5「女神のスキル」


 それは、転生をする以前の記憶。一番最初の、死の記憶だ――。



 ――燃えさかる街の中、僕は呆然と立っていた。

 魔物の恐ろしい雄叫びと、人々の断末魔が止めどなく聞こえてくる。綺麗だった街並みは魔物により破壊され、空から降り注ぐいくつもの炎に焼かれていた。

 この世の終わりだ。僕はその場にへたり込んで動けなくなってしまう。


 だけど、絶望には果てが無く、さらなる底がある。

 僕の目の前に――破壊の元凶、魔王が降り立った。


 魔王は人の姿に似ていた。しかし大人の人間の倍の背丈があり、闇そのものをマントのように纏い、炎のような赤い髪を揺らし、金の瞳が禍々しく光る。人に似た人ではない異形。悍ましい、魔物の王――魔王。


 あぁ――気を失ってしまえばいいのに。もしくは狂ってしまえばいいのに。そのどちらもできず、僕は情けない声を上げた。


「た…………助けて、勇者…………」


 この世界には、特別な力を持つ『勇者』と呼ばれる冒険者が魔王を倒す旅に出ていた。世界を救うために各地で戦っているという。


「なんで……来てくれないんだ……?」


 特別な力があるのなら、今すぐに飛んできて魔王を倒してくれ。街を救ってくれ。そのために戦っているんだろう? それなのに――なんで、助けに来ない?


 魔王が腕を振り上げると、その手の中に漆黒の剣が現れる。

 怪しく光る金の瞳が、怯えきった僕の顔を見た。


 僕の身体はすでに死を受け入れている。まったく力が入らない。だけど、口だけは動いた。


「ゆ……勇者ぁ! なんで、なんで来ないんだよ!」


 悲鳴のような叫びに、しかし魔王は一切表情を変えなかった。そして躊躇いも無く剣を振り下ろす。

 灼熱のような熱さと共に、僕の意識は赤く、黒く、染め上がっていく。


(勇者は助けに来なかった。僕は死に、街も滅びる……)


 助けてくれなかった勇者を恨みながら、僕は死んだ――。



 ――今ならわかる。そんな恨み、勇者にとっても理不尽だろう。

 勇者の身は一つ。突如現れた魔王から街を守れなんて無茶なのだ。

 転生して、何度も魔王と戦って、僕はそれを痛感した。まさに、死ぬ痛みで。


 だけど、それでも僕は願ったんだ。助けもなく、理不尽に殺されて。

 強く、熱く、暗く、痛く、固く、ぶつけ、焦がれ、沈み、抉り、渇望した。


『ですがラック、忘れてはいけません。あなたの最初の願いを――』


 忘れるはずがない。――そう、思っていた。

 でも一番最初に願った、その時の想いは霞んでしまっていたようだ。


(魔王を倒す。その願いと想いは、今も、今だって、僕の中で燃え続けている――)




          * * *




「……魔王を、倒す……ぐぅぅ!」


 うめき声を上げながら僕は目を覚ました。

 硬い石の床の上に寝ていた僕は、状況を把握するのに数秒を要する。

 最初にわかったのは――生きている!!


「魔王、ミマス――ぐあっ!」


 起き上がろうとして、左腕に激痛が走った。そうだ、僕の左腕は――聖剣は……。


「まだ動くな! くっつかなくなるわよ!」

「っ……セトリア、さん?」


 傍らで膝をついたセトリアさんが、僕の左腕を掴んで回復魔法をかけている。


「――! くっついてる!?」


 切り飛ばされたはずの左腕が、少なくとも見た目にはくっついていた。

 ただ感覚が無く、動かすこともできない。


「この魔法は時間がかかるのよ! 終わるまでじっとしてなさい!」

「で、でも――状況は!」


 時間のかかる回復魔法を、今どうして使えている? エルナは? ケンツは?


