第3話 覚醒極技《マスターレベル》


「……っだァあ!!!!」

 優希はベッドから飛び起きる。空気が少しひんやりするのは、雨に打たれたかのような汗のせいだ。優希は呼吸を整えるとバスルームへと向かった。


 シャワーが優希の黒髪を艶やかに濡らし、身体の不快感を洗い流す。

「……楽しかったな。」

 優希は左手で剣を握る感覚を思い出す。宮本武蔵との激闘。スキルが限られるゆえに、純然たる剣技が問われる戦いだった。全力で戦える悦びは何にも代えがたい。そして、それを誰かと共有したいと思った。

 優希はモニターを呼び出すと今回のフェスをSNSで検索した。だが、やはりというべきか、結果は芳しくなかった。

『武蔵倒すのムリゲー過ぎ』

『運営テストプレイしてないだろ』

『木刀ナーフしろ』

 掘れば掘るほど不満が出てくる。あれが悪い、これが悪いと、不満ばかりをつぶやく連中ばかり。

「つまんないな……。」

 強くなろうとしない者に興味はない。優希はモニターをそっと閉じようとした。そうしなかったのは、トレンドに表れた自らの名を目にしたからだ。

幽鬼スペクターVS宮本武蔵』

 話題に上がっていたのは武蔵との戦闘を観戦モードで撮影した動画だった。すでに千単位で拡散され、絶賛、嫉妬、憶測、虚偽、さまざまな情報が飛び交っていた。ただ一つ共通するのは、自らのエゴを幽鬼という存在に擦り付けていることだけ。

「見なきゃよかった。」

 いつも後悔するのだが、それでも見てしまう。何かを期待している自分が嫌いだ。


 髪を乾かした優希はキャップをかぶり、ラフな格好で外へ出た。夕日が遠くの空をオレンジに染めている。じきに日は沈む。

 優希はアパートの急な階段を駆け下りる。そして自転車にまたがり、駅の方へと向かった。


 居酒屋「小夜さや」。駅前にあるビルの一階にある、こじんまりとした店だ。そこが優希のバイト先だった。

「お疲れ様です。」

 優希は業務的な挨拶を済ませると仕事着に着替える。これがスイッチだ。優希の顔つきが変わる。


「いらっしゃいませ!」

「へへっ、また来ちゃいました。」

 優希は笑顔で客を出迎える。普段の仏頂面からは想像できない表情。酒の入っていない客の顔がわずかに赤らむ。魔性の微笑みだ。

 だが、優希にとってはどうでもよかった。接客態度が良ければ面倒なトラブルも起きないだろうという、自己防衛に過ぎないからだ。 

 彼女は温かな態度で、機械のように仕事をこなしていく。やることは単調だ。余計なことはしなくていい。だが、客はそうはいかない。

「ネェちゃん注文!!」

 年のいったスーツの男が呼ぶ。優希はすぐさまそのテーブルへ駆けつける。

「ご注文は?」

「いやまぁ、注文っていうと違うんだけどさ、」

 その男はおちょこを手に取って見せた。

「お酌、してくれないかなぁ? ほら、うちのメンツむさくるしいでしょ?」

 そう言って親指で後ろの男性陣を指す。どうやら会社の集まりで飲み会をしているらしい。誰も止めようとしないのは、おそらく彼が一番偉いからなのだろう。

「かしこまりました。」

 とはいえ、ここは居酒屋。この程度なら珍しいことではない。拒んでトラブルになるもの面倒だ。優希はとっくりを手に取り、ゆっくりと丁寧に酒を注ぐ。

「ほら、もっともっと!」

 すでに十分な量が注がれているにも関わらず、その男は催促する。これ以上はこぼれてしまう。そう思い、手を動かさない優希にしびれを切らした。彼女の手首に肘をぶつけ、無理にとっくりを傾けさせた。

