第48話 我を通す(※sideエルド)

 アリア様の部屋を辞すると、俺は急かされるように走り出した。離宮の階段を駆け降り、詰め所へ走る。


「あ、エルドさん。お疲れさまで…」


 声をかけてくる後輩たちに答える余裕もなく、俺は団長室を目指した。




「父上!!」

「…ノックぐらいしろ、馬鹿者が」


 机の前に座り何やら書類を書いていたらしい父は、眉間に皺を寄せて顔を上げた。


「他の者たちに示しがつかんだろうが。ファウラー騎士団長と呼べ」

「俺は配置替えを受け入れるつもりはありません!一体何故ですか?何故突然こんな訳の分からない無意味な指示がでたのです?」

「…さぁな。可愛くてたまらない側妃殿にねだられたんだろう。今の陛下は何もかもあのお方に乞われるがままだ」


 半ば投げやりな、呆れたような口調でそう言った父は俺から目を逸らすとまた書類に目を落とし書きはじめた。


「おかしいではありませんか!アリア様の…、…妃陛下のおそばには、もう俺たちしかいないんですよ。あのような寂しい離宮に居住を移され、侍女らも最低限の人数に絞られ…、せめて気心の知れた俺たちだけでもこのままおそば近くでお仕えせねば…!」

「…ならばクラークらをどうにか留まらせてもらう方向で話をしてみるか」

「だから何故俺は駄目なんですか!」

「側妃殿のご要望だそうだ。筆頭護衛騎士のエルド・ファウラーだけは必ず自分の専属に移すようにと」

「……は…?」


 何だそれは。冗談じゃない。

 何故よりにもよってアリア様を追いやり、そのお立場を危うくした挙げ句傷付け苦しめているあの下品な小娘の警護を、この俺がしなくてはならないのだ。嫌がらせにも程がある。


「冗談じゃありませんよ。俺は拒否させてもらいます。妃陛下の元を離れてあの側妃の警護などしません」

「口を慎め、エルド。ではどうするつもりだ?陛下の決定に歯向かい、王宮での仕事を失うつもりか?最悪不敬罪で我がファウラー侯爵家にも厳罰が下ることになるぞ。…お前は一体何をそんなにムキになっているんだ」

「……っ、別に、ムキになっているわけでは…」

「なっているだろう。王国騎士団に入団してからこれまで、お前は命じられるままに自分に与えられた役割をこなしてきた。その確かな仕事ぶりと剣術の腕が評価されて今の王妃陛下の護衛筆頭の地位を得られたのではないか」

「ですから…!この栄誉ある役目を全うしたいと考えているのです。…今の妃陛下は、俺の…、…慣れ親しんだ俺たち専属護衛騎士たちの存在が心の拠り所となっておられます」


 先程のアリア様の不安げな顔を思い出す。これまで見たことがないほどに気弱な、今にも崩れ落ちそうな悲しげな表情に胸が痛んだ。何を考える間もなく、思わずその手を取り、握りしめてしまうほどに。


「…わざわざ俺である必要などないはずです。ファウラー騎士団長、どうか陛下に別の提案を。今のままでも側妃殿の護衛は充分足りているはずなのですから、あえて正妃様の警備を手薄にする理由はありません」


 ムキになっていると言われようと、絶対にここで引き下がるつもりはなかった。

 アリア様が嫁いでこられたばかりの頃は、あの方がどんなお方であろうと、俺は俺の役目を全うするのみだと考えていた。アリア様がたとえ一部の噂にあるような狡猾であざとい人物であったとしても、上からの命令通りに専属護衛の任につき、御身をお守りするのだと。

 ならば今度はマデリーン妃に付けと言われれば、素直に従うのが当然だろう。だが、もう到底受け入れることはできない。たとえ国王陛下の命であったとしても歯向かって我を通したくなるほどに、俺は愛する人のそばを離れたくはなかった。

 これ以上、あの方に心細い思いをさせてなるものか。


 意地でも引き下がるまいと噛みつく俺の顔を、父は黙って見つめたまま何やら考えている風だった。気まずい沈黙が続く。たまらず俺が言葉を重ねようとした時、父が顎に手を当てながらふむ…、と低く唸った。


「…まぁ私としてもこの決定に納得がいっているわけではない」

「で、でしたら!」

「だがむやみに陛下に逆らうわけにもいかぬ。…ところでお前、マデリーン妃とどこで接触したんだ。わざわざお前を指名して自分の専属にと側妃殿が仰るほどにお前が気に入られた理由は何だ」

「いや、こっちが聞きたいですよ。俺はあの女…、…あのお方に何もしていません。強いて言うのなら…、先日あのお方が目に余るほどに非常識な茶会を大広間で開いておりまして。その様子を見た妃陛下がやんわりと苦言を呈されたのですが、お気に召さなかったらしい側妃殿が妃陛下に手を上げようとなさったのです。それを俺が先んじて制しました。その時にほんの少し言葉を交わしたのみです。逆恨みされることはあったとしても、気に入られるような理由は何もないはずです」

「…本当にそれだけか?」

「それだけです」

「……。」


 父はまた押し黙って俺の顔を穴が空くほど見つめてくる。…一体何なんだ。

 そのうちボソボソと独り言を漏らしながら何やら思案しはじめた。


「…要はあちらを満足させればいいわけで…。…試してみるか。見目だけならお好みに合いそうなのが…」

「…父上?」

「エルド、これを受け取れ」


 そう言うと父はおもむろに机の上の書類を一枚俺に差し出す。


「……?はぁ…」


 俺が受け取ろうと手を伸ばすと、父は突然俺の手のひらに触れていた書類を勢いよく引っ張った。その瞬間、手のひらにビリっとした痛みを覚える。


「痛っ…!…何をするんです」

「どうだ?怪我をしたか?」

「しましたよ!切れたじゃないですか」

「そうか。では手当てをしろ。包帯を巻いておけ。念のためしっかりとな」

「は…?いや、別にそこまでするほどでは。薄く切れただけですよ」

「いいから大袈裟に手当てをしろ」

「……?」


 その後父が呼び付けた使用人によって俺の手は明らかに過剰なまでにぐるぐると包帯を巻かれた。手のひらをわずかに掠っただけの切り傷は、まるで右手首を骨折でもしたかのような状態になった。




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