第27話 はじめての魔物と抱いた夢

 アナさんと別れ、リセアさんと共に再び冒険者ギルドへと向かう。そこで簡易な片手剣と皮の防具を借り、それに身を纏う。


「……ぶふっ」


 僕の姿を見て吹き出すリセアさん。


 ……ただまぁ、気持ちはわからなくもない。あまりにも似合わなすぎる。


 とはいえこれがあるのとないのとでは生存率が大きく異なるのは間違いないため、見た目は気にせずこのまま向かうこととした。


 さて本日僕たちが向かうのは、僕がこの世界に転移したあの草原である。名をラピド草原という。

 あまり詳しいことはわからないのだが、なんでもこの辺りは魔素というものが薄く、故に魔物の数が少なかったり、現れる魔物が弱かったりするらしい。


 ……いわゆる初心者用の狩場のようなものか。異世界も案外親切じゃないか。


 道中得意げに説明をするリセアさんの言葉に相槌を打ちながら、僕は内心でそう思う。


 当然だが僕は前世でも、また今世においても戦闘というものを経験したことがない。だからこそ、正直かなりホッとしていた。


 たとえば時折強い魔物が出る場所や、弱い魔物でも大量に発生するような場所では、いくらそばにリセアさんのような強者がいようとも、ビビって何もできなくなってしまうような気がしていたからだ。


 ……でも弱い魔物しか出なくて、その数も少ない。そしてそばには最強のリセアさん。うん、これなら何も恐れることはない。


 そう思い、僕は意気揚々と彼女の後をついて行った。


 ◇


 ……前言撤回。これは無理!!


「おい、なにビビってんだよ! ただのゴブリンだぞ? しかもたった1匹! 片手剣スパンで終わりだろうが!」


「いやいやいやいやいや」


 僕はへっぴりごしで剣を構えながら、顔を真っ青にしていた。


 そんな僕の目前には1匹の魔物がいた。

 緑色の肌に、人間の子供を思わせる体躯、全身にボロ布を巻いたその姿だけならば、恐怖には値しない。

 ただあまりにも醜悪な容貌に、鋭く尖った爪と牙。そしてなによりもその手に血濡れた片手剣を持っていれば、一気に恐怖が加速する。


 たかが1匹。それもこの世界で最弱と呼ばれているゴブリン。それでも初めて魔物と対峙する僕には、こちらを獲物としか見ていないその鋭い視線が、こちらを殺すことなど容易なその剣が、爪が、牙が恐ろしくて仕方がなかった。


 ……ダメだ。思考がまとまらない。自分が殺される未来しか見えない。


 いつの間にかリセアさんの声どころか、周囲の音が聞こえなくなっていた。ただ聞こえるのは、ゴブリンの荒々しい息遣いや醜悪な鳴き声のみ。視界も段々と狭まり、ついにはゴブリンのその姿しか捉えられなくなった。


 そして、そんな僕を嘲笑うように、ゴブリンは片手剣を構え、こちらへと走り出し、その剣を振りかぶった。その姿に──


 ……あっ、死んだ。


 僕は思わずそう思い、瞬間的に目を閉じ──しかし来ると思っていた痛みが襲うことはなかった。

 ゆっくりと目を開ける。すると僕の眼前には、どういう訳か炭化した何かがあった。


 これは……ゴブリン? え、一瞬で燃えた?


 目の前の光景が信じられずに呆然としていると、突然そんな僕の頭部にコツンと軽い衝撃が生じる。

 思わず振り返ると、そこには呆れたように目を細めるリセアさんの姿があった。


「リ、リセアさん」


「……ソースケ。さすがにここまでひどいとは思わなかったぞ。まさか攻撃されてんのをただポケッと見てるだけなんてな」


「すみません。僕もまさかここまで動けなくなるとは思いませんでした……」


 こうして話している今も、バクバクと心臓が早鐘を打っている。

 そんな僕の姿に、リセアさんは疑問を持ったようで、片眉を上げながら口を開く。


「たしかソースケはど田舎出身だったよな?」


「は、はい。そうです」


「っつーことは、今までゴブリンと対峙したことなかったりするのか?」


 ……いや、そんなことあるか? 的な表情ながらにそう問いかけるリセアさんに、僕は視線を逸らしながら呟くように言葉を返す。


「えーっと、ゴブリンどころか、その、魔物自体初めて対峙したというか、見たというか……」


「…………は? えっ、は? まじで?」


 心の底から驚いたとばかりに、リセアさんはその大きな双眸を更に見開く。そんな彼女に、当然僕はこれ以上何も言えないため、誤魔化すように「あはは」と苦笑を浮かべた。


 リセアさんはこちらをじっと見ながらその表情をコロコロと変えた後、諦めたようにハーっと息を吐く。


「……田舎出身って、あんた今までどんなとこ住んでたんだよ……ま、いいか。とりあえず初めて対峙したというんなら、そうだと思っとくとして──」


 一拍置き、再度口を開く。


「ソースケ、今のが魔物だ。それも最弱のな。目的のためにはあれを殺さなきゃならねぇ」


 射殺すような鋭い視線。それは怒りとかそういう類ではなく、暗に「おまえにできるのか?」と問われているようだ。


 僕は視線を下にやる。


 ……正直言うと、少々舐めていた。


 たとえ初戦闘とはいえ、一対一で相手が最弱の魔物となれば、多分やれるだろうと。


 もしかしたら前世で度々目にしていた物語の中で、異世界物の主人公が楽々と魔物を狩っていたため、心のどこかで自分もなんだかんだできるものだと思い込んでいたのかもしれない。


 ……今でも足が震えてる。本当に僕にできるのか。やっぱり、やめておくか……?


 そう弱気な自分が顔を出した──その時、僕の脳内にいくつもの絵が浮かんだ。

 それは僕のマッサージで身体が楽になったと、長年の悩みが解決したと、アナさんやリセアさんをはじめとした幾人ものお客さんが向けてくれた笑顔の数々。


 ……あぁ、そうだった。


 前世の僕の生きがいは間違いなく『マッサージを受けること』だった。


 でもあの日、アナさんの喜びの声を聞いたあの瞬間から──僕の生きがいが誰かに『マッサージを施すこと』に変わった。

 そしてその思いは、リセアさんやそれ以降のお客さんの笑顔を見て、日に日に大きくなっていき──ある時フッと、僕の中に1つの夢が芽生えた。


 ──僕のマッサージで、1人でも多くの人を笑顔にしたい。幸せにしたい。


 ……その夢を叶えるためには、こんな所で挫けていちゃいけないな。


 僕はグッと唇を結んだ。そして未だ心に巣食う恐怖という感情を無理矢理抑え込むと、力強く顔を上げた。


「やれます。だからもう少し力を貸してください」


 僕の声に、リセアさんは表情をフッと緩める。


「そっか。んじゃもういっちょ頑張るか」


「はい!」

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