第2話 剣豪見参
「あなたが
黙ったままの
「なんのことですか?」
優希はあくまでも知らぬふりを通す。雑誌の記者というのも鵜呑みにはできない。そもそも正体を明かすメリットがない。
「はぁ~、今の子ってしっかりしてるんだから。」
「ちょっとコンビニ行かない? ジュース奢ってあげる。」
言動が不審者そのものなのだが、以外にも優希は食いついた。
「肉まんも買ってください。」
「えっ、えぇ。良いけど……?」
まさか釣れるとは思っていなかったのだろう。面食らったものの、その程度で良いならと快諾した。
「あざっした~。」
二人は会計を済ませると近くの公園を訪れた。ベンチに座る優希の腕の中には五つの肉まんが抱きしめられている。その脇には二リットルのコーラが置かれていた。
「遠慮って言葉、知ってるかしら~?」
愛美は領収書をひらひらと優希にちらつかせて反省を促す。
「経費で落とすならいいじゃないですか。」
優希の可愛げのない態度に愛美は冷ややかな視線を送る。だがこれで
「ほらこれ、見て。」
肉まんを頬張る優希に雑誌の一ページを見せつける。そこには両手でピースする顔写真が載っていた。それは間違いなく愛美の姿だった。
「本当だったんですね。」
優希は空になった包み紙を折りたたむと、残り一つの包みを愛美に差し出した。
「信じてくれたならいいわよ。」
愛美は手のひらでそれを抑止しる。少しの間を置いて、優希の手でその包みが開かれた。
「なんで私が
初めて優希から口を開いた。目を合わせることも、顔を向けることさえしない。確認作業に過ぎないという口調だった。
「知りたいかしら?」
ようやく主導権を握った愛美はにんまりと笑う。優希への意趣返しといった意地悪い返しだ。
「ご馳走様でした。」
優希は立ち上がって軽く会釈をすると、愛美に背を向けた。
「
愛美の放ったその言葉で優希は立ち止まる。しかし、振り返りはしなかった。愛美はそれ以上彼女が遠ざからないよう、そのまま言葉を紡いだ。
「私は
「それであなたの戦闘記録を全部見返したの。それしか情報がなかったから。そしたら、あることに気付いたの。」
愛美はスマホを取り出し、映像を再生して見せた。
「
画面に映る幽鬼。彼女は倒れるように急な前傾姿勢を取ると一気に距離を詰め、そのまま相手を一撃で葬り去った。
「開戦からの
「それで会社のツテで格闘技の専門家の人に見てもらったの。それで知ったのが、縮地。古武術で使われる、距離を一瞬で縮める技術だそうよ。」
「それを現代で使えるのは、ただ一つの流派――、」
「もう十分です。」
優希は愛美が饒舌になるのを制止した。振り返った優希を見た愛美は思わず口を閉ざす。決して言い当てられたからではない、憎悪に満ちた瞳だった。
「そこまで知っているなら、聞くことなんてありますか?」
「もちろんよ。」
愛美は真剣な視線を返す。
「私が知りたいのは「
幽鬼としての自分。それも結局は生活費を稼ぐ労働者に過ぎない。夢も目標もない。自分でも嫌になるほど空虚な存在だ。
「正体不明の方が面白いですよ、きっと。」
優希は自らを嘲る。愛美はそれを咎めることも慰めることもしなかった。それが彼女の優しさだった。
「ごめんなさいね、急に声かけて。」
愛美はゆっくりと立ち上がる。
「何かあったら連絡ちょうだいね。」
彼女は小さく手を振って微笑んだ。優希はどう返せば良いのか分からず、鏡写しのように手を振り返した。
遠ざかっていく愛美の背中を優希は見続けた。目を離せなかった。
「なにか良いことあったのかい?
