第4話


 不協和な音が繰り返される。心がざわつく音の向こう側で何か連なった音楽のようなものだ。音色という色があるならば、それは白と黒が混ざったような色だろう。

 まさにテレビの砂嵐のような音が響いた。

 しかし、その向こうに砂嵐が止んだ時のように鮮明なピアノのような規則正しい音も聞こえる。そして時折サイレンのような危険を知らせる、心をざわつかせる音、そして、声が聞こえた。

 男性なのか、女性なのか分かりづらい。高いような気もする、しかし低い男性の声も混じっているようにも聞こえる。

 不安定な声変わりのような声。もう、高いのか低いのか混ざりすぎて分からない。その声が笑い声のようにも聞こえるし、ぼそぼそとした声にも聞こえる。もう何の音なのかも分からない音が繰り返すように聞こえた。

 誰かの喋り声なのだろうか。

 意識をして聞こうとするが、その音が少しずつ小さくなっていく。遠くなっていく気がする。

 何なのだろうかという疑問が頭を占めていたが、音が小さくなっていくごとに浮き上がるような感覚を覚えた。

 そこでようやく僕が寝ていることに気が付いた。瞼を開ける。

 ここはどこだろうか。白い天井が見える。目が覚めて見えたその色に違和感を覚えた。

 見える範囲から僕の部屋ではないことは明らかだった。

 ならばここはどこだろうか?

 体を起こそうと両腕に力を入れる。

 「っい」

 左手首の方でちくりと小さな痛みがはしった。布団が被さっていないむき出しの左腕に目線を下ろすとそこから管が繋がっている。管はそれまで気づかなかった僕の頭の後ろに設置された点滴につながっているようだ。

 点滴があることでようやく病院だと理解することができた。

 はっきりとしない頭のまま、部屋の中を見渡すが、慣れない一面が白の部屋が広がっているだけ。

 ぼわーと何か水の中にいるかのような微かな音が耳の中を木霊しているが、その中にコツコツと規則正しい音が響いてきた。音は少しずつ近づき、そしてはっきりとしてくる。

 「あれ、起きましたか」

 目線の先にあったドアが開き、普段であれば見るはずのない白衣を着る年配の女性が現れた。

 「体調はどうですか。一昨日、消火活動の途中で倒れてしまったそうなのですが、覚えていますか?」

 女性は近づいてきて、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

 問いかけに答えようと記憶を遡る。確かに火事を、燃え続け、広がろうとしている火を消そうとしていたのは覚えている。そして、それが最後の記憶であることも確かだ。

 「え、あっと。はい、ごほ」

 それまで使っていなかった喉を使おうとして、咳き込んでしまう。

 「そうですよね。すみません。丸一日寝たきりだったようなので、喉に痰が溜まっているみたいですね。無理に喋らなくて大丈夫ですよ。後程お医者様の回診を行いますのでその際に飲み物等の摂取が可能か確認しますね」

 そう言うと、僕の体につながっている点滴を入れ替え、すぐに立ち去っていく。

 風のように去っていた彼女の言葉を反芻することでようやくなぜ病院にいたのかを把握することができた。どうやら僕は消火活動の途中で倒れ込み、この場所に運び込まれたようだ。

 右腕と足に力を入れ、体を起こす。少しばかり体は重いが、動きに支障はなかった。この調子なら立って動くことにも支障はなさそうだった。

 体調はそれほど悪くはない。

 ただ、看護婦と話している間も耳の奥のさざめきだけは消えてくれなかった。

 

  〇


 「体の方は問題なさそうだね。点滴から普通の飲食に切り替えても良さそうだね」

 眼鏡をした恰幅のいい初老の医者は体の様子を見て、そう言った。

 「そう、ですか」

 「うん、運び込まれたときは火にまかれて、煙を吸い過ぎたんじゃないかと心配していたのだが、思ったよりも大事に至らなかったようだね。これなら明日には退院しても大丈夫そうだ」

 消火活動の途中、火の燻っていた建物の近くで倒れ、遅れて到着した町の消防団が発見されたらしい。そのまま病院に運ばれ、今に至っているということまでは分かった。見つける直前に屋敷には雷が落ちたようで、僕のいた周辺一帯も草の焦げた跡があったらしい。

 「そうですか。火事はどうなりましたか」

 「洋館がかなり燃えたようだよ。だけど、君が見つけて、消防団が駆け付けなかったら雨が降っていたとは言え、森全域にも広がっていたんじゃないかと考えているようだ。ある意味で君はヒーローだね」

