エピローグ

「お姉ちゃん。生徒会の仕事は大丈夫なの?」

「ちょっとくらいなら、平気だよ。それよりほら、こっちこっち」


 私は乃愛の手を引いて、旧校舎の方に向かっていく。文化祭当日ということもあって、学校の敷地内はどこも人が多いが、この辺りはほとんど人がいない。

 私は旧校舎の裏で、乃愛の手を解放した。


「もー、いきなりすぎるって。ほんと、お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから」

「ふふ、そうだね」


 私は乃愛の瞳を見つめた。

 彼女も私を見つめてくる。

 もう、目を逸らしたくなることはない。


「……乃愛の言う通りだったよ」

「うん? 何が?」

「私、意外と生徒会の仕事、気に入ってたみたい。皆の助けになれるのって、悪くないね」

「……そっか。よかった」

「他の人に興味ないって、自分についてた嘘だったのかもね」


 乃愛は微妙な顔をした。

 私は、小さく息を吐く。


「でもね。乃愛のこと、やっぱり一番好きだよ」

「……うぇ?」

「お父さんより、お母さんより、他の人より。やっぱり、乃愛が好き。他の誰の笑顔より、乃愛の笑顔が好き。今なら間違いなく言えるよ」


 乃愛は、静かに私の話を聞いている。


「まだ、ちょっとだけ胸が痛いけど。でも、ちょっとずつ人のこと、信じられるようになってきた気がする。……結局私は、怖がってたんだろうね」

「……お姉ちゃん」

「嘘つかれるのが嫌だった。約束を破られるのもね。でも、ちゃんと、逃げずに周りを見てみたら。……意外とこの世は、嘘ばっかじゃないかもって思えたんだ」


 まだ、嘘をつかれるのは嫌だという気持ちはあるけれど。

 それでも乃愛が私の傍にいてくれるなら。

 私も自分を見失うことは、もうないと思う。


「乃愛が傍にいてくれるなら、私はどこにだっていける。……乃愛」

「なあに、お姉ちゃん」

「ずっと、一緒にいて。ずっとずっと、私の隣で笑っていて」

「……うん」


 乃愛はにこりと笑う。

 私も、彼女に笑い返した。


 今の私たちの関係は、嘘をつかないという約束から始まった。幼い約束は私たちを結びつけ、迷わせてもきたけれど。

 私たちの関係は、結局昔と同じところに戻ってきた、気がする。


「じゃあ、乃愛。……誓って?」

「誓う?」

「うん。……誓いのキス、しようよ」


 私が言うと、乃愛は辺りを見渡した。


「そんな警戒しなくても、大丈夫だよ。ここ、人来ないから。生徒会長を信じて」

「む。お姉ちゃんが言うなら……」


 きょろきょろ辺りを見ていた彼女の瞳が、私に焦点を合わせる。

 喧騒は遠く、ただ乃愛の息遣いだけが私の耳を打つ。


 私たちはしばらくお互いに見つめ合い、やがてどちらともなく、唇を合わせた。そっと触れて、深く触れ合って、首に腕を回す。


 家族としての愛。乃愛個人に向ける恋。

 色んな思いが胸に同居しているが、全てを合わせて、私は乃愛のことを愛している。そして、乃愛も同じ気持ちだということが、その唇から確かに伝わってきた。


 だからもう、不安はなかった。

 私たちはしばらく互いに何度も唇を合わせた後、静かに顔を離す。


 ぱち、と目が合った。

 そして、くすくす笑い合う。


「なんか、照れるね」


 乃愛が言う。


「これから先、何度もすることになるから。慣れないとだね」

「そ、そうだね」

「……さて。じゃ、戻らないとね。私も生徒会の仕事あるし、乃愛も青山さんとの約束あるんだもんね」

「……あれ。私、静玖と文化祭回ること、お姉ちゃんに言ったっけ?」

「さっき一緒にいたから。約束してたってことくらいわかるよ。……ふふ。悪いことしちゃったかな?」

「……そう思うなら、後でちゃんと静玖に謝っといてよ。私からも、謝っとくけど」

「そうだね」


 私は乃愛の手を握って、新校舎の方に帰ろうとする。

 その時、乃愛が私の手をぎゅっと握って、足を止めてきた。


「……お姉ちゃん!」


 乃愛は私を見上げる。

 その瞳には、珍しく、少し迷いが見えた。


「私、皆に優しいお姉ちゃんが好き! でも、人気すぎると、ちょっと嫉妬しちゃうから!」


 私は目を丸くした。

 そして、ふっと笑う。


「うん、ごめんね。誰よりも、乃愛をちゃんと優先するよ」

「……できる限りでいいよ。私もそうする」

「……そっか」


 乃愛も、私が誰かと仲良くしていたら嫌な気持ちになるのか。

 やっぱり私たちは似た者姉妹だと思う。乃愛は恥ずかしそうな顔をして、早足で歩き出す。


「のーあちゃん。お顔見せて?」

「やだ。絶対顔赤いもん」

「えー。絶対可愛いと思うのになー」

「やなものはや!」


 いつもはもうちょっと大人びているのに、急に子供みたいになっている。

 私はくすくす笑いながら、前を歩く乃愛についていった。



——



「のーあー? ごはんごはんごはんー!」

「ちょっ……お姉ちゃん! だからお風呂から上がったらちゃんと乾かしてってば!」


 あれからしばらく経って。

