第3話、スパルタ兵よりスパルタな教官

 ~1~

 合格発表からかえってきた後、その日の夜。三人揃って夕食ゆうしょくを食べていた。今日の夕食の献立はお寿司すしだった。主席合格したといた義母さんが張り切って作ってくれたのである。

 それはもう、とても張り切って作ってくれた。お寿司を作っている義母さんの後ろ姿に何故か音符おんぷらしきものまで見えたくらいに、とても張り切っていた。

 いや、まあ正直自分の事のようによろこんでくれるのは当然僕としてはうれしいんだけどね、はっきり言って家計かけいは大丈夫なのだろうか?そう、心配しないでもない。よく見たら、トロまで混ざっているし。少し、や汗が出てきた。

 以前もった通り、あの天罰事件以来物価は急上昇している。そもそも、物流も生産ラインも壊滅かいめつしている現在いまでは、お寿司は云わば贅沢中の贅沢品だった。

 でもまあ、僕の事でこんなに喜んでくれるのは正直嬉しいとは思う。だから、僕は素直にお寿司を味わう事にした。

 うん、サーモン美味おいしい。マグロもイカも美味しい。

「そう言えば、イブキ君。貴方が以前言っていた女の子、アサヒちゃんだっけ?その子とはどうだったかしら?少しは仲良なかよくなれたの?」

 義母さんが思い出したようにいてきた。思わず、僕はむせそうになった。

 けど、どうやら義母さんは本気ほんきのようだ。義父さんは、よくかっていないらしくきょとんとした表情かおで僕達を見ている。

 まあ、でもアサヒか。本当ほんとうに……

むずかしいですね。やっぱり相手側の事情じじょうもあるので、どうしても話を聞いてもらえないと言うか、少し剣呑けんのんな感じがするんですよね。余裕が無いというか……」

「もう、いっそのこと告白こくはくしちゃうっていうのはどうかしら?」

「っ、ごほっごほっ……な、なにを⁉」

「あら?ちがったのかしら?私、てっきり貴方がその女の子に一目惚ひとめぼれでもしたんじゃないかって思っていたんだけど……」

 とんでもない事を平然へいぜんと言ってくるな、この人は。そう思うけど、僕は敢えて黙っている事にした。

 うん、口は災いのもとって言うし。沈黙ちんもくは金とも言うな。少し、違うかもしれないけれども。僕は少しばかり現実逃避げんじつとうひをしていた。

「はい?えっと、イブキ君は好きな子が出来できたんですか?」

「違いますよ」

 そう言って、僕は話の軌道修正をこころみる事にする。全く、義父さんまで。

 えっと?どうしてこんな話になっているんだっけ?そう思いながら、僕は少しずつ話をかいつまんで説明せつめいする。

「あのですね、その女の子は天罰事件によってひどい目にあったらしいんです。家族を天罰によって失い、親族をかたる人達のせいで人生が滅茶苦茶めちゃくちゃになったそうです。それで誰もしんじる事が出来ないようになったらしいですね」

「なるほど、そんな子が居たんですね。それで、イブキ君はその子のたすけになりたいとそう思ったんですね?それはどうしてですか?」

「きっと、理由自体は単純たんじゅんなものだと思います」

 そう、きっと理由自体は単純明快なものだと思う。其処まで複雑ふくざつな話でも無いのだろう。僕は、

「僕は、アサヒの事をほうってはおけないんですよ。きっと、家族を天罰てんばつで失った彼女と天罰によって家族を滅茶苦茶にされた僕自身をかさねているんだと思います」

「……………………」

 同情心どうじょうしんだと言われればそれまでだけど、僕のそれはそう単純たんじゅんでもないと思う。

 僕も、天罰によって結果的に家族かぞくを失っているのだ。きっと、そのいたみ自体は彼女のそれと同質どうしつの物だろう。そう、思っているから。

 だから、僕には彼女の痛みが文字通り痛いくらいに理解出来るんだ。

 彼女の痛みと、僕の痛み。きっとそれはおなじだと信じたい。そう思っている。

 きっと、彼女はかなしいんだと思う。それはきっと僕のそれと同じだと信じたい。

「イブキ君は、やっぱりまだあの事件じけんの事を?」

「はい、まだ僕自身あの頃の痛みを克服こくふく出来ていないんだとおもいます。きっと、克服出来るものでもないと思っていますしわすれられるものでもないでしょう」

 ただ、それでも。

 それでも、僕は。

 きっと、忘れたいと思っていないのだろう。忘れたくないのだろう。

 僕は、あの頃のおもいを、痛みをきっとくしてしまいたくないんだと思う。もしあの頃の痛みさえ失くしてしまえば、文字通もじどおり殺してしまった弟の事さえも忘れてしまいそうだったから。それは何だかいやだった。

 それはきっと、ただの執着しゅうちゃくだと思う。けど……

 僕はきっと、まだしあわせな部類だったのだろうとも思っている。

 家族を失って、それでも心配してくれる周囲まわりが居た僕。

 それすら居なかったアサヒ。

 きっと、家族を失ったいたみ自体は同質どうしつの物だっただろう。だからこそ、僕は彼女の痛みは理解出来る。けど、だからこそ僕はきっと、彼女アサヒを放っておく事が出来なかったんだとそう思っているから。

 きっと、彼女をただ一人きりのままにしておく事が僕には出来ないんだ。

 きっと、ただそれだけの話だったと思うんだ。

 あまいと言われればその通りだ。けど、それでも僕はきっと、彼女を放っておく事だけは出来そうになかった。

 そんな僕に、義父さんと義母さんは少しこまったような表情かおで僕を見ている。

「イブキ君、きっとこれ以上何かを言うのは筋違すじちがいだと思うし、イブキ君自身の決意をにぶらせる結果けっかになりかねないとは思います。けど、それでも言わせて下さい。イブキ君は、その女の子をたすけられるのですか?」

 本当に、自分なら助けられると思っているのか?