「……別に。」
仮面の男はその反応が意外だったのか、顎に手を当てて黙った。
「
仮面の男はすぐさま思考を中断し、モニターに視線を落とす。
「最上位は円卓の見慣れた名前ばかりだね。」
「でも下の方の何人かは外れている。おそらく今回のフェスと相性が悪いんだろうね。」
フェスは通常戦闘とは異なる特殊なルールが課される。自身が得意とする戦術が不利であれば、その分苦戦を強いられてしまう。
「とりあえずやるか。」
幽鬼はフェスの詳細を流し読みするとモニターを閉じた。
「フェスに参加します。」
<<承認。フェス「流れ辿る剣豪の地」、開始します。>>
空と海がつながるほどの晴天。穏やかな波音、頬を撫でるそよ風が心地いい。
「これが今回の装備か。」
普段とは異なる黒袴の衣装。動きを確かめるために、腕を振ったり回ってみせる。動きやすいとは言い難いが、問題はなさそうだった。
それ以上に課題となるのが装備だ。幽鬼は腰に携えた長太刀を抜き構えた。
「少し、重い……。」
普段使わない武器を使わなければならない。これは想像以上のハンデとなる。今回のフェスで円卓の数名がランク外になったのはこれが理由だろう。そして、理由はもう一つ。
「――貴殿が
足音も立てず、幽鬼の前に一人の男が現れる。背丈は高くないものの、たくましく隆起する筋肉が威圧感を放つ。そして、腰には二つの刀が携えられている。
「我は宮本武蔵。決闘を受け馳せ参じた。」
だが、その手にはすでに刀が握られていた。しかし、それは輝くことなく、ただわずかに光沢を帯びるだけであった。
「いざ尋常に、勝負ッ!!!!」
<<
巌流島の戦い。慶長十七年四月十三日に行われた、剣豪宮本武蔵と剣術師範佐々木小次郎の決闘である。真剣を握る小次郎に対し、武蔵は木刀による一撃で制したと伝わっている。
「見事、これを防ぐか。」
武蔵が振るった木刀が幽鬼の首筋寸前で刃に遮られる。
(速いッ……!!)
普段は先手を取る幽鬼が先手を取られた。この人間離れした速度はNPCだからこその芸当である。小次郎を選択したプレイヤーはこの洗礼を乗り越えなければならない。
武蔵は刃に食い込んだ木刀を手放すと素早く抜刀し、双刀による追撃を繰り出す。防御を許さない猛攻を後退によって幽鬼はしのぐ。装備に
「他愛無しッ!!」
ついに武蔵の一撃が幽鬼を捉えた。左腹部から鮮血が飛び散る。「……ッ!!」
幽鬼は間合いを取るため低い横切りを放つ。だが武蔵は跳躍して躱すと、間を置くともなく追撃に転ずる。鋭い突きが幽鬼の首目掛けて放たれる。横薙ぎした長太刀では防御には間に合わない。
「なんとッ!!」
幽鬼は跳躍した武蔵の下へと転がり込む。下段切りのために姿勢を低くしたことが功を奏した。避けられることも想定した下段攻撃。そしてこれにより立場が逆転する。
互いの刃が火花を散らして衝突した。だが、今度の攻勢は幽鬼だ。長太刀の重さを利用して勢いをつけ、その勢いを殺さぬように巧みな剣筋で連撃を放つ。だが、流石の剣豪武蔵。片手では受け止められるはずのない一撃を、滑らせるようにいなすことで防ぐ。そして、その防御は次第に最適解へと近づいていく。幽鬼の手に防がれたという感覚は伝わらず空を切っているかのようだった。
「
「ここからが本番だ。」
武蔵は長太刀の一撃を左手の小刀でやすやすとはじき返す。
「しかし、惜しいな。お主、その刀が合わぬように見える。」
互いに間合いを図り合う。腹の探り合いもその内だ。
「普段は片手剣だからね。」
軽口を叩きつつも警戒は緩めない。
「なら、我の流派の方があっているであろう。なぜ岩流を選んだ?」
「単純な話――、」
幽鬼が不敵な笑みを見せると、武蔵はその意味を瞬時に理解し、同じように笑い返す。
「
瞬間、刀身がぶつかり合う。そして離れる。また衝突する。幾度となく交わる刃は、そのたびに紙一重の優劣を分厚くしてゆく。
つまり、幽鬼は自らの攻撃に一手、そのカウンターの防御にもう一手という超高速の攻守切り替えを行わなければならない。一方で武蔵は片手でのカウンターに加えて、反対での追撃ができるという状況だ。一つ、二つと幽鬼に切傷が増えていく。