「ラック! わたしならここにいるよ! よかった、目を覚まして……」

「エルナ……?」


 寝ている足もとの方から声が聞こえて、視線を向けると――エルナは背中を向けてしゃがみ、前に腕を突き出している。髪は長いまま、色も紫から戻っていない。

 そしてそこから紫色の魔力が溢れ出し、防御魔法、いや結界のように僕らの周りを囲っていた。


「これは……」

「あんた、生きてるのはエルナのおかげなんだからね。一生感謝しなさい」

「エルナが? い、いったい、なにを……」

「えへへ。あのね、わたし……全部、わかっちゃったんだ。魔力の秘密。そしてね、ラックが教えてくれたから。この石は魔力を制御して調節するアイテム。だからこうやって守ることもできるようになったんだよ」


 魔力の秘密が全部わかった……? 確かに、今のエルナの魔力はただ溢れ出ているだけじゃない、魔法に近づいている。宝珠のおかげもあるんだろうけど、それだけじゃなさそうだ。なにか、調節のコツのようなものを掴んだのか。


 とにかく、今はエルナに守られている。そしてまだ戦いは終わっていない。


「セトリアさん、ミマスは? ケンツはどこにいるんですか?」

「あいつならミマスと戦っているわ」

「え……まさか一人で!? そんな無茶な!」


 思わず体を起こそうとして、セトリアさんにグイっと押さえつけられてしまう。

 僕は必死に顔だけを動かしてエルナの向こう側を見る。

 すると――


「どうした、剣士よ。我の剣を2、3本折ったところでなにも変わらぬぞ」

「くそっ……! せっかくすげぇ切れ味の剣なのに、本体に全然入らねぇ!」


 切り結ぶケンツとミマス。ケンツの手には見慣れない漆黒の剣。片刃で細い、反った形の刀と呼ばれる異国の剣だ。ケンツの物じゃない。

 なんだ、あの剣は。薄っすらと紫色の魔力で覆われている? あの魔力はまさか……。


「ラック、わたしね。もう一つことがあるんだ」

「え……?」


 エルナがそんなことを言い出す。できた、こと?


「ラックが斬られたのを見た時……わたしも戦う力が欲しいと思った。魔力をぶつけるだけじゃ勝てないなら、あいつを斬れる武器が欲しいって願ったの」


 背中を向けたまま、エルナは僅かに俯く。だけどすぐに顔を上げ、振り向いた。


「そしたらね――できちゃった! あいつみたいに、手から剣を生み出せたの!」

「――――!!」


 手から、剣を? ミマスみたいにだって? リペアボックスが使えるってことか?


 ――いや、違う。エルナの中に武器が収納されていたはずがない。

 別のスキル? そんなことができるのは……。


「生み出した剣、わたしの魔力を使ってるみたいね。すごい剣なんだよ。わたしじゃ扱えないから、咄嗟にケンツくんに渡して、戦ってくれてる。だからラックを助けたのは、本当はケンツくんなんだよ」

「なっ……エルナの魔力を、使って……?」


 僕は耳を疑った。

 信じられなかった。何故なら、そのスキルは、


「……ドレインスミス……」


 

 今、エルナの手にある宝珠を創り出したスキルなのだから。


(これはそういう運命なのか? それとも、やっぱりエルナは――)



「ラック、あんたやっぱりなにか知ってるのね?」


 そう言って、セトリアさんが僕の左腕から手を離す。回復魔法による治療が終わったみたいだ。だけど、まるで自分の腕じゃないみたいに重たい。ゆっくりとしか動かせず、思うように動かせないのがもどかしい。でも腕を失うところだったのだ。くっついただけでもありがたい。


「ありがとうございます、セトリアさん。腕をくっつけちゃうなんて、本当にすごいですね」

「すぐに治療できたからよ。時間が経っていたら失敗していたわ。……それより答えなさい。あんたはなにを知っているの? あいつの名前を知ってたり、武器を出す力のこともわかってる風だったわ」

「…………」

「私の支援魔法の、私しか知らないはずのことを知っていた。今だってドレインなんたらって呟いていたのが聞こえたわ」


 思わず名前を口にしてしまったの、やはり聞かれていたか。


「どうせ、あれも知ってるんじゃないの?」

「え……? あっ!!」


 セトリアさんに促され、戦闘中のケンツを見る。

 ミマスと斬り合い、剣と剣がぶつかり合うとそこから影の斬撃が発生し、ミマスに襲いかかる。


(やはり、以前見たあれは――マナエッジだったんだ)


 斬撃の挙動が少し違う気がするけど、間違いないだろう。


 ケンツはマナエッジをかなり使いこなしている。

 ただ、それでもミマスとは差がある。マナエッジの影の斬撃をすべてを避け、あるいは叩き伏せ、対応してみせるミマスの剣技はレベルが違う。


「さあ、早く話しなさい! ――時間がないのよ!!」

「っ……」


 確かに、このままではケンツがやられる。手数のおかげで今は互角の勝負をしているように見えるけど――ミマスは明らかに本気を出していない。いずれ押し切られる。そうなる前に、僕らがなんとかしなくてはいけない。