「いえ、きっとその保証ほしょうは何処にもいでしょう。でも、それでも僕は彼女を助けたいと思っています。彼女をすくいたいとそう思っています」

「そう、ですか。なら、僕はもうこれ以上は言うつもりはありません」

「ありがとうございます」

 そう言って、僕達は再び夕食ゆうしょくを食べ始めた。

 そう、きっと僕だから彼女を助けられるなんてそんな保証は何処にもない。そもそも彼女はそんな助けなんてもとめてはいないかもしれない。

 けど、それでも僕は彼女の助けになりたいと思った。彼女を救いたいと、そう心から願ったんだ。だから、きっと……

 僕は、彼女を助けてみせる。そう、密かに決意けついをした。

 例え、要らない世話せわだとこの手を振り払われてもかまわない。僕は絶対に諦めたりなんかしない。

 ~2~

 次の日、神殺し部隊の入隊初日。あさの8時50分、新たに入隊にゅうたいした僕達新人は全員講堂にあつまっていた。

 講堂には僕達新人のほか、先輩隊員達や教官も居た。中には白衣の研究職と思われる人物も居る。壇上だんじょうでは、現在神殺し部隊の統括長官とうかつちょうかんが演説をしていた。

 統括長官の名前は藤堂とうどうゴウ。この神殺し部隊の創設者そうせつしゃである。何でも、天罰事件と機械仕掛けの紛争によって崩壊ほうかいしかけていた自衛隊と警察を立て直し、新たに神殺し部隊を創設した傑物けつぶつだとか。

 とても体格の良い、大柄な男性だった。年齢ねんれいは、大体50前後だろうか。

「諸君等はみな、各々がおもいを抱いてこの神殺し部隊へと入隊したと思う。しかし、我等神殺し部隊は知っての通りかみと戦う為の特殊部隊である。故に、我等の内過半数の者達はその戦いにより戦死せんしする事となるだろう。諸君等にはその覚悟を持っていどんで貰いたい」

 長々と語ってはいるが、ようするにこの神殺し部隊では年々馬鹿にならないくらいの犠牲ぎせいが出ているのだろう。それ故に、せめてその覚悟かくごは持って挑んで欲しい。そういう意味いみなんだと僕は思っている。

 もちろん、其処は僕だって理解している。其処に一切偽りはない。

 けど、実際にかんがえてみればどうだろうか?少し、見立みたてが甘かったとそう思わない訳では決してない。

 そうだ、民間人の平和と安息は僕達のかたにかかっているんだ。僕達が覚悟を持って挑まなければいけない戦いなのだろう。

 それに……

 ちらりと、少しはなれた場所に立っている少女を見る。花咲アサヒだ。彼女は相変わらず冷淡れいたんな表情で立っている。きっと、彼女には彼女なりの覚悟があるのだろう。

 だからこそ、僕はそんな彼女ともこれから連携れんけいしていかなければならないのだろうと思っている。

 このまま、彼女を一人孤独の戦いにいてはならない。そう、決意して……

「では、私からの話はこれまでにして。此処ここからは主席合格者である叢雲イブキに任せようと思っている。叢雲イブキ、がってくるように!」

 はい?

 えっと、今僕がばれなかったか?そう思い、周囲を見回みまわす。周囲の新人達も少しざわついているようだ。

 隣に立っているギンガだけが、苦笑くしょうしていた。

「ほら、呼ばれているぜ?首席合格者様?」

「……められた」

「いや、何をだよ。さっさと行け」

 そう、ギンガからかされて僕は壇上だんじょうへと上がっていった。ちくしょう、何て厄日だとそうぼやきたくなる。けど、まあそうってもいられないか。藤堂統括長官からマイクをけ取るものの、何を話して良いものか全く分からない。

 だから、僕は自分が思った事を素直すなおに話す事にした。

 ごほんっとまずは咳払せきばらいをする。緊張きんちょうする心を、力ずくで抑え込む。

「ええ、先ずこれから僕の同胞どうほうとして活動かつどうしていく事になる新人入隊者諸君に軽く挨拶をさせていただきたいと思います。僕の名前なまえは叢雲イブキと申します」

 若干、声がかたいと自分自身思うけれど。それでも僕は素直すなおな想いを伝えていこうと思っている。その為には、先ずはつかみが肝心だろう。

 けど、それでも僕が主席合格者であるという自覚じかくを失っても駄目だめだろうと思う。あまり此処で馬鹿ばかをやらかしても駄目だろう。というか、あんまり皆の前で恥ずかしい真似はしたくない。そんなのは素直にいやだ。

 そう思い……

「先程、統括とうかつが言った通り神との戦いには犠牲ぎせいが付き物でしょう。その為の覚悟をあらかじめ決めておかなければいけないというのもたしかでしょう。ですが、此処で僕はそのような湿っぽい話はしにしようと思います。諸君達は僕にとって、掛け替えのない同胞なかまだと思っています。ですので、これから諸君と僕は同胞として、抱え替えのないともとして、共に神と戦っていきたいと思っている所存です」

 神と戦う為に、何より必要なのは皆のおもいを束ねて連携れんけいを取る事が何よりも重要だと僕自身は思っている。恐らく、神との戦いはう程容易くはない筈だから。

 けど、だからと言っておくしている場合でもないのはかっているつもりだ。此処で臆せばきっと守るべき民間人も仲間達も、何もまもれない。

 僕達の肩には、多くの命がっているのだから。それをわすれては本末転倒だ。だからこそ僕達は戦っているんだから。

 そして、その為には同じ隊員同士で喧嘩けんかなんてしている場合ではない事も。僕は十分以上に理解しているつもりだ。

 それ故に……

「どうか、皆の力を僕にしては貰えないでしょうか!」

 そう言って、僕は皆に頭を下げる。それはもう、深々ふかぶかと頭を下げる。

 腰がひくすぎても、相手にめられるだけだと言う意見も確かにあるだろう。けど僕は敢えて、此処ここでは腰を低くして頭を下げようと思っている。

 皆は、これから共に戦っていく為の掛け替えのない同胞なのだから。共に戦っていくべき大切な友なのだから。僕は、この関係かんけいを大事にしていきたい。

 皆からの反応はい。講堂内は静寂せいじゃくに包まれている。やはり、僕の考えはこの世の中ではあますぎるのだろうか?そう、思っていたら。

 講堂の何処かで、ぱちぱちと拍手をたたく音が聞こえてくる。その拍手の音を皮切りにやがて次々とその音はえていき。最終的には割れんばかりの盛大せいだいな拍手が鳴り響いた。

 万雷の喝采かっさいとは言うものの、これは結構照れる。今更ながら、僕は皆の前でとんでもない演説をしたのではないか?そう思ってしまった。

 その拍手に、僕は思わず呆然ぼうぜんとしていたけれど。そんな僕に統括は満面の笑顔で肩を叩いた。

 とてもほこらしげな、良い笑顔だ。

「うむ、中々良い演説だった。これからも君の活躍を期待きたいしている」

「は、はいっ!」

 僕は、統括に頭を下げて壇上だんじょうを下りてゆく。

 どうやら、これで問題ないらしい。一先ず安心あんしんした。

 そして、元の自分の位置いちに戻っていく途中。僕に鋭い視線しせんを向けてくる人物が居る事に気が付いた。その人物は、うまでもなく花咲アサヒだ。

 まるで、僕を親の仇のように憎々にくにくしげに見詰める視線。やはり、アサヒからしたら僕は気にわないのだろうか?僕と彼女はどうしても、仲良なかよくする事が出来ないのだろうか?そう思うけれど、やはり僕はあきらめる事だけは出来そうにない。

