第28話

 仲がいい友達はたくさんいるけれど、特に仲がいいのは智友と静玖だ。

 だけど、智友は部活が忙しくて、静玖は会長を応援する会の人と何やら用事があるらしく。


 今日は他の友達とお昼を食べて、全く集中できないまま授業を聞いて。

 そして放課後になってもなお、私の魂は抜けたままだった。


「……はぁ」


 お姉ちゃんのこと、誰かに相談しても仕方ないんだけど。

 どうしたものかな、と思う。


 いや、退学届に名前を書いた時点で、もう終わりみたいなところはある。でも、本当にこのまま学校やめていいのかな。


 確かに、お姉ちゃんの気持ちは嬉しかった。

 正直に言えば、お姉ちゃんとずっと一緒にいられるのは、嬉しい。私以外の誰かに甘えず、ずっと隣にいてくれると思うだけで、胸が高鳴るのは確かで。


 それに。

 私はようやく、自分の気持ちに真正面から向き合った。

 そう。


 お姉ちゃんが、好きだ。家族としてもあるけれど、それ以上に。恋愛的な意味で。


 いつからとか、どうしてとか、よくわかんないけど。

 とにかく私はお姉ちゃんを愛していて、恋していて。

 だけど、でも。


 ……なんか、違う気がするっていうか。もやもやするというか。

 本当にいいの?

 何度も何度も、心の中の自分に問いかけられる。


「のーあーさーん!」


 学校から出ようとした時、背後から足音と共に声が聞こえてくる。

 振り返ると、静玖が走ってきているのが見えた。


「静玖。そんなに走ったら危ないよ」

「はっ、すみません、ふぅ、ぜえ……」

「だ、大丈夫……?」

「ちょっと休めば、なんとか」

「そんなに全力ダッシュしなくても……」


 私はふと思い出して、バッグの中に入れたままにしていたペットボトルを取り出す。


「はい、お水。昼に買ったから、ぬるいかもだけど」

「あ、ありがとうございます……」


 静玖は水を勢い良く飲み干して、ハンカチで汗を拭った。


「おかげさまで生き返りました!」

「それはよかった。ところで、私に何かご用事?」

「はい! それはもう!」


 いつも通りだ。そりゃ、私とお姉ちゃんに何かがあったからって、周りが何か変わるってわけじゃない。


 そうわかっているけれど、あまりにもいつも通りな静玖が、ちょっと愛おしかった。


 もし私が高校をやめても、静玖はきっと、ずっとこんな感じなんだろうなぁ。


 そういえば。

 私が退学しても、お姉ちゃんは学校通い続けるんだろうか。


「で、ですよ!」


 ずい、と静玖が迫ってくる。

 近い近い。

 こんな距離で話されても!


「乃愛さん!」

「は、はい」


 なんだなんだ。一体何があったというのか。もしかして、いやいや、そんなわけ。


「……デートしませんか?」

「……はい?」


 思わぬ言葉に、首を傾げる。

 静玖の瞳は、真剣そのものだった。





「ああっ! ボールが溝に!」


 かこーん、と甲高い音が辺りから聞こえてくる。

 右を見ても左を見ても、ボールがごろごろと。

 うん、ボウリング場だ。完全に、完璧に、ふつーのボウリング場。


「……うぅ、ボウリングって意外と難しいんですね」

「あの、静玖?」

「あ、次は乃愛さんの番ですよ! どうぞ!」

「あ、うん」


 静玖って、意外とアクティブなのかな。

 デートって言うから、またショッピングにでも行くのかと思っていたけれど。


 私はそっと、ボールを持った。

 見た目に反して、意外とボウリングのボールって重いんだよなぁ。

 腕が攣りそう。


「静玖って、結構こういうとこ来るの?」


 ボールを投げる。

 カーブして、ガターに。


 ……。

 腕が落ちた?

