第23話

「おはよう、お姉ちゃん!」

「お、おはよう、乃愛ちゃん」

「歯、磨いてあげるね! ほら、こっちこっち!」

「え、あ、うん。お願い……?」


 いつもと変わらない朝。

 私はお姉ちゃんを起こして、歯を磨いてあげて、髪も整えてあげた。そして、一緒にリビングに戻って、朝ごはんを食べさせて、後片付けを全部一人で済ませる。


「の、乃愛ちゃん……? どうしたの……?」

「うん? 何が?」

「なんか、いつもよりお世話してくれてるような……」

「そんなことないよ! いつも通りいつも通り! ほら、一緒に学校行こ!」


 お姉ちゃんとの関係をもう隠さないと決めた。

 だからお姉ちゃんと二人で登校しても、もう大丈夫だ。これまで一緒に登校してこなかったのは、お姉ちゃんの仕事が忙しいのもあるけれど。


 何より、怖かったからだ。私が妹だと、お姉ちゃんのイメージに傷をつけるんじゃないかって。


 でも、お姉ちゃんの妹でも恥ずかしくないくらい、今まで以上に頑張るって決めたから。もう色々考えるのはやめた。


 とにかく頑張ろう!

 これまで以上にいっぱい、たくさん!

 それでお姉ちゃんにふさわしい妹になる!

 私はぎゅっと拳を握った。


「あ、お姉ちゃんリボンが曲がってるよ? 直してあげるね」

「お、お願いします……」


 今の私は絶好調だ。全身にやる気がみなぎっているし、今ならなんだってできそうな気がする。

 私はお姉ちゃんのリボンを直して、意気揚々と家を飛び出した。





「……ねえ、静玖」

「なんですか、智友さん」

「今日の乃愛、どう思う?」

「……え、えっと。元気、ですね?」

「オブラートに包まず言いなよ。変でキモいって」

「聞こえてますけど?」


 昼休み。三人でお昼を食べているのに、智友は堂々と悪口を言ってくる。

 せっかく今日も智友の分のお弁当を用意してきたのに、こうも真正面から悪口を言われると困る。


「聞こえるように言ってるから」

「……いじめ?」

「違うわ! らしくないって言ってんの!」

「いや、そんなことないでしょ。いつもよりちょっと元気なだけだよ。ね、静玖?」

「は、はい」

「はいそこ、静玖に圧力をかけない」

「かけてないよ!?」


 失敬な。

 友達に圧力なんてかけるはずがない。ただ今日の私はちょっと気力がマックスなだけで、変でキモいってほどではないと思う。


 むしろ元気ですごいと言ってほしい。

 今の私にシャトルランをやらせたら百回は余裕でできるから。


「ただ元気なだけだから! 何も変じゃないって!」

「……いや、変でしょ」

「どこが」

「そういうとこ。……元気ならなんでもいいってわけじゃなくて。乃愛のいいところは、適度にダウナーなところでしょ。気、張りすぎじゃない? 何があったのよ」

「……よくぞ聞いてくれました!」


 私は勢い良く立ち上がった。


「私はこの度、白水叶恋の妹、白水乃愛として! 堂々生きていくことを決めたのです!」


 胸を張って言うけれど、智友は白けている。

 静玖に目を向ける。

 さっと目を逸らされた。

 ……どういう反応?


「……あのさぁ」


 智友は呆れたような顔をする。


「別に、頑張るのが悪いとは言わないよ? でも、乃愛らしさを失っちゃ駄目でしょ。乃愛は乃愛らしく、いつも通りいなよ。いつも通りで十分乃愛は、魅力的なんだから」

「……ちなみにどこらへんが魅力的?」

「顔」

「顔!?」

「てのは冗談……ではないけど。ま、可愛いとこかな?」

「それ、顔っていうのと何が違うの?」

「全然違うから。顔の可愛さと存在の可愛さは、また別だから」

「私もそう思います! 乃愛さんは可愛いです!」

「お、静玖。話がわかるね」

「智友さんこそ……」

「二人とも、ずいぶん仲良くなったね……」


 でも、可愛さ、可愛さかぁ。

 お姉ちゃんにはちょいちょい可愛いと言われるけど、そこが魅力と言われてもいまいちよくわからない。


 私らしくっていうのも、うーんって感じだ。

 お姉ちゃんはすごい。もうすごいとしか言いようがないくらいにはすごい人なのだから、もっと頑張らないと、と思う。


 釣り合いなんて、本当はどうでもいい。

 そう思っているのも、確かだ。お姉ちゃんと姉妹であることは確かなんだから、人がどう思おうとどうでもいい。


 ……とはいえ。

 それはそれとして、お姉ちゃんの隣にいても見劣りしない自分になりたいと思うのも、確かでありまして。

 そのために努力するのは、いいことなのでは?