 そう思い、僕はとりあえずアサヒに苦笑くしょうだけ向けておいた。

 更に鋭い視線を向けられた。こわい。

「おうっ、よくやったな!中々決まっていたじゃないか!」

「そうか、僕からしたら滅茶苦茶緊張したよ」

「そうか?俺からしたらうらやましい限りだぞ?」

「……じゃあ、わってくれよ」

「はは、要らねえよ」

 そう、僕はギンガと軽口かるくちを交わし合う。まあ、そんな軽口をたたき合える友が居るだけ僕はまだ幸せ者なのかもしれないな。

 そう、僕はこっそり思った。だからこそ、僕はあいつとも仲良なかよくしていかなければならないとも思っていた。

 きっと、あいつを一人にしたら今後大変な事になると。そう予感よかんしていた。

 ~3~

 そして、僕達はさっそく更衣室こういしつで訓練用のランニングウェアに着替きがえ、演習場へと集合した。其処には二人の人物がっていた。

 一人は比較的年若い青年士官。あの実技試験で試験官をつとめていた人だ。

 もう一人は、年老としおいてこそいるものの青年士官より力強い姿勢で立つ老女ろうじょだ。

 何故なぜだろう?ギンガがその女性を見てうげっと苦々にがにがしい顔をしているのは。

 それと、何処となくあの老女とギンガは顔立ちがているような気がする。あくまで気のせいかもしれないけれど。

 と、そう思っていたら……

「うげっ、ば、ばあちゃん……」

「ばあちゃん?」

 予想の斜め上の発言はつげんが、ギンガの口かられてきた。

 えっと、つまりこの老女はギンガの祖母そぼって事か?

獅子堂ししどうアリカ。俺の祖母で若い頃に自衛隊で教官きょうかんを務めていたばりばりの軍人気質な女傑じょけつだよ。断言する、あのばあちゃんに逆らえる奴はこの世界に存在しえない。存在するかしないかの問題もんだいじゃなくて、存在しえない。絶対にだ」

「それほどの人物なのか?こう言っては何だけど、けっこうな年齢としじゃないか?」

「ああ、御年おんとし76歳。けど、その年齢にはんしてかなりのスパルタ教官だよ。かのスパルタ兵もびっくりの厳しい性格せいかくをしているんだ。俺も幼い頃、ずいぶんと厳しく育てられてきたのが記憶きおくに強くこびりついている」

「ああ、だからお前。結構基礎体力がしっかりしてるのな」

 ギンガはおさない頃からとても力が強かった。というより、きたえ上げられた筋力を幼くして持ち合わせていた。幼い頃から基礎体力を鍛え上げられていたと思えば、それにも納得なっとくがいくだろう。

 それに、厳しくしつけられていたならあの年齢のわりに妙にしっかりした性格もある程度納得出来るだろう。

 けど、ギンガがあそこまで酷くおそれるのはどういう事だろうか?何か、トラウマでもあるのだろうか?

 そう、思っていると。

「其処!私の前で無駄話むだばなしとは良い度胸どきょうだね!お前達の基礎体力訓練だけ倍の内容を課すけどいのかい‼」

「「っっ⁉も、もうし訳ありません‼」」

 罵声ばせいがいきなり飛んできた。その声のあつに、僕達は一瞬で怯む。

 うん、これは断言出来るわ。この女性ひとに逆らえる人が居るなら、是非ぜひとも此処に連れてきて欲しい。そんなやつは絶対に存在しえない。

 そう、僕は即刻理解させられた。

 獅子堂アリカ。かなり怖い。

 そんな中、僕の右斜め後方こうほうでアサヒがはぁっと溜息をいていた。その溜息には多分にあきれが混じっていた。曰く、何をやっているのよあの馬鹿ばかは。と、そんな言葉が聞こえてくるようだった。

 うん、どうしよう。全く反論はんろんする材料が見当みあたらない。というか、普通にアサヒからの視線がいたいですはい。

 そんな中、青年士官の方が話し始めた。

「では、これから君達には基礎体力訓練を課す事になる!俺は今日きょうより君達第十三部隊のリーダーを務める事になる菅野すがのジンだ!そして、こちらの方が君達の教官を務める事となる獅子堂アリカ教官だ!しっかりと言う事をくように!」

「はいっ‼」

「俺に対する返事へんじはイエスサー!アリカ教官に対する返事はイエスマムだ!其処はしっかりとおぼえておくように‼」

「サー、イエスサー‼」

「よし!では、教官直々に基礎体力訓練について話がある!心して聞くように‼」

「サー、イエスサー‼」

 そうして、皆の前にアリカ教官が出た。その身体からにじみだすような威圧感。なるほど歴戦の猛者もさという風格が滲み出ている。たしかに、ギンガが逆らえなかったと恐れるのも強く理解出来るような威圧感をはなっていた。

 そして、それだけではない。まるで、身体全体に鋼鉄のしんが通っているのではないかと錯覚さっかくしそうなとても綺麗な姿勢しせいをしているのである。その手に持った訓練用に刃引きされた剣、そしてその精悍せいかんな表情も相まってとても凛々しい。まさしく、歴戦の猛者という風格だった。

「紹介に預かった獅子堂ししどうアリカだ!私は諸君等の教官を務める以上、徹底的に厳しくしようと思っている!それ故、一切の容赦ようしゃはしないので覚悟するように‼良いな‼」

「イエスマム‼」

「よろしい、では先ず手始てはじめに諸君等にはこの演習場えんしゅうじょうを百周フルランニングして貰おうと思う!もちろん、走る前に諸君等にはこの重りのまったリュックサックを背負ってもらい、それぞれこのマスクを着用して貰う!良いな‼」

「っ⁉い、イエスマム‼」

「よろしい、では始め‼」

 きびしい⁉

 やばいなんてものではない、かなりのスパルタだ。新人に最初さいしょに課す訓練の内容がいきなりこれかよ。そう思うものの、まあわれてみれば何時いつ死ぬか分からないような部隊でこれはある意味、妥当だとうなのかもしれない。

 まあ、あまく接して戦場で死んでもらっては教官としてこまるだろうし。まあ、恐らくこれが普通ふつうなのだろうな。少し、新人に課す訓練としては厳しすぎる気もしなくもないけれど。