 結果は想像通り。こぼれた酒が男のズボンを濡らした。

「あ~あぁ、こぼしちゃってさ。」

「失礼しました。」

 優希はハンカチを取り出すと男に差し出した。しかし、男はそれを受け取らない。

「君がこぼしたんだ。君がふいてくれ。」

 男は足を開き、濡れた股間を見せつける。

「ほら、早く!」

 男は優希の手首をつかみ、強引に股間へを押し付ける。布越しに硬い感触が伝わる。荒い息が耳を撫でる。もはや嫌悪感を通り越して現実味が感じられない。それでも仕事だからと割り切り、目の前の問題を片づけることに徹した。

「いやぁ、悪いね。サービスの行き届いたいい店だ。」

「いえ、失礼いたしました。」

 優希は頭を下げた。

「君、時給いくら? うちで働かない?」

 顔を上げて目に入るのは、男の下品な笑み。

「おっぱい大きいから即採用! 抱かれるなら昇進もさせちゃうよ?」

 優希は顎に手を当て、少し考えた。即答を期待してはいなかったため、男も答えを催促はしない。

「それなら、私より胸が大きい人を紹介しましょうか?」

 優希の提案に男は飛びついた。


「お待たせしましたッ!」

 客の男は口も瞼も見開き、天井を見上げた。

「大山金太郎、十九歳ッ! 胸囲は百二十三センチ、ですッッッ!!!!」

 その男が広辞苑のように分厚い胸筋に力を込めると、耐えられなくなったエプロンの金具がはじけ飛んだ。その金具は壁に柱に反射し、テーブルのとっくりをひっくり返した。

「な、なにしてんだっ!」

 客の男は慌てて手拭きでズボンを拭くが、金太郎がその手首を握って制止する。

「僕にお任せをッ!」

 彼はさわやかな笑顔で指の関節を鳴らした。

「ヒぃッ……や、やめッ……!!」

「アーーーーーッッッ!!!!」

 今日もにぎやかな居酒屋小夜であった。




「お疲れ様ッ! 剣崎さんッ!」

 夜の十時。勤務を終えた優希は金太郎のもとへ立ち寄った。

「お疲れ様です。今日はありがとうございました。」

 一言お礼が言いたかった。でも本当に一言だ。仕事の邪魔をするわけにはいかない。優希は頭を下げたのち、すぐに出入口の方へ足を進めた。

「剣崎さんッ!」

 呼び止められた優希はしっかりと振り向いて目を合わせた。 彼は手のひらを突き出すと、力強く握りしめた。

「次は握りつぶして良いからねッッッ!!!!!」

 優希は心から笑顔を見せた。




――剣戟世界ヴレイン・ヴレイド


「……やっぱりここも現実か。」

 剣を構える幽鬼スペクター。それを取り囲む十の剣士たち。

「厄介な奴から潰す、それが定石だ。」

 両手剣の男が構えると、一斉に戦闘態勢を取る。

 特殊ルール「唯一人の頂イレヴン・サヴァイヴ」。十一人のプレイヤーによる同時開戦が行われ、最後まで生き残った者が勝者となる。

 必要人数が多く、プレイ時間も長くなるのでプレイ人口は多くない。だが、チーム戦ではない一対多の環境は、単純な剣技だけでなく、スキルの使用タイミング、数的有利を得るための交渉術など、複雑な要因が絡み合って成り立っている。それを好むストイックなプレイヤーからカルト的な支持を得ているルールである。

