第32話

「乃愛はどんな指輪が欲しいとか、あるの?」


 お姉ちゃんは、指輪を見ながら言う。思えば私はこういうアクセサリーの類に何かを思うことがなかった気がする。


 ネックレスとかピアスとかも、つけたことないし。

 指輪なんて水仕事の最中に邪魔になってしまいそうだし、どうせなら家電とか実用的なものが……。


 こういうのは、そういう問題じゃないんだろうけど。

 やっぱり、まだまだ実感が湧かないというか、なんというか。


「お姉ちゃんがプレゼントしてくれるものなら、どんなのだっていいよ」

「駄目だよ、それじゃ。毎日つけるものなら、自分の好きなデザインとかの方がいいでしょ?」

「それは、そうかもだけど……」


 確かに、一口に指輪と言っても、様々なデザインのものがある。宝石が散りばめられていたり、金だったりプラチナだったり。


 家具とか家電とか、そういうのばかり今まで見てきたけれど、意外とアクセサリーも奥が深くて見ていて楽しい、のかもしれない。


 そういえば、智友は色んなアクセサリー持ってたっけ。

 ピアスもたくさん開けてたし。耳の軟骨のピアスとか、痛くないのかなぁ、とか思ったこともあった。

 ……智友、心配してないかな。


「お姉ちゃんは? どんなデザインのやつがいいとか、あるの?」

「私? んー……私は、エタニティリングとかいいよね。綺麗だし、シンプルな感じで」

「えた……?」

「ほら、こういうやつ」


 お姉ちゃんはスマホでエタニティリングを見せてくる。

 ぐるりと一周宝石が散りばめられたリングは、確かに綺麗なものだった。お姉ちゃんはこういう指輪とか、普通に知ってるんだなぁ、と思う。


「永遠の愛」

「え?」

「エタニティリングは、永遠の愛を意味するんだって」

「……永遠、かぁ」


 永遠。ずっと続くもの。

 私はそういうものを信じたことが、思えば一度もない気がする。ずっと一緒にいると思っていたお母さんはいなくなり、私たちの傍にいてくれたお父さんも、気づけば遠くなっていて。


