第19話
「ふわ……」
「乃愛ちゃん、大丈夫?」
「うん、平気……」
私は大きくあくびをした。今日は朝早くに家を出たから、ちょっと眠かった。
特に何があるってわけじゃない、普通の日曜日。でも、私たちにとっては、久しぶりに二人でお出かけをする特別な日だった。
文化祭の準備とかで、最近お姉ちゃんは普段よりずっと忙しそうにしていた。だから今日は貴重なお休みなのだ。
お姉ちゃんも今日は朝から張り切っている。
「最近忙しかった分、今日は一日中乃愛ちゃんを連れ回すから、覚悟してね!」
き、気合い入ってるなぁ。
半分生徒会長モード入ってない?
私はちょっと、気圧された。
「覚悟って……」
「まずはカフェでモーニングから! ちゃんと調べといたから安心してねー」
「う、うん……」
こういうお姉ちゃんって感じの一面を見るのは、久しぶりな気がする。
今日はお姉ちゃんに全部任せちゃってもいいのかなぁ。
ちらとお姉ちゃんの方を見ると、ばっちり目が合った。
にっこり微笑まれると、私も思わず笑ってしまう。なんとなく、今日はいい日になる予感がした。
「……ふふ。じゃあ今日は、お姉ちゃんにお任せしちゃおっかな?」
「任せて! お姉ちゃんパワーを見せてあげる!」
「お姉ちゃんパワーって……?」
「いいからいいから!」
いつもよりテンション三割り増しのお姉ちゃんは、そのまま私の手を引いて歩き始める。
まだ登りかけの太陽に照らされたお姉ちゃんの横顔は、相変わらず目が眩んでしまいそうなくらいに綺麗だった。
思えば高校生になってから、お姉ちゃんとこうしてデートする機会が減った気がする。
だからすっかり忘れていたけれど、二人きりで休日に出かけるのは、思っていた以上に楽しかった。
制服を着ていないと気が大きくなるというか、大胆になるというか。
生徒会長としてのお姉ちゃんのイメージを崩せない、みたいな意識がなくなるせいなのかもしれない。
「さっきのトースト、美味しかったね」
「ね! モーニングってあんまり食べにいかないけど、たまにはいいね!」
「うん。でも、やっぱり私は乃愛ちゃんのごはんの方が好きかな?」
「えー。私のごはんって、普通そのものじゃない? 店とは比べられないよ」
「愛情がこもってますから」
「……否定はしないけどさぁ」
のんびりと、二人で手を繋ぎながら海辺を歩く。
潮風に特別な何かを感じるのは、やっぱり、海の近くに住んでいないせいなんだろうな、と思う。
モーニングが美味しく感じたのも、それと似たような感じなのかも。
「乃愛ちゃん、寒くない? 大丈夫?」
「あはは、大丈夫だよ。手、繋いでるし」
私はお姉ちゃんの手を強く握った。
外でこうして、人目を気にすることなく手を繋げるのは嬉しい。私たちのことを知らない人しかいない街だと、ちょっと落ち着くなぁ、と思う。
駆け落ちしたがる人の気持ちが少しわかるかも、なんて。
……私も大概、いつもよりテンション高いかも。
「ね、お姉ちゃん——」
「あ、あの!」
声が聞こえて、私は咄嗟にお姉ちゃんから手を離す。
染み付いた習慣というのは、恐ろしいものだ。
私はそっと、お姉ちゃんから目を逸らした。
「もしかして、あの雑誌に出てた……」
ああ、このパターンか、と思う。
お姉ちゃんは、完璧だ。成績も優秀で、運動もできて、容姿だって。
学校一の美人って言ったら、井の中の蛙みたいに思われるかもだけど。お姉ちゃんは学校の外に出ても、どんな人にだって美人と思われる。
だから、時々。
……いや。
結構頻繁に、芸能人とかモデルと間違えられて、声をかけられることがあるのだ。今日もそういうパターンらしく、お姉ちゃんはいつも通りにこやかに対応していた。
勘違いだってわかっても、がっかりさせるどころか、自分のファンにしてしまう。
それがお姉ちゃんだ。
「あの、連絡先交換してもらってもいいですか?」
「うん、いいよ」
「ありがとうございますー!」
いい日になる予感、したんだけどな。
お姉ちゃんのファンが一人増えるたびに、世界から切り離されたような感じがするのはどうしてだろう、と思う。
私はお姉ちゃんたちから少し離れて、手鏡を見た。