「てわけで、乃愛。おいで」

「え?」

「いいからおいでって言ってんの」

「いいけど……」


 智友に近づくと、肩を揉まれる。いつも私がマッサージしているから、そのお返しだろうか。


 私は少し恥ずかしさを覚えながらも、智友に身を任せる。

 やっぱり、人に何かをするのはいいけど、人に何かをされるのは恥ずかしい。


「あー、お客さん凝ってますねー」

「なんのキャラ?」

「さあ?」

「次は私にやらせてください!」


 その後、私は代わる代わる肩を揉まれることになった。智友よりも静玖の方がマッサージが上手かったのは、意外だった。


 私ももっと、精進しなきゃ。

 お昼を食べ終わった後、私たちはラウンジから教室に向かっていた。廊下には何人か生徒がいて、結構な騒がしさだった。


 二人と話しながら歩いていると、不意に廊下の向こうからお姉ちゃんが歩いてきているのが見えた。


「お姉ちゃ——」

「いたいた、叶恋! さっきの授業でわかんないとこがあってさー!」


 挙げかけた手を、下げる。

 お姉ちゃんは私の知らない人と、楽しげに話をしている。その姿は知っているけれど、知らない。


 考えてみれば。

 私はお姉ちゃんの、普通の学生としての一面をあまり知らない。

 友達とどんな話をしているのか。クラスではどんな感じなのか。お姉ちゃんから話を聞くことはあっても、実際にその姿を見るのは初めてで。


 胸に何かが突き刺さる。

 それが鼓動に合わせて、さらに胸の奥深くに突き刺さる感じがする。


 この前からずっと感じている、この痛み。お姉ちゃんが私から離れれば離れるほど、私の知らないお姉ちゃんを見つければ見つけるほど。


 痛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになる。

 ……それは。


「どこがわからなかったの?」

「ちょっと待って。教科書見ながら説明するから」

「わかった。じゃあ、教室に……」


 すれ違う。

 でも、お姉ちゃんは友達の方を見ているから、目が合わない。

 たったそれだけのことが、痛くて苦しい。


 いや。きっと、気のせいだ。お姉ちゃんにとっていいことを、私が素直に祝福できないなんてこと、あるはずない。


 私は、お姉ちゃんの家族だ。家族は大事にするもので、良いことは祝福すべきで。

 祝福できないなんて、ありえないわけで。


「……乃愛。どしたん?」


 智友が私の顔を覗いてくる。

 私は笑った。


「ううん。なんでもないよ。なんでも……」


 お姉ちゃんの妹であることを、隠すのはやめた。

 でも、それで環境が変わるとか、そういうことはなくて。


 それに安堵する自分と、落胆する自分。両方いるから、心が定まらなくなる。


「予鈴鳴っちゃうし、早く教室戻ろ!」

「……まあ、いいけどさぁ。気をつけなよ、乃愛」

「……? 何を?」

「わんこちゃんもそうだけど、姉妹揃って無茶する癖があるからさ」

「あはは、平気平気」


 お姉ちゃんはともかく、私なんて全然だ。

 私が笑うと、智友はため息をついた。そのため息の理由が明かされることはないまま、私たちは教室に戻ることになった。





 そして、放課後。お姉ちゃんは相変わらず生徒会が忙しそうだから、今日も一人で帰ることになる。


 今日の夜ごはんはお姉ちゃんの好物にしよう。

 それで、お風呂にも一緒に入って、着替えも手伝って。それで、それで……。


 考えていると、不意に足元が揺らいだ。

 思わず地面に手をつく。


「……あれ?」


 頭が回る。視界が回る。世界が回る。

 何が起こっているのかわからないけれど、立って家に帰らなきゃ。


 私は立ち上がろうとしたけれど、体が言うことを聞かない。ぐらりと傾いた体は、そのまま地面に倒れていく。


 冷たい感触が、どこか遠かった。

 今、私、どうなってるんだろう。


 ぼんやりした頭は、次第にモヤで覆い隠されていって。

 気づけば私は、意識が飛んでいた。

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