 私たちの日常は、元通りになっていた。前と違うのは、私たちがお互いの気持ちを確かめ合い、ずっと一緒にいると誓ったという点だ。


 だからもう、不安はない。

 ない、が。


「だってー。乃愛ちゃんにお世話されたいしー」

「はぁ……。お姉ちゃんはほんと、しょうがないんだから」


 私が甘えると、乃愛はバスタオルを持って、体を拭いてくれる。相変わらず面倒見がいいなぁ、と思う。


 私が自分で自分のことをできると知ってもなお、乃愛は私のことを甘やかしてくれる。


 これは私たちなりのスキンシップで、私たちの日常には欠かせないものなのだ。だから私は、全力で乃愛に甘えるようにしている。


「えいっ」

「わっ」


 私は乃愛のことを、ぎゅっと抱きしめる。

 服を着ていないと、乃愛の感触が普通よりもっと強く感じられる。私は乃愛の感触を確かめながら、彼女の頭を撫でた。


 耳にそっと触れると、かなり熱かった。

 いつだって乃愛はこうやって新鮮な反応を示してくれるから、ついからかいたくなったりもする。


 ほんと、可愛いなぁ。

 やっぱり、好きだ。


「ふふー。乃愛ちゃんだー」

「お、姉ちゃん。恥ずかしいって」

「私は恥ずかしくないよー?」

「お姉ちゃんはもっと羞恥心を持った方がいいと思います」

「そうかもねー。あ、乃愛ちゃんも裸になってくれたら、私も恥ずかしいかも?」

「いや、ならないからね? 何さらっと変なこと言ってるの」

「ありゃー。騙されないかー」


 私が言うと、乃愛は小さくため息をつく。そして、乱暴に私の体を拭いて、背中を押してきた。


「はい、髪は自分で乾かして! 私は夕飯の準備があるから!」

「えー。ケチー」

「ケチで結構! 美味しいごはん作るから、それで許して」

「あーんつきなら許してあげる」

「はいはい。あーんでもなんでもするから!」

「食後の膝枕は?」

「……しょうがないなぁ」


 乃愛はやっぱり、私に甘い。そういうところ、好き。

 私はにこにこ笑いながら、洗面所に向かった。





 髪を乾かして、服を着て、食事を終える。

 私は食事を終えた後、一度自分の部屋に戻ってから、乃愛に膝枕されていた。頭を撫でられていると、落ち着く。


「乃愛ちゃんの指、やっぱ綺麗だねー」

「お姉ちゃんには負けるって」

「そうかなー? 乃愛ちゃんの指、食べ応えありそうで好きだよー?」

「え、私のこと食べ物だと思ってる?」


 いつもの触れ合いを堪能した私は、やがてそっと体を起こして、乃愛と向き合った。

 じっと見つめると、乃愛は困ったような顔をした。


「な、なあに? そんなに見つめて……」

「うん? 好きだなぁって思って」

「……そ、そうなんだ」


 私はそっと、彼女の左手を持ち上げた。

 そして、ポケットから指輪を取り出して、彼女の薬指につける。

 乃愛は驚いたように、目を丸くしていた。


「……うん。やっぱり、ピッタリだ」

「え。これ、って?」

「予約の証。エタニティリングは、まだ買えないけど。それでも、永遠を誓いたいって思って」


 飾り気のない銀色の指輪は、今の私にできる最大限の誓いだ。

 乃愛は目を丸くしたと思えば、ふにゃりと笑った。

 見たことがないくらい、脱力した笑み。


 私の気持ちが受け入れられたんだと、すぐにわかる。だから私も、笑った。


「もー。ほんと、いつもいきなりなんだから」

「うん。ごめんね」

「ううん。嬉しいよ」


 左手を光にかざして、彼女は目を細めた。銀色の指輪が、輝いている。私たちの未来も同じように輝いていたら、いいと思う。


 いや。

 未来はこれから、私たちが頑張って輝かせていけばいい。

 私たちなら、きっと。


「……お姉ちゃん。色々あったけど、私。お姉ちゃんのこと、愛してるよ」

「うん。私も乃愛のこと、誰よりも愛してる。だから、ずっと。ずっとずっと、一緒にいようね」


 乃愛は小さく頷いて、私にキスをしてくる。

 唇を離してから、私はにこりと笑った。


「ちゃんと私のこと、見ててね?」

「見てるよ、ずっと」

「ちゃんと甘やかさないと駄目だよー? 寂しいと死んじゃうんだから」

「お姉ちゃんはうさぎか何かなの……?」

「そうだよー。だから目、離さないでねー?」

「うん。お姉ちゃんも私のこと、ちゃんと見ててね。……たまには私のことも、甘やかして」

「それはもちろんー」


 私たちはいつもの会話をしながら、笑い合った。

 これからも、迷ったり悩んだり、すれ違うこともあるかもしれないけれど。私たちは家族で、姉妹で、そして。


 お互いを誰よりも、大事に思っている。

 だから絶対、これからも二人でいられる、と思う。


 私はそっと、自分の太ももに乃愛を寝かせた。こうして甘やかしたり、甘やかされたりする時間は、やっぱり何よりも幸せなものだった。

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絶対に自立したくないお姉ちゃんVS絶対に自立させたい私 犬甘あんず(ぽめぞーん) @mofuzo

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