をついたことを後悔したが、多喜はよくやったと娘をめている。

 この一件のあと、邦子は遺品の全容を調べるために、その中身を通読している。とくに枚数の多かった日記に重点を置いて調査をした。

 彼女が調べたところによれば、一葉の残した日記は、明治二十年と同二十四年から二十九年までの合計七年分が残されていることがわかった。

 途中、三年ほどの間が空いているのは、樋口家が混迷の時期にあったことを示している。

 この間、明治二十年十二月に長兄の泉太郎が亡くなったのを起点として、同二十一年二月に一葉は樋口家の戸主となり、翌年には父の則義が亡くなった。

 一葉は家督を継いだが、家族が腰をえるべき家はみつからず、市中を転々とさまよった。則義の残した負債の返済も考えねばならなかった。多喜と次兄虎之助とのいざこざもあった。

 三年という期間は家庭の問題が山積みされていた時期であった。そのような状況では、一葉が心を落ち着けて筆を取ることはできなかったのであろう。

 そのうちに邦子は、姉の日記を本として世に出したいという想いに駆られていった。それがこの春先のことである。

 だが、その計画を聞かされた多喜は首を激しく横にふって反対した。

 多喜は老眼で、さらには識字に不得手であるため、みずから日記を読むことはしなかったが、その内容は娘からある程度は聞かされている。

 日記には一葉の極めて個人的な事柄が、彼女の率直な言葉によって書き記されている。

 そのため、それが世間にばらまかれるようなことになれば、彼女が生前に交流を重ねた人々に迷惑をかけることになるであろう、と多喜は危惧きぐする。

 一葉の生の声はときに辛辣しんらつであった。

 樋口家が下谷龍泉寺町に店を開いていた頃、日々の労働に比べて対価の低い商売に嫌気がさした邦子は、しきりに店を閉じようと一葉に詰め寄った。すると一葉は、

國子くにこはものにたえしのぶの気象とぼし」(明治二十七年三月の日記)

 と、飽きっぽい妹の性格を日記に記している。このような辛辣な声はなにも家族に限ったことではなく、たとえば萩ノ舎はぎのやの中島歌子については、

「……品行日々にみだれて、りんいよいよはなはしき、歌道につくすころはちりほどもみえざるに、弟子のふえなんことをこれ求めて……」(明治二十七年二月二十七日の日記)

 先生(中島歌子)は和歌の道に邁進まいしんしようという心を失い、ただ塾に弟子が増えて、己の懐が暖かくなることばかりを考えている、と一葉は毒を吐いている。

 多喜がもっとも不安に感じているのは、半井桃水とうすいのことであるらしい。

 ある時期に、彼と一葉の醜聞しゅうぶんが噂となり、それが世間にばらまかれそうになったが、萩ノ舎の人々が奔走ほんそうし、知恵を貸したことにより、塾という狭い世界で噂は封じ込められた。

 だが日記が公刊という形で世間に出回れば、一葉の――半井桃水への――秘めたる思いが、今度こそ明るみにでてしまうだろう。

「盗まれたのならまだしも、痴態ちたいをみずから世間にさらすような真似はおろかだよ。去年、遺品の行方について尋ねてきた記者がいたろう。私は嘘はよくないことだと思っているが、あのときお前がとっさについた嘘は夏の名誉を守るためにはよかったと思っているんだよ」

 といって多喜は邦子をさとした。母の強い口調に邦子はなにも言い返せなかった。

 多喜はこのように、日記を本にすることは反対していたが、この時点では焼き捨てることまでは考えていなかった。

 ところが六月になって、家を来訪した緑雨の話を聞いた多喜は、

「日記は焼いてしまったほうがいいよ」

 と、狼狽ろうばいしながら邦子にいった。話を聞くと、「日記があれば本屋が欲しがる」という緑雨の言葉が気がかりでならないのだという。

 それを拒否する邦子の態度に、多喜はしびれを切らし、 

「夏の日記など本にするようなものではないだろう」

 といって娘を叱りつけた。

「おかかさま、それは間違っています」

 一葉の日記は軽妙な筆致ひっちいろどられており、彼女の書いたどの小説や随筆よりもいきいきとしてみえ、作者の息遣いきづかいを知ってもらうには、これほど価値のある読み物はほかにない、と邦子はいってみせる。

「日記を売らなくとも、なんとか暮らしてはいるじゃないか」

 という多喜の言い分に、

「お金ではありません」

 邦子は言い返す。

「とにかく人様に迷惑をかけるのはよくないといっているんだよ」

「だからといって、なっちゃんの日記を焼くことなんて私にはできません」

 邦子は涙ぐんでいう。

 堂々巡りは小一時間ほど続いたが、邦子は母親を説得することができず、かといっていますぐ日記を焼き捨てることもできず、結論については先延ばしとし、盗難を不安がる多喜のために日記の保管場所だけは変えることにした。

 一葉の遺品のうち、盗まれては困る日記に関しては、まず新聞紙と油紙で二重に包み、さらに風呂敷に包んだあと、四畳半の畳下で保管することにした。

 ともかく樋口家には全集の出版のおかげで原稿料が支払われている。

 だが博文館から受け取った一円札の束は、すぐに右から左へ様々な支払いに使われていくと、財布の中身はすぐにからっぽとなった。

 そうしてまた、母子は日銭を得るために針を動かし着物を仕立てたり、井戸端で衣類を洗ったりするような日々を過ごすようになった。

 それは多喜のいうように、なんとか暮らしている状態であった。

 時はあっという間に流れていった。気づけば姉の一葉が亡くなってから九ヵ月ほどの時間が経過していた。

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