十九

 正岡子規の住んでいる家は平屋で、間数は四つある。

 間取りは庭からみて右側に六畳間があり、その左側は八畳の客間である。客間には庭に面した幅二尺ほどの縁側が付けられている。そのために六畳間に比べて家屋が庭側に突き出た恰好かっこうとなっている。子規が顔をみせた便所は縁側の奥にあった。

 六畳間は子規が書斎として使っていて、文机が庭に面した部屋の端に置かれている。書斎の畳の上には書物が乱雑に積まれ、反古ほごが散らかり、夜具が敷かれたままになっていた。その奥が四畳半で、客間の奥は三畳の茶ノ間と台所、そして玄関があり、外は表通りとなるうぐいす横丁であった。

 子規は病が進行して臥床がしょうしたままになると、書斎を病間と呼んだが、この時期はみずからの足で歩くことができた。それは前年に船中で喀血かっけつしたあと、療養につとめたのが功をそうしたからであろう。子規はいま、川の淵にいるかのような穏やかな日々を送っている。

 姉妹は縁側からあがると客間に通された。

「みての通りの汚れようで、女性をいれるような家ではないんじゃが」

 といって子規は六畳を指さし苦笑した。

 そこに丸盆を持った律がやってきて、茶と菓子を子規と姉妹の膝元に置いていくと、

「洗濯の途中なので戻ります」

 といって縁側から庭先へでていった。

 子規は挨拶もそこそこに句会の模様を語り始めた。

 去る一月三日、上根岸の正岡宅で初句会が開かれたことは何度かふれている。

 鴎外おうがいはこの日、少し遅れて子規の家にやってきたので、昼過ぎにはじまった互選の第二回からの参加となった。

 この会の参加者は、主宰の正岡子規を筆頭に内藤鳴雪めいせつ、夏目漱石そうせき五百木瓢亭いおきひょうてい河東銓かわひがしせん河東碧梧桐かわひがしへきごとう、高浜虚子きょし、そして森鴎外の八名である。

 ときおり休憩が挟まれると、雑談に花を咲かせたり、新年の祝い膳に箸をつけたりといった和やかな句会となった。

 鴎外のむかい側に座っていた新聞「日本」の記者をしている瓢亭(本名は五百木良三)が、

「また文芸誌をだすそうですね」

 と鴎外に声をかけた。

「前の雑誌(しがらみ草紙)は残念ながら休刊にしてしまったので、その代わりにと月末に創刊しようと思っているのですよ」

「森さんも何かお書きになりますか」

「しがらみで『即興詩人』(アンデルセンの小説)という外国文学を翻訳していたのですが、それの続きを載せたいと思っています。それに評論もやります。文学は新しい時代がやってきそうですよ」

 といって鴎外が微笑するのをみた瓢亭は、

「新しいとはどういうことです」

 といって首をかしげると、

「近頃の文壇では女性のめざましい躍進がみられます」

 鴎外はいった。彼の言葉はその場にいる者たちを議論にむかわせたが、総じて一時的な熱狂のようなものではないか、という意見に落ち着いた。

「しかし、女性の歌人に見事な物書きがあらわれているというのは事実だよ」

 鴎外は口元に笑みを浮かべていった。列席者の口からは、「まさか」という言葉が漏れた。この日、句会に同席していた漱石(本名は夏目金之助)は、

「森さんは妹君を自慢したいのだろう」

 といって笑った。漱石は子規に誘われて、この日の句会に参加していた。子規とは帝国大学在学中に知り合った仲である。帝大を卒業した漱石は教師の職につき、のちに小説「吾輩わがはいは猫である」や「坊ちゃん」を執筆した。

 その漱石がいう妹君とは小金井喜美子のことである。喜美子は歌人でありながら、随筆や外国文学の翻訳をてがけていた。才人と噂される彼女は、鴎外のいう「活躍」をみせているといえるだろう。

 しかし、鴎外は妹のことではないと否定し、かたわらに置かれた風呂敷包みを解き、雑誌を取り出すと、

「いま文壇を騒がせている女性がいるのだよ」

 といって雑誌の頁をめくり、目当てとなる頁をみつけると畳の上に置いてみせた。その雑誌は、この時代に随一の人気を誇った博文館の『文藝倶楽部ぶんげいくらぶ』であった。同席者たちの眼差しは畳の上に置かれた雑誌の紙面に注がれた。開かれた紙面は目次と口絵であり、口絵の右上には喜美子の肖像写真があった。それをみた漱石は、

「ほら、やはり妹さんだ」

 と、得意げにいうと、列席者に笑いの渦が巻き起こるが、

「違うよ」

 と鴎外はかぶりをふった。

「するとこちらかな」

 漱石は左隣の若松賤子しずこ(翻訳家)を指し示すが、

「夏目くん……私はこの人のことをいっているのだよ」

 と鴎外は口絵の左下を指差した。その指の先には樋口一葉の肖像写真があった。

 紙面に書き手の肖像写真を載せたのは、博文館が世間の関心を集めるためにとった手法であり、これにより『文藝倶楽部』の発行部数は大きく伸びた。

 鴎外の取り出した『文藝倶楽部』は前年の十二月に刊行された臨時増刊号であり、特集として注目を集めている閨秀けいしゅう作家ばかりを集めた構成となっている。目次には中島歌子、三宅花圃かほ、田沢稲舟いなぶね、若松賤子、小金井喜美子など、そうそうたる女性作家たちの顔ぶれが並んでいる。

 その中には一葉の名もある。掲載された小説は二編で、一葉名義の「十三夜」となつ子名義の「やみ夜」である。一葉が二種の名義を使い分けたのは、中島歌子が同誌に寄稿することを聞き、配慮したからである。

 一葉に対する文壇の注目の高さは、口絵の肖像写真と二編(『やみ夜』は再掲)の小説に紙面を割いたことからわかるだろう。

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