「はぁッ……ッ……!!」
ついに幽鬼の猛攻が途絶えた。武蔵も消耗しているものの、その身には傷一つ無かった。
「見事、と言いたいが愚かだ。」
武蔵は構えたまま距離を置くと、わずかに左足を引いた。
「お主の剣技は見事であった。しかし、剣技を振るうことを勝利よりも優先した。ゆえに愚かだ。」
武蔵はさらに左足を引き、腰を落として地面へと強く踏ん張る。
「我はそんな奴を何人も斬ってきた。」
「
そして一気に身をかがめると、両腕を交差させた。
「
爆ぜるような突進。足元の地面がクレーターのように抉れあがる。空気の壁の打ち破る轟音と衝撃が島を超え、海までも伝わっていく。
「剣技は勝利のためにあるのだッッッ!!!!」
交差させた腕が解き放たれる。そこから放たれる剣線は岩さえも両断する。突進と腕力による攻撃。スピード×パワーという単純で最強の式が出来上がっていた。
「私もそう思う。」
幽鬼は避けることも防ぐこともしない。もとよりそれはできないからだ。
「
「――
唯一与えられたスキル。佐々木小次郎という男の名を後世に伝えた天才の剣技。
幽鬼は下した刀を静かに振り上げる。猛る勢いの武蔵を止めるには敵うはずもない。だが武蔵には理解できた。避けなければ死ぬ、と。
武蔵はとっさに足で地面に線を描きながら軌道をずらす。だが限度はある。長太刀から放たれた風が武蔵の右腕を切り飛ばした。それは止まることを知らず、大地も波も両断し、雲にさえ届かんとした。
「……ぬぅッ……み、ごとッッッ!!!!」
スキルを使えば、その最中にカウンターの動きはできない。そして回避も難しくなる。幽鬼はそれを狙って、スキルを撃たせた。必殺の一撃を撃ち込んだ。
しかし、それでも武蔵は倒れない。
「これで二刀流はお終いだね。」
幽鬼は切り込まなかった。情けではない。それだけ手負いの武蔵には隙が無かった。
「笑止。もとより刀は一つ。」
武蔵は小刀を幽鬼に突き出す。
「宮本武蔵という、一本の刀だ。」
「
武蔵は目を閉じると、身体の前で刀を立てる。それは構えというよりも、祈りと形容すべきものだった。
幽鬼は使わせまいと接近し、突きを放つ。しかし、武蔵は避けようともしない。
だが、幽鬼の突きは当たらなかった。それどころか、武蔵の刀が幽鬼の右肩を貫いていた。
「く、ぁッ……!!」
痛みで意識が飛びそうになる。それでも蹴りを放って距離を取らせる。だが、その蹴りさえも空振りに終わる。
「
「ついて来られるか?」
武蔵の瞳はどこか虚ろで、それでいて震えるほどの殺気を放っていた。武人としての武蔵ではない、人斬りの武蔵だ。
「もちろん。」
幽鬼は突然、刀身を地面に叩きつけた。長太刀が折れ、剣先が甲高い音を鳴らして地面を回り滑る。
「うん、ちょうどいいかな。」
幽鬼は両手で構えるのをやめ、得意の左手に持ち変える。
「真剣勝負しよう、宮本武蔵。」
幽鬼は身をかがめ、縮地で間合いを詰める。だが、それを待ち変えているのは、串刺しにせんと向けられる切っ先だ。先ほどの武蔵同様、幽鬼もすぐには止まれない。
だから止まらなかった。低く低く、地を這うかの如き姿勢で突きの範囲から抜ける。その勢いのまま武蔵の右足を切りつけ、そしてそのまま離脱する。だが、武蔵の反応は速く、背中を切りつけられてしまう。
「……私と同じだ。」
立ち上がった幽鬼は笑う。
「斬ることしか考えてない。」
返事は風切音。幽鬼もそれに応える。幾度とない剣の応酬。わずか数秒に満たないその時間の中で、互いの剣技は研ぎ澄まされ、洗練されていく。その悦びが、勝ちたいと思いながら、倒されないでくれと矛盾した感情を抱かせる。
だが、それでも決着の時は来る。
<<
散乱した血があたりを赤く染めている。その血染めの舞台で倒れるのはただ一人。
<<
そのアナウンスは、もはや誰の耳にも届かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます