第20話

「違います。私は通りすがりのお喋り好きです」

「……そーですか」


 お姉ちゃんが関わらなければまともだと思っていたけれど、意外とそんなこともないのかもしれない。


 私はそっと、彼女のキャップを外した。

 黒い髪が肩までふわりと降りてきて、いつもの静玖が戻ってくる。さすがに別人のふりをするのは無理だと悟ったのか、静玖はマスクを外した。


「ほら。やっぱり、静玖だ」

「よくわかりましたね? 声色も変えていたのに」

「わかるよ、友達なんだから」

「さすがです、乃愛さん」


 私は静玖にキャップを返して、近くのベンチに座った。

 彼女はそのまま、私の隣に座ってくる。


 お姉ちゃんの会話は、かなり長引いているようだった。年上にも怯まずにこやかに対応できるのはすごいなぁ、と思っていると、不意に頭に何かが触れた。


 触れてみると、それが帽子だと気づく。

 ……これって。


「この前静玖に選んだ帽子だ」

「はい! 実はあの後、密かに買ってたんです。……やっぱり乃愛さんにも、カラフルなのが似合いますね」

「私には派手すぎないかな」

「そんなことないと思いますよ」

「そ、そうかなぁ」


 なんか、過大評価されている気がしないでもないけど。

 口裂け女よろしく私って可愛い? と聞こうと思ったけれど、やめる。静玖ならそう言ってくれるだろうけど、言わせたみたいになっちゃいそうだし。


 別に私は、可愛いなんて言われたいとかそういうのじゃなくて。

 ただなんとなく、お姉ちゃんとの距離というか、差というか、そういうのが今日はどうにも気になってしまうだけで。


 むむ、むむむ。

 不健全だ。笑顔でいないと良くない感情に飲まれてしまいそうで、私は静玖に微笑みかける。


「乃愛さん」

「なあに?」

「えいっ」


 静玖は自分の顔を両手で引っ張って、変な顔をした。

 いつもの綺麗な顔とのギャップに一瞬驚いて、でも、段々耐えられなくなって吹き出す。


「ぷっ……ふ、ふふ……あはは! 何それ! いきなりやめてよ、笑っちゃうから!」


 静玖って、意外とお茶目さん?

