第2話

 空はどんよりと曇っていた。今にも黒い雲からは雨が落ちてきそうな、そんな雰囲気があった。この間は暑いくらい太陽が照らしに晴れていたのにな、と思いながら、僕は親方に言われて森の中の小屋の解体へ向かっていた。

 「なんか雨が降りそうだし、道はもうこれ、けもの道だよな。あ、でも石畳の部分もある。うわ、一応分かるようにしておかないといけないし、ああ、これなら今日やらなくてもよかったかな」

 乗り気になれない空模様に僕は、朝の仕事場の一幕がよぎった。


                  〇


 朝一番で仕事場に着いて、道具の簡単な整備をしていると、親方に一人呼び出されたのだ。何かやらかしたか。けど、思い当たる節がない。

 いや、待てよ。仕事場に置いてあった。分けるように置かれていたお菓子を少し多めに取っていたことはあったな。だけど、そんなことで呼び出すか。そんなとりとめのない妄想ともいえる考えが浮かんでは消えを繰り返しながら、呼び出された親方の部屋に向かう。

 「クリスです。親方、入りますよ」

 「おう、入ってこい」

 数度のノックの後に、言葉に導かれるように部屋に入る。入った部屋は作業で使う道具が棚に所狭しと置かれ、正面の机の上には山のように積み重なった書類がファイルに入っていた。

 「おはようございます、親方」

 「おお、おはようさん」

 いつも通りの調子でそう答えた親方に、内心ほっとする。何かやらかしていたならば、入った瞬間に怒髪天を衝く、そんな形相と対峙することになっていただろう。

 「あのー、それで、親方、話があると聞いてきたのですが」

 「ああ、そうだ。お前さん、ここに入って何年目だっけか?」

 頭の中で数字を数える。年齢と照らし合わせながら、一、二と数えて三で止まった。

 「そうですね。ええ、三年は居ると思います。はい」

 「そっか、それでよ、少しばかりお前さんに一人でやらせたい仕事が来たんだ」

 身構えていたが、考えていたものと全く違うもので、拍子抜けしてしまった。

 「あ、し、仕事ですか?」

 「ん? なんで呼ばれたと思ったんだ?」

 「いやー、なんかやらかしたことでもあったかなって。一人で呼び出されるなんて今までなかったもんですから」

 「お前さんがやらかしたなんて、この間の釘の誤発注くらいなもんだろ。それに多めに発注してたと言っても五十本くらいで誤差みたいなもんだ。お前の先輩たちも問題ないって言っていたろ。そんなもんで呼び出していたら、お前の先輩たちは何回首になったか分からんわ」

 「そうですか。それで、えっと、その仕事っていうのは何ですか?」

 「ああ、森の中に古い屋敷があるだろう。あれの解体を検討したいって話が来てな。その隣に小屋があるんだが、それの確認と解体するかどうかをお前に任せたいと思ってな」

 「小屋ですか?」

 頭の中で森の中の地図に描く。いつも集まっている広場からそう遠くない場所にある屋敷。そして、確かにその隣に蔓の絡まった建物があったことを思い出した。僕が地図を描いている間も親方は話を進める。

 「ああ、まあ、今はほかの仕事も手伝ってるところだろ。無理ならいいんだが、もうそろそろ一人でもなんとかなるんじゃないかって話が来てな」

 そういえばと、記憶をたどると、最近は先輩が僕に仕事を任せることも多くなっていたような気がする。その仕事を見て、親方に話をつけてくれたのだろう。

 「分かりました。小屋の解体ですね」

 「おう、早い段階でできたらって話もあったから、今日にでも小屋を見て来てくれないか。もう何年も誰も手を付けてないから何があるか分からないからな」

 「分かりました」

 そう、意気揚々と仕事場を出たのは三十分ほど前のことだ。

 今は森の蔦や小枝を切り落としながら、何とか前に進んでいる。前に進んでいるが、やはり草木が茂っており、進みづらいことこの上ない。

 森の中の僕らが音楽の練習に使っている場所から北に少し行ったくらい、そう遠くない場所にその屋敷と小屋はある。あるのだが、人が立ち入らない場所になっており、草木が道を塞ぐように生い茂っている。

 遠い昔にその森を気に入ったかつての貴族が別宅を立てたそうだ。その当時のことを書き記した本も町の図書館にはあるかもしれないが、その貴族もいなくなり、主人のいなくなった屋敷は朽ちてしまい、今では立派な廃墟だ。

 そういえばと、幼いころに近所の友達とお化け屋敷を見に行こうと話したことがあったのを思い出した。お化け屋敷と呼ばれたのが今から向かおうとしている屋敷だ。当時は行こうと話しただけで実際に行くことはなかった。

 誰が言い出したのかは覚えていないが、お化け屋敷という言葉が町の子供たちの間で流行った。確かお化け屋敷を題材にした映画が面白かった、流行っていると聞きつけたからだった。大きな町で流行ったことに対抗心を抱いた。