 そう思っていたら。

「…………言っておくが、イブキ。この程度はまだじょの口だぞ?ばあちゃんの課す訓練は本気ほんきになるとさらに百倍は厳しくなるからな?」

「……うへぇっ」

 思わず嫌な溜息がれ出た。それくらいに、とても恐ろしい訓練を想像してしまったからだ。

 まあ、思えばギンガはそんな祖母そぼに厳しくそだてられてきたんだよな。なら、確かにこの程度は彼からすれば序の口なのだろう。

 そう、思う。けど、

「色々と、不安ふあんになってくるな。この先……」

 そう、思わず弱音よわねが出てきた。まあ、其処は流石にゆるして欲しい。

 だから、そんなににらみ付けないで下さい。アリカ教官。

 ~4~

 さて、そうして僕達新人の基礎体力訓練ははじまった。先ず最初は演習場のフルランニング百周からだった。それも、単にはしり込みをするだけではない。重りの詰まったリュックサックを背負った上でマスクを着用してのフルランニングだ。

 余裕よゆうだったのはあくあまで最初だけで、演習場を十周もすればすでに皆の顔から段々と余裕が失われていった。五十週もしたらもう、地獄じごくの様相を呈している。

 当然とうぜん、アサヒもその一人だった。表情では平然へいぜんを装ってはいるものの、もう既にその顔からは滝のようなあせが流れ出ているのが理解出来る。

「……大丈夫だいじょうぶか?アサヒ」

「……っ、余計な……お世話せわ、よ…………ぜぇっ」

「いや、でも…………」

「そん、な……事より。自分の、事……でも……ぜぇっぜぇっ」

「いや、ほらもうはなしすらまともに出来できていないじゃないか?」

「っ、く…………」

「ほら、僕も一緒いっしょに走るから。一緒に頑張がんばろう」

「……余計……な、お世話…………っ」

 そう言って、まだアサヒは余裕そうにふるまっていた。実際はかなり疲弊ひへいしてもう走るどころか足を動かすのもきつそうだったけど。

 僕?いや、まあこれでも結構きついです。正直もう、既に足を動かすので精一杯でこれ以上走るのは結構限界だったりする。

 それでも話し方に余裕があるって?それは勘違かんちがいだ。僕にだって色々と限界というものがあるんだって。

 事実、さっきから度々身体がふらついている。背中せなかに背負ったリュックサックが重たいし汗で湿ったマスクが呼吸をさえぎってきつい。

 それでもはしれているのは、やはりアサヒより基礎体力が出来ている為だろう。それからアサヒと比べてペース配分はいぶんをしっかりと意識いしきしているお陰かもしれない。

「其処!足元あしもとがふらついているよ‼まだ五十週ぐらいはのこっているんだから、しっかりときびきび走れ‼」

「っ、い……イエス、マム…………」

「どうした!こえが小さいよ!もっとはっきり大きな声で返事をしなっ‼」

「…………………………」

 無茶むちゃぶりだった。流石にこれ以上は無理むりというものだろう。けど、それでも走らなければより酷い罵声ばせいが飛んでくるのは目に見えていた。

 だから、僕達は必死で走った。何とか走った。

「ほら、そんなに意地いじを張っていないで。一緒に走ろう。きっと、やりとおす事は出来る筈だと思うから」

「……………………本当、に……余計な、げほっ」

 それ以上、何も言う事が出来ないのか。アサヒはぜえぜえと息をあらげながらも必死に走っていた。僕も、必死に走った。

 七十週目を走りえた時、僕はそろそろ意識がおぼろげになり始めていた。けどそれでも、僕は必死に走る。意識を何とかつなぎ止め、必死に足を動かしている。

 アサヒも同様どうようで、もう既に口を利く事すら不可能ふかのうだった。ちなみに他の新人達は既にリタイアしている者が続出ぞくしゅつしていた。残っている新人達も、既に限界がちかかった。

 八十週目を走り終えた。もう、ほとんど演習場を走っている新人はない。僕とアサヒとギンガだけだった。というか、ギンガはこれだけ地獄じごくの様相を呈していてもまだ余裕を見せているのは、流石だった。

 九十週目を走り終えた。後、十周。けど、その十周が果てしなくとおく感じる。

 見れば、ギンガはどうやらもう既に百周走り終えたようだ。素直にうらやましいと思うのは、決して気のせいではない筈。

 そんな中、ついにアサヒが限界げんかいに達したようだ。ふらりと足元あしもとがふらついた。そんなアサヒの身体を、僕は何とかき留める。

「…………………………」

「……………………ほら、一緒に……走ろ…………っ」

 それだけ、僕は何とか言った。

 どうやら、もうにらみ付ける余裕すらないようだ。というより、もう抵抗ていこうする余裕すら無いらしく全く抵抗するそぶりすらせない。

 九十一週、九十二週、九十三週と僕達は何とか必死に走っていく。そして、そのまま必死に走っていく内にやがて百周目が見えてきた。その時間が、果てしなく永い時間に感じられたけれど。

 けど、それもようやく終わりの時が来る。

 そうして、僕達は何とか演習場を百周走り終えた。ちなみに、ギンガは普段ふだんからアリカ教官からしごかれていた為か、平然へいぜんとこなしていたようだ。やはり、其処は普段からの練習れんしゅうがモノを言ったのだろう。

 それに、アサヒはくやしそうに歯噛はがみしていた。歯噛みしていたが、それでも走った後の為なのか地面じめんにへたりこんで一切動けないようだ。もう、何も言えずただぜえぜえとあえぎながら地面に転がっている。

 何とか汗が染み込んだマスクこそがしたものの、重りの入ったリュックサックを下ろす余力すら無い。もう、流石に僕だって一ミリもうごけない。

 そんな僕達を、ギンガが苦笑気味に見下ろしていた。

貧弱ひんじゃくだなあ、そんなんじゃこれからさきは付いて行く事が出来ないぞ?」

「…………ぜぇっぜぇっ……っ、はぁっ」

 悔しいけど、全く言いかえせなかった。言い返す体力たいりょくも残っていなかった。

 もう、体力はすっからかんだ。

「まあ、確かに俺も最初の頃はそんな感じだったか。かる」

「ぜひゅー……ぜひゅー…………っ」

「ははっ、まあしばらく其処でよこになっとけよ。ばあちゃん、じゃなくて教官には俺から直接伝えておくからさ」

 そう言って、ギンガはそのままアリカ教官の許へと小走こばしりで向かっていく。

 その余裕が、正直羨ましかった。けど、それを正直につたえるだけの元気げんきが僕達には無いのも事実だった。

 まあ、そりゃそうだ。

 ~5~

 たっぷり半時間程度は休憩きゅうけいしただろうか?何とかち上がれる程度には体力が回復してきたようだ。どうやらそれはアサヒもおなじらしい、まだ少し疲れが残ってはいるようだったけど、それでも立ち上がれる程度には体力が回復していた。