 あ、やばい。


 ツボに入った。平静を装おうとしても全くうまくいかない。私はお腹が捻じ曲がってしまうんじゃないかってくらい笑い続ける。


 いきなりなんてことをするんだ、静玖。

 骨とかがひんまがったら責任取ってもらうからね。

 そういう念を込めて彼女を見ると、微笑まれた。


「……よかった」


 静玖は、ぽつりと言う。

 その声色が、今まで聞いたことのないものだったから、目を丸くしてしまう。


「静玖?」

「なんか、元気ないみたいでしたから。笑ってくれて、よかったです」

「あ……」


 静玖は照れたように髪をいじっている。

 私、そんな元気なさそうに見えたんだ。普段は絶対しない変顔を、静玖にさせてしまうくらいに。


 小さく息を吐く。

 そして、今度は。無理やりじゃない笑みを浮かべた。


「ありがとう、静玖。おかげで元気出たよ」

「……は、はい! よかったです!」


 静玖は勢い良く立ち上がる。

 彼女の向こうに、一瞬目を向けてみるけれど、お姉ちゃんたちの姿はなくなっていた。


 どこに行ったんだろう。

 少しだけ、鼓動が速くなる。だけど胸に手を置けば、まだ耐えられる。

 大丈夫。お姉ちゃんのことだから、そう遠くには行っていない、はず。


「ちょっと、歩きませんか?」


 長い髪が、潮風に流される。

 こうして見ると、静玖もやっぱり美人さんだ。私は小さく頷いて、立ち上がった。


「そうだね。せっかく会えたんだし、ちょっと歩こうか」

「はい!」


 私は静玖と肩を並べて歩き始める。秋の海辺にはポツポツ人がいるけれど、きっと夏ほどじゃないんだろうな、と思う。


 お姉ちゃんは、どうしてるかな。

 今日は二人でお出かけのはずだったんだけどな。

 静玖と一緒に歩いていれば、見つけられるだろうか。





「あ、見てください! お店が出てますよ!」

「ほんとだ」


 何かのイベントをやっているのか、色んな種類の出店が辺りに並んでいる。それもあってか、辺りはかなり混み合っているようだった。


 私は無意識のうちに、静玖の手を握っていた。

 それに気づいたのは、彼女の手から、驚いたような反応が返ってきてからだった。

 やばい。つい、いつもの癖で。


「あ、ごめん。すぐ離すから」


 離そうとする前に、静玖の方から手を握られる。

 私は目を丸くした。


「はぐれると、よくないですから」

「……そうだね」


 人混みの中を、二人で歩く。

 私も、お姉ちゃんとしっかり手を繋いでいれば、はぐれたりしなかったのかな。お姉ちゃんは私との関係を隠すつもりがないのに、私だけあれこれ気にして、隠そうとしてしまう。


 自信が足りないのかなぁ、と思う。

 私だって、ダメダメってわけじゃないんだけど。やっぱりお姉ちゃんと比べちゃうと、ちょっと。

 うーん。


「……そういえば、静玖はなんでここに?」

「私、春とか秋の海が好きなんです。なんというか、爽やかな感じで。……だから、時々こうして見に来るんです」

「そうなんだ」

「乃愛さんは?」

「私は、お姉ちゃんと遊びに来て……」

「お、お邪魔しちゃいましたか? えっと、お姉さんはどこに……?」

「今、ちょっとはぐれちゃってて。だから……」

「では、探しましょう!」

「え、ちょ、ちょっと静玖!?」


 静玖は私の手を引いて、小走りになる。


「そんなに焦らなくても——」

「駄目ですよ」


 喧騒の中でも確かに通る声が、私の耳を貫く。


「だって。乃愛さんの顔、ずっと暗いままですから。……私は、いつもの笑顔が見たいです」

「……静玖」

「だから、探しましょう。お姉さんは、どんな感じの人ですか?」


 私は何をしているんだろう、と思う。

 お姉ちゃんとの釣り合いとか、お姉ちゃんのイメージとか。そんなことばっかり気にして、大事なことを忘れていた。


 本当は、そんなことどうでもいいんだ。

 私たちは姉妹で、私にとってお姉ちゃんは何より大事な存在で、人がどうとかなんだとか、そんなのは関係ないのに。


 お姉ちゃんを見失ったら、いつも通りではいられなくなるくらいには、私はお姉ちゃんが大好きだ。……静玖に言われて、改めてそれを再認識した。

 私は静玖の手を引いて、その場で立ち止まる。


「乃愛さん?」

「あのね、静玖。私のお姉ちゃんは……」


 言いかけた言葉は、すぐに止まることとなる。私と静玖の手に、もう一つ。

 他の誰かの手が、重なったからだ。


「——見つけた」


 喧騒が、止まる。

 私は顔を上げた。


 するりと入ってきたお姉ちゃんの手が、私と静玖の手を離れさせる。代わりにお姉ちゃんは、私と指を絡ませてきた。


 お姉ちゃんはいつも通り、笑っている。

 外で見せる笑みと、家で見せる笑み。その中間のような笑みが、私たちを見下ろしていた。


「ごめんね、乃愛。一緒に写真撮ってほしいって言われちゃって」

「……会長?」


 静玖が声を上げる。彼女は驚いた様子で、私たちを見ていた。

 私ははっとして、止められた言葉の続きを話そうとした。でも、その前にお姉ちゃんが口を開く。


「青山さん。乃愛と一緒にいてくれて、ありがとう。おかげですぐ見つけられたよ」

「え、あ、はい。あの、もしかして……」

「うん。黙っててごめんね。私と乃愛は、血の繋がった姉妹なんだ」


 にこりと、お姉ちゃんは微笑みながら言う。

 静玖は私に目を向けてくる。後ろめたさを覚えながら、私は頷いた。視線を右往左往させて、ちょっと考え込むような表情を浮かべて、最後に。


「え、ええええええー!?」


 静玖は、当惑したように声を上げた。

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