第21話

「す、すみません。取り乱してしまって……」

「そんなに意外だった?」


 お姉ちゃんはにこりと笑いながら言う。

 ベンチに座った静玖は、お姉ちゃんと私を交互に見る。お姉ちゃんに憧れている静玖に、こうして見られるとちょっと落ち着かない。


 失望されないかな。色んな意味で。

 でも、静玖は大事な友達なんだから、いつまでも隠してはおけない。

 だけどやっぱり、うーん。少し、怖いといえば怖い。


「……いえ。納得というか、似てると思います」

「え?」


 私は思わず声を上げる。

 私の方を見て、彼女は笑った。私も、お姉ちゃんほどではないにしても嘘には敏感だ。だから、彼女が本気でそう言っているのだということは、わかる。

 でも、なんで?


「人に優しいところとか、雰囲気とか。思い返せばすごく、似てると思います」

「そ、そうかなぁ」

「はい! 会長も乃愛さんも、私の目標ですから」

「……改めて言われると照れるね、それ」

「事実ですので」


 ぎゅっと、お姉ちゃんは私の手を強く握る。

 骨が軋む音が聞こえてきそうなくらいに。


 いたた、痛いですお姉ちゃん。そんなに強く握らなくても、私はどこかに飛んで行ったりはしない……とも言えないか。


 さっきは私から離れてしまったわけだし。

 お姉ちゃんにも思うところがあるのかな。そう思って見上げてみるけれど、静玖に微笑みかけているお姉ちゃんからはなんの感情も読み取れない。


 ずき、と胸が痛むのを感じた。

 ……?

 一体なんの痛みなんだろう、これは。


「そう言ってもらえると、嬉しいな。乃愛は私の自慢の妹だから」

「でも、よかったんですか? 二人が姉妹だってこと、隠してたんじゃ……」

「乃愛が恥ずかしがっちゃってね。でも、青山さんは乃愛と仲良くしてくれてるみたいだし、いいかなって」

「そうだったんですね! 嬉しいです!」

「せっかくだし、今日は三人で遊ぼうか。青山さんが嫌じゃなければ」

「いえいえ。こちらこそご迷惑でなければ……」

「乃愛もいいよね?」

「……あ、うん」


 ずき、ずき、ずき。

 鼓動の音に合わせて、胸が痛む。


 本当になんだろう、この感じ。焦燥のような、息苦しさのような。そんな感覚と共にやってくる痛み。


 膝を擦りむいた時みたいに、無視できない痛みがずきずきと。

 むむむ。むむむむむ……。


 もしや私は何か良からぬ病気にかかってしまったのだろうか。うーん、でも、うーん?


「じゃあ行こう、乃愛」


 お姉ちゃんに手を引かれて、歩き出す。

 足を動かしていると少しだけ胸の痛みは和らいで、でも、胸に満ちていた不可思議な感情が消えてなくなることはなかった。





 それから私たちは、三人で街を散策した。出店で料理を買ったり、クルージングをしてみたり。


 静玖もお姉ちゃんも、私の好きな人だから。

 三人で遊ぶのは楽しかった。静玖も、楽しそうにしていたし。だけど、不意に動悸が激しくなって、いてもたってもいられなくなりそうな感じがして、どうにも落ち着かないのも確かだった。


 やっぱり私、最近おかしいのでは?

 駅についてからも、私はあれこれ考えていたけれど、考えてもため息が出そうになるばかりだった。


「楽しかったね、お姉ちゃん」


 私は胸の内に潜む感情を隠すように、努めて明るく言った。

 私の隣に座るお姉ちゃんは、にこりと笑う。


 外の笑顔と家の笑顔の境界線が曖昧になった、よくわからない笑顔。

 どっちの笑顔も、好きなはずなのに。


 心臓がうるさい。

 ……なんで?


「うん。青山さんって、楽しい人だね」

「だ、よねー! 静玖って、すっごいいい子だし、面白いんだよ。この前なんて……」


 言葉の途中で、お姉ちゃんは私の頭に手を乗せてくる。

 ああ、そういえば。

 静玖の帽子、被ったままだったっけ。


「これ、青山さんのだよね?」

「うん。この前買ったんだって」

「そっか。きっと、大事なものなんだろうね」


 帽子が、微かに歪む。


「……お姉ちゃん?」


 お姉ちゃんの黒い瞳は、カラフルな帽子をどこか無感動に眺めているように見えた。

 その瞳に映る帽子は、驚くほど色がない。


「……これ、私が今度返しておくね」

「あ、うん。お願い……」


 お姉ちゃんは、多分いつも通り。

 でも、私がいつもとはちょっと違うせいなんだろうか。なんだか少し気まずい感じがして、何を話せばいいのかわからなくなる。


 そもそも、いつも何を話しているっけ。

 普段している何気ない会話が、思い出せない。今無理に話そうとしたって、何気なくない会話になってしまいそうで。


 私は何度も口を開いては、閉じた。

 その時、電車がやってきて、お姉ちゃんが立ち上がる。


「電車来たね。乗ろ、乃愛」

「……うん」


 お姉ちゃんに差し出された手を、握る。

 今日はもう、これで終わりだ。


 二人きりでのデートとは違ったけれど、三人で遊ぶのは楽しかった。静玖と駅で別れるのが、惜しくなるくらいには。

 だから今日に後悔なんてない。


「……乃愛?」

「……?」


 お姉ちゃんが、困った顔をしている。

 どうしてだろうと疑問に思って、すぐに氷解する。


 私の手が、お姉ちゃんを止めているのだ。この場に縫い付けるように。自分でも気づかないうちに、お姉ちゃんの手を強く握って、動けないようにしていた。


 お姉ちゃんの力なら、無理やり私を引っ張っていくこともできただろうけれど。


 それをしないのがお姉ちゃんであって。

 ていうか私は一体何をしているんだ!