 「そう、ですか」

 「そうそう。だけど、それで病院に運ばれるようじゃ、まだまだだね。うん、若いね」

 若さに回復もあるようだし、大丈夫そうだねと言葉にして、医者は看護師を伴って病室を出ていく。

 病室のドアに手をかけ、そうそうと、何かを思い出したようにこちらを向く。

 「今のところ問題が出ていないようだけど、もし何か変なことがあったら、すぐ伝えてほしい。そうそうなにかあるとは思うが、念のためにね」

 それを伝えると、伝えることはもうないといった様子で病室を出ていった。


  〇


 翌日の昼には退院となった。

 自宅の近くに来ると、向かいの商店の看板娘が腰に手を当てて待っている。

 顔はむすっとしており、ここは通さないと待ち構える門番のようだ。ああ、けど間違っていないか。僕を簡単に家に帰さないという意味では役割通り門番に違いない。

 「おかえり」

 いつもよりもとげのある言い方。

 「えっと、ただいま」

 そう返した僕の身体をエリーは上から下まで調べ物をするかのように見ている。さながらその姿は容疑者の証拠物を捜す刑事のようなありさまだ。鋭い顔で睨めつけるように僕を見ていた。

 びしっと、踵同士をくっつけて背筋を伸ばす。後ろ手に組んだ僕の手に何か隠しているんじゃないかと疑いの目を向けるように彼女は僕の周りをくるくると回り始める。

 「あ、あの」

 「なに?」

 「いえ、何もありません」

 「そう、ええ、そうね」

 そう言いながら、わざとらしく踵を鳴らしながら、僕の周りをもう一周した。ついでに一蹴した。

 「いた」

 一言抗議を入れてやろう。そう思い、彼女の顔を見て、やめた。

 それまで無理やりに釣り上げていた眉が下がりきっている。

 「身体、大丈夫なの」

 不安そうな顔を隠すこともせずに、腕をまくられた。少しばかり火傷のせいで貼られたガーゼがある。

 それを見て、さらに彼女の顔が沈んだように思える。俯くようにした彼女に心配させてしまったようだ。

 腕や手、色々なところを触られる。少しくすぐったくもあるが、それを我慢して、彼女のしたい通りさせる。仕方ないかと受け入れた。

 火事の現場で倒れた状態で発見されて、二日ほど入院だ。友人がそんなことになったら、僕も心配する。

 「医者の先生には大丈夫だって言われたよ。だけど何日かは安静にしろって」

 昨日のうちに病院に顔を出してくれた親方には数日休め、と厳命されている。

 「そう、でも。良かった。怪我もなくて。ごめんね、お見舞いに行けなくて」

 「そんな顔しないで、入院って言っても二日だけだし、一応大事をとっただけだから。それに医者の先生も頑丈だなって笑ってくれたしね」

 俯いたままに言う彼女をこれ以上心配させたくなくて、わざとおどけて、右腕で力こぶを作って言ってみる。そんな僕の意図も通じているのか、右手を両手で掴まれる。

 「もう、無理しちゃだめだからね」

 「分かっているよ」

 「うん、でもよかった」

 僕の姿を見て、心配が解消されたのか、大丈夫という言葉に納得してくれたのか、あるいは納得してくれたふりをしているのか、それは分からないけど彼女は商店に戻っていった。

 彼女の陰になっていた玄関のドアの隙間からは二対の目が、こちらを見つめていた。

 「で、親父たちは何で覗き込むように見てるんだ?」

 僕の言葉で二対の目はドアから引っ込み、ドアが開く。

 「いや、声を掛けるタイミングが分からなくてな」

 そうそうと、相槌を打つ母と、後頭部を搔きながら父が出てくる。

 「そうか」

 「そうよ、それともう、この年になって心配することになるなんて。心臓止まるかと思ったわよ。ねー、お父さん」

 「そうだぞ、ほんと」

 胸が止まるジェスチャーなのか大げさな手ぶりをしている母に言われる。

 「それはほんと、ごめん。だけどな」

 反論しようとすると、まあ、待てと親父に止められる。

 「お前の言いたいことも分かる。お前がいち早く見つけてくれたおかげで、火事が広がらずに済んだ。それは本当に褒められることだ」

 「でしょ?」

 「だけどな、それとは別に心配をさせられた俺たちとしては言いたいこともある。言いたいことばかりだ。親としてな」

 そこは僕も理解できた。知り合いが無茶をしたなら、一言くらい苦言を言いたくなるだろう。今回のことで言えば、一人で先走って何とかしようと無理をしたことがそれに当たるだろう。親父や母の言いたいことも分かる。

 「うん、そうだな」

 だからな、と親父が続けようとしたところ、パンパンと二度音が鳴る。

 手でもう終わりだというように母さんは両手を合わせている。

 「とりあえず、家の前でこれ以上言い合っても無駄なので、入りましょ。お昼は食べたの?」

 いったんここで話は終わりと、母がパンともう一度手を叩く。

 「いや、まだだよ」

 「それなら、私たちも今からだから、食べましょ。ね、それでいいでしょ、お父さん」

 話そうとした矢先、母に先を取られた親父は何とも言えないといった顔をして、小さく頷いていた。

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