やくそくと、うそ②

 乃愛の周りにはヒトが多すぎる。

 私にとって乃愛以外のヒトは全て嘘つきで、世界に必要のないものだが。乃愛にとってはそうでないらしく、彼女は友達と楽しそうにしていることが多かった。


 家でどれだけ甘えても、それは変わらなかった。

 だから、私は彼女の意識が私だけに向くように仕向けた。放っておけない人間を演じ、無邪気に見せかけて彼女に甘え。


 それでも彼女の世界は広がっていった。

 私の知らない人に、知らない笑顔を向けて、知らない言葉をかけている。そう思うだけで胸が張り裂けそうで、乃愛を閉じ込めてしまいたくなった。


「お姉ちゃん! ちゃんと脱いだ服はカゴに入れてっていつも言ってるじゃん!」

「あれ、そうだっけー。ごめんごめん、ついねー」

「それ言うのももう十回目だからね?」

「そっかー」

「そっかーじゃないですけど!?」


 乃愛以外の他人なんてどうでもいいって言ったら、乃愛はどんな顔をするかな。


 幻滅するのか、距離を置こうとするのか、それとも。

 わからないから、乃愛が私から離れていかないように、様々な策を講じた。そうしていくうちに、私は自分の心に気がついた。


 乃愛のことは、元から好きだ。

 でもこの好きが、どういう好きなのかは自分でもわかっていなかった。


 家族愛なのか、恋愛なのか、性愛なのか。

 結論から言えば、私の好きは、その全てだった。


 家族として乃愛のことを愛している。だけど、一人の人間として、乃愛を好ましく思ってもいるし、そういうことをしたいとも思っている。


 この思いは、普通ではないのかもしれない。

 姉妹に恋愛感情を抱くのは、異常かもしれない。


 それでも、確かにこの胸にある心を、感情を、なかったことにはできない。


「乃愛ちゃん」

「なにさ、お姉ちゃ——」

「えいっ」


 私は全裸のまま、様子を見に来た乃愛を押し倒す。

 乃愛は驚いたように目を丸くして、そっぽを向いた。


「い、いきなりなんなの?」

「なんなんだろうねー?」


 乃愛。

 私、乃愛がこれ以上、わけのわからない他人に奪われていくのを見るのは、耐えられないよ。


 私たちは、ずっと二人で生きてきたのに。

 後から出てきたヒトが奪って行こうとするなんて、そんなの許されるはずがないよ。


 ……だから。

 乃愛が絶対、誰にも奪われないように。

 閉じ込めてもいいよね?



——



「高校やめて、って。どういう、こと?」


 乃愛は驚いたように声を上げる。

 もしかしたらまだ、時期尚早だったのかもしれない。しかし、退学届を見た乃愛の反応を見た限り、可能性はありそうだったから。


 だから私は、賭けに出ることにした。

 もう、乃愛をこのままにしておけない。どれだけ繋ぎ止めようとしても、青山さんとの関係も、智友との関係も止められないのなら。


 これ以上関係が深まる前に、手を打たないと。

 このままでは、乃愛が遠くに行ってしまう。


「うん? 言ったままの意味だよ? 乃愛ちゃんには、学校やめてもらおーって思って」

「な、なんで? なんで、そんなこと……」

「……好きだから」

「……は」


 まどろっこしいのは、やめよう。

 乃愛に拒絶されるのは、怖いけど。


 誤魔化したって、乃愛はとどめておけない。それに、もう私の心も限界だ。乃愛を閉じ込めてしまいたいという思いは、抑えられなくなっている。


 乃愛の全てを、私のものにしたい。

 ずっと昔から私は、それだけを願ってきた。


「乃愛のことが、誰よりも大好きだから。乃愛が他の人のものになるのは、耐えられないよ」

「他の人の、もの? 何言って——」

「乃愛は青山さんとか、智友ちゃんとか。友達のこと、好きでしょ?」


 問いかける。

 嘘を失っている乃愛は、微かに私から目を逸らした。それが答えだということは、考えなくたってわかる。

 だから私は、にっこり笑った。


「だよねー。……だからだよ」


 乃愛の頬に触れる。

 私を見上げる大きな瞳は、母と同じようで、やっぱり違う。

 その瞳に私だけが映っているのを確認してから、静かに口を開いた。


「もう、耐えられないんだよ。青山さんにも智友ちゃんにも他の友達にも、乃愛のこと取られたくない。ずっと、ずっとずっと、ずっと……一生私の乃愛でいてほしいの」

「わ、たしは。お姉ちゃんの、妹だよ」

「そうだね。私たちは同じとこから生まれて、同じところで生きてきた。正真正銘、血の繋がった姉妹だよ」

「それじゃ、駄目なの?」

「駄目だよ。それだけじゃ、足りない。血の繋がりは何よりも深いと思うけど、私はもっと乃愛と繋がりが欲しい。誰にも引き裂けない、邪魔なものが入らない、完璧な繋がりが」