 僕たちは本物があるんだぞと対抗心と少しばかりのそんな映画を観ることができる都会への羨ましさを隠すように、町はずれの森にある屋敷をお化け屋敷に見立てて、数々の空想に耽った。そして、ついにはお化け討伐隊を編成して屋敷に向かおうと猛々しく口にしていたのだ。

 「じゃあ、お化け退治をするには、お化け屋敷の映画を観て、対策しないと」

 誰かが口にしたその言葉を真に受けて、ようやく近くの町で上映されることになった映画を観に走った。

 結果として言えばお化け討伐隊の話は立ち消えた。

 話のもとになった映画を見たら、とてもじゃないが行く気にならなかったからだ。

 正直に言おう、あまりにも映画が怖すぎたのだ。廃墟でお化けだと思われていた殺人鬼に追いかけられる話だったはず。そんなものを見てしまった僕をはじめ、友達の連中もそろいもそろってお化け屋敷の話をしなくなった。話をしたら家にその殺人鬼が現れるのではないかという子供らしい恐怖に駆られてのことだった。

 そんな懐かしい記憶を思い浮かべながら、ようやく道の先にあるお化け屋敷と横にひっそりと建っている小屋を見る。

 写真にあるような昔のお城のような建物がそこにある。この町の建物に比べると毛色が違うものだ。全体がツタ、草に覆われ、そして雨風に晒されたことによって変色し、元の色が分からないほどになった壁。ところどころ壁の表面が落ちて、その下にある、本来見えることのない骨組みがむき出しになっている。それでもまだ異様なその建物は崩れるような様子はない。

 隣に目を向ける。

 小さな小屋、レンガ造りのそれの壁は屋敷と同様にツタが貼り巡り、コケや草に覆われている。しかし、思ったよりも頑丈に作られたのか、隙間らしい隙間は見当たらなかった。

 物置小屋のように作られたにしてはずいぶんとしっかりとした作り、だが、金庫を隠すような大切なものを守るために作られたにして少しばかりちゃちな作りをしているようにも思える。パッと見ただけでは何を目的に作ったのかも分からない。窓のようなものはぶ厚く、曇ったものであり、中を見ることも叶わない。

 「正攻法しかないかな」

 持ってきた刃物を使いながら、ドアに絡みついたツタを切っていく。手作業であれば、かなりの時間を要したであろうそれも、刃物を使うことでみるみるうちに細かく伐採されていく。十分ほどの作業でもとのドアの姿が見られるようになった。

 鍵がかかっているはずのドアは中の構造が錆びて使い物にならなくなったのか、少し力を入れるとバキッと音を上げる。

 思った以上に重さのあるドアを無理やりに開けようとする。

 「開け、ゴマ。なんて」

 定番の言葉を呟きながら、少しばかりお化け屋敷に心躍らせた子供心を思い出した。亡くなった貴族の屋敷、その隣の頑強に作られた小屋。ツタに覆われ、中の様子も見ることのできない小屋の中に何があるのか。もうそんな年じゃないと思いながらも、中に金庫や秘密の部屋につながっているのではないかと心が躍る。

 がたがたと何度か押して引いてを繰り返すとようやくぎぎっと重い音とともにドアが開いた。

 開いたそこは中にあまり光が入らないためか薄暗く、夏も近づく季節のはずなのに少しばかりひんやりとする。床は埃がたまっているが、朽ちた様子もなく、綺麗なまま残っている。踏み込んだ足先が少しばかり軋むが、それも許容範囲だろう。作業の備品に持ってきた懐中電灯をつける。光の向こう側で明かりが反射した。光の先に部屋の真ん中に何が置かれているようだ。

 暗闇の中に足を踏み入れ、少しずつ目を暗闇に慣らしていく。近づいていくごとに、ヒカリに照らされたそれの輪郭が少しずつはっきりとしてくる。

 黒の四本足。見覚えのあるものだった。

 鎮座していたのは大きな黒いピアノ。

 学校などに置かれているそれよりも大きく立派で、近づいてみると少し埃をかぶっているが、傷らしいものは見当たらない。

 「何でこんなところに」

 疑問を口にするも、答えてくれるここの主人はもうすでにいない。

 鍵盤蓋と屋根を上げ、中身を確認する。弦が切れているような場所はない。鍵盤の上に置かれていた布を除けて、人差し指が鍵盤に触れる。すこし埃をかぶっているのか、ざらっとした感触が指に伝わる。押し込むように、あるいは力を抜くように人差し指を曲げる。

