二十一
一葉の膝元に『
句会の翌日に、子規が律を書店に走らせ購入したものだという。
「律は市内の方々を巡ってようやく手に入れたらしい」
子規は口周りの
「その雑誌、何度も増刷をかけているそうですよ。出版社の方はとても喜んでおりました」
と、一葉がいうと、
「森さんがいっていたことは誤りではなかったようですな」
といって子規はうなずいた。
ひとしきり雑誌にまつわる話題を話したあと、
「和歌はどちらで習いましたかな」
子規は一葉に、この対談の本題というべき質問をした。
「小石川の安藤坂にある
といって一葉は雑誌を手に取ると目次を開き、
「中島歌子というのは私の師です。それにこの
と目次の頁を子規にみせ、萩ノ舎は香川景樹の流れをくむ歌塾だと子規に教えた。
その派閥を
子規も過去には桂園派の歌人から和歌を習ったことがあるので、
「桂園ですか。あしも書生の頃に故郷の松山で一派の方から習ったことがあります」
と故郷の松山を懐かしむようにいった。
「いま桂園の歌人たちはどのような歌を詠みますかな」
子規の質問に一葉はしばらく考えたあとで、
歌のあらす田荒れに荒れしを
と和歌を一首詠んで、子規の問いに答えた。この短歌は一葉自身が以前に詠んだものを、この場で改作したものである。
具体的にいえば、和歌に調べを与える「敷島の」という枕詞を「萩園の」と改めた。萩園とは中島歌子の雅号である。
「敷島の」とは下句の「歌」にかかる枕詞で、「歌」とは倭歌、つまり和歌である。それを一葉が枕詞にはなりえない「萩園の」と変更したのは、子規に対していまの歌道の状況をほのめかそうという意図があったにほかならない。
これを解釈するならば、「萩ノ舎で詠まれている和歌は荒れ果てている。それを立て直そうとする人は舎内にいない」
つまりは、痩せきった土地を鋤き返したとしても
一葉が衰退する桂園派の内幕を回りくどく教えたのは、子規の和歌の実力を知るための手法でもあった。
子規は萩園の意味だけ聞くと、萩ノ舎の現状というものを理解したようであった。その姿をみて、一葉はわずかに口元を緩めた。
ここ最近、一葉は小説の執筆に多忙のため、萩ノ舎からは足が遠のいていた。しかし、同門の友人がときおり借家を訪ねては、萩ノ舎の出来事を土産話として置いていくので、彼女は舎内の現況を知り得ることができていたのである。
いま、萩ノ舎の中島歌子は歌人として顕著な衰えがみえるという。同門の田中美濃子によれば、語法の使い方は不十分で乱れも多く、中島の和歌から風情が感じられない、というのである。
過去には中島に存在したであろう和歌への意欲や向上心というものは、いまやすっかり衰え欠けてしまったようである。それは肉体にも影響を与え、中島は稽古を弟子たちに任せて床に
一葉の語る桂園派歌塾の現況に子規は驚きを感じた。先ほど一葉の詠んだ和歌は、あくまで萩ノ舎という桂園派の一群だけをさして表現したものであったが、子規はそれをすべての歌詠みたちに重ねたようであり、
(古今を拝む歌人たちにはびこった
という認識を持つに至り、短歌にも刷新の必要性があると確信した。
そのあとも、子規はつぎつぎと質問を重ねていき、一葉はそれにひとつずつ答えを与えていった。
たとえば、一葉は桂園派の歌人であるが、香川景樹に関してはそれほど評価をしていないことを子規は知った。
「景樹の和歌は情趣や格調の面では、ほかの歌人に比べてひどく劣るし、余情もまったくないので褒めるところは少ないのですよ。とはいっても古今集の歌より劣るとはいえないのです。どうも人というのは歌詠みが巧みになると、今度は
一葉の桂園評を聞いた子規はうなずき、
「あしもおぼろげながらおなじようなことを考えておった」
といって喜んだ。子規は一葉に和歌を刷新する意思があるかどうか、それとなく聞いてみたが、
「とんでもないことです」
一葉は笑い飛ばした。
これから二年後に、子規は短歌刷新の
「
と非難したが、
「貫之に比べれば景樹には良い歌が多い」
とも子規は述べている。子規は景樹を褒めたわけではない。香川景樹のいた時代は、紀貫之の時代から数えておよそ九百年の時が経過していた。景樹が良い歌を詠めたのは、その長大な時の流れのおかげであると子規はいう。
つまり、その間に生きていた幾多の人々が時間をかけ、和歌を
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