「じゃあ私も定石通りに。」

 その動きを誰も目で捉えることはできなかった。両手剣を持った男の隣にいたプレイヤーが両断されていた。

「二人目。」

 他プレイヤーの理解する暇さえ与えず、また一人心臓を貫かれた。

「散開しろッ!! 距離を取れッ!!」

 両手剣の男が支持を出すと、その通りにプレイヤーが散らばる。

剣術ソードスキル――、」

産まれ墜ちた罰ゼスピアンッ!!」

 幽鬼は剣を逆手に持ち変える。そして大きく振りかぶると、赤黒い閃光と共に、剣が一直線に放たれた。

 それは一瞬。たった一瞬だけ重なり合うタイミングだった。放たれた剣は真っすぐ、確実に三人のプレイヤーを貫いた。

「……嘘、だろ……!?」

 一人目の脱落から約五秒。すでに半数が失われた。勝てない。そう理解してしまう。

「ボーッとしないでッ!!」

 動けない両手剣の男を横目に、レイピアの女が武器を構える。

必殺術ファイナルスキルッ――!!」

 その女は蝶のような翼で高く飛翔すると、その周囲をレイピアが円を描くように取り囲む。

妖精乱舞ティタニアル・ロンド!!」

 そして、女が手に持ったレイピアを幽鬼に向けると、それに呼応してすべてのレイピアが彼女に向けて放たれた。

 だが、それは一本たりとも、掠りすらしなかった。幽鬼が避けたわけではない。意図して外したのだ。

「チッ、勘がいいんだからッ!!」

 普通、攻撃をされれば防ぐか避ける。幽鬼の場合は軽装備なので避ける一択となる。だから、攻撃を避けようと動くことを想定し、わざと今いる位置以外を重点的に攻撃したのだ。

「勘じゃない。見ればわかるから。」

 幽鬼は腐るほどあるレイピアを一つ引き抜くと、自らの足元に突き立てた。

黒影潜転シャドウダイバー、私が気づかないと思った?」

 眉間を貫かれた男は影に溶け、足元に血だまりを作る。それに浸る前に幽鬼はレイピアの檻から抜け出した。

 残りの敵は四人。だがそこに敵はいない。

「残り三。」

 勇敢にも立ち向かってきた男を幽鬼はノールックで切り捨てる。

「こうなりゃあ、やってやる……!!」

 両手剣の男が構える。だが、その手から剣が音を立てて落ちた。

「な、……ぜッ……!?」

 剣が心臓を貫き、刀身が前へ姿を現す。背後からの奇襲だった。

「なぜって……こういうルールだろ?」

 両手剣の男の身体が蹴り飛ばされると、その正体が二人の前に現れる。

「さて、幽鬼スペクター。俺と一対一サシでやろう。」

 現れた男は誰もが目にしたことのある姿だった。だが、決して名の知れた人物という意味ではない。

「はぁ? 初期装備のアンタがフザけたこと言ってんじゃないわよ。」

 その男の装備はごく一般的な剣士の服装だった。革の防具、鎖帷子くさりかたびらと、防御には心もとない。剣も癖こそ無いものの、特徴もない凡庸な片手剣だ

「幽鬼を倒すのは私なんだからッ!!」

 蝶の女はレイピアを構え突進する。

剣術ソードスキル――!!」

妖精遊戯フェアリーテールッ!!」

 レイピアの一閃。しかし、それは一度に留まらない。上下左右、縦横無尽に幾度となく刃が躍る。

 だが、その一つたりとも男を切り裂くことはなかった。

「……は?」

 全ての攻撃がたった一撃で遮られる。男はレイピアの付け根を狙い大きく切り上げた。動きの読めぬ妖精遊戯を完全に見切っていた。

 手を離れたレイピアが回りながら宙を舞う。そしてそれが落ちるよりも速く、男は蝶の女を切り払って除けた。彼はそのまま剣を手放す。

「ちょっと借りるぞ。」

 男は重力に引かれたレイピアを掴むと、横へ一振りして感覚を掴む。

「じゃあ、やろうか。」


 先に仕掛けたのは幽鬼だった。得意の突撃戦法で一撃必殺を狙う・

「思ったより遅いな。」

 裏切りの男はあえて引きつけ、紙一重で避けて見せる。その動きは最小限であり、ほとんど立ち位置は変わらない。磨き抜かれた回避技術だ。

「思ったより強いね。」

 空振りした幽鬼は突進のエネルギーを回転エネルギーに変換し、勢いを相殺して着地する。

「まぁ、当然か。」

 幽鬼は切っ先を向け、不敵に笑う。

「初めましてだね、勇剣ヴレイブ――。」

 裏切りの男は、それを肯定しない。だが否定もしなかった。ただ静かに構えを作る。

「光栄だが、人違いだ――。」

 男は右向きの曲線を描きながら急激に加速、接近する。剣を中段に構え、常に自らと相手の間に剣のある状態を作る。相手の攻撃を警戒した、防御重視の接近だ。だが、それだけではない。

