第12話:事件の顛末

 翌朝、心配して泊まってくれた芙美ふみが朝食をふるまってくれた。


 目の前には芙美が作ってくれたフレンチトーストと野菜たっぷりのクリームスープが湯気を立てている。


「冷めないうちに食べちゃって」

「ありがとう。いただきます」


 明日花あすかはスプーンを手に取った。


 こんなちゃんとした朝食を食べるのは久しぶりだ。

 昨日は強盗事件のせいで、急遽きゅうきょ仕事を休む羽目になった。

心配した芙美が駆けつけてくれ、そのまま部屋に泊まってくれた上に朝ご飯まで作ってくれて感謝しかない。


「美味しい~。芙美ちゃんのご飯久しぶり!」

「……いいけど、あんた全然自炊しないのね」

 芙美の言葉にぎくりとする。


 一応、鍋やフライパンなど最低限の調理道具はあるが、出番は週に一回あるかないかだ。


「ま、わかるけど。一人分って作るの面倒なのよね」

「とにかくお疲れさま。昨日は大変だったね」

「うん……」

 温かいスープが身体に染みる。


 110番をしてからは怒濤どとうのようだった。

 パトカーが駆けつけ、男は連れていかれ、れんとともに警官から事情聴取を受けて、芙美が来て――。


「ね、頼れる男性がいるっていいでしょ?」


 芙美の言葉に明日花はしぶしぶ頷いた。

「まあ、そうだね……」


「二人とも怪我がなかったのが幸いよね」


 芙美の言葉に突き出されたナイフを思い出して、明日花は寒気がした。

 もし、蓮がいなかったらどうなっていたか。


「だから、事故物件なんてやめろ、って言ったでしょ。せっかく治安のいい地域で、オートロックで、ダブルロック付きのドアのマンションなのに台無しでしょ」


「うう……だって……」


 芙美の言葉にうなだれるしかない。

 犯人は最近出所してきたばかりのチンピラだった。


 以前、この部屋で殺された男の元詐欺仲間で、隠し金があるはずだと乗り込んできたのだ。


 出所してもお金がなく、困窮こんきゅうした末に金を奪おうと画策かくさくしたらしい。


 明日花のことは愛人だと思っていたようで、しばらく観察して一人暮らしだと確信して乗り込んできたという。


「殺人があった部屋に女性が一人で住むなんて、何か大きなメリットがあるからだと思ったみたいよ」


「メリットならあるでしょ! 神楽坂の築浅マンション2LDKの家賃が5万円だよ!!」


 フレンチトーストに蜂蜜をかけながら明日花が主張すると、芙美は顔をしかめた。


「一人暮らしなんだから、もっと気をつけて。宅配は直接受け取らず、置き配にするとか宅配ボックスにするとか」


「確実に受け取りたいんだもん! 誤配とか嫌だし!」

 芙美が深々とため息をつく。


「とにかく、兄さんには内緒にしておくわ」

「ありがとう!」


 事件のことを両親に知られたら、地元に戻れと言われかねない。

 そもそも、上京に大反対されたのだ。


(女の子は親元で暮らして、地元で結婚するのが当たり前! なんだもんな……)

 周囲を見回しても進学や就職で上京する女子はほとんどいない。

 芙美や友人の千珠ちずがレアなのだ。


「ところで、助けてもらった蓮くんにお礼は言った?」

「ちゃんとお礼を言った……はず」


 動揺していて記憶が定かではないが、さすがに謝意は伝えたはずだ。

(た、たぶん……)


 何せ、初対面で名乗らずお礼も言わずという前歴があるため、いまいち自信がもてない。


(私ってなんでこう、冷静に対処できないんだろ……)


「落ち着いたら改めて何かお礼をしないとね」

「お礼……」


 小学生の頃、兄に誕生日プレゼントを渡したがすぐに捨てられた経験から、男性に贈り物をするという行為を二度としないと誓った。


(父の日に贈り物をしても喜んでもらえなかった……)

 男性に喜ばれる無難な贈り物というのは一つしかない。


「お金、とか……?」

「こらこら!! そういうのじゃなくって……」


 たしなめかけた芙美だが、明日花の事情を知っているだけに口をつぐんだ。


「じゃあ、何がいいのよう」


 明日花はむうっとむくれた。

 姉のような芙美にはつい甘えてしまう。


「お菓子とかお酒とかの消え物もいいけど……。ヘッドマッサージの無料券とかどう?」

「でも、それじゃ芙美ちゃん負担が……」


「いやいや、あんたがやるのよ!!」

「ふえ!?」


 修業中なので全身マッサージはまだできないが、ヘッドマッサージは指導のもとOKを出してもらった。


 最近は飛び入り客のヘッドマッサージを担当することもあり、なかなかに好評で次の予約を入れてくれる人もいたが――。


「私が、男性の、頭に触る?」

 口に出すだけでぞっとする。


「無理無理無理無理!!」

 頑なに首を振る明日花に、芙美がため息をついた。


「まだ難しいか……」

「まだ、っていうか、絶対無理だよ!!」


 男性に触るなんて――と言いかけてハッとした。


(蓮さんにヘッドマッサージ……?)

(それって、目をつむる顔をずっと見ていられるってコト……?)


(刃也くんそっくりの顔をじっくりと……)

(最高じゃない!?)


 一瞬、誘惑に負けそうになった明日花だが、すぐさまよこしまな考えを振り払った。


(命の恩人に失礼だし、そもそも、やっぱり男性に触るのは無理)


「とにかく、昨日はバタバタしていたから今日は改めてお礼を言いにいくわよ」

「ふあい……」


 フレンチトーストを食べながら明日花は頷いた。


「仕事、今日も休んでいいわよ」

「ううん、大丈夫。一人で部屋にいたくないし」


 幸い無傷で精神的なショックはまだ尾を引いているが、芙美と一緒に人が多いオフィスビルにいる方が安心できる。


「じゃあ、一緒に出勤しましょ。それにしても、グッズ増えたわね……」

 芙美がリビングを見回す。


「でも、すごく綺麗に飾ってあるわね。コルクボードにピンを差してキーホルダーを飾るのかあ。すごい工夫ね」


「ふふっ、でしょう?」


 明日花がドヤ顔になるのも無理はない。

 苦労の成果を見てくれるのは芙美と友人の千珠ちずだけだ。


しに囲まれる生活最高!!)

(やっぱり、蓮さんとはもっと距離を取ろう!オタ活に支障をきたす!)


(ちゃんとお礼を言って、明日からは挨拶程度の付き合いにてっする!!)


 明日花はそう心に固く誓った。


 だが、人生も他人も自分の思うとおりになどならないと思い知ることになる。

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