 頬を指でなぞり、彼女の唇に触れる。

 その唇の柔らかさを、今はまだ私以外の誰も知らない。だけど、乃愛は誰よりも可愛くて、友達も多くて、あまりにも危機感がなさすぎる。


 放っておいたら、このまま手をこまねいていたら、いつか誰かに奪われてしまうかもしれない。


 本当は、もっと時間をかけて乃愛の心を私に向けさせるつもりだったけれど。

 決壊してしまったら、あとはもう激流に飲まれるしかない。


「所詮、親友も恋人も幼馴染も。全部、家族の模倣をしてるだけだよ。本物の家族には勝てない。そうでしょ?」


 乃愛は答えない。

 私は小さく息を吐いた。


「乃愛は私のこと、嫌い?」

「そっ……! そんなわけ、ないじゃん」

「じゃあ、好き?」

「好きだよ」

「なら、何も駄目なことなんてないよね? 二人きりで生きていこうよ。他の友達はくれない愛も、気持ちよさも、何もかも。全部私が、乃愛にあげるから」

「……お姉ちゃん」

「だから、退学届、出してくれるよね?」


 茶色の瞳が揺れている。それは迷いのためなのだろうが、どちらに傾くのかは、瞳の色を見ればわかる。


 どうやら、賭けは私の勝ちらしい。

 そっと、彼女の手を握る。


「私の部屋、行こ」

「……うん」


 乃愛は抵抗しない。

 切り離してしまえば、あとはどうにでもなる。乃愛も今は多少迷っているものの、私しか見えなくなるのは時間の問題だろう。


 乃愛が私を好きだってことは、知っている。

 その好きが、家族愛を超えたものになるかどうかは、今はまだわからないが。なんにしても、二人きりにさえなれれば。これからまた、時間をかけて乃愛の感情を私に向けさせることだって可能だ。


 とにかく、まずは学校をやめさせないと。

 私は乃愛の手を引いて、部屋に戻った。


 用意しておいた退学届に、乃愛の名前を書かせる。途中、乃愛の手は震えていたけれど、私が手を重ねると、震えは止まった。


 父の説得は、容易だ。

 私は乃愛の名前が書かれた退学届を、そっとクリアファイルにしまった。


「よくできたね、乃愛」

「……お姉ちゃんは」


 乃愛は、私の方を向く。

 瞳の色が暗い。こんな目をしているのは、母が亡くなって以来かもしれないと思う。私は目を細めた。


「どうして私のこと、好きなの? 私が嘘つかないから?」

「それもあるけど、その前から好きだったよ。可愛くて、元気で、いつも私に頼ってたけど、私のこと気遣ってもくれて。決定的なきっかけがあるわけじゃないけど……とにかく、好きなんだよ」

「……どういう好き?」


 鈍感な乃愛でも、もうわかっているはずだ。しかし、こういうのは実際に言葉にして、行動に示すのが重要だ。


 私は椅子に座る乃愛の顎に、そっと手を当てた。

 そして、静かに唇を合わせる……だけでは、終わらせない。


 家族のキスだとか、姉妹のキスだとか。そう考える余地がないように、彼女の口に舌を入れた。


 一瞬驚いたように体を跳ねさせるが、彼女はすぐに私の舌を受け入れてくれる。自分から絡ませてくることはないものの、受け入れてくれるだけで十分だ。


 私は呼吸も忘れて、彼女の舌を貪った。

 唇を離す頃には乃愛の息はすっかり上がっていて、顔も上気していた。

 ぞくりと、鳥肌に似た感触が背中に宿る。


 やっぱり私は、乃愛が好きだ。乃愛を私のものにして、私が乃愛のものになれば。それ以上の幸せなんて、ないと思う。


「……こういう好きだよ。乃愛は?」


 答えは期待していなかった。

 乃愛は嘘を避けるために、明確な答えを出せないときは口をつぐむことがある。ここで無理に言葉を引き出すことはない。


 そう思い、乃愛から離れようとした時。

 手を引っ張られて、体が傾く。


 そして、彼女にキスをされた。遠慮がちに差し入れられた舌を受け入れると、歓喜するように、彼女の舌が私の歯をなぞる。

 しかし、彼女はすぐに、私から顔を離した。


「……私も。お姉ちゃんのこと、好き。こういうこと、したいってくらい」

「よかった。じゃあ私たち、両思いだね?」

「……うん」


 乃愛の気持ちを確かめられたのは、嬉しい。にこりと微笑むと、乃愛もぎこちなく笑みを返してきた。


 賭けに出て正解だった。これで、もう誰にも乃愛を奪われずに済む。

 私はこれからの生活に思いを馳せた。

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