 まあ、あくまでも立ち上がれる程度ではあったけれど。それでも大分だいぶマシにはなったのだろうと思っている。

 うん、お互い明日に疲労ひろうが残らなければいんだけど。そう思うけど、まあ恐らく気にするだけ無駄むだなのだろう。

 こういうのは、普段からつづけていく事が大事だいじなんだって以前ギンガが言っていたのを覚えている。まあ、要するにこれは普段からのれが大事だという事なんだ。それから、普段からこのような作業さぎょうを続けていく事により、基礎体力をしっかりと付けていく事も大事だと。そういたいんだと思う。

 まあ、ともかく。アリカ教官は少し不満ふまんげに僕達を見ていた。やはり、教官としてはこの新人の有様を不服に思っているのかもしれない。

「……ふむ、今年の新人は少しばかり基礎きそがなっていないやつが多いな。まさか、此処までひどいとは私だって思っていなかったぞ。なら、少しばかり訓練の内容を微調整していくとするか?」

「ですが、教官。本来新人とはこの程度が普通ふつうなのでは?流石にこれ以上厳しくしたら新人達が潰れてしまいますよ」

「ふむ、だがやはり新人の頃からあまやかす事は出来できん。いや、だからこそしっかりと今の内に厳しく鍛え上げてやるのがむしろあいという物だろう?」

「……まあ、そうですね」

 なんだか物騒ぶっそうな話が聞こえてきた気がする。愛って……

 でもまあ、確かに此処ここで甘やかせば今後神と戦っていく時にこまるなんて事にもなりかねないだろう。というか、まず間違いなく戦死せんし一直線だろう。

 だから、僕達も此処で甘い考えはてていくべきだ。そう、僕は覚悟かくごを決めた。

 とはいえ、流石の僕もこれ以上頑張れば身体の方が限界になりそうだ。もう、既に身体の各所から悲鳴ひめいが聞こえてきている。まあ、それは言わないけれど。

 さて、次の訓練は何なのか?そう思っていると……

「では、基礎体力訓練のつづきを行う!諸君等にはそれぞれ腕立て腹筋千回ずつやって貰おうと思う!」

「……………………う、うへぇっ」

 誰かが辟易へきえきしたような声を漏らした。もちろん、その声をき逃すような教官では当然無いだろう。その瞬間、教官の鋭い罵声ばせいが飛んだ。

「貴様!うへぇとは何だうへぇとはっ!気がゆるんでいるぞ!更に千回追加だ‼」

「ひぃっ‼い、イエスマム‼」

 哀れ、不平をらした新人は倍の訓練を追加ついかされたのだった。

 そのスパルタな姿に、知っていたとはいえ新人達の顔が青褪あおざめる。しかし、やはりこれも戦場でぬような事がないように今からきたえておこうという教官なりの思いやりの現れなのかもしれない。それだけは理解りかいする事が出来たから。僕は黙って訓練を受けるつもりではあった。

 とは言っても、まあ僕自身が強くなるためならやはりこの程度のスパルタは甘んじて受ける覚悟はあった。

 そう思い、僕はきゅっと表情を引きめ直す。

「では、始め‼」

「イエスマム‼」

 ・・・ ・・・ ・・・

 そうして、僕達はそれぞれ腕立て腹筋を千回ずつやり始めた。だが、その光景は思っていた以上に悲惨ひさんなものだった。

 それというのも……

「う、うおおっ!き、筋肉がきしむ。身体全体が悲鳴ひめいを上げているようだ……」

「ぐあっ、さっきのフルランニングが後を引いて。上手く身体がうごかない……」

「……っ、死ぬ。全身の筋肉が断裂だんれつして死ぬぅっ」

 と、そんなき言がこえてきた。まあ、さっきのフルランニングもそうだったけどそのすぐ後でこれは流石さすがにきつい。

 当然僕も、さっきから腕立て一つ上手うまくいっていない。先程、ようやく十回目を終了した所だった。それでも、まだまだ千回には程遠ほどとおい。少し、きそうだ。

 だけど、それでも……

 ちらりと、視界のはしである場所を見る。其処には、アサヒがだまって素直に腕立て伏せを行っている所だった。まあ、アサヒだってまだ体力が万全ばんぜんという訳でもないだろうに。実際にアサヒもそれほど上手く腕立てが出来ているとは言えなかった。あ、腕立てが上手くいかずにたおれた。

 けど、それでもアサヒは黙々と腕立てを再開さいかいしていた。土にまみれながら、それでも必死に腕立てを続けている。その姿すがたに、僕は思う。やっぱり、アサヒにはアサヒなりに其処までしてでも戦場にたい思いがあるのだろう。知ってはいるけど、彼女も辛い思いを抱えて此処ここに居る。

 なら、僕が此処でなさけない事を言っている場合でもないだろう。

 僕だって、根性こんじょうを見せる必要がある筈だ。僕は、おとこなんだから。

 此処で、泣き言なんて言ってはいられない。

「ぐっ……ぬぬっ…………」

 腕に力をめて、何とか腕立て伏せを続行ぞっこうする。もちろん、筋肉に掛かる負担はかなりのものだろう。実際、先ほどから身体中の筋肉きんにくが滅茶苦茶軋みを上げているのが理解出来た。

 けれども、それでも僕はそれを何とかこらえて腕立て伏せを続行する。

 ギンガは既に、腕立て腹筋を千回終えたらしい。のんびりとほかの新人達のアドバイスとかしていた。やはり、ギンガはちがうようだ。其処そこは其処、言ってしまえば一日の長という物があるのだろう。

 果たして、僕はおなじ場所に立つ事が出来るのだろうか?

 ふと、そんな事をかんがえてしまう。けど、やはりそんな事は言っても所詮意味など無いのだろう。

 ギンガにわせれば、所詮僕は僕なのだろう。僕自身がやれる事をしっかりと地道にやっていくしかないのだろうと思うから。だから、僕もしっかりと僕がやれる範囲で全力を振りしぼるんだ。

 きっと、その先にみちはあるんだろうと思うから。

 そう思って、僕はそろそろ三十回目に入る腕立て伏せを続行ぞっこうする。

 ・・・ ・・・ ・・・

 そうして、僕達は腕立て腹筋を何とか終了させる事が出来た。もうかなりへとへとでこれ以上身体をうごかすのは流石に無理むりだと思った。

 それは、アリカ教官も重々承知しているのか少し不満そうだったが流石にそこで終了する事にしたようだ。

「では、本日の基礎体力訓練は此処ここまでとする‼諸君等は宿舎しゅくしゃに戻った後、しっかりと筋肉をほぐしておくように‼明日あすの訓練に今日の疲労ひろうを持ち込んだ奴は特別メニューがっていると思え‼では、解散っ‼」

