第8話 はじめてのマッサージ 後編
「では次の……ヘッドマッサージへと移りましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
言って、アナさんは先ほどまでの緊張がなくなったからか、心からの笑顔を返してくれる。
その姿に少しはリラックスできたかなと思いながら「では始めていきますね」という言葉の後、僕は彼女の頭に優しく両手を置いた。
「……あっ」
「……っ!? ど、どこか痛みましたか?」
「い、いえ。あの、頭に手を乗せられることがここ最近なかったもので、その、心地良くて……」
そう言いながら頬を赤らめるアナさん。その姿を見てるとなんだかこちらまで恥ずかしくなってくるが、アナさんが「……すみません、続きをお願いします」と言葉を続けたため、僕は頷き、施術へと戻る。
まずは手で軽く髪をすいていく。
……指通りが滑らか。それに心なしかいい匂いもしてくる。
アナさんとの会話の中で、この世界の一般家庭にはシャワーのようなものはないと聞いている。
では普段どうしてるかというと、基本は水で濡らした布で身体を拭いたり、桶に溜めた水で髪を流しているようだ。
その水はどこから……という話もあるが、そこは今はいいか。
とにかくその程度の洗髪しかしていないようだが、それでもこれだけ髪質と匂いがいいのは、彼女自身の生まれ持ったものなのか、はたまた別の努力によるものなのか。
疑問はあるが、なんにせよこの指通りのいい髪質であれば、マッサージがやりやすくなるため、非常に助かることは事実。
……まぁ、気になることは今度聞こうということで。
そう思いながら軽く髪をすいた後、いよいよヘッドマッサージへと入る。
ヘッドマッサージも、先ほど行った首からデコルテにかけてのもみほぐし同様、頭の筋肉のこりをほぐすことで血流を改善するというものである。
これにより血色の改善や、脳、目などの疲労改善、肩や首のこり改善、リラックス効果……などなど、とにかく様々な効果が出てくる。
実際に何度か施術──いわゆるヘッドスパというものを受けたことがあるが、終わった後の頭がスッキリとしたり、視界が明るくなったりする感覚はなんとも心地の良いものである。
……っていっても、毎回そうという訳ではなくて、やっぱりその人の手腕によるところもあるけど。
僕自身に施術を行なった経験はないが、スキル『エステ』のあの感覚、まるで自身が凄腕セラピストになったような感覚の通りであれば、このヘッドマッサージでも十二分に彼女を満足させられるはずだ。
僕はそう思いながら、まずは側頭部の指圧を行うべく、添える手の形を変えていく。
……手を開いた状態で親指を頭頂部に置き、他の指を側頭部へとおおよそ等間隔に当ててと。
この時、髪の上からではなく、髪を掻き分けてしっかりと頭皮に指の腹が当たるようにするのがポイントである。
その状態で、親指以外の4本の指で円を描くように圧をかけていく。
「……きもちいい」
マッサージを堪能するように目を瞑り、アナさんはポツリとそう声を漏らす。
「ここ気持ちいいですよね。僕もすごく好きなんです」
「……そうなんですね……本当に気持ちいい」
そんな取り止めのない会話を行いながらも、適切な力加減で指圧を続けていく。
……それにしても、側頭部もだいぶ硬いな。
この辺りは歯ぎしりや歯の食いしばりが原因で凝り固まったりするのだが──やはり接客業である以上ストレスがかかるのだろうか。それとも他に何かストレスの原因が?
そんなことを思いながらおよそ数分ほど側頭部のマッサージを続けたところで、続いて前頭部の指圧へと移った。
◇
その後、頭頂部、こめかみ、目元、耳周りとそれぞれ手の形、圧を相応に変えながらマッサージを続けたところで、ようやくヘッドマッサージが完了した。
「……はい、これでヘッドマッサージの方は終わりになります」
僕の言葉を受け、アナさんはこれまで閉じていた目をゆっくりと開けていく。
「いかがでした?」
「なんと言えばいいか……とにかく最高でしたぁ」
ぼーっとしながらそう声を漏らす。
その姿に達成感を得つつ、僕は再度口を開く。
「気に入っていただけたようで嬉しいです。……さて、最後はオイルマッサージを行おうと思うのですが、このまま続けてしまっても大丈夫ですかね?」
「はい、大丈夫です〜」
……本当に大丈夫か心配になるほどの蕩け具合だが、まぁいいか。
「ではやっていきますね〜」
僕はそう言うと、近くの机に置いていた木の容器を手に取り、コルクのような蓋を外す。
そして容器を傾けオイルを少量手に取ると、両手を擦り合わせてオイルを手のひらに広げていく。
途端にふわりと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくる。
……この香りもまた癒し効果が高いなぁなどと思いながら、両肩に柔らかく手のひらを当てる。
先ほどのマッサージの効果か、彼女の肩は多少温かくなっていたが、それでも未だ冷たさは残っている。
そのため、肩に当てた手のひらから、ホットオイルの熱がじんわりと彼女に伝わっていくのを感じる。
「あたたかい……それにいい匂い……」
アナさんは再び目を閉じると、うっとりとした様子でそう声を漏らす。
そんな彼女の姿を目に収めながら、僕はそういえばとふと思う。
今回のマッサージを通して、本来であれば繰り返していく中で会得していくであろう力加減などが、スキルの力で感覚的にわかるようになっていることを理解した。
しかし効果として書いてあった、美肌(極小)、リラックス(小)に関してはどうか。
……この効果っていわゆるパッシブスキルのように、マッサージ中に常時発動しているものなのかな?
疑問に思うも、彼女の姿を見てる感じでは特に発動しているようには思えない。
……リラックスの方はまだしも、美肌というやつが発動してたら視覚的にわかりそうなものだけど……いや、効果が極小だからわからないだけ……?