相変わらず、髪は跳ね気味だ。前髪を何度直したところで、何が変わるってわけでもなく。
私は小さく、ため息をついた。
「乃愛」
後ろから声がかけられる。
私は息を吐ききってから、鼓動を落ち着かせて、お姉ちゃんの方を振り返った。
大丈夫。いつも通りだし。私もいつもと変わらず、笑える。
「お姉ちゃん、話は終わったの?」
「うん。やっぱり誰かと間違えてたみたい」
「あはは……。お姉ちゃん、綺麗だもんね。有名人と間違えるのも、無理ないよ」
「芸能人みたいに変装とかした方がいいかな」
「逆にもっと声かけられると思うよ」
隠されたものを暴きたくなるのは多分、人間の性ってやつなんだと思う。
お姉ちゃんはそのままでも美人で声をかけたくなるけれど、変装していたらもっと声をかけたくなるんじゃないかな。
お忍びっぽいと、余計に。
うーん、なんだろう。
この前から私はちょっと、変だ。心臓がきりきりするっていうか、なんていうか。
らしくなくない? と思う。
私っていう人間はもっと、あっけらかんとしているべきだと思うのですが。
むむむ……。
「でも、よかったよ。乃愛が声かけられなくて」
「へ?」
「……乃愛が知らない人に声かけられたら、嫌だから」
お姉ちゃんは本気で言っているらしい。
私もそうかもだけど、身内贔屓がすごい。
私は思わず吹き出した。
「ぷっ……あはは! それ、杞憂ってやつだよ! 私が人に声なんてかけられるわけないじゃん。ふふ……」
お姉ちゃんは、くすりともしない。
私はちょっと、たじろいだ。
「……お姉ちゃん?」
「乃愛は、鈍感だよ」
長い指が、私の顎に触れる。
見上げるお姉ちゃんの顔は、びっくりするくらい無表情だった。
「自分が周りにどういう目で見られてるか、全くわかってない。自分の魅力も」
「どういう目って……」
「気をつけないと駄目だよ。乃愛は、可愛いし魅力的なんだから。……友達にも、油断しちゃ駄目だから」
「し、心配性だなぁ」
お姉ちゃんじゃないんだから、そんな心配いらないと思うのだが。
実を言えば私は、これまで一度も誰かと付き合ったことはないし、告白もされたことがない。
一度くらいそういう青春っぽい感じを味わってみたいものだ。
お姉ちゃんに魅力的と言われるほどの魅力があるなんて思ってはいないけど。
一応お姉ちゃんと同じ血が流れているのだから、それなりのはずではあるのだ。……もっとこう、メイクとか練習した方がいいのかも。
今度智友に頼もうかな。
「それより、ほら。デートの続き、しようよ」
「……そうだね。でも、ちゃんと乃愛も気をつけてね」
「はいはい」
お姉ちゃんはまた、私の手を握って歩き出す。
デートのプランはお姉ちゃん任せだけど、どうかな。いきなりデートを中断されて、割と幸先が悪い気がするけれど。
いや、今度こそ普通に、誰にも声をかけられずデートを楽しめる!
……はず。
は、なかったです。
「えー! 高校生なんですか!? 私たちより背高いし、タメかと思ったー!」
「ねー! え、ほんとにモデルとかじゃないんですか? 言っちゃダメって事務所に止められてるとかじゃなくて?」
「本当に普通の一般人ですよ。……でも、そこまで言ってもらえて嬉しいです」
はい。
あれから一時間もしないうちに、またもやお姉ちゃんは声をかけられていた。
今度は女子大生らしき人々に。
年下にも年上にも平等に声をかけられるんだからすごいよなぁ。
私は散歩中に飼い主が話し始めて暇になった犬の如く、ぶらりとその辺を歩き始めた。
私も誰かに声をかけられたりしないかなー。しないよねー。
あはは。
……はぁ。
「お姉さん。私とお話しませんか?」
不意に。
目の前から、声がかかる。
私は咄嗟に辺りを見渡した。お姉ちゃんは遠いし、私以外に声をかけたという線はない。
え、私にも春が到来しましたか?
そう思って、顔を上げる。
黒いキャップに、丸い瞳。口元には黒いマスクをしているけれど、目元だけで誰かがわかる。
「……静玖?」
いつもと感じが違うけれど、間違いなく、そこにいたのは青山静玖だった。
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