「い、イエスマム‼」

 特別メニューという言葉に全員が青白あおじろい顔で戦々恐々としながら、それでも痛い身体を何とか引きって宿舎へとかえっていく。当然、僕達も宿舎へと戻っていく。

 今日から宿舎での生活が始まる。何も思わないと言ったら、うそになるだろう。

 そんな中、

「よう、随分ずいぶんと疲れた様子だな。やっぱり最初さいしょの訓練はきついだろ?」

「ああうん、まあな。そういうお前は随分と平気へいきそうだな?」

「まあ、其処はれだよ慣れ。俺だって最初は結構けっこうきつかったぜ?」

「まあ、そうだろうな……」

 そう言っていると、僕達の前に立ちふさがる少女が一人居た。厳しい視線で僕達を睨み付けるように立ちふさがっている。

 というか、花咲アサヒだった。

「……えっと?」

「ランニングの時は、たすけられたわね」

「ああ、いや。べつにあの程度は助けたうちに入らないよ」

「……っ。そう、でも私だってあの程度ていどで貴方に感謝かんしゃなんてしない。私は絶対に貴方にはけないからね」

「えっと、ああうん」

「……じゃあ、そういう事だから」

 そう言って、そのままアサヒは立ちっていった。

 どうやら、彼女なりにランニングの時のあれは思う事があったらしい。

 少しばかり、意外いがいな気分だった。けど、それでも。

 やはり、彼女はすこしばかり気がつよいだけなのかもしれない。或いは、単純に負けず嫌いなだけなのだろうか?ともかく、礼を言える程度には義理堅ぎりがたいのかも。

 そう、僕は思った。

 そんな中、ギンガは少しばかり安心あんしんしたような溜息をらした。どうやら、またあの時のように喧嘩けんかになると思っていたようだ。そうならなくて安心したらしい。

 まあ、恐らく杞憂きゆうだろうけど。

「ふぅっ、本当に剣呑けんのんな女だな。花咲アサヒってやつは」

「そう、かな?僕としては少しだけ彼女に好感こうかんが持てた気がするんだけど」

「うっそだろお前……」

 そんな風に、僕にあきれ果てた視線を向けたギンガだった。

 まあ、実際彼女の過去かこを聞いた者としてはな。其処まで根っからきらいになる事は出来ないんだと思うけど。彼女には、彼女なりにおもう事があるだろうし。

 でも、それでも思う。果たして僕は、彼女と仲良なかよくなる事が出来るのだろうか?

 ~6~

 その日のよる。時刻は既に8時をぎた頃。

「あー、そこそこ。けっこう気持きもちが良い……あ、んんっ」

へんな声を上げるな。まあ、確かに気持ちはかる。って言うか、けっこう凝っているのなお前。まるで岩塊がんかいでも揉んでいるような気分になってくる」

其処そこまでか?いや、まあ確かに俺は普段から筋力トレーニングはかさねてきたから、それなりに凝りも凄まじいんだけどよ。けど、お前もいずれ同じ道を辿る事になると思っているぜ?」

 まあ、そうだよなあ。あのすさまじいハードトレーニングをおもい出せば、それもまた納得出来るだろう。流石に、見立みたてが甘かったと言わざるをえない。けど、それでも僕自身がえらんだ道なのだから。やはり其処は文句なんて言えないのだろう。

 まあ、最初から言うつもりなんて欠片かけらもないけれど。其処は最初から覚悟は決めていたつもりだ。

 そして、だからこそ僕達はそれをしっかりとり越えていくしかないのだろう。それを乗り越えた上で、神と戦っていくんだ。

「……じゃあ、次は俺のばんだな。イブキ、そろそろわれ」

「うん、じゃあよろしく」

 そうして、僕はゆかにうつ伏せになって寝転ねころぶ。その背中の上にギンガが指でぐっと圧力をかけてきた。その圧力に、僕は思わず少しだけこえを出す。

「んっ、ぐ……」

「あ、やっぱりいたいか?まあ最初はそんなもんだろうよ。だけどその痛みを明日に持ち越すんじゃねえぞ?ばあちゃんは其処を見逃みのがしてはくれねえからな?」

「そう、なのか?」

 やっぱり、あのアリカ教官は其処まできびしい人なのだろうか?

 いや、あの訓練内容だけで十分理解出来ているつもりだけど。それでも少しばかり不安になってくる。やはり、僕の見立てはまだあまいのだろうか?

 そう思っていると、ギンガは苦笑をらして言った。

「いやまあ、一応言っておくがな。今日の訓練くんれんはばあちゃんにしてはかなりあまい方だったんだぞ?訓練の内容も一応は新人に配慮はいりょしたらしい、比較的緩めかつ簡単なものになっていたからな?」

「そ、そうなのか……」

「ああ、あのばあちゃんをっている俺だからこそ言える事なんだがな。あれでもばあちゃんは昔、自衛隊の教官をやっていた頃はる人ぞ知る鬼教官おにきょうかんとして有名だったんだ」

「鬼教官って……」

 あの人って、元自衛隊の人だろう?なら、ある程度は確かにきびしさも必要だろうけどそれでも自衛隊に居てなおおになんて言われるような人って……

 流石に想像が出来なかった。それをさっしたのか、ギンガが苦笑をらしていた。

「ああ、それでもあのばあちゃんは鬼教官と恐れられながらも同時に敬意けいいも表されていた程の傑物けつぶつだからな。事実、この神殺し部隊においてばあちゃんが教官を務め初めて最近は隊内の死亡者数が激減げきげんしているくらいだから。まあ其処はあくまで激減しているだけだって話だけどな」

「そう、か……んっ」

「お前もへんな声を出してんじゃねえか。まあ、ともかくくれぐれも明日あしたまでに疲労を残しておくんじゃねえぞ?あのばあちゃんが特別とくべつメニューを課すって言ったら、本気のマジで課してくるからな?其処は決して嘘じゃねえぞ?筋肉痛きんにくつうなんて以ての外だからな?」

「それは、こわいな」

 確かに、あのスパルタ教官が特別メニューを課すなんて言ったら正直怖い。怖いけど僕はそれでもやり遂げなければいけないのだろう。

 でなければ、流石に義父さんの反対はんたいを押し切ってまで入隊にゅうたいした意味がない。それに死んでしまった弟の為にも。未だ目をますか分からない母さんの為にも、僕が此処で情けない事を言っている場合ばあいではないだろう。