色々と考えても当然結論は出ない。
そのためとりあえずは行動と、この効果がアクティブスキルのように能動的に発動するものである可能性を考慮し、念のため試してみることにした。
………美肌とリラックス効果〜〜発動しろ……!
うーんうーんと心の中で念じた──その瞬間であった。
……!? 手がひ、光ってる!?
突然、彼女の肩に当てていた手が光り出した。
光といっても、辺りを明るく照らすような力強いものではない。むしろ落ち着くような、淡くどこかあたたさかを感じる──そんな光。
……っと、そうだアナさんは……!?
唐突に発生した光に、アナさんは驚いていないかと彼女の容貌へと目を向ければ、どうやら目を閉じているようで気がついていない。それどころか、これまでのマッサージと今回のオイルの温かさと香りから、ウトウトとしているようだ。
……これなら、大丈夫そうか。
別に気づかれたらそういうスキルを持っていると説明すればいいだけなのだが……まぁ気づいていないのならそれでいいか。
それにしても──なんだか見てると、こっちまで心が落ち着いてくるな。
自身が発しているものでありながら、思わずそう思ってしまうほどに柔らかいその光は、ホットオイルの熱と共にアナさんの肩口に浸透していく。
……これで美肌(極小)、リラックス(小)の効果が現れるようになるのかな?
などと色々と考えながらも、その間手のひらを当て続けていたことで、気づけば彼女の肩は僕の手のひらと同化したかのように温まっていた。
……さて。
ウトウトとした彼女をよりリラックスさせるべく、僕は施術を始めていくとこにした。
まずは彼女の肩当てていた手のひらを外すと、その手を彼女の両耳へと移し、耳たぶあたりを優しく掴んだ状態で、前後にゆっくりと大きく回す。
それをおよそ前後10回ほど行った辺りで、続いて耳の下から鎖骨中央に向かって、手のひらでさすっていく。
──今回行っているのはオイルマッサージの中でも、特にリンパマッサージと呼ばれるものである。
リンパマッサージとは、全身に張り巡らされたリンパ管の中を流れるリンパ液の流れを促進させるマッサージ……だと僕は認識している。
これによりむくみの軽減や、免疫機能の向上、筋肉の緊張緩和、あとはオイルによるストレス緩和、美容効果……などなどこちらももみほぐし同様とにかく様々な効果があると言われている。
以前にも話題に出したように、僕が1番通っているマッサージはオイルマッサージなのだが、その中でも特にこのリンパマッサージへ足繁く通っていた。
理由は様々あるのだが、柔らかく当てられた手指がオイルによって滑らかに滑っていくあの不思議な感覚、ふわりと漂うオイルの香りと温かさ、その全てが僕を包み込み、様々なストレスを溶かしていってくれるようなあの心地良さに魅了されてしまったというのが1番の理由だ。
もちろんその心地良さを感じるだけならオイルマッサージのどれでも良いのだが、リンパマッサージならば上記の心地良さの上で身体のこりを改善してくれるため、昔からこりが酷かった僕はこちらをメインに通っていたのだ。
……と、そんな昔を思い出しつつ、この心地良さを彼女も実感してくれているかな? とアナさんの表情を窺うと、どうやらいつの間にか完全に眠ってしまっていたようで、スースーと可愛らしい寝息が聞こえてきた。
その姿に僕は苦笑いを浮かべつつも、こうして心地良さのあまり眠ってしまうのも含めてマッサージだよなぁと心の中で頷きながら、未だ光続ける手を使い、彼女への施術を続けていった。
◇
それから20分ほど経過したところで、僕は想定していたリンパマッサージの工程を全て終えた。
「これでマッサージは終了となりまーす……って、聞こえてないか」
目前には椅子に姿勢良く座りながらもスヤスヤと深い眠りにつくアナさんの姿がある。
そう、結局眠ってしまったあの時から、一度も目を覚ますことはなかったのである。
……信頼されているのか、それとも熟睡してしまうほどに疲れが溜まっていたのか。……うん、多分後者だろうな。
「……にしてもどうしよ。起こした方がいいのかな?」
僕の内心では、このまま寝かせてあげたかった。
マッサージ中に眠ってしまった時の心地良さを、経験から良く理解しているからである。
……それに、今日の分の仕事は終わったって言ってたし。
その言葉通りであるのなら、このまま寝かせてあげても問題はないのだが──ここは宿屋である。そして彼女はその唯一の従業員でもある。
つまりもし突然お客さんがやってきた際、彼女が眠っていてはその対応をする人がいなくなってしまう。
……でもなぁ。
目前でスヤスヤと眠るアナさんの姿を見てると、どうしても起こすのを躊躇ってしまう。
はてさてどうしようか。僕は悩みに悩み、そしてとある結論に至った。
……よし。もう少し寝かせてあげて、その間は僕が1階で店番をすればいいか。
お客さんが来ないのであればそれでいいし、来たとしてもお客さんの対応をしつつ、アナさんを起こしにいけばそれでなんとかなるはずだ。
「……よし、そうしよう」
そう言いながら、僕は1人うんと頷いた。
そしてそれを実行しようと、ゆっくりと部屋を出ようとした──その瞬間であった。
「……ん、ぁ、あれ?」
突然意識が遠のいていく。
……な、なんで。
咄嗟の事に困惑しながらも、しかしどうすることもできず、僕はバタリと倒れてしまう。
更に意識が遠のいていく。
そんな中で、僕の肩を誰かが揺する感覚と共に、美しい女声が聞こえてくる。
「……ソースケさん!? しっかりしてください!」
僕はその声を受け、なんともしまらないなぁと思うと共に、フッと意識を失った。
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全くシリアスな展開ではないのでご安心を。
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