第6話
「この花瓶、どうかな? ちっちゃくて可愛くないかなー?」
お姉ちゃんが言う。
私は顎に手を当てた。
「可愛いと思うけど……もうちょっと大きい方がたくさん入れらていいかも」
「そっか。じゃあー……」
今日の用事というのは、花瓶を買うことだった。
お姉ちゃんはこの前花瓶を割ってしまったことを気にしているらしく、買いに行こうと言ってきたのだ。
食卓に花がないとなんだか寂しい気がするから、花瓶はあった方がいい。
とは、思うんだけど。
「これはどうかな? ……黒見さん、聞いてる?」
「え、あ……うん。聞いてるよ、お姉ちゃん」
「叶恋」
お姉ちゃんは、にこりと笑った。
「お姉ちゃんじゃなくて、叶恋って呼ばないと。ね、黒見さん?」
「……えっと」
「ほら、呼んで?」
「……叶恋、さん」
むずむずする。
お姉ちゃんのことを名前で呼ぶことなんてほとんどないから、違和感がひどい。
どうしてこんなことをしているんだろう、と思う。でも、これはお姉ちゃんが欲しがったご褒美だから仕方ない。
姉妹をお休みするというのは、他人という体でこうして買い物をする、ということらしい。
どうしてそんなことをしたがるんだろうとは思うものの、昔やったおままごとの延長だと思えば余裕……でもない。
恥ずかしい。
こんなたくさん人がいるところで、おままごとみたいなことをするのは、さすがに。
でもお姉ちゃんは楽しそうだった。すごくいい笑顔だから、私は何も言えない。
……こんな調子でいいのかなぁ。
「うーん。もっかい呼んで?」
「叶恋さん」
「……もっと感情込めて」
感情って言われても。名前を呼ぶだけなのに?
そうは思うものの。
お姉ちゃんにこう言われると弱いわけで。私は精一杯の感情を込めて、お姉ちゃんの名前を呼んだ。
「叶恋!」
「……ふふ。はーい」
ふわりと笑って、お姉ちゃんは私の手を取ってくる。
その手の柔らかさは、いつも通り。いつも通りのはずなのに、いつもより甘く、柔らかく感じる。それは、姉妹ではないという体でお姉ちゃんに接しているせいなのかもしれない。
うーん、でも。
私に名前を呼ばせる割に、お姉ちゃんは私のこと黒見さん呼びなんだよね、と思う。
もしかして、静玖に白水って名乗らなかったこと、怒ってるのかな。
それとも、いつも乃愛って呼んでいるからこそ、他人っぽい苗字で呼びたがっているのかな。
むむ、むむむ……。
なんかちょっと、楽しくないような。
「……ご機嫌だね、叶恋さん」
「まあねー。こういう新鮮な感じ、悪くないなって。黒見さんは?」
「叶恋さんが楽しいならいい。……ていうかこれ、どういう設定なの? 私たち、どういう関係?」
「んー……」
お姉ちゃんは少し考え込むような表情を浮かべた後、ぽんと手を叩いた。
「同棲二ヶ月目のカップル!」
「……はい?」
「出会いは高校からで、ずっと先輩後輩だったんだけど、徐々に距離が近づいてって——」
「待って待って。そんな設定言われても覚えられないよ?」
いよいよおままごとめいてきた。私が待ったをかけると、お姉ちゃんはにこりと笑った。
「じゃあ、同棲して間もないって感じでふわっとお願い」
「それなら、まあ……」
普通の先輩後輩とかじゃ駄目なのかな、とは思うけれど。
お姉ちゃんがそれを望むのなら、別にいいかという気分にもなる。私は多少の恥ずかしさを感じながらも、必死に自分に言い聞かせた。
私たちは同棲二ヶ月目のカップル、カップル……。
いや、やっぱおかしくない?
いやいや、こういうのは疑問を抱いたら終わりだ。何もおかしくない。私たちはカップル……。
よし!