 聖剣は失われてしまった。だけど、僕らにはまだ――。


「……セトリアさんの支援魔法。ケンツが攻撃のたびに出している影の斬撃。そしてエルナの、魔力から武器を作り出す力……。それらはすべて、神が授けたスキルなんだ」

「神が授けた……スキル、ですって?」

「僕は……昔、そのスキルを使ったことがある。今は訳あって使えないんだけど、知っているんだ。それがどんなスキルなのか」


 今は転生のことまで話している時間がない。セトリアさんも不審そうな顔をしているけど、詳しく話している時間がないことは当然わかっている。突っ込んでこなかった。


「じゃあ教えなさい。スキルのこと、私のこれについて詳しく!」

「逆に、質問です。セトリアさん、支援魔法だと思ってたそれ、何種類効果がありますか?」

「何言ってるのよ、これで使えるのは体力を無尽蔵に――……まさか、複数あるの?」

「はい。そのスキルの名前はファイブナンバーズ。5種類の支援効果を付与できます」

「――! なんてこと……考えもしなかったわ、支援魔法のことなんて」


 あぁ、そういうことか。セトリアさんは回復魔法を極めたいと考えている人だ。ファイブナンバーズをただの支援魔法と思っていた彼女は、偶然使えた一つ目の効果しかないと思い込み、その力を追求しなかった。


「ラック、だったら他の4つの効果を教えなさい! 今すぐによ!」


 セトリアさんが胸ぐらを掴んでくる。左腕が上手く動かないせいで抵抗できない。


「う、落ち着いて……! 実はそのスキル、僕が使ってたのと少し違うんですよ!」

「なんですって?」

「たぶん、使う人によって変わるんだ! 僕の場合は自分にしか支援効果を付与できなかったし、一つ目の効果は単純に身体能力の上昇でした!」


 セトリアさんのように体力を無尽蔵にする効果はない。


「……私は逆よ。自分に使えないのよ、これ」

「そう、なんですか? ……だったら、危険ですね。残りの効果も全然違う可能性が高い」


 ファイブナンバーズの支援能力は強力だけど、試す時間は無い。ぶっつけ本番になる。そしてこの場で役に立つ効果が発動するとは限らない。


(いや、でも……あれなら。4番目の効果なら、もしかしたら――)


「ねぇラック! わたしは? わたしのスキルはどうなの?」

「エルナはドレインスミス。もうわかってると思うけど、魔力から装備品を作れるんだ」


 だけどおそらく、これもなにかが違う。でも武器を作れるのはわかっている。


 ファイブナンバーズ。ドレインスミス。そして制御し始めている、エルナの魔力。

 ――これだけのピースがあれば、魔王ミマスに勝てるかもしれない。



「エルナ、僕はもう動ける。防御を解いて」

「え、いいの? あいつ、こっちに来るかも……」

「構わない。防御を解いたら剣を作って欲しいんだ。僕が使う、最強の剣を」

「――! そっか、それであいつを……うん! わかった!」


 エルナは魔力の放出を止めて、僕の側まで下がってくる。横に並んで、胸の前で手のひらを合わせた。


「ね、名前、ドレインスミスだっけ?」

「うん。少なくとも僕が使ってた時は」

「いつの話なの? それ。っていうツッコミは後にするね!」


 ……助かる。これ、あとでどう説明するかな。いや、そんなことは生き延びてから考えればいい。


「いくよ……」


 エルナが目を瞑る。長く伸び紫色に染まった髪が微かに光り、浮かび上がった。だけど身体から魔力が漏れたりしない。代わりに、合わせた手のひらから時折バチバチと魔力が爆ぜる。


「あいつを倒せる剣を――ラックが魔王を倒せる剣を出して! ドレインスミス!」


 ズォ……!!