 僕は男なんだ。だったら、少しくらい根性こんじょうを見せないと。

 その為に、僕達は此処ここまで来たのだから……

「じゃあ、まあマッサージはそろそろこの程度にしておくか。もういだろ?」

「ああ、随分ずいぶんと身体がかるくなった気分だ」

「なら重畳ちょうじょうだ。じゃあ、就寝時間までもうすこしあるしトランプでもして遊ぶか?」

「……いや、僕は少しようを足してくるよ」

 そう言って、僕はのそりと立ち上がる。そのまま、部屋の扉をけてそのまま外へと出て言った。

 ・・・ ・・・ ・・・

 部屋のそとは、薄暗くて少しばかり不気味ぶきみだった。まあ、それでもそのまま僕は廊下を進んでゆく。確か、トイレは廊下のおくにあった筈だ。

 そう思っていると、アサヒが女性トイレからちょうど出てきた所だった。どうやら向こうも僕に気付いたらしく、少し表情が鋭くつめたくなった。

「貴方は……」

「えっと、こんばんわ?」

 僕の曖昧あいまいな挨拶に、アサヒからジト目がかえされた。どうも、アサヒからこんな視線を向けられるのが日常にちじょうと化しているような気がしなくもない。

 そう思っていると、アサヒがそと溜息を吐いてきた。

「何か私に用?それとも、貴方にはのぞき趣味でもあるのかしら?」

「いや、流石さすがにそんな趣味はいよ。けど、まあそろそろアサヒと話はしたいと思っていたところではあるな」

「私と、ね……」

 アサヒは更に視線を鋭くした。やはあり、僕はアサヒに警戒けいかいされているようだ。

 でも、それでも僕としては此処ここで引き下がる訳にはいかないだろう。そう思って敢えてにこやかに対応する。

 アサヒから殺意さついが飛んできた。こわい。

「で、何の用なのよ。以前いぜんみたいに私の気持ちがかるなんて、そんな安っぽい慰めなんて掛けてきたら、今度こそ貴方の首をり落とすわよ」

「いや、そうじゃないんだ。それに、僕自身そんな安っぽい同情心どうじょうしんなんかで君と仲良くしたいと思っている訳じゃない。僕も、かみに家族を滅茶苦茶にされた身だから。本当に君のいたみは良く分かるんだ」

「…………………………」

「別に、しんじて貰わなくても良い。うたがってくれても良いんだ。でも、それでもきっと僕だって君の痛みは十分に理解りかいしてやれると思っているんだ。あの日、神のせいで実の弟をうしなった僕からしたら……」

「…………っ⁉」

 アサヒは目を大きく見開みひらいた。心底から愕然がくぜんとした表情だった。

 そう、僕にはアサヒの痛みがよく分かる。文字通り、痛いくらいに。

 何故なぜなら、僕もあの事件で家族を滅茶苦茶にされただったからだ。

「あの事件じけんで、僕は弟を失った。母さんも、あれ以来ずっとねむったまま目を覚ましてはくれない。あれ以来ずっと、義父さんにそだてられてきたけど。それでも、僕は思うんだ。あの日、何かの間違まちがいで何も起きなければ。或いは、弟が生きていてさえくれればって」

「…………………………」

 ずっと思っている。あの日以来、ずっと。

 もし、何かがちがって弟が生きていれば。或いは、あの事件そのものがければ。そんな風に悔やむ気持きもちが無い訳では断じてない。僕にだって、あの頃を悔やむ気持ちは当然あるのだから。

 でもきっと、そんなタラレバに意味いみなんて無い。きっと無い。

 僕達はこうして生きているのだから。生き残ってしまったのだから。

「……それで、貴方は納得なっとく出来るの?」

「もちろん、出来できない。納得出来ないし、わすれる事なんて到底出来る筈がない。でもそれでも僕達はきている。生きているんだよ」

「…………………………」

「だから、せめてアサヒが一人きりだなんて、そんなさみしい事は言わないでくれ。出来る限り僕も一緒に頑張がんばるから。一生懸命、頑張るから」

「…………………………」

「それに、アサヒとは出来るだけ仲良なかよくしていたいんだよ。僕、アサヒの事はきっと好きなんだと思っているから」

 そう、僕は言った。きっと、僕はアサヒの事はそんなにきらいじゃないと思う。むしろどちらかと言えばきな部類だろう。

 出来れば、友達ともだちになりたいとすら思っているくらいだった。だから……

 って、おや?

「…………っ」

 何故か、アサヒが頬をあかくして視線をするどくした。え、どうして?

 どうして、そんな顔を赤くしてにらみ付けてくるんだ?そんなに、僕の言い分が気に食わなかったのか?

 そう思っていると。

「うるさい、馬鹿ばか!」

 そう言って、そっぽを向いてしまった。

 ええ、何で……

 今の僕に、何か不手際ふてぎわでもあったのか?そんな事を、僕はこっそりと思う。けどアサヒはそんな僕をにも介さずに強くにらみ付けて立ち去っていった。

 少しばかり、後ろ姿がこわい。怖いけど、流石に今度ばかりはどうしてそんな事になったのか理解出来ない。どうしてだろうか?

「と、そろそろ就寝時間だったな。さっさとトイレをませて部屋に戻らないと」

 そう、誰にともなくつぶやいてトイレを済ませた。

 ・・・ ・・・ ・・・

 そして、僕がトイレからもどってきたのは大体8時50分くらいだった。どうやら少しばかりアサヒと話し込んでいたらしい。

「少しばかりおそかったな。デカい方か?」

「いや、途中アサヒと出会であってな。話してたら少し時間をった」

「うわっ……」

 ギンガが少しばかりいやそうな顔をする。まあ、気持きもちは少し理解出来る。

 けど、そんなに嫌な奴って訳でもないけどな。そう思っていると、ギンガは表情を引き攣らせたまま僕に言った。

「お前、随分とアイツとエンカウント率がたかいじゃないか。何か、変なもんでもいているんじゃないか?」

「いや、そんな大げさな。確かに、あいつとはよく出会であうけどさ。でもそれってあくまで同じ組織そしきに所属しているからってだけの話だろ?其処まで別に不思議ふしぎな話でもないだろ」

「いや、それでもよ……」

「それに、アイツにはアイツなりの理由りゆうがあるってだけで、別に嫌な奴っていう訳でもないとは思うぞ?」

「そう、なのか?」

「まあ、さっきった時も顔をあかくして睨まれたけど」

「は?」

 心底理解出来ないという風に、ギンガが目をまるくする。

 まあ、確かにな。何でいきなり睨まれたのか、どうしてそんないきなり不機嫌になられたのか意味が分からないものな。

 本当、何で睨まれたんだろう?僕、あいつをおこらせるような事でもしたか?

