二十九

 一葉の危惧きぐしていた問題は、結果としては取り越し苦労にすぎなかった。子規しきと対面する機会は二度と訪れなかったからである。

 子規は従軍の帰途、船中で喀血かっけつし、下船後は神戸の病院や保養院で療養につとめ、八月の末に退院したあとは故郷松山で静養した。

 季節は秋になり、肌寒さを感じる頃、子規は松山から帰京した。その途中で痛みを腰に感じたが、年明けには回復している。

 しかし、この年の二月になると腰背部ようはいぶの左側が不自然に隆起りゅうきし、そこが激しく痛み出した。

 翌月に近所の医者を自宅に呼んだ。子規の腰背部をみた医者は眉をわずかにひそめた。

 診断の結果、病名は脊椎せきついカリエス(結核性脊椎炎)とわかった。カリエスとは「骨が腐る」という意味を持ち、盛り上がった皮膚の中身はうみであり、膿は結核菌と骨の組織がみせた戦火の跡であった。医者はこれを注射器で抜き取り、患部を消毒するという処置をした。

 これ以降、子規はほとんど寝たきりの状態になりながらも、この年は度々たびたび人を集めては精力的に句会を開いていたが、先にふれたようにそこに一葉の姿はなかった。

 ひと月ほど経過した四月二十五日の土曜日。この日は、朝から雨が降ったり止んだりを繰り返し、日出ひのでから日没まで太陽が顔をみせることはなかった。

 隣に住む陸羯南くがかつなんが小さな風呂敷包みを抱え、子規を見舞いに訪れたのは、小振りの雨が地面を湿らせていた午後二時頃である。

 羯南が門前の板戸を開けるとそれに呼応するように、屋内から足音が聞こえ、律が顔をみせた。その背中越しには八重がいて、柔和な微笑みを浮かべながら会釈えしゃくをした。律に案内され、羯南は病間にす子規の枕頭ちんとうを見舞った。

「具合はいかがですか」

 羯南が問いかけると、

「医者のいうことは当てにならないですね。治療だというから我慢をして膿を抜いてもらったのですが、痛みはとれないし、またおなじ場所が腫れてきました。治療とはなんだったのでしょうか」

 子規は不満を口にしてから、体をひねって寝巻の隙間すきまから患部をみせようとするが、それをみた羯南は慌てて制止した。

「安静が第一ですよ。……ところで君の記事、読者からは中々の評判ですよ。その記事を書いた人物が、まさか寝たきりの者だとは思わないでしょうけれどね」

 羯南の冗談に子規は口元をかすかに緩めた。子規はこの月の二十一日から新聞「日本」紙上に「松蘿玉液しょうらぎょくえき」という随筆ずいひつを連載している。

 羯南は風呂敷包みから雑誌を取り出し子規に渡してやった。子規の創作の足しになるであろうし、病臥びょうがする彼のなぐさみにもなるであろうと、先日購入したものであった。

「世間では女性の書く小説が流行はやっているそうだよ」

 どこかで聞いたような台詞を羯南はいった。子規は傍らにいる律に介助され、上半身を起こし、雑誌の頁をめくった。

「あっ」

 子規は声をあげた。

「どうしたね」

 羯南は子規の手元をのぞきこんだ。そこにあるのは樋口一葉の書いた「たけくらべ」であった。

「君も知っていたのかね。流行っているというのはこの人のことだよ」

 羯南が帰ったあと、子規は一葉の小説をはじめて読んだ。あの歌詠みと認めていた一葉が、これほど巧みな小説を書いていることに子規は驚嘆きょうたんした。

 読後、すぐに律を呼び、筆硯ひっけんを用意させて筆を取った。このときに書いた随筆は、翌月五月四日付の「日本」紙上に掲載されている。

「たけくらべ といふ。汚穢おわい山の如き中よりひともとの花を摘み来りて清香を南風に散ずれば人皆其香ひとみなそのこうに酔ふて泥のごとし。」

 その日の「松蘿玉液」は、このような書き出しから始められた。子規は一葉と対面を果たした日、彼女が歌人とは思えぬ地味なよそおいでありながら、ときおりみせるしとやかな仕草が印象的であったことを思い出して、それを序曲としたのである。

 小説の舞台となる大恩寺前は吉原遊郭近隣の町をいう。その町はくるわ社会に頼り切った町であり、俗にいえば下層社会の吹き溜まりのような場所である。

 彼は一葉が遊郭の近隣に暮らしていた時期があったことを知らないが、現在の住まいが銘酒屋(私娼窟)の立ち並ぶ通り沿いにあることは聞かされていた。となれば、一葉はその地域で暮らしてゆくうちに知識を得ていったのではなかろうか、と推測する。

 子規は一葉が俗な場所の見識に富むことは、決して感心することはなかった。

「われは全編の趣向をもほめず、事情に通ぜるにも感心せず、しかし一行読めば一行に驚き一回を読めば一回に驚きぬ。」

 と、子規は書く。小説の舞台設定は決して子規好みではなく、登場する子供らの後背からえんのある廓ことばと白粉おしろいの甘ったるい香りがそよ吹くことには眉をひそめ、嫌悪した。

 それはそれとして、子規は一葉の文語と口語を織り交ぜた雅俗折衷がぞくせっちゅうの文体からは浮世草子で有名な井原西鶴さいかくの影響を指摘し、和歌の技量を巧みに活かした小説には素直に称賛の言葉を贈っている。

 文末には一葉に宛てて、彼女が気付くかどうかも構わずに、

「われかつ閨秀けいしゅう小説の語いとふ、これを読むを欲せず、人の之を評するを聞くをだに嫌へりしなり。一葉何者ぞ。」

 と書いた。

 一葉何者ぞ。

 歌人とみていた一葉が、実は小説の才能まで持ち合わせていたことに子規は驚愕きょうがくした。そしておのれの見識の低さを恥じらい、みずからを罵倒ばとうした言葉が文末に込められている。

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