恋バナ

認知症診断から三年が過ぎた。この頃は、もう麻衣や啓介の名前もわからない。自分の息子だとか嫁だとかもわからなくなっていた。


階段を降りてきた富士子ちゃんに

「どしたー?」

といつも通り声を掛ける麻衣に

「すみません、ちょっと・・・子どもの前じゃ恥ずかしいから」

と小声で言い手招きをする。

「うんうん、二階に行こうか~」

と富士子ちゃんの部屋へ行くと、椅子に座り話し始めた。

「ねぇ、結婚するって言ったらどうする?」

「んん?誰が?」

驚く麻衣に

「わ・た・し・よ。こんな年だけど」

頬が赤い・・・大真面目に言っている。

デイサービスに良い人がいるのか?

「やさしいしぃ」

と恋バナする八十五歳。

「その人のお名前、なんていうの?」

と聞くと

「それは、まだわからないわよ」

「何歳くらいの人?」

「わからないわ」

「そうか~でも、素敵な人がいるのね。デイサービスに行く楽しみが出来て良いね」

と言うと嬉しそうな顔をした。これで終わる話かと思ったらそうではなかった。

一週間後、デイサービス帰宅後に全く同じ流れで、結婚の話を啓介が聞いた。

啓介は

「そんなん無理だろー。お母さん何歳だよ?自分も相手も要介護だろう?」

と真面目に答えてしまったもんだから大激怒!

「じゃぁ、あれはなんだったのよ!あなたの話が本当なら、あれはやりすぎよ!」

と泣き崩れてしまった。

「富士子ちゃん、あれはやりすぎよって、何されたの?」

って聞いたら、顔を真っ赤にして答えてくれなかった。啓介と麻衣は、次また結婚ネタ出たら応援してあげようねと決めた。


【認知症あるある】

デイサービスから帰宅後の着替え。

パジャマのズボンに腕を通して着ようとする

「それじゃ着れないよ。ズボンだから足に履こうね」

というと

「そんなことない!」

と断固として拒否。そのまんまやらせてみたら着れないので納得。

「靴下履こうね」

と声かけると、メガネを外して足に履こうとする。顔にかけたら見えたので納得。

帰ってきたのに「帰りたい」と帰宅願望。

「お食事用意しちゃったから、食べてって」

というと、ご飯食べて、帰宅願望は忘れる。


前回の結婚ネタから、一ヶ月。

いつも通り富士子ちゃんに朝食を運ぶと

「ねぇ、うちのダンナ、下に行ってない?」

と聞いてきた。

前回は結婚したいって話だったのに、今朝はもう結婚していた。朝から吹き出しそうになりながらも

「さっき散歩に行ったよ~。先にご飯食べててだって」

と麻衣は適当に話を合わせる。

「あら、そうなのね」

と、納得したのか、しばらく窓から外を眺めていた。


「嫌」「嬉」というような感情は、しばらく残っているようだ。


 この三週間後、富士子ちゃんは部屋で転倒し後頭部を4針縫う怪我をしてしまった。

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