第27話:蓮の部屋

「お邪魔します……」


 明日花あすかは誰もいないとわかりつつも挨拶をして廊下に上がった。

 ぐちゃり、と湿った足の感触が気持ち悪い。


「はっくしゅ!」

 機密性の高いマンションの部屋は温かかったが、外との温度差でくしゃみを連発する。


(やばい! ぐずぐずせずに温まらないと!)


 明日花は思いきって洗面所に入った。

 自分の部屋と同じ作りなのでホッとする。


 洗面台の横にある棚にバスタオル、部屋着。そして濡れた服を入れる用のビニール袋まで用意してくれている。


(完璧人間すぎる……あの短時間にここまで……)


 明日花は躊躇ためらわず服を全部脱いだ。

 それだけでだいぶ楽になる。


 浴室に入ると、すぐさま熱いシャワーを浴びる。


(わあああ、気持ちいい……)


 シャワーがつらい思いも一緒に洗い流してくれるようだった。


 しっかり温まったのち、着替えて髪を乾かす。

 スマホを見ると、まだ15分しかたっていない。


 クタクタの明日花は、よろけながらリビングへ向かった。


「ふくらはぎがパンパン……。お、お邪魔します……」


 少し緊張しながらリビングへ入る。


「わあ……」

 すっきりしたシンプルな空間が広がる。

 グッズにあふれた自分の部屋とは大違いだ。


「間取りも広さも一緒なのに、全然広く感じる……。モデルルームみたい……」


 明日花は感心してリビングを見回した。


「オタクには絶対無理だなー。物が多いもん」


 ソファに座ると、ホッと一息つけた。


 部屋着はぶかぶかだが、そのぶん楽でいい。

 そですそをまくるといい感じになった。


「ありがたい……」

 ソファの心地良さについ寝転んでしまう。


「ふかふかだ……」

 どっと疲れが込み上げる。


 そのとき、視界に本棚が入った。

「!!」


 本好きとしてはラインナップを見たいところだが、ぐっと堪える。

 蓮は部屋を漁ったりしないと自分を信用してくれたのだから。


(気になるなら、どんな本を読むか直接聞いたらいいんだ……)

 眠気をもよおし、明日花はゆっくり目を閉じた。


        *


 明日花はインターホンの音でハッと目が覚めた。

「あわわ!」


明日花は飛び起きてインターホンへと向かう。間取りが一緒なので迷わず行ける。

(寝ちゃってた!!)


「はい!」

 インターホンの通話ボタンを押して応答する。

 玄関のカメラにはれんが映っていた。


「戻りました。部屋に行っても大丈夫ですか?」

「大丈夫です!!」


あわあわと髪の毛を整えながら明日花はオートロックの解除ボタンを押す。


 スマホを見ると、22時30分を過ぎていた。

(うわ、もうこんな時間!)


 明日花は玄関に出迎えにいった。

 しばらくして、ドアが開いた。


「ただいま戻りました」

 蓮がびしょ濡れの傘を手に入ってくる。


「お疲れさまです!」


雨脚あまあしが強くなってきましたね。部屋で待っていて正解だったと思いますよ」

 しずくが垂れる傘を傘立てに置きながら蓮が微笑む。


「すいません……渋谷まで行ってもらって……」

「いえいえ。無事、持って返ってきましたよ」


 渡された鍵には、しっかり刃也じんやのアクリルキーホルダーがついている。


(あああああああもっとさりげないモチーフのキーホルダーにすればよかったあああ)

(オタクってバレた? バレたよね?)


 後悔が胸を焼くが、お気に入りのイラストなのでいつもそばに置きたいという誘惑に勝てなかった。


「本当にすいません。わざわざ渋谷まで……」

「いえ、駅ビルなので迷うことなくお店につけましたよ」


 着替えを済ませている明日花を見て、蓮が目を細める。


「ちゃんと髪乾いてますね。温まりました?」

「はい! シャワーと着替え、助かりました」


「よかった……。うん、髪もしっかり乾いていますね」

「ふへ……どうも……」


 気持ち悪い返ししかできず、明日花は自己嫌悪で目眩めまいがした。


 蓮が廊下に上がってきたとき、明日花はハッとした。


(今、男性の部屋に二人きり……ふ、二人きり!?)


 意識すると、急に体温が上がる。


(早く部屋から出よう。私がいたら彼も休めないだろうし)


「ご迷惑をおかけして――! あっ!」

 ズボンのすそを踏んでよろけた明日花を、蓮ががしっと抱える。


「おっと、大丈夫ですか? すいません、サイズ大きいですよね」

「いえっ!! 大丈夫です」


 ズボンを手で押さえながら、明日花はなんとか体勢を整える。


「すいません。私、重いですよね……」

「全然。鍛えてますから」


 蓮がにこりと笑う。

 確かに片腕だけで明日花を支えているのにびくともしない。


(男性の身体ってすっごく固いんだな……)

(力強い……)


 体が密着しているので、蓮の鎖骨や喉仏がはっきり見てとれる。


(綺麗な体だな……ほんと、刃也じんやくんそっくり)


 油断すると見とれてしまう。


(あの件以来、男性に触られると鳥肌が立つのに……)

(蓮さんには触られても平気だった……)

(刃也くんに似てるからかな)


「し、失礼しました!」

 ぼうっとしていた明日花は慌てて蓮から離れた。


「本当にありがとうございます。助かりました」

「困ったときはお互い様ですよ。お隣さんなんですから」

「……」


 蓮はそう言ってくれるが、一方的にこちらが助けてもらっているばかりだ。


「蓮さんがピンチの時は私が必ず――」

 言いかけて明日花は口を閉じた。


(この完璧な人にピンチってあるの?)

(それよりまた私が迷惑をかける未来の方が簡単に想像できる……)


 情けない思いが込み上げる。


「あの、お借りしたこの服……」

「その部屋着は予備ですので着ていってください」


「洗濯して返します!」

「いつでもいいですよ」


「はいっ、どうも!!」

 明日花は慌ててバッグや着ていた服をかき集めた。


「お邪魔しました!」


「じゃあ、気をつけて。おやすみなさい」

 蓮に玄関で見送られ、明日花はぺこぺこ何度も頭を下げて自分の部屋に戻った。


「あああああ、助かった……」


 濡れた服を洗濯機に放り込み、リビングのソファに飛び込むと、どっと安堵が込み上げる。


「よかったあああああ、鍵、あってよかった……」


 明日花はぐったりとクッションに顔をうずめた。

 やらかしてしまったことの反省は明日にしよう。


「それより、蓮さんにお礼……何かお礼を……」


 だが、頭が全然働かない。

 明日花は眠気に抵抗できず、自分の寝間着に着替えると寝室へ向かった。


(明日は土曜日だから……ゆっくり考え……いや、芙美ふみちゃんに相談……)


 明日花はあっという間に、眠りに落ちていった。

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