十九
正岡子規の住んでいる家は平屋で、間数は四つある。
間取りは庭からみて右側に六畳間があり、その左側は八畳の客間である。客間には庭に面した幅二尺ほどの縁側が付けられている。そのために六畳間に比べて家屋が庭側に突き出た
六畳間は子規が書斎として使っていて、文机が庭に面した部屋の端に置かれている。書斎の畳の上には書物が乱雑に積まれ、
子規は病が進行して
姉妹は縁側からあがると客間に通された。
「みての通りの汚れようで、女性をいれるような家ではないんじゃが」
といって子規は六畳を指さし苦笑した。
そこに丸盆を持った律がやってきて、茶と菓子を子規と姉妹の膝元に置いていくと、
「洗濯の途中なので戻ります」
といって縁側から庭先へでていった。
子規は挨拶もそこそこに句会の模様を語り始めた。
去る一月三日、上根岸の正岡宅で初句会が開かれたことは何度かふれている。
この会の参加者は、主宰の正岡子規を筆頭に内藤
ときおり休憩が挟まれると、雑談に花を咲かせたり、新年の祝い膳に箸をつけたりといった和やかな句会となった。
鴎外のむかい側に座っていた新聞「日本」の記者をしている瓢亭(本名は五百木良三)が、
「また文芸誌をだすそうですね」
と鴎外に声をかけた。
「前の雑誌(しがらみ草紙)は残念ながら休刊にしてしまったので、その代わりにと月末に創刊しようと思っているのですよ」
「森さんも何かお書きになりますか」
「しがらみで『即興詩人』(アンデルセンの小説)という外国文学を翻訳していたのですが、それの続きを載せたいと思っています。それに評論もやります。文学は新しい時代がやってきそうですよ」
といって鴎外が微笑するのをみた瓢亭は、
「新しいとはどういうことです」
といって首をかしげると、
「近頃の文壇では女性のめざましい躍進がみられます」
鴎外はいった。彼の言葉はその場にいる者たちを議論にむかわせたが、総じて一時的な熱狂のようなものではないか、という意見に落ち着いた。
「しかし、女性の歌人に見事な物書きがあらわれているというのは事実だよ」
鴎外は口元に笑みを浮かべていった。列席者の口からは、「まさか」という言葉が漏れた。この日、句会に同席していた漱石(本名は夏目金之助)は、
「森さんは妹君を自慢したいのだろう」
といって笑った。漱石は子規に誘われて、この日の句会に参加していた。子規とは帝国大学在学中に知り合った仲である。帝大を卒業した漱石は教師の職につき、のちに小説「
その漱石がいう妹君とは小金井喜美子のことである。喜美子は歌人でありながら、随筆や外国文学の翻訳をてがけていた。才人と噂される彼女は、鴎外のいう「活躍」をみせているといえるだろう。
しかし、鴎外は妹のことではないと否定し、
「いま文壇を騒がせている女性がいるのだよ」
といって雑誌の頁をめくり、目当てとなる頁をみつけると畳の上に置いてみせた。その雑誌は、この時代に随一の人気を誇った博文館の『
「ほら、やはり妹さんだ」
と、得意げにいうと、列席者に笑いの渦が巻き起こるが、
「違うよ」
と鴎外はかぶりをふった。
「するとこちらかな」
漱石は左隣の若松
「夏目くん……私はこの人のことをいっているのだよ」
と鴎外は口絵の左下を指差した。その指の先には樋口一葉の肖像写真があった。
紙面に書き手の肖像写真を載せたのは、博文館が世間の関心を集めるためにとった手法であり、これにより『文藝倶楽部』の発行部数は大きく伸びた。
鴎外の取り出した『文藝倶楽部』は前年の十二月に刊行された臨時増刊号であり、特集として注目を集めている
その中には一葉の名もある。掲載された小説は二編で、一葉名義の「十三夜」となつ子名義の「やみ夜」である。一葉が二種の名義を使い分けたのは、中島歌子が同誌に寄稿することを聞き、配慮したからである。
一葉に対する文壇の注目の高さは、口絵の肖像写真と二編(『やみ夜』は再掲)の小説に紙面を割いたことからわかるだろう。
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