第3話 アナ

 男の姿が完全に見えなくなるまでそちらへと視線を向けつつ、焦りから乱れていた呼吸を整えていると、女性が早足でこちらへとやってきた。


「あの、突然割り込んでしまってすみません。……その、お怪我はありませんでしたか?」


「はい、おかげさまでなんとか。あ、助けてくださりありがとうございました!」


 マッサージ以外で女性と話す機会などないため、先程とは別の意味で緊張しながらもお礼をすると、目前の女性は柔和な笑みを浮かべた。


「いえいえ、それにしても──」


 そう言いながら先程の光景を思い出したのか、女性は安心したようにフーッと息を吐く。


「本当このタイミングで気づけてよかったです。おそらくあのまま連れて行かれていたら、身包み剥がされていたりと色々と大変なことになっていたでしょうし……」


「身包みを……!?」


 女性の淑やかな声から伝えられる物騒な内容に、やはりあれはこの世界でも危険な場面だったのかと戦慄する。


 ……うーん、異世界に来て舞い上がっていたのもあるけど、それ以上に異世界を甘く見過ぎていたみたいだ。これからはもう少し気をつけよう。


 そう日本で平和ボケした精神を今後は正そうと1人決意を固めていると、そんな僕の姿に何やら違和感を感じたようで、女性は遠慮がちに口を開いた。


「その、失礼ですが、見た所かなり町の常識をご存知でないようですが……もしかして高貴な身分のお方……でしょうか?」


「いえいえそんな! ほんとただの田舎者ですよ」


「まぁ! 随分と勤勉なんですね」


 言って女性は口元に手をやり、驚きからか小さく目を見開く。


「勤勉……ですか?」


「はい、とても熱心な方なんだなと」


 彼女がいう勤勉の表す所、その真意はわからない。

 だがおそらくは町の常識を一切知らない田舎者となれば、そんじょそこらの田舎ではなく、超のつくほどど田舎出身のものとなるはずだが、そんなど田舎出身にしては口調が丁寧とか、物腰が柔らかいとかそんなところだろうか。


 まぁ実際は日本の学校教育のおかげで多少学があるだけなのだが……当然正直にそう話すわけにはいかないため、僕は苦笑いをして誤魔化す。


「いや、あはは……」


 言葉を濁したことで少し変な間が空いたが、女性はそれを埋めるかのようにパンッと手を合わせると──


「あ、自己紹介がまだでしたね。私は──」


 そう自己紹介をしようとし──ここでどうやらこの場所が街道のど真ん中であり、先程の騒動もあってか時折視線を向けられていることに気がついたようだ。途中でハッとした表情を浮かべた後、言葉を続けた。


「──っと、ここではなんですからどこか落ち着ける場所に移動しましょうか?」


「いや、それは……」


 間違いなく親切で言ってくれているであろう女性のそれに、先程危険な目にあったばかりということもあり少しだけ躊躇ってしまう。

 そんな僕の様子からこちらの心情を察したのか、女性は小さく頭を下げる。


「あっ、ごめんなさい。先程危ない目にあったばかりなのに、配慮がなってませんでしたね」


「そんな! 助けていただいた相手を疑ったりは……」


 目を伏せる彼女の姿を受け、僕は咄嗟にそれを否定しようと声を上げ──しかしその言葉も段々と尻すぼみになっていってしまう。助けてくれた恩人を疑うようなことはしたくないが、どうしても先程の経験が足枷となり、その言葉の続きを発することができないのである。


「……すみません」


「いえ、あなたが疑心暗鬼になるのも無理はありませんよ。……うーんと、そうですね」


 こちらの身を案じるように眉根を寄せる女性。それが心の底からのものだと雰囲気から伝わるため、こうして迷惑をかけていることがなんだか申し訳なく思えてくる。


 ──とはいえ疑心暗鬼になってしまったのは事実である。であれば、ここは助けてくれたことに改めてお礼を言った後、ここからは1人で頑張るので大丈夫とそう伝えこの場を離れるのが彼女のためにも最善であろう。


 心の中でそう考え、僕はそれを目前の女性に伝えようと口を開こうとし──それよりも先に女性が空中で何かを操作するように動かした後「ではこれでいかがでしょうか」という言葉と共に、半透明のホログラムをこちらへと見せてきた。


 ……それはまるで町に入る前に開いたステータスのようで──ってまんま彼女のステータスじゃないか!?


「ちょ、見ず知らずの人に見せちゃダメですよ!」


 言って慌てて目を逸らすが、女性はなんの問題もないとばかりに微笑む。


「ふふっ、大丈夫ですよ。もちろん隠す場所はしっかりと隠してますから」


 そんな機能があるのか、というかそもそも他人に見せられるんだ……など様々な思いが頭を巡りつつも、改めて彼女のステータスを覗いた。


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 アナ 27歳 Lv. 5


 体力 11

 魔力 16

 攻撃 5

 防御 9


【スキル】

 『生活魔法 Ⅴ』


【所有】

 宿屋まごころ


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 ……色々と気になるところがあるな。


 レベルや年齢、それに最後の所有という欄。これらは僕がステータスを開いた際には記載のなかった項目である。


 目前の女性──アナさんは先ほど隠すところは隠したと言っていた。ということは、逆に表示する項目も好きに選べたりするのだろうか。まぁ詳しくは後ほど調べれば良いだろう。


 それよりも──改めてこのステータスボードが便利すぎるな。


 思いながら、僕は表示の中で特に気になった項目についてアナさんに問うてみることにした。


「所有、宿屋まごころ……ということは宿のオーナーさんなんですね」


「はい、この近くで……といっても赤字続きの小さな宿ですけどね」


 言葉の後、アハハと自嘲気味に笑い──ここで何かに気がついたようにハッとすると、ジタバタと慌てた様子で手を振る。


「あ、違いますからね!」


「……へ?」


「赤字続きだからといって、このままあなたを連れていって無理矢理宿泊させようとか、そのような魂胆は一切ありませんからね!」


「逆に怪しく聞こえる!?」


「えええっと、あの……っ!」


 思わずツッコんでしまった僕をよそに、慌てふためく彼女の姿からは先程までのお淑やかな様は一切見られない。

 そのもはや疑心を抱くのがおかしくなる程可愛らしいその姿に、僕は思わずプッと吹き出してしまう。


 そんな僕の反応を受け、アナさんは先程よりは落ち着きつつも、されど恥ずかしげに頬を赤らめながら小さく口を開いた。


「と、とにかくこれで信じていただけましたか……?」


 ……異世界である以上疑うのは間違っていないと思う。先程の経験からもこれは間違いない。今だってなぜ彼女が初対面の僕をここまで必死に助けようとしてくれるのかという疑問もある。


 けれど疑いに疑って、結果全てを拒絶しているようでは、当然この世界で生きていくことなど不可能であり、どこかで折り合いをつける必要があるのは間違いない。


 ……まぁ、これで騙されていたら自身の運が悪かったってことで。


 僕は1人心の内でそう結論付けると「もちろん信じますよ」と言葉を返し、ひとまず彼女へと着いていくことに決めた。

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