 いや、元々落ちるほどの腕もなかった気もするけど。


「いえ、初めてです」

「え、そうなんだ。てっきりこういう、体を動かす趣味があるのかと」

「私、実は趣味って趣味がないんですよね。今まで色々試してみたり、漠然と勉強に励んでみたりはしてきたんですけど」


 私はベンチに座った。

 初めてのボウリングで気合が入っているのか、静玖は髪を後ろでまとめている。こうして見るとすごいスポーティな女の子って感じで、かっこいい気がする。


 それはいいんだけど。

 小さく息を吐く。


 お姉ちゃんには、私以外に知らない顔を見せてほしくない。私がそう思っているのと同じことを、お姉ちゃんも思っている。


 そうわかった今、こうして友達と遊ぶのは、よくないことなのかもしれない。


 お姉ちゃんが大好きという気持ちと、友達が好きな気持ち。

 二つあるのは確かで、どちらかしか選べないならお姉ちゃんを選ぶ。それは、確かなんだけど。

 本当に選ばないと駄目なんだろうか。他に道はないんだろうか。


「だから、会長にも乃愛さんにも、すごく救われたんです」

「お姉ちゃんはともかく、私に?」

「はい。前にも言いましたが、乃愛さんは私の目標ですから」

「お姉ちゃんみたいになりたいって言ってなかったっけ?」

「そうですね。会長みたいになるために、日々頑張ってはいます。でも、最近気づいたんです。会長に対する気持ちは憧れで……」


 静玖の投げたボールが、今度はまっすぐレーンを転がって、ピンを倒していく。

 全てのピンが倒れていくのを見送った静玖は、私の方を振り向いた。


「乃愛さんに対する気持ちは、もっと違って。友情もあるんですけど、本当は、乃愛さんみたいに。乃愛さんみたいに、自然体で優しい人になれたらって」

「……静玖」

「頑張って自分を変えるのも大事で、でも、自分らしくいるのも大事で! だから、その、えっと。……私が、何を言いたいかというと!」


 静玖はあちこちに何度も目線をやってから、私を見つめた。


「そのままの乃愛さんが、私は好きです!」

「……?」

「無理しないでください。頑張りすぎないでください。……この前、倒れたって聞いて。とても、心配でした」

「あ……」


 そうか。

 私が心配をかけていたのは、お姉ちゃんだけじゃなくて、静玖もだったんだ。いや、もしかしたら、友達全員に心配かけていたのかもしれない。

 私だって、静玖が倒れたら心配する。


「……ごめん、心配かけて」

「……はい。本当に、心配しました」

「……ありがとう、静玖。私のために、色々」

「え、いえいえいえ! そんな、別に私は何も! そ、それより! 次は違う遊びにもチャレンジしてみませんか!?」

「ふふ。そうだね、やろっか。私、こういうの結構慣れてるから。静玖に楽しみ方、伝授してあげるよ」

「……! はい!」


 静玖は楽しげに笑う。

 その笑顔を見て、私は、やっぱり友達とお姉ちゃんどちらかを選ぶなんて無理だ、と思った。


 お姉ちゃんも静玖も智友も、他の友達たちも。

 皆私の大事なもので、何かを切り捨てることなんてできるはずがない。たとえお姉ちゃんが、それを望んでいるのだとしても。


 探さないと。

 お姉ちゃんも私も、どちらも幸せになれるような、そんな道を。

 そうしないときっと、私たちは何かがおかしくなってしまう。





 日が暮れるまで二人で遊んで、肩を並べて帰路を歩く。それはいつもと変わらない普通の日常で、これからも続いていくべきものだった。


 長い影が、私たちから伸びている。遊んでいるときはあれだけ色々話したのに、帰り道ではなんだか黙ってしまうのはどうしてだろうと思う。

 近づくお別れの空気が、口を重くさせるのかもしれない。


「そろそろ、文化祭ですね」


 静玖が言う。


「そうだね。静玖のクラス、頑張ってるよね」

「はい。皆さんとても気合が入ってます!」

「あはは、すごいなぁ。うちなんて全然やる気なくて。展示だよ、展示」


 会話が一瞬止まる。

 なんとなく静玖の方を見ると、視線がぶつかる。


「……当日、一緒に回りませんか? 智友さんも一緒に、皆で」

「……そうだね。静玖のクラスにも行くよ。どんな感じなのかも、気になるし」

「はい」


 話をしているうちに、駅にたどり着く。

 私たちはいつものように、それぞれが乗る電車の方に歩こうとした。


 そういえば、この前ボランティアをした時は、私から静玖に声をかけたっけ。そう思って、静玖の方を振り返る。

 やっぱり静玖も、私の方を見ていた。


「乃愛さん!」


 今日は、静玖の方から声をかけてきた。


「また月曜日、会いましょう!」

「……うん! また!」


 私たちは何度も歩き出しては振り返り、手を振り合った。なんだか間が抜けているような気がしたけれど、それはそれで悪くない気がして、互いの姿が見えなくなるまでそんなことを繰り返す。


 そして、電車に乗って家に帰る。

 お姉ちゃんは生徒会で忙しいだろうから、早めにご飯を作ろう。そう思いながら、部屋の扉に手を掛ける。


 鍵が開いている。

 首を傾げて、部屋に入った。

 部屋の電気は、まだついていない。


「おかえり」


 声は横から飛んできて、気づいた時には腕を引っ張られていた。

 そのまま私は、柔らかな匂いに包まれた。

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