噂の魔女(7)
自分の体を鍛えることと、サイベリアン王国の軍を強くすることにしか興味のないスクーカムが、いくら猫のかわいさを口で説明したとしても埒があかないだろう。
(猫のかわいさを理解した上で、離宮に赴いて欲しかったが……。もうこうなったら、実物を見せてその素晴らしさを分からせるしかなさそうだな……)
かなり危険な方法に思えたので、できれば避けたかった。
スクーカムほど強靭な精神の持ち主でさえ、猫を初めて見た時には卒倒しそうになったのだ。なんとか耐え忍んだものの、猫のかわいさを想像すらしていない状態でのこの一般兵士たちが、果たして正気を保っていられるかどうか。
しかし彼らは猫のいる離宮を警備しなければならない。猫に慣れてもらうためには、早めに猫と対面して耐性を身につけさせておかなければ。
「よし。それなら今から離宮に赴き猫を見に行こう」
「えっ。猫にですか?」
「魂を取られたり、呪いをかけられたりはしないのでしょうか」
スクーカムの提案に、難色を示す兵士たち。
「だから、悪魔の使いではないからそんなことはないと言っただろう。……まあ、骨抜きにされることは間違いないから魂の心配はしてもいいかもしれぬが」
「よ、よくわかりませんが。猫が悪魔の使いではないということでしたら……。承知いたしました」
こうして、猫のかわいさについて理解できなかった兵士たちを引き連れて、スクーカムは離宮へと赴いた。
玄関を開けると、ソマリがコラットを連れて出迎えてくれた。
「あら、兵士の皆さまいらっしゃい。今後警備をしてくれる方たちよね? よろしくお願いいたします」
ドレスの裾を持ち上げ、恭しく挨拶をするソマリ。
夜空に輝く星のごとく美しい金髪に、青空のように澄んだ瞳。アクの無い美しい顔には、柔らかい微笑みが浮かんでいる。
ソマリの美しさを間近で見た兵士たちは、自然と頬を緩ませその場で跪いた。そして警備のリーダーの兵士が、こう言った。
「お初お目にかかります、ソマリ様。ソマリ様の身の安全は私どもにお任せ下さいませ。その他、雑用等ございましたらなんなりとお申し付けください」
「まあ、そんなにかしこまらなくて結構よ。私そういう風に敬われるのは苦手なの。気軽に接してくれると嬉しいわ。とりあえず、表をあげてちょうだい」
ソマリはニコニコと微笑んで、気さくそうに告げる。彼女に言われるまま、立ち上がる兵士たち。
そしてソマリが「とりあえず広間の方へ」と兵士たちを案内する。
すると、広間まで移動している間、兵士たちはぼそぼそとこんな話をしていた。
「……こんなかわいらしい方が魔女なわけがない」
「そうだな。兵士風情の我らにもとてもお優しい、心の広い方だ」
「そもそもスクーカム様が選ばれた女性だ。魔女などという下賤な存在なわけはない」
ソマリの美しさと人柄の良さを彼らは好ましく感じたらしく、彼女が魔女だという噂については事実無根だと信じたようだ。
そして、離宮の広間に着いた一同。
広間の真ん中では、ルナとアルテミスが「ミーミー」とかわいらし声を上げながらじゃれ合っている。窓際では寝転んでいるチャトランが日光を浴びながら、体を長く伸ばしていた。
まだ子猫の二匹は突然現れた男たちなど気にしていない様子だし、人見知りしないチャトランもいつも通りのびのびとしていた。
「くっ……。今日の猫たちの姿も精神に来るな……」
思わず掠れた声を上げるスクーカム。
見慣れてきたスクーカムですら、胸が苦しくなるほどのかわいい猫達の姿だった。
そして、生まれて初めて猫を見た兵士たちはというと。
「なっ……!?」
「こ、この生き物は、一体……!」
「し、信じられん! こ、こんな……!」
一様に棒のように立ち尽くし、唖然とした顔をして猫に目を奪われていた。
「え? あ、あの。皆さんどうかしたのかしら?」
兵士たちの挙動不審な姿に、首を傾げるソマリ。
しかしその傍らではコラットが「スクーカム様と同じような感じみたいね……。この国の軍人たちは皆こうなるのかしら」と呟きながら、興味深そうに兵士たちを眺めている。
そして、しばしの間硬直していた兵士たちだったが。
「かか、かかかわいいー! これが猫ですかソマリ様!?」
そのうちのひとりが、軍人としての威厳をまったく感じられない様子でそう叫ぶと、ソマリに対して勢いよく尋ねる。
「え? ええ、そうだけれど」
「これが猫だと……! まさかこんなにかわいい生き物がこの世に存在するとは思いませんでしたっ。これは神の作りし崇高な神獣に間違いない!」
だらしなく頬を緩ませ、断言するようにそう叫ぶ兵士。
すると彼の行動がきっかけで他の兵士も緊張が解けたようで。
「ほ、本当にその通りだ! こんなかわいいが結集した生物が存在するとはっ」
「くっ……。む、胸が苦しいっ。か、かわいすぎるぅ……」
「お、おい! しっかりしろっ。しかし確かにこのかわいさは、神というよりは悪魔的かもしれない……! だがこんなかわいい悪魔なら、俺は魂を捧げても構わないっ」
「猫は人間の上に立つ生き物……。間違いない。俺は猫のためならば死ねる。もう悪魔の使いだろうがなんでも構わぬ」
なんだか危険なことを口々に言いだし始めた。
しかしスクーカム自身、彼らの言い分には完全に同意である。
(仕方がない。だって目の前にいるのは、人智を超越したかわいさを持つ猫なのだから)
「あ、あの……。なんだか表現が過剰に思えるけれど、みんな猫ちゃんを受け入れてくれたってことよね?」
「ソマリ様、そうですね。やたらと危ない光景に見えますが、彼らが離宮を全力で警備していることは間違いないです」
一目で猫に心酔し悶えている兵たちを引きつった顔で眺めるソマリに、コラットが冷静にそう告げる。
すると警備のリーダーである兵士がハッとしたような表情をし、ソマリの方を向いた。
「し、失礼いたしましたソマリ様。お見苦しい姿をお見せしてしまい……」
「は、はあ。別にいいけれど」
「そうでございますか。そこの侍女の方が言った通りでございます。今後全力でソマリ様と猫達を、私どもがお守りいたします!」
意気揚々と兵士はそう宣言した。
「はあ……。ありがとう」
兵士の勢いに若干気圧されながらもソマリがそう答えると。
「優しいソマリ様とかわいすぎる猫達! なんて守りがいのある存在なのだろう! 俺、生きててよかったー!」
「ソマリ様、俺と猫を出会わせてくれてありがとうございますっ。スクーカム様、ソマリ様と婚約していただいてありがとうございますっ」
「猫を知らなかった今までの人生は無駄な時間だったのでは……? く、俺はなんというもったいないことを!」
「もうすべてを投げ捨てでも猫と一緒に居たい……! いや、しかしこの猫とソマリ様をお守りできるのなら、なんという僥倖! 幸せの極み!」
(意識を失う者がいないのはよかった。やはり、サイベリアン王国の兵士たちは精神が強いな)
猫のちょっとした仕草に「体をぺろぺろしているだと!? なんて愛らしい!」「足の裏についているこのかわいい形の物は一体!?」などと叫んではいるものの、ギリギリのところで正気を保っている様子の兵士たち。
そんな彼らの強靭さを、スクーカムは誇り高く思ったのだった。
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