(面倒なことを……。)

 左利きの幽鬼にとって右側面からの攻撃は防ぎづらく、反撃しにくい。裏切りの男は立ち回りだけで優位を作り出したのだ。

剣術ソードスキル――、」

 男の剣に青いオーラが纏う。

一撃両断スラッシュッ!!」

 それは初期スキルの一つ。剣に力を込め、振るう。ただそれだけの剣術である。発動が少し遅いものの癖がなく、威力も高いため初心者には扱いやすい。もっとも、上位互換と言えるスキルはいくらでもあるため、もはや初心者でも使うことはない。

 だが、裏切りの男が放ったそれは、もはや同じものではない。幽鬼は瞬時の判断で回避に徹底し、低く跳躍して距離を取った。放たれた一撃が空気を震わせ、衝撃が大地を荒野に変える。

覚醒極技マスターレベル……!!」

 スキルには潜在能力が秘められている。完璧な構え、動き、タイミング……。全てが完璧に行われた瞬間、スキルは覚醒する。だが、これには途方もないほどの鍛錬必要とし、個々人の持つセンスに左右される。たった一つでも覚醒させたなら、それだけで天才の領域といえる。

「……正体隠す気は無いの?」

「練習すれば誰でもできる。」

 回避から一転、攻撃に回る幽鬼。流石に今度ばかりは男も回避はできなかった。だが、幽鬼の刃も到底届く状態ではない。

 その後も一進一退の攻防が続く。ハイレベルな攻防。それゆえに戦況が硬直していた。そして、ついに幽鬼が動く。

戦術タクティクス――、」

闇夜の騎士ボーンデッド・ナイト。」

 空間を切り裂いて、闇の淵から騎士が現れる。首は無く、鎧の隙間から骨が覗いている。右手には片手では持てぬような大剣。そして、それを支える屈強な黒馬の脚を携えていた。

 騎士は重い足音を轟かせながら裏切りの男に接近する。そして、大きく大剣を空へと掲げる。愚直ともいえる大振り。だが、その威力は想像に難くない。

 ついに剣が振り下ろされる。刀身が男に迫る。残り五十センチ。二十センチ。十センチ……。 

防術ガードスキル――、」

反射障壁リフレクトッ!!」

 完璧なタイミング。この男は再び覚醒させようとする。

剣術ソードスキルッ――!!」

「何ッ――!?」

 幽鬼が騎士の影から姿を現す。男は騎士の相手をしていたものの、決して幽鬼から目を離していない。だが、黒影潜転シャドウダイバーでの接近ならば関係ない。

幻影呪刺ファントムペインッ!!」

 幽鬼の剣先が反射障壁に触れる。そこから少し遅れて、赤い刺突が男の右肩を貫いた。

「ぐゥあッッッ!!!!」

 衝撃で男の身体が弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。それでも男は立ち上がろうとするが、幽鬼はすかさず距離を詰めると、馬乗りになって首筋に剣を突きつけた。

「……まさか、必殺術ファイナルスキルを……捨てていた、とはな。」

「使うような相手はいないと思ってたから。」

 それを聞いて男はフッと鼻で笑う。

「正、体を明かして……いたら、結果は違った……ってわけか。」

「それでも勝つから。」

 幽鬼は男を真っすぐ見つめて堂々と答える。男も決して無謀だと笑ったりはしない。

「なら、一つ忠告しておく。」

 幽鬼は聞き返しはしない。だが、それを遮ることもしない。沈黙で答えた。一言たりとも聞き逃すまいと耳を澄ました。

「スカートで馬乗りは止めろ。下品だ。」

 幽鬼は青筋を浮かべ、トドメを刺した。


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