「本当、どうしていきなり不機嫌ふきげんになったんだ?僕、そんなに睨まれるような事でも言ったのか?」

「いや、そうじゃねえだろ。多分たぶん

「……?えっと?」

「お前、其処まで鈍感どんかんだったっけ?まあ、えっとつまりだ。詳細ははぶくけど、え?お前何時の間にそんなフラグをてたんだ?」

「いや、何を言っているのか分からないんだけど」

「…………………………」

 ギンガが絶句ぜっくしている。どうして?

 って言うか、フラグって一体何の話なんだ?

「えっと、まあいや。ともかくこの際だから深く事情じじょうは聞かないけどさ、お前って花咲アサヒにれてんのか?」

「えっと?」

「いや、分からないならいい。まあ、色々と人には人の人生じんせいがあるしな。でも、まあ此処は一つ俺から助言じょげんはしておくからよ。あまり女をかせるような真似だけはするなよな?」

「いや、何を言っているのか全く分からないんだけど……」

 どういう事だ?

 けど、ギンガは事情をさっしているらしくそれ以上はなにも言おうとしない。というか言う必要がないとでも言わんばかりの態度たいどだった。

 えっと、どういう事でしょうか?

 けど、それ以上ギンガは何も言わなかった。結局、就寝時間の9時になり僕達はそのままベッドに入ってねむりについた。

 ~7~

 くらい。暗い。何処までも暗いやみの中、僕はそんな闇の中をたゆたうように、或いはただ沈んでいくように。ゆっくりとただよっていた。

 此処は、何処どこだろう?思考がまとまらない。まるで、ノイズが掛かったように。或いは思考にくもが掛かったように不鮮明ふせんめいだった。

 此処は何処どこだ?僕はどうして此処に居る?僕は一体何をしているんだ?

 からない。何も、分からない。

 でも、ああ。もうどうでも良いや……

 そう、思い始めた。けど、僕の腕をり誰かがそのままっ張り上げた。ぐいぐいと腕を引いて僕を何処かへれて行く誰か。一体、誰だ?

 そう、思っていると……

「兄ちゃんは此処に来ちゃ駄目だめだよ。せっかく、僕がわりになったのに。兄ちゃんが此処に来てしまったんじゃ意味いみが無いよ」

 その声に、僕は思わず瞠目どうもくする。目を大きく見開みひらいて、視界と思考が一気にクリアになった。

 其処は、光でち溢れた空間だった。何処だ、此処ここは?

 いや、そんな事はどうだって良い。どうして、こいつが此処に居る?こいつは、間違いなく僕が……

 そう思ったけど、そいつはまるで茶目ちゃめっ気を出したかのような表情かおで人差し指を顔の前に立てた。

 まるで、だまっていろと言わんばかりだ。

「別に、今はなにも気にしなくても良いよ。今は別にる必要はない。いつか、きっと分かる時が来る筈だから」

っ……」

 待って。待ってくれ。

 僕をいていかないでくれ。僕も、僕も一緒いっしょに。お前と一緒に……

 そう、言おうとするけど。声が、出ない。声をせない。

  どうして。何で。そう思うけど、僕はどうしても声を出す事が出来ない。そのまま僕は、意識がとおざかっていき。

 思わず、きそうになる。実際、涙が頬をつたって流れ落ちる。

 待って!待ってくれ!

 僕も一緒に!僕を置いていかないでくれ!僕を一人にしないでくれ!

大丈夫だいじょうぶだよ、兄ちゃん。兄ちゃんは決して一人なんかじゃないから。兄ちゃんを一人にしてくれない友達ともだちがたくさんいるじゃない……」

 それは、どういう事だ!待ってくれ!待って……

 シブキっ‼

 ・・・ ・・・ ・・・

「っ‼」

 はっと目をまし、僕は勢い良くき上がった。其処は、部隊の宿舎の一室だ。

 そう、今のはきっとゆめだったのだろう。そう、思うけど。何処どこかただの夢だと断言する事が出来ない生々なまなましさがあった。

 息があらい。何て夢を見たんだ。そう、心の中で自分じぶんに言い聞かせる。

 言い聞かせるけど、どうしてもあれをただの夢だと断じる事が出来ない。どうしてなのか?

「う、んん?どうした?そんなに荒い息を吐いて。何かいやな夢でも見たのか?」

「いや、別になんでもない。少し、夢見ゆめみが悪かっただけだから……」

 そう言って、不思議ふしぎそうな顔で僕を見るギンガに苦笑を向けた。

 まさか、そんなはずがない。あいつはもう、死んだ筈だ。僕が、この手で殺した筈なんだから、きている筈がないだろう。ましてやゆめに出てくるなんて悪夢以外の何物でもない。きっと、これは悪い夢にちがいない。これは、僕の願望が見せたただの幻影まぼろしなんだ。そうに違いないんだ。

 そう、ひたすらに心の中で言い聞かせる。

 よし、大丈夫だ。僕は大丈夫。

 そんな僕を、怪訝な表情でギンガが見ている。

「お前、本当に大丈夫か?今日の訓練は、少しやすませてもらった方が……」

「いや、其処そこまでの必要は無いよ。ただ、本当に僕の夢見ゆめみが悪かっただけだから」

「本当か?なら、別にいんだけど。何かあったら、俺に気兼きがねなく言ってくれ」

「ああ、ありがとう」

 そう言って、僕は寝汗に塗れた服を脱ぎ清潔せいけつなタオルで身体をく。

 そうだ、あれはきっとただの夢なんだ。でなければ、あんな僕の前に死んだ筈の弟が出てくる筈がないだろう。そんな訳がないんだ。

 そう思うと、急に自分自身が馬鹿馬鹿ばかばかしく思えてきた。

 そうだ、何時いつまでも過去にとらわれているなんて馬鹿馬鹿しい。例え、過去を忘れ去る事が出来ないとしても。何時までも過去を背負せおい続ける事になったとしても。それでも僕は過去にとらわれる事だけはしてはならないんだ。

 だったら、もうなやむのは止めだ。

 そう思い、僕はそのまま服を着替きがえ始める。

 そんな僕を、ギンガはどうしてか真剣しんけんな表情で見ていた。

 一体何なんだよ?

「イブキ、お前本当はまだ引きっているんじゃないだろうな?」

「うん?何をだよ」

「弟の事だよ。かってんだろ?」

「……………………」

 僕は、それにこたえない。決してちがうからではない。むしろ、全くの正解だったからこそだまり込んだんだ。

 きっと、僕は今でもまだ後悔こうかいしているんだろう。まだ、弟を殺してしまった事を心の底からやんでいるのだろう。だから、あんなゆめを見てしまったんだと思う。あんな夢の中で、弟の幻影を見てしまったんだ。

 きっと、僕は何時までもわすれる事は出来ないんだろう。きっと、何時までも引き摺る事になるんだろう。でも、だからこそ。

 僕は、過去に