三十一
八月初旬の立秋、
樫村の告げた病名は肺結核であった。邦子はその診断に
「なおりますか」
数分経ち、ようやく邦子は数文字の言葉を口にした。樫村は頭を振り、治療の方針としては安静と
樫村のいう安静と滋養というのは、身体の熱には
診察室を出た邦子は、長椅子に腰掛けている一葉の隣に座った。邦子の瞳から涙が一粒こぼれた。それをみた一葉は、
「くうちゃん、どうしたの」
と声をかけるが、
「外で何かを焼いているみたいね。先生が窓を開けるものだから嫌な臭いが部屋にはいってきたのよ」そういってから、
「あーあ、目が痛くて仕方ないわ」
と、邦子は目をこするふりをしながら無理に笑顔をつくってみせた。
待合室の窓外は雲ひとつない青々とした快晴で、開いた窓からは涼しい風が吹き抜けてゆく。一葉の
そのあと、樫村に薬を貰ってから姉妹は家路についた。家に戻ると病名を多喜に告げた。
結核が不治の病であることは、この時代の常識であったが、邦子は諦めきれず、別の医者を探そうと方々を聞きまわった。
ちょうど借家を訪ねてきた
「また森さんね」
緑雨が去ってから、床に
数日後、鴎外の紹介で帝国大学教授の医師
青山は、いまは病間となっている六畳の書斎で一葉を診るが、「
あくる日に伊東夏子という女が樋口家の借家を訪れた。
彼女は一葉と同じ年にうまれて、同じ名前を持つために「樋なつ(樋口夏子)」「伊なつ(伊東夏子)」と
この日に伊なつが借家を訪ねたのは、邦子から診察のことを聞いていて、その結果を聞きにきたのである。借家の表戸を開き、
「こんにちは、伊東です」
玄関先から家人を呼ぶと、邦子が足音を立てずにそっとあらわれた。邦子は伊なつを見ると小声で、
「姉は結核なんですって……治す方法はなにもないんですって」
といって深いため息をついて肩を落とした。
それから伊なつは借家にあがり、眠りについたばかりだという一葉の寝顔を
伊なつは
それからしばらくすると一葉の病状が世間に漏れ出るようなった。
「一葉
八月十九日付の
立秋その夜、うだるような昼間の暑さがようやく衰えをみせた頃に、鴎外が子規の家を訪れた。
鴎外は深刻な顔をしながら、一葉が肺結核にかかっていることを教えた。子規はしばらく言葉を失った。
「正岡君、大丈夫かね」
「……あれから一度だけ樋口さんに手紙を送ったのです」
六月初旬、病床にいた子規は、仲間を集めて句会を開こうと計画し、その会に一葉を誘おうとした。葉書を出すと何日かして返信がきた。まず一葉は訳あって句会には参加できないことを筆にして詫びた。その横に、
たよりあらばことづてやらんほととぎす
わが宿ばかり夏はふけぬと
という短歌が一首、「なつ子」という書名といっしょに書き添えられてあった。歌にある
つまり、この歌の意味は「杜鵑(正岡子規をいう)さん、声を聴かせてちょうだい。もし貴方の鳴き始める初夏が過ぎ去ったとしても、その声を聴かせてくれるなら私はいつでも返事をしますよ」となる。
子規が久々に声を聞かせてくれたことを一葉は嬉しく思った。手紙に付け加えられた短歌は子規への
それからしばらくして、子規は約束を守ろうと一葉に暑中見舞いを書いた。
数日経つと返事がやってきた。返事には一葉の俳句が書かれていた。句会の誘いを断った一葉の
彼女の句は病床にいる自身の姿を詠んだもので、
夏暑しわづらつてしるやみの味
これは「病に
さらに付け加えると、下五にある「やみ」は
子規も掛詞に気付いたが その度合いを低くみている。
(
一葉がそれほど深刻な病にかかっているとは思いもせず、律に命じて庭で育てている
だが、この日に上根岸の家を訪れた鴎外から彼女の病勢を教えられて、子規はそこでようやく俳句に込められた意味を理解したのである。
だが翌月になると、次のような記事が新聞に掲載されていた。
「樋口一葉
九月三日付の毎日新聞。
夏の盛り、一葉は寝床で高熱にうなされる日々を過ごしたが、新聞の見出し通り、九月になると病勢は弱まっていた。この頃、熱は微熱である。ただし
一葉はその姿のまま
この時期、一葉の姿を見かけた人々の目には、誰しもが彼女は快方に向かっているように感じられた。
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