二十七

 突然、鈍い音を立てて湯飲みが横倒しに転がった。一葉の膝頭ひざがしらがぶつかったのである。さいわい、湯飲みに茶は残っていなかったので、畳表たたみおもてれることはなかった。 

 一葉は知識人との会話に充実感を覚えるような性質があって、話が弾みだすと途端に細かなことに注意が行き届かなくなるのである。

 もしこれが浅学せんがくな者であれば、一葉はたちまちに興味を失って退屈そうな表情をしたり、びんのほつれ毛を指先で転がすような仕草をみせたりするのだが、いまそのような動きはみられない。子規は一葉の御眼鏡おめがねかなったといえよう。

 ひたむきに談笑を続けている姉の癖をまのあたりにして、不意に邦子の頭の中に来意というものが浮かんだ。彼女はそのとき、倒れていた湯飲みを元に戻そうとしていて、いっとき談笑の輪からは外れていた。そのために、「なぜ私たちは正岡さんを訪うたのか」という疑問が脳裏に浮かんだのである。

 ただし邦子には、小説の依頼というのが、いつどの時点で告げられるのか知るよしもない。

 たとえば、依頼者は作家に会ってすぐにそれを切り出すのかもしれないし、帰り際にぽつんと言い出すことなのかもしれなかった。

 もし、一葉が来意を忘れているのであれば、邦子がそれを呼び起こさなければならない。

 邦子は談笑の合間を見計みはからって、子規に小説の批評を聞くことにした。

「正岡さまは姉の小説について、どのようなお考えをお持ちですか」

 邦子の質問に、子規は渋る様子をみせたあと、

「小説に凝ったことはある。貸本を何冊も借りて、それこそ一日中勉学もせずふけっておったんじゃが……」と、子規は書生時代の思い出を語ると、「実のところ、近頃は小説に時間を割くことはしていない」

 つまり、子規は一葉の小説を一篇たりとも読んでいないというのである。律を書店に走らせてようやく手に入れた『文藝倶楽部ぶんげいくらぶ』であったが、その頁を開くのは今日がはじめてであったという。

 なにせ姉妹の来意は勝手気ままであった。子規が一葉を家に招いたのは和歌の話を聞くためであるから、小説に関してひと言もふれないのは必然ともいえる。

 悪意なき子規の言葉によって、姉妹の来意はついえたが、当事者ともいうべき一葉は、

「まあそうですか」

 と意にも解せず、慌てる様子すらみせなかったのは、気がかりであった醜聞しゅうぶんの煙が、ここ上根岸では立たないことを教えられたからであるらしい。

 それに歌詠みの現状を知りたいと自分を招いた子規の望みがかなったことは、鴎外おうがいへの借りを返したような清々すがすがしい気持ちにもなり、もはや小説の依頼があろうがなかろうが彼女の中では些細ささいなことになっていたのだろう。

 姉が動揺もせず微笑までたたえているのをみて、邦子はこれ以降、小説の話題にふれることはなかった。

 が、真実は少しばかり異なっていて、子規はこの時期においては小説に関心を失っていた、というのが正しい解釈になろう。

 子規は幸田露伴ろはんや坪内逍遥しょうようの小説に憧れを抱き、小説家を目指していた過去があった。

 なかでも自信を持って書き終えた小説「月の都」は、露伴にみてもらう機会を得られ、ある程度の評価を下されたにもかかわらず、結果として出版にまでこぎつけられなかったことは、彼を大いに失望させたのである。

 ただし「月の都」は明治二十七年に子規が新聞「日本」の姉妹誌「小日本」の編集責任となったときに、紙面の埋め草として掲載されている。子規は思いがけず小説家となる夢を果たしたわけである。

 それは本来であれば喜ばしい出来事なのかもしれないが、子規自身が責任者であることから恣意的しいてきにも思われ、いまでは彼にとってふれられたくない苦い思い出となっているのである。

 そのうちに洗濯を終えた律と八重が戻ってきた。

子規は庭先から縁側に上がる律をみて助け船がきたと思い、

「もう少し菓子が欲しいんじゃが」

 とねだるが、

「食事の用意をしようと考えていたんじゃけど、菓子でよろしいのですか」

 律は首をかしげた。子規はきょとんとした顔つきの律をみて、いまが昼どきであることに気づくと、

「菓子はやめじゃ」

 と手を振りながら、「樋口さんの分も用意できるんじゃろ」

 と律にたずねた。彼女はそれにうなずいてみせた。

 すぐに昼食が用意され、八重と律を交えて食事をとった。子規は誰よりも早く食事をたいらげたが、腹を満たすために何杯か飯をお代わりした。そのたびに律は箸を休めてひつから子規の茶碗に飯を盛っている。律は最後に食事を終えると台所に消えた。

 食後に茶が運ばれると、それまで声を発することのなかった八重が、

「樋口さん、時々でも訪ねてくれんかねえ」

 と姉妹に呼びかけた。よくよく話を聞くと、律のことだとわかった。

 八重と律が松山から東京に住まいを移したのは明治二十五年十一月のことで、子規の看病をするためであった。八重は東京に律の知り合いがいないことを気にかけていたのである。

「リイさんにだって茶飲みの友達くらいおっても罰はあたらないでしょうに」

 この日、二人の若い娘が家を訪ねてきたのをみて、八重は不意に思い立ったのだという。そういう機会を失わせたのは自分であるともいえるから、子規は黙って母の話を聞いていた。

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