「叶恋の好きな花瓶、買おっか」
「いいの? お花飾るの、黒見さんだよ?」
「うん。花瓶は叶恋の好きなのにして、花は私が好きなのを入れる。それって素敵じゃないかな?」
「……ふふ、確かに。じゃあ、とびっきり可愛いのにしよー」
私たちは自然と手を繋ぎ合って、花瓶を選ぶ。
最近はお姉ちゃんの体裁を気にして、外ではあまり話したり触ったりしないようにしていたが。
カップルだと思うと、自然と触れ合えるのが不思議だと思う。
結局私とお姉ちゃんじゃ釣り合わないだろうから、カップルでもこんなにベタベタするのはおかしいかもだけど。
でも、ここなら。
学校からはかなり離れているから、お姉ちゃんとこうしていても見られる心配はない、と思う。もし見られたら、色々まずいんだけど。
学校でのお姉ちゃんのイメージが崩れてしまう。
「これどう? 白くて丸くて可愛い! 黒見さんみたい!」
ピシ、と何かにヒビが割れる音が聞こえる。
私は手が震えるのを感じた。
「わ、私みたい……? これが……?」
白くて丸っこい感じの花瓶は、確かに可愛い。可愛いんだけど、私はこんなに丸っこくない。
体重だって平均くらいだし、そりゃ、お姉ちゃんよりは小さいけれど。
え、待って、嘘でしょ。
もしかしてお姉ちゃん、私のことずんぐりむっくりのちんちくりんだと思ってる?
「コロコロしてて可愛いなー。ふふふー」
わ、私はコロコロしてないよ……?
いや、別にお姉ちゃんと同じくらい美人だなんて思い上がってはいない。いないけど!
私にも人並みに乙女心というものがあって。
そりゃお姉ちゃんとは釣り合わないとは思っているけれど、それとこれとは別である。私だってそれなりに可愛い……はず。いや、きっと可愛い。私は普通に可愛い女の子!
……うぅ、自信無くなってきた。
「手触りもサラサラでいいなー。コロコロだしねー」
コロコロ。
私が、コロコロ。
「ね、黒見さん。これにしよ? ちまっとしてて可愛いよー」
「だ、誰が……」
「黒見さん?」
「誰がコロコロでずんぐりむっくりだあぁ!」
私は爆発した。
「黒見さん。くろみさーん」
帰り道。私の手には紙袋が握られていた。中には私の分身が入っている。ちんまくて丸っこくてシルエットがボールみたいな、可愛い可愛い私の分身が。
「どうしてそんなに怒ってるの?」
「……別にー? 怒ってませんけどー?」
「怒ってるじゃん。……花瓶、気に入らなかった?」
お姉ちゃんは、しょんぼりしている。
その姿を見ていたら、意地を張って怒っているのも馬鹿らしくなって、私は小さく息を吐いた。
「……花瓶は、可愛いと思うけど。この花瓶みたいって言われても、素直に喜べないよ」
「どうして?」
「どうしてって……。私、こんなコロコロじゃないし。こんなシルエットじゃないし」
「……ふふ」
「何笑ってんの?」
じっと見つめると、お姉ちゃんは余計にくすくす笑う。それはもう、楽しそうに。
むむ。
「わかってるよ。シルエットじゃなくて、雰囲気がね」
「……?」
「なんていうのかな。白くて、可愛くて、ふんわりした感じって言えばいいのかな? そういうところが、似てるの」
お姉ちゃんはひどく優しい顔で、言う。
私は言葉が詰まるのを感じた。そう言われたら、もう何も言い返せない。褒められてるんだってわかると、それはそれで照れてしまって、困る。
私は、わがままだ。
「だから、好き」
なんの抵抗もなく、静かに流れる川みたいに。
その好きという言葉が、お姉ちゃんの口から私の耳に流れてきた。
私は心臓が押さえつけられたような、何か柔らかいものに包まれたような、そんな不思議な感覚に襲われた。
思わず、ふっと笑う。
「そっか。私もこの花瓶、可愛くて好き」
「ふふ。なら、よかった。……片っぽ持つね」
お姉ちゃんはそっと、紙袋の取っ手を片方持ってきた。
かと思えば、どんどん手の高さが上がっていく。つられて、私の腕もどんどん上がる。お姉ちゃんの肩くらいまで腕が上がって、これじゃ持ちづらすぎないかなって思う。
どうしてそんなに持ち上げるのか聞こうとしたけれど、その前に。
お姉ちゃんは、静かに口を開いた。
「これは、お詫び」
そして、お姉ちゃんは私の手をそっと掴んだ。
手の甲に、柔らかなものが触れる。
それがお姉ちゃんの唇だとわかったのは、それから数秒経ってからだった。
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