 お姉ちゃんも、いつかは家を出て行って、私は一人になるものだと思っていた。


 でも、どこかにあるのかな。

 信じられる、永遠も。


「私もそれがいいな」

「適当に決めてない?」

「ううん。適当なんかじゃないよ。私も永遠の愛を、信じたいなって」

「……そっか」


 お姉ちゃんは私を見て、ふっと笑う。その笑みはいつも通りにも、いつも通りじゃないようにも見える。


 彼女が今、何を考えているのか。わかるようでわからない。

 誰より近い気がするのに、やっぱり、遠い。


 私は本当に、お姉ちゃんのことをちゃんと知っているんだろうか。家で私に甘えていたお姉ちゃんに、外で誰からも憧れられていたお姉ちゃん。


 そのどちらも、本当のお姉ちゃんではないような気がしてくる。

 それでも私に向けられた愛は、きっと本当で。


 胸が変だ。幸せと苦しさの中間のようなものが、ちくちく私を刺してくる。


「じゃあ、これから頑張って——」


 お姉ちゃんが言葉を言い終わる前に、辺りに子供の泣き声が響き渡る。

 見れば、小さい女の子が店のすぐ近くで泣いているのが見えた。咄嗟に駆け寄ろうとすると、その前にお姉ちゃんが女の子に近づいていた。

 思わず、足を止める。


「どうしたの? そんなに泣いちゃって」

「お、母さんが……」

「はぐれちゃったの?」

「う、うん……」

「そっか。お母さんはどんな人かな? お姉さんに教えてくれる?」


 お姉ちゃんは目線を合わせて、女の子の話を聞いている。

 その顔は、家で私に見せる顔と同じで。

 不思議と胸の痛みが、小さくなるのを感じた。


 お姉ちゃんが私だけを見て、私だけを愛してくれるのは、嬉しい。でも、こうして他の人に優しくしているお姉ちゃんも、私はきっと、大好きなんだ。


 彼女は私以外に興味がないと言っていたけれど。

 違うんじゃないかな、と思う。


 だって、女の子を見るお姉ちゃんの顔はあまりにも優しい。興味がない相手に、演技だとしてもあんな表情を向けられるはずがない。


「乃愛。この子のお母さん、一緒に探してくれる?」

「……うん!」

「……? どうして笑ってるの?」

「なんでもない!」


 お姉ちゃんが自分で家のことをなんでもできるようになったり、人に甘えたりするのは嫌だった。


 そうなるくらいなら、いっそ。

 いっそ閉じ込めてしまいたいなんて、思ったこともある。


 それはきっと、お姉ちゃんに対する恋心の暴走で。でも、今。こうして人に優しいお姉ちゃんを見ると、どうしようもなく嬉しくて、安堵するのは。


 家族としての、愛情のためなのかもしれない。

 どっちも間違いなく私の気持ちで、どちらかを切り取って何かを考えることなんてできない。


 だから。

 お姉ちゃんとずっと一緒にいたい。だけど、お姉ちゃんと私の二人だけで、全てを完結させたくはない。

 異なる二つの感情が私の中に渦巻くのも、仕方がないことなのだろう。


「お姉ちゃんはやっぱり——お姉ちゃんだ」

「そうだけど……なんか変だよ、乃愛」

「そうかもね! ほら、この子のお母さん、一緒に見つけようよ!」

「……そうだね」


 私はずっと、感情に振り回されている。

 好きっていう気持ちだとか、それ以外の気持ちとか、色々。一つの感情だけが胸に満ちていればブレずに済むのに、複数の感情が同居しているのが心というものだから、どうしようもなくて。


 それでも、私の胸に満ちている感情は、全て私のものだ。

 だから、結局全ての感情が行き着く先は、同じなんじゃないだろうか。


 そう思いながら私は、お姉ちゃんと二人で女の子のお母さん探しをした。





 幸いにして、その人はすぐに見つかった。女の子にもお母さんにもお礼を何度も言われてから、私たちはまた、二人で手を繋いで歩き始めた。


「お姉ちゃん。生徒会の仕事って、やりがいある?」

「いきなりだね。……あるっていえばあるかな?」

「あはは、やっぱり。人のためになることっていいね。この前ボランティアした時は気づかなかったけど」


 静玖は私が自然に人を助けていると言っていたけれど。

 元はお姉ちゃんが私を助けてくれていたから、私も誰かを助けようと思うようになったのだ。

 今の私の全ては、お姉ちゃんにしてもらったことから始まった。


「……駄目だよ」

「駄目って、何が——」


 手を引かれる。

 柱の影に引っ張られたかと思えば、お姉ちゃんは私にキスをしてきた。ただのキスじゃなくて、舌を入れるようなキス。


 いくら柱の影といっても、辺りではひっきりなしに人が歩いている。

 心臓が、爆発しそうなくらい鼓動を刻み始める。


「私以外の、ヒトのためになることなんて、したら駄目」

「……お姉ちゃん」

「やっぱり乃愛は、閉じ込めておかないと」


 お姉ちゃんはそう言って、何度も私にキスをしてくる。

 所有権を主張するようなキスに、頭がくらくらするのを感じた。初めてキスをしたのはついこの間なのに、短期間でここまで何度もキスをすることになるなんて。


 嫌じゃない。

 決して嫌じゃないんだけど、こんなところでするのも、何度も何度もするのも、おかしくて。


 感情がぱちぱちと、心の中で弾ける。

 お姉ちゃんへの好きと幸せで、何もかもが上書きされていくのを感じた。


「わんこが人を舐めてるのは可愛いけど、わんこちゃんが乃愛を舐めてても、あんまり可愛くないもんだね」


 びくり、と体が跳ねる。

 咄嗟にお姉ちゃんから離れると、誰かに抱き止められた。

 見上げると、そこには。


「おはよ、乃愛。いや、時間的にはこんにちは、か。とにかくお久だね。乃愛に、わんこちゃん」


 いつになくにこやかな笑みを浮かべている、智友の姿があった。

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