第25話

「今日は乃愛ちゃん甘やかしデーだー!」


 お姉ちゃんのお膝の上。

 私はぬいぐるみのように座らされ、頭を撫で回されていた。


 ……うーん、ちょっと?

 これはどういう状況ですか?


「……あの、お姉ちゃん?」

「なあに、乃愛ちゃん」

「いきなりどうしたの?」

「んー? どうしたって言われても。今日は乃愛ちゃんのこと、とことん甘やかそうって思って」

「えぇ……?」


 お姉ちゃんは、ぎゅっと私を抱きしめてくる。


「心配かけたんだから、これくらいは受け入れてもらわないとねー」

「う。確かに、そうかもだけど」


 自分でも、まさか倒れるなんて思っていなかったのだ。

 お姉ちゃんにはかなり心配をかけたと思うけれど、この前だって罰を受けたんだからもう十分じゃない? とも思う。

 でも、お姉ちゃんはそんなのお構いなしみたいだった。


「でしょ? だから、今日は私が乃愛ちゃんのこと、たくさんお世話してあげるね!」

「……うん。じゃあ、お任せしよっかな」


 私は観念することにした。正直人に甘えるのは苦手だけど、それでお姉ちゃんが満足するなら、いいだろう。




「……これは?」

「うん? 朝ごはんだよ?」

「……またお惣菜、買ったの?」

「今回は私が作ったよ」

「ほんとに?」

「乃愛には嘘、つかないよ」

「む……」


 テーブルに並べられているのは、和朝食。いつもお姉ちゃんに作ってあげているごはんよりも手が込んでいる気がして、私はちょっと圧倒された。


 本当にこれを、お姉ちゃんが?

 とは、思うけど。お姉ちゃんは私に嘘はつかない。


「さ、座って座って。食べさせてあげるねー」


 お姉ちゃんは椅子を引いて、私に座るよう促した。

 うぅ、落ち着かない。


 レストランにでも来た気分になる。やっぱりこういうの、お姉ちゃんにするのは良くてもされるのは全くもって落ち着かない。


 そわそわしている私とは反対に、お姉ちゃんは楽しそうににこにこ笑っていた。


 お姉ちゃんは隣に座って「いただきます」と言い始める。私もそれに倣って挨拶をしてから、食べ始めようとした。


「はい、あーん」


 ですよね。

 箸が私に向けられる。よくよく考えたらこれ、だいぶ恥ずかしいのでは?


 人の手で何かを食べさせてもらうのも、口開けてるところをまじまじ見られるのも。

 私がまごまごしていると、お姉ちゃんは箸を口に突っ込んでくる。


「……美味しい」

「そ? ならよかったー」


 なんかこういうの、新鮮だなぁ。

 思えば小学生の頃は、たまにお姉ちゃんにこうしてもらっていたっけ。お母さんが生きていた頃は、お母さんにもこんな風に甘えたりもしていたような、そうでもないような。


 人に甘えるって、こんな感じかぁ。

 心がむずむずして、恥ずかしくて、でも、どこか満たされるような。すっかり忘れていたそんな感覚が、嫌じゃない気がする。


 お姉ちゃんになら、ちょっとくらい甘えてもいいのかも、なんて。

 私は小さく口を開いた。


「あ、あーん……」

「……ふふ」

「な、なんで笑うの!?」

「ううん。乃愛ちゃんが甘えてくれるの、新鮮だなーって思って」

「……お姉ちゃんが言ったんじゃん。甘やかすって。私はそれに従ってるだけ!」

「あはは、そうだねー」


 気恥ずかしくて、素直に甘えられない。まるで、思春期を拗らせた子供みたいじゃないか。


 いや、実際思春期だから仕方ないのか?