 ほんの少しの返発。ちょっとした重さを感じるが、それが正しいものなのか、それとも壊れているのか分からない。

 トーンと音が鳴る。

 頭に響く。身体の芯に響く。

 それまで無音だったその部屋にあるべきものが戻ってきたように音は小屋に響き渡る。部屋全体に染み渡るように響いた音は少しの反響、そして、静かに余韻を残して消えた。

 鍵盤に触れた手を離す。吸いつくような手触り。

 たった一音だった。

 だけど、このピアノにどこか愛おしいものを感じてしまった。主の帰りを待ったまま時間の止まったこの部屋の中で、このままこの場所にあり続けて欲しいと思ってしまった。

 変わらずにこのまま。

 その思いと反して、仕事という責任が頭をよぎった。

 「壊れていない、かな。うん、どうしよう。親方に相談しないと」

 小屋の解体を任されたが、こんなものがあっては作業なんかできない。

 それどころか、この小屋がこのピアノを守り続けていたことに気づき、小屋自体にも何となく愛着をもってしまった。

 主の亡き後も、主の思いのままに頑強なこの小屋がピアノを守り続けてきたこの小屋は目が慣れた今、見渡すと湿気や外から外気が入らないようにという工夫が感じられる。

 その当時の最高の技術がこの部屋に盛り込まれていたのではないか。そうと感じるほどの熱意と執念を感じる。

 ピアノがただ、このままあり続けられるようにという願いが。


  〇


 「ああ? なら、仕方ないか。小屋の方はそのままにしておくか」

 腕を組んで、僕の話を聞いていた親方は、拍子抜けするほど簡単に小屋を残すことに同意した。

 「え?」

 僕は反対された時の反論ばかりを考えていたため、親方の反応に驚いてしまう。そんな僕の反応など知ったことかとばかりに親方は続ける。

 「そっか、屋敷同様に随分としっかりした作りだったが、楽器部屋だったか。そりゃ湿気とかそんなのでもダメになる楽器を保管しておくには十分な設備が必要か。少し気になるな。作られたのは爺さんたちくらいの世代だったか。それよりも前のシロモノか。今までただの廃墟だって気にもしていなかったが、屋敷の方も調べてみるか、っておい。何をとぼけた顔してんだ」

 「いや、あの考えていたよりもあっさりと話を聞いていただけたから少し驚いて」

 「そりゃ、お前が面白い顔してるからだ。珍しく申し訳なさそうな顔してるからな。そんで聞いてみれば、また面白そうなもの見つけてくるじゃねーか」

 親方はバシバシと肩を叩いてくる。一切の遠慮を知らない腕が振られる。大工仕事で鍛えた太い腕で何度もバンバンと音が鳴るほどに叩かれると痛い。

 「お、親方痛いです。イタっ」

 「おう、クリス悪いな、だが」

 悪びれる様子もなく親方は続ける。

 「昔の仕事ぶりを知るのにいい機会だ。まあ、調べ終わった後にどうするかはお前も意見出してもらうからな。まあ、良いものなら残しておくが。となると、役場の連中に話しつけないといけないか」

 ぶつぶつと今後のことを考え始めた親方を置いて、僕は一人部屋を後にした。


  〇


 「へえ、ピアノね」

 僕は仕事終わりに商店に走り込み、今日見つけた小屋の事、そしてピアノのことをエリーに話す。僕の話を聞いた彼女の反応は冷静なものだった。少しばかり、そっけなさすら感じる。

 「そうそう。ピアノ。結構古いものだけど、しっかり音もなっていたからね。親方たちも僕に扱いは一任するって言ってくれてるから、この際使わせてもらっていいかなって」

 走ってきたからなのか、それとも別の熱がそうさせるのか。自分でも分かるくらいに熱量が言葉に熱量がこもっている。

 「ピアノがあれば、少しは練習しやすくなるんじゃないか? テープで途切れ途切れになっていた部分のピアノなら練習しやすくなるだろう」

 僕は熱を込めて話す。だけど、僕が想像していた以上に彼女の反応はない。まるで水のような受け流しようで、ただ相槌を打つだけになっている。

 「そうね。ピアノがあればテープよりも練習がしやすくなるかも。だけど」

 そう口にすると、申し訳なさそうな顔をする。

 「わたし、ピアノは弾けないのよね。簡単なコードとか楽典の知識は分かるけど」

 だから、いい話ではあるんだけど、ごめんねとまた申し訳なさそうな顔をした。

 「せっかく見つけてきてくれたのにごめんね」

 エリーはそう謝ってくる。けど、謝られるほどのことはしていないと思うと、そんな顔をさせてしまった僕の方が悪いような気がしてきた。

 「君が謝ることないよ。うん。そっか」

 ピアノがあれば、少しくらいは練習が捗るだろうと考えていたけど、そんなことじゃなかった。

 なぜだろう。あのピアノであれば、なんて想像が、考えていたことが熱を失っていく。

 熱が急速に冷めていく。

 「それじゃ、また明日」

 なんて口にして商店を後にする。空は今にも泣きそうな雲行きだった。

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