4.涙より儚く


 4.涙よりはかな



「古い古い童謡なのよ、『闇泳の魔物』っていうのは。呪文としての効力も持ってない、子供に夜の恐ろしさを教える為の、ただのうた


 我は闇を泳ぐ魔物。

 夜闇の中で生まれ、朝陽を浴びて死ぬ。

 我は闇を泳ぐ魔物。

 束の間の生と死を繰り返すもの。


「亡くなった女性の傍らの地面にその名前と、その一節が彫られていたって聞いたわ。だけど、そんなことは一度きり。被害者は一人だけ。

 ここって泥棒は多いけど、街中で人を殺せるほど度胸のある悪党はいないのよね。そういう理由もあって、犯人の特定が難航しているのよ」


 我は夜を泳ぐ魔物。

 黒き糸の流れぬ者よ、

 ゆめゆめ闇を覗くことなかれ。


「女性の死因? 頭を強く打ちつけたことだったみたいよ。当然、凶器は持ち去られていてね。魔法を使っての犯行だったなら、もっと話は早かったんでしょうけど……」


 我が姿のみにくさに、

 憐れみの涙が伝うであろう。


「……涙を流させるだけの、孤独な魔物、ね」


「あら? 何だか憐れんでいるみたい」


 酒場を離れて情報を売りつけにきた女は、意外、とばかりに瞳を見開いた。


「まさか、」


 男はもう一枚、金の硬貨を投げ渡す。弧を描きながらくるくると、硬貨の裏表が等分に、街灯のぼやけた光をはね返し、


「涙を流させること自体、重罪ですから?」


 女がそれをキャッチする頃には、男はスポットライトの下から消えていた。

 女は、それ以上はついてこなかった。


 売られたのが情報だけで良かったーと、心の底から安堵しつつ、男はふと目に止まった路地裏に、するりとその身を滑り込ませた。


 汚れも気にせず壁に凭れ掛かり、


(母さん、知ってたのかな。

 ……や。知ってたんだろうなー、多分。優しいなー、息子想いだなー、マジで大好き)


 目蓋を閉じて深呼吸をひとつ。空気の匂いも質感も重みも、聖都とはまるで違っていた。


(夜闇の濃い街。ギルドはあるが、抑止力になるような大輪の花は咲いてない。


 恐らく、目的は盗みだったんだろーな。人を死なせるつもりは毛頭なかったし、死なせちまったことには少しばかり罪悪感を覚えた。だから何も盗らず、メッセージだけ残して消えた。


 あの詩が意味するのは次回への警告なんかじゃなく、一度きりの過ちへの子供じみた言い訳。馬鹿だなー、メッセージなんて残さなけりゃ、そもそも人の手による殺害だってバレなかったかも知んねーのに。


 つーか、変なの。盗みだって立派な悪事で、償うべき罪には変わりねーのにな)


 意識を研ぎ澄ませ、一段階、潜る。


 そこは瞳で見る世界ではなく、心で見る世界。

 生物の内側であり、大地の内側。

 万物を構成する七色の魔力が流れる領域。


 街全体を俯瞰し、男は目当ての「星」を探す。


(んー……あれっぽいな。逃げ回るのに丁度いい、風属性の翠色。「闇泳の魔物」の名前出して、話聞かせてって頼んで、背中向けられたら特殊結界にぶち込んで。特殊結界の構造は……)


 男の思考は、そこで止まった。


 爪先を浮かせ、とん、と下ろす。足裏から地中に潜った紅色の魔力が、糸の如く細く伸びてターゲットへと直走り……すぐに地表を音もなく突き抜けて、痩せ細った右の足首に絡みついた。


 脚を前に投げ出して座っているにも関わらず、ターゲットが「糸」に気づく様子はない。


 男は意識を浮上させ、目蓋を開けた。


(マーク完了、要観察と。で、夜明けが来たら報告も兼ねてもう一回、依頼主んとこ行こ。

 母さんを悲しませて泣かせて、愛情を取り合う眷属ライバルを生ませねー為には……正しく裁く為には、もうちょい材料が要る)


 にゃー、と猫の鳴く声がした。


 男が静かに視線を向けると、路地裏の奥に、蜂蜜色の瞳が2つ浮かんでいる。男は酒場の客達に向けたように如才なく笑い、


「わりーわりー、縄張りに勝手に踏み込んじまったらしいな。とっとと退散するよ」


 謝罪の言葉を残して、ふらりと通りに戻った。


 行く先は、足が辿り着いた先。

 宿は取っていない。休む必要がないからだ。


(母さんが人間を想って流した涙から、俺は生まれた。んなおれよりも脆いんだから、)


 男はただ、歩く。

 規則的な足音を響かせ、ただただ、夜を歩く。


(つくづく儚いもんだな、命ってのは)

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