 体の制御が効かないとか、漫画じゃないんだから!


「ご、ごめん! なんか体が言うこと聞かないっていうかこの手が悪いんですっていうか! とにかく、早く電車に——」


 電車の扉が閉まる。

 そして、発車する。

 ちょ、待って待って。


 私は慌てて立ち上がるけれど、その間に電車はもうホームから去ってしまっていた。


 ああぁ……。

 ……ほんと、何してるんだ私。


「い、行かないでー……」

「……ふふ」


 打ちひしがれる私を見て、お姉ちゃんは笑う。


「珍しいね、乃愛がこんなことするって」

「ほんとごめん! こんなつもりじゃなかったんだけど」

「……まだ帰りたくない?」

「そういうわけじゃ、ないんだけど……」


 じゃあなんなの?

 自分に問いかけても、わからないったらわからない。こんなこと初めてすぎて、何もかもがさっぱりだ。

 ただわかるのは、私の心が変になっているってことだけで。


「私はまだ、帰りたくない」

「……え?」

「楽しかったけど、二人きりでいられた時間が少なかったから。……だから、ちょっとだけ歩かない?」

「……そうだね。私も、もうちょっと、お姉ちゃんと二人でいたい」

「ふふ。じゃあ、駅出よっか」


 また、二人で手を繋いで歩き始める。

 今度はさっきと違って、お姉ちゃんを止めようとする力が働くことはない。やっぱり私、まだ今日を終わらせたくなかったのかも。


 はぐれたり、静玖と三人になったりして、二人きりの時間があまりにも少なかったから。


 家では二人きりでいられるけれど、外で二人でいるのは、また違った感じがして好きだったりする。


 だから、嬉しい。

 お姉ちゃんも同じ気持ちで。


 嬉しさは心の薬なのか、それが胸に広がると、痛みだとか良くない感情が薄れていく感じがする。

 私はそのまま、お姉ちゃんと肩を並べた。





 夕日が街を照らしている。

 隣を歩くお姉ちゃんは背が高いせいなのか、ちょっと眩しそうにしている。私の背がもっと高ければ、日除けになれたのかもだけど。

 いや、それよりも。


「……ねえ、お姉ちゃん」

「うん、なあに?」

「ごめんね」


 私は、ぽつりと呟いた。

 お姉ちゃんは首を傾げる。


「え、なんで?」

「ずっと、お姉ちゃんの妹だって黙ってきて。……お姉ちゃんにも、嘘つかせちゃって」


 お姉ちゃんは気にしていなかったのに、私があれこれ気を回しすぎたせいで。嘘が嫌いなお姉ちゃんに、結果的に嘘をつかせることになってしまった。


 本当は、私も。

 胸を張ってお姉ちゃんの妹だって言いたかった。ただ、そうするには自信がなさすぎて。


 ……だけど。

 このままじゃ駄目だ、と思う。


 智友にも堂々としていればいいって言われたし、静玖にもすごいと言われたし。

 私ももっと、自信を持たないと。


「……そうだね。本当は、全校生徒に言いたかったよ。乃愛が私の、自慢の妹だって」

「う。ごめん。でも、もう大丈夫。私、お姉ちゃんの自慢になれるように、もっと頑張るから」

「ふふ、そっか。よかった」


 お姉ちゃんが笑ったから、私も笑う。

 最近色んな感情がごちゃごちゃのぐるぐるで変になっていたけれど。


 私は私らしく頑張んないとだよね、と思う。

 よし!

 早速家に帰ったら、もっともっと頑張ろう!


「じゃ、お詫びして?」


 ……。

 え?


「乃愛は悪いと思ってるんだよね? 悪いことしたら、ごめんなさいしないとだよね?」

「え、えーっと、うん。……ごめんなさい」

「……違うよ」


 にこやかに笑っていたのはなんだったのか、お姉ちゃんはどこか冷えた声で言う。


 ……あれ?

 な、なんか流れがおかしいような?


「お詫びは、言葉じゃないよ」

「えぇー……」


 え、もしかして土下座しろとか言われるパターン?

 それは強要罪というやつなので……じゃなくて!


 いやいや、お姉ちゃんがそんなことするわけ。や、じゃあ、お詫びって?

 この前みたいに、膝枕と添い寝とか?


「……目、閉じてて。開けたら、きっと危ないから」


 怖い。怖すぎる。

 一体何をするつもりなんだろう。

 お姉ちゃんならひどいことはしない……はず。はず、だけど。


 むむむ……。

 私は若干の恐怖を感じながら、目を瞑った。ビンタ、デコピン、チョップ。

 一体何が飛んでくるんだろう。

 そう思っていると、唇に何か、柔らかいものが触れた。

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