 開いた手のひらから、突起が現れた。それは剣の柄。すぐにそこから剣身が見え始める。黒く禍々しい歪んだ剣身だ。普通の剣より長く、柄に嵌められた紫の玉石から魔力が吹き出し、全身を覆っていく。

 魔剣。その姿は、そう呼ぶのに相応しかった。

 エルナはその剣を抱え、僕に差し出そうとする。だけど僕は、彼女と共にその剣を握った。


「エルナ、まだなんだ。ドレインスミスはただ創り出しただけだと、その戦いが終わった後に消えてしまう。でもその前に、創り出した時の10倍の魔力を込めることで、武器は消えなくなって、力も強くなる」

「えっ……10倍?」


 僕は黙って頷く。


 そう、魔力制御の宝珠もそうやって創ったのだ。

 あの時、普通に創るだけでも僕の魔力じゃ足りなかった。10倍なんて不可能だった。

 だから――使った。あの地下研究施設にあった、マナの貯蔵庫。残っていた分だけでは足りず、新たに魔物から抽出しなければならなかったが、必要分をかき集めた。

 そしてそれを自分に注入したのだ。身体が破裂しそうな激痛が走った。頭が破壊されて狂いそうだった。

 でもそれはスキルを使って消費しながらだ。僕は魔力を通していただけ。あの子は、幼馴染みだった彼女は、それを自分の中に留めたのだ。

 苦しさは、痛みは、こんなもんじゃない。これくらい耐えてみせろ――。

 そう思い、堪えながら。ようやく宝珠が完成した。

 ……思えば、僕の身体はその時すでにボロボロになっていた。彼女のような大量の魔力を蓄える器がなかった僕には、死んでもおかしくない、死ぬほどの無茶だったのだ。


「ラック――?」

「あ、ごめん。うん、10倍なんだけど――」


「ぐあああっ!!」


 エルナにドレインスミスの説明をしていると、吹っ飛ばされたケンツが僕の横に転がってきた。握っていた黒い刀がフッと消えてしまう。

「――ケンツ!」

「くっそ、あの野郎、わかっちゃいたけど全然本気出してねぇ!」


 見たところ大きな傷はなさそうだ。僕は視線を前に向ける。

 そこには、紅蓮の炎を鎧にし、巨大な剣を担ぐ魔王ミマス。


「くっくっく、いいぞ、それだ! その剣だ! 時間をくれてやった甲斐がある!」

「――! お前、まさか……!」


 エルナが黒い刀を作り出したのを見て、より強い剣を出すのを待っていた?

 だから本気を出さずにケンツと戦っていたんだ。


「チッ、余裕かましやがって! 後悔するぜ!」


 ケンツもそれに気付き、悔しそうに悪態をつきながら立ち上がる。

 ミマスはそんなことなど気にせず、僕らが持つ魔剣を指さした。


「しかも、まだ強くなるのか? だったらやるがいい。待ってやるぞ」

「……ああ、そう。わかった、やらせてもらう」


 その余裕が命取りだ。……言ってやりたかったが、今は余計なことは言わない。

 すべては、勝った後だ。


「よし、エルナ。さっきの続きだ。10倍の魔力が必要になるんだけど」


 ここで僕は間違いに気付いた。先に説明するべきだった。この魔剣、エルナが全力で創ったのだとしたらもう魔力は――。


「うん。10倍でいいの?」

「……え?」

「いいんだね。――――あのね、わたしの魔力、まだまだぜんぜん残ってるよ」


 そう言ってエルナは、魔剣に魔力を流し込み始める。

 ――いったい、どれほどの量の魔力があるんだ。底が見えない。

 エルナは僕の方を見て、言葉を続ける。


「ラック、さっき言ったよね。魔力の秘密、全部わかったって」

「あぁ……え? それって」

「邪龍の呪い、でしょ?」

「――――!!」


 どうしてそれを、エルナが知っている?

 呪いだということは知っていた。だけど、邪龍のことまでは話していない。フィンリッドさんだって話す暇が無かったはずだ。

 僕はセトリアさんに視線を向ける。彼女は夜中にフィンリッドさんから聞き出したと言っていた。だけど――驚愕している。彼女が教えたわけでもないようだ。


「さっき魔力が暴走しかけて――思い出しちゃった。赤ちゃんの時に、お父さんとお母さんが話していた、その内容まで。全部」

「え……な、内容まで?」


 呪われた。そのひと言だけ覚えていたというのも、信じられない話なのに。

 内容まで全部、というのは……。


「お母さんたちも、わたしの記憶に残るなんて思わなかったんだろうね。でも、わたしは思い出した――」


 そう言ってエルナは、思い出したことを話始めてくれた。


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