第47話 絶望

「…今、何と言ったの?アドラム公爵令息…」


 その日の朝、突然離宮の私の部屋に現れたジェラルド様の側近であるカイル・アドラム公爵令息に告げられた言葉に、私は耳を疑った。

 彼は私から目を逸らすように伏せると、静かに繰り返す。


「…ですから、妃陛下の専属護衛騎士たちの配置替えを行うことになったのです。近日中にこれまで妃陛下をお守りしてきた護衛たちを、他の者に替えさせていただきます。その決定事項をご報告するよう、陛下から仰せつかってきたのです。…では」

「ま、待ってください…!」


 いつも通り淡々とした態度のカイル様が背を向けたのと同時に、私は彼に追いすがった。そんなこと…、受け入れられるはずがない。

 だって、それって……、


「な、納得がいきません。なぜですか?なぜそんな…、何の問題も起こっていないというのに、私の護衛騎士たちを替えなくてはならないのですか?」

「…別に構わないでしょう。あなた様に護衛を付けないと言っているわけではないのですから。守りが手薄になるわけじゃない。ただ他の護衛に替わるだけの話です。…むしろ何がそんなに問題なのですか?」

「……っ、それは…」


 邪な思いがあることを自覚して少し言い淀んでいると、室内に待機していた護衛騎士の一人ダグラスがスッと部屋を出ていくのが見えた。


「…私は、この王宮に来て以来ずっとそば近くで守ってきてくれた彼らとそれなりの信頼関係を築いています。この離宮に居を移され、公務以外では王宮への出入りもいい顔をされず、侍女たちの人数も削られ…、このような扱いを受けながら、この上更に護衛騎士まで替えられるというのに納得がいかないのです。…陛下と話をさせてもらうわ」


 私が真正面から睨みつけそう言うと、カイル様はため息をついて肩を竦めた。真っ直ぐな銀髪がサラリと揺れる。


「…どうぞご勝手に。ですが陛下の決定事項は覆らないと思いますよ。どうお考えになってこのような指示を出されたのかはさっぱり分かりませんが、…まぁ、替えると仰るからには替えるのでしょうね」


(……?)


 カイル様のその言い様に、私はほんの少し違和感を覚えた。何となく、この人もジェラルド様のこの決定を快く思っていないような気がしたからだ。


「カイル殿!」

「……っ!エルド…」


 そこに息せききってエルドが飛び込んできた。後ろからダグラスもついてくる。彼が呼びに行ってくれたのだろう。

 そう。専属護衛を入れ替えるということは、私はもうこうして日々エルドの顔を見ることさえできなくなるということなのだ。


 エルドが怖い顔をして目の前に立つと、カイル様は露骨にげんなりとした顔をした。


「…何ですか、騒々しい」

「どういうことですか、妃陛下の護衛騎士の配置替えなど…。俺は何も聞いていない!」

「今初めて妃陛下にお伝えしたのだから当然でしょう。今朝の会議で通達されていますよ。あなたのお父上にお尋ねになってはどうですか。…ああ、ちなみに、貴殿を含むほとんどがマデリーン妃の専属となることが決まっています」

「な……、」


(……嘘……)


 その言葉を聞いて、目の前が真っ暗になった。

 また…?またあの人に奪われるの…?

 王宮の部屋を追われ、侍女たちも連れて行かれ、陛下と共に公務をする時間さえ与えられず…、今度は、唯一私の元に残っていた、気心の知れた護衛騎士たちまであの人のところに…?


 エルドまで……?


(そんなの、もう耐えきれない…)


 どうして私を、孤独と絶望に追い込もうとするのだろう。


 もう話すことはないとばかりにカイル様は今度こそ部屋を出ていった。


「ア…、アリアさま…」


 リネットの狼狽える声が聞こえるけれど、返事をする気力も湧かない。

 私はただ黙って、目の前にいるエルドの顔を見つめた。


(もう…こうしてこの人の顔を見る喜びさえ、失ってしまうというの…?)


 冷たくなってしまった周囲の視線にも、日々の孤独にも耐えながら乗り越えていく毎日の、私の唯一の心の支え。

 エルドを失うことは、あまりにも辛すぎる。今度こそ本当に、私の心は折れてしまう─────


 カイル様が出ていった扉の方を睨みつけていたエルドは大きく息をつくと、今度は私の方に向き直った。


「……っ!…アリア様…」


(……えっ…?)


 私の顔を見たエルドは、驚いたようにその翠色の目を見開いた。…しまった…。私一体、今どんな顔をしていたんだろう。


 取り繕うこともできずに咄嗟に俯くと、エルドがそっと私の手をとった。


「…っ!」

「父と、…ファウラー騎士団長と話をしてまいります。俺としてもこのような配置替えには納得がいきません。どうにか陛下の決定を覆すことができないか相談してきますので…。どうか、そんな顔をしないでください」

「…………っ、」


(て…、手が……っ)


 突然手を握られたことに動揺してしまい、言葉が出ない。武芸を極めた殿方のゴツゴツとした、それでいて温かく優しい感触に包まれて、体中の熱が一気に高まって息もできない。

 私の手とは、全然違う…。


 この白く頼りない手を包み込む、ほどよく日焼けしたたくましい大きな手を見つめて固まっていると、ふいにその両手がパッと離れていった。


(……あ…)


「…大変失礼いたしました、妃陛下。…では、すみませんが少しここを離れます。…ダグラス、頼んだぞ」

「はいっ」


 いつもはアリア様と呼んでくれているのに、なぜか急に妃陛下などと呼びそう言うと、エルドは急ぎ足で部屋を出ていった。


(エルド……)


 離れると途端に不安が大きな波となって押し寄せてくる。胃がギュッと握りつぶされるような、泣きたくなるほどの不安。ジェラルド様の決定がそう簡単に覆ることなどあるのだろうか。


 離れてほしくない。今まで通り、私のそばにいてほしい。

 他には何も望まないから、どうか、それだけは……


「…アリア様、大丈夫ですよ」


 後ろからリネットが気遣うようにそっと声をかけてくれる。


「エルドさんにお任せしましょう!これ以上横暴なことされてたまるものですかっ。きっとエルドさんなら、どうにかしてくださるはずです。…ね?元気出してください、アリア様。それに何があっても、このリネットだけはずっとおそばにおりますよっ」

「……ふふ。…そうね。ありがとう、リネット」


 自分の胸をトンと叩いて励ましてくれるリネットに、私も精一杯微笑んで応えた。


 その唇が、少し震えた。






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