 いやいや、でも。


 こんなの私のキャラじゃないのに。

 いつもと色々違いすぎて、キャラが行方不明になっている。

 むむ、むむむ……。


 あれこれ考えているうちに、朝ごはんを食べ終わる。正直いつもの数倍は疲れる食事だったけれど。たまにならこういうのも、悪くないかもしれない。


 そう思いながら、部屋に戻ろうとした時。

 お姉ちゃんが、私の手を握ってきた。


「……お姉ちゃん?」

「さ。次は歯磨きだね」

「う、うん。磨いてくるから手、離して?」

「私が磨くんだよ?」

「あ、先にってこと?」

「ううん。乃愛ちゃんの歯を、私が磨くの」

「……? はい?」


 お姉ちゃんは、にこりと笑う。

 私は咄嗟に逃げようとしたけれど、お姉ちゃんに強くぎゅっと手を握られて逃げられなくなる。


 背中に汗が滲むのを感じた。

 お姉ちゃんにしてあげることは、あるけれど。いや、私がされるのはちょっと。


「嫌?」


 お姉ちゃんが、静かな瞳で問うてくる。

 嘘はつけない。だから嫌だと突っぱねることもできないのが、ずるいと思う。そんなに強くお姉ちゃんを拒絶できるなら、最初から私は。


「嫌、じゃないけど。……恥ずかしいって」

「大丈夫だよ。こういうのは、慣れれば平気になるから」


 お姉ちゃんが言うと説得力がある。

 私は苦笑いすることしかできなかった。


「さ、じゃあ洗面所行こうねー」

「……うん」


 歯磨きくらいなら、まあまあまあ。百歩、いや千歩、一万歩くらい譲っていいとしよう。


 大丈夫、大丈夫。落ち着け、私。

 心臓の鼓動が速い気がするのは、気のせいでありまして。


「……で、その次はお着替えね!」

「……え?」

「乃愛ちゃんに着てほしい服たくさんあるんだー」

「え、ちょ、そういうのもやるの!?」

「うん。楽しみー」

「え、えぇー……」


 それは聞いていない。

 とは、思うけど。今更嫌だって拒むのも悪い気がして、どうにもならなくなる。


 結局私は、お姉ちゃんに歯を磨かれ、着せ替え人形にされ、午後になる頃には体力を完全に使い果たしてしまった。





 これはもう、甘やかすというよりお姉ちゃんのやりたいようにやっている、と言った方が正しいと思う。


 私はお姉ちゃんに膝枕され、頭を撫でられていた。

 まるで猫にでもなった気分だ。猫は気ままに人間に甘えるけれど、残念ながら私は、誰かに気ままに甘えるなんて無理だ。


 恥ずかしいし、何より。

 甘えたら、駄目になってしまう気がして。


「いいこ、いいこ……」


 柔らかな優しさが、少し、痛い。

 お姉ちゃんが一度倒れてからというもの、私は二度と誰かに甘えることなく、しっかりした人間になると決めた。


 守られてばかりの自分ではなく、お姉ちゃんを助けられるような自分でいたいって思った。

 結局そうなれているのかは、わからないけれど。


「乃愛ちゃんは、いつも頑張ってるね」


 自分が今までお姉ちゃんにかけていた言葉が、跳ね返ってきている。

 褒められても嬉しいどころか、胸がぐるぐるするのが不思議だと思う。嫌だって拒むほどではない。鼓動が速くなるのは、嫌な感情のせいでもなくて。

 ただ、とにかくくすぐったい。体も、心も。


「いつもありがとね、乃愛」

「……うん」

「乃愛のこと、大好きだよ」


 心がきしきし音を立てる。

 お姉ちゃんの隣に並びたいのは、家族で、姉妹だから。私はずっとそう思ってきた。甘えさせるのも、自立してほしかったのも、家族としてお姉ちゃんを想う気持ちから、なんて。


 だけどそれは正しいようで、正しくないのかもしれない。

 お姉ちゃんとこの前キスをした時、私はそれに気づいた。


 他の誰かに甘えるお姉ちゃんは見たくない。この家からいなくなるなんて、考えたくない。


 それは。その理由は。

 ……答えは頭によぎる退学届に邪魔される。

 お姉ちゃんはどうして、学校を辞めようとしているんだろう。


「……ねえ、お姉ちゃん」

「なあに?」

「お姉ちゃんは学校、楽しい?」

「うん、楽しいよ。乃愛と一緒だし」

「じゃあ……」


 聞いていいのかな。

 家族だからって、なんでもかんでも踏み込んでいいわけじゃない。


 でも、もしあの退学届が、私のせいだったら?

 私がお姉ちゃんの重荷になっていたら?

 巡る考えの中、私は意を決して、彼女に問うた。


「……じゃあ、お姉ちゃんの部屋に退学届があったのは、どうして?」


 お姉ちゃんは目を丸くした。


「あ、見られてたんだ。あれねー、私のじゃないんだ」

「……?」

「あれは、乃愛の退学届」

「……ぇ?」


 お姉ちゃんは私を見つめてくる。

 長い髪が、私を覆う。

 光が遠い。影みたいなお姉ちゃんの瞳が、私を映している。


「高校やめてよ、乃愛」


 告げられた言葉を理解できず、思考が止まる。お姉ちゃんはどこまでも楽しそうに、笑っていた。

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