第17話

 夏休みに始まった、自立させたい私と自立したくないお姉ちゃんの戦いは、秋になった今も膠着状態にある。


 その原因の大半は、私の甘さだ。

 やっぱりお姉ちゃんに甘えられると、ついつい甘やかしたくなってしまう。それに、よくよく考えれば私がお姉ちゃんにできることといえば、甘えさせるくらいだし。


 とは思うけど。

 やっぱり今のままじゃまずい、とも思うわけで。

 結局私がもっと強い心を持たないとなんだよねー。……はぁ。


「浮かない顔だね、乃愛」


 智友が弁当を食べながら言う。

 私は小さく息を吐いた。


「まあねー。色々うまくいかなくて……。智友の方はどう? 文化祭の準備、うまくいってる?」

「ま、それなりに? 練習は色々大変だけどね」

「そっかー。今度の劇、主役なんだよね?」

「まあね。……ん、今日の弁当もうまいよ」

「よかった。……部活頑張るのはいいけど、無理しちゃ駄目だよ?」

「わーってますよ、乃愛ママ」

「誰がママか」


 お姉ちゃんもそうだけど、智友も大概頑張ると身の回りのこととか、自分の健康を後回しにする癖がある。


 だから演劇部が忙しい時は、私がこうして智友に弁当を作ってきているのだ。


 放っておくとすぐ菓子パンだけで済まそうとするから怖い。朝もろくに食べていないみたいだし、栄養のバランスの偏りが……。


 いや、こういうところがお母さんだとかママだとか言われる原因なのか?


「私ってもしかして、お節介……!?」

「今更気づいたの?」

「え」

「あはは、冗談冗談。あたしは乃愛に世話焼かれんの、好きだよ。わんこちゃんもそうでしょ、きっと」

「うーん……それはそれで問題のような……」


 迷惑じゃないなら、いいんだけど。

 でもなぁ。


「乃愛は色々気にしすぎだって。太陽はそこにあるだけで、周りを照らすんだよ。だから乃愛も、そのままでいればいいって」


 智友はそう言って、私の手を握ってくる。


「……ね?」


 柔らかな微笑みには、人を安心させる効果がある、と思う。

 さすが、主役に選ばれるだけある。

 私はふっと息を吐いた。


「演技、うまくなったね」

「……ありゃ。演技だってバレちゃったか」

「何年一緒にいると思ってるの」

「乃愛をだまくらかせないようじゃ、あたしもまだまだかな」

「えぇ……」


 智友は私からパッと手を離して、食事を再開する。

 私はぼんやりと、彼女の横顔を眺めた。


「智友ってさ。綺麗な顔してるよね」

「……っ!? い、いきなり何」


 智友は突然褒められて驚いたのか、ひどくむせている。私はペットボトルのお茶を彼女に渡した。

 勢いよくお茶を呷ってから、彼女は私を睨んだ。


「喉にダメージあったら、乃愛のせいだから」

「あはは、ごめん。改めて見たら、やっぱり綺麗だなって」

「……乃愛ってやっぱ、そういうとこあるよなー」

「そういうとこって?」

「変人に好かれるとこ」

「それだと智友も変人ってことにならない……?」


 そもそも私は変人に好かれているわけでは——。


「乃愛さん! 珍しいお菓子を買ってきたので、一緒に食べましょう!」


 凄まじい力で、教室の扉が開かれる。

 案の定、扉の向こうにいたのは静玖だった。彼女の手に握られているのは、スイカの絵が描かれたお菓子の箱だった。

 ……もう秋なのに?


「見てくださいこれ! スイカとメロンのミックス味チョコだそうです! 面白そうじゃないですか?」

「そ、そうだね……」

「智友さんも食べますよね?」

「……あたしはパス。二人で食べなよ。その方がきっと、もっと仲良くなれるよ」

「智友さん……!」


 適当なことを。ただ自分が食べたくないだけなのは明白である。

 でも、静玖は智友の本心には気づいていないらしく、いたく感動した様子だった。


 ……私もパスしていいですか?

 なんか、あんまり美味しくなさそうな……。


「じゃあ、乃愛さん! 二人でシェアしましょう!」

「……う。いただきます」


 こんな無垢な笑顔を裏切ることなんてできない……!

 私は大人しく、静玖と一緒に謎のチョコを食べることにした。もう食べる前からわかっていたことだけれど、やっぱりチョコはあんまり美味しくなかった。

 私がぐったりしていると、智友が耳打ちしてきた。


「……ね? 乃愛変人に好かれる説、マジだったっしょ?」

「……ノーコメントで」


 変人扱いは失礼だ。

 失礼だけども。

 今だけは変人扱いしても許されるかもしれない。


 そう思って静玖の方を見ると、相変わらず楽しそうな笑顔を浮かべていた。


「……しょうがないなぁ」


 そんなに楽しいなら、まあ、いいか。

 私はふっと笑った。


「あ。新作の飲み物も買ってきてるんです。どうぞ!」

「え。えーっと……」

「きっとこのチョコと同じくらい美味しいと思いますよ!」

「や、そもそもチョコが美味しく……」

「さあさあ! どうぞ!」

「えぇ……。ち、智友!」

「ご馳走様。弁当箱、洗って返すね」

「あ、うん。……じゃなくて! 逃げないでよ! ちょっと!」


 今日、私は静玖の新たな一面を知った。

 どうやら彼女は、変な味マニアらしい。


 そういえばこの前も、ラーメンに七味どばどばかけてたっけ。

 ……。

 とりあえず薄情な智友のことは絶対に許さない。





 文化祭の準備で、学校はどうにも浮き足立っている。とはいえ私たちのクラスは極めてやる気がないらしく、謎の展示をするだけだから、あまり準備することがない。


 だから他のクラスよりも早く下校することになるのだが。

 智友は部活だし、他クラスの静玖は、見た感じ結構忙しそうにしている。

 ……お姉ちゃんは、どうしてるかな。


「会長。この企画なんですけど」

「ああ、それは……」


 生徒会室を覗いてみると、お姉ちゃんは相変わらず忙しそうだった。確か、生徒会の活動と、クラスの準備を並行しているって言ってたっけ。


 邪魔するのも悪い。

 というか。


「……むしろ、これはチャンスなのでは?」


 この前は静玖に誘われたから、作戦を遂行することができなかったけれど。


 お姉ちゃんに予定が入ることで私との時間が減り、自然と自立へ向かっていく……名付けて果報は寝て待て作戦!


 ……意味が違う気がするけれど。

 と、とにかく!


 そう決まれば早速、今日はさっさと家に帰るとしよう。

 私は頬を叩いて、早足で学校を後にした。





 ご飯を作って、お風呂を沸かして。先にお風呂に入って、ご飯を食べて。

 することがなくなった私は、寝る支度だけ済ませて、ベッドに横になった。


「……暇だ」


 いつもこの時間、どうしているっけ。

 ……。


 お姉ちゃんのお世話したり、お姉ちゃんと話したり、たまに友達とメッセージのやりとりをしたり、とか?


 友達、友達かぁ。

 いつでも連絡できる友達は何人かいるけれど、なんとなく連絡する気にもならない。

 電気を消して、ベッドで転がってみる。


「……はぁ」


 なんだろう、この、胸の深いところがずしっとくる感じ。

 別に嫌なことがあったわけじゃないのに、なんか、嫌なことを言われた時みたいな気持ちになる。


 お姉ちゃんが忙しそうだから?

 いやいや、そんなわけない。


 お姉ちゃんが私以外のことに時間を使うのは、いいことだ。このままもっと忙しくなって、私以外ともっと仲良くなって、私以外に甘えるようになって……。


 ……?

 心臓が、うるさい。

 どっ、どっ、どっ。


 焦るような、何か大事なものがなくなってしまうような、この感じ。久しぶりに感じるけれど、なんなんだろう。


 こんなに動悸が激しくなる状況ではないはずなのに。

 家のベッドの中なんて、私的落ち着く場所ランキング二位の場所なのに。ちなみに一位は浴室である。なんでお風呂に浸かりながらだとあんなに考え事が捗るんだろう。

 ……ではなく。


「……寝よ」


 変な気持ちになる時は、眠るのが一番だ。

 睡眠最高! 睡眠万歳!

 ……はぁ。


 私は微妙な気分になりながら、目を閉じた。謎のドキドキは安眠を妨害してくるほどではないらしく、段々と眠気が兆してくる。


 夢と現のバランスが徐々に傾き、意識が飛んでちょっと目覚めてを繰り返していたとき。


 不意に、部屋の扉が開いた気がした。

 でもそれが現実なのか夢なのかわからないから、目を瞑り続ける。


「……?」


 足音を感じる。

 カーペットが軋む音。それが止まると、今度は呼吸の音を感じた。布が擦れる音が聞こえて、最後には、全ての音が止まった。


 しんと静まり返る。

 え、待って。息、止まってない?

 どういう状況?


 私は思わず、目を開ける。

 黒い瞳が、暗闇の中で、やけに眩しく見えた。


 一気に夢から、現実に引き戻される。

 止まった呼吸の音が、再び鼓膜を震わせてくる。


「おはよう」


 お姉ちゃんは、にこりと笑う。

 私は思わず、お姉ちゃんの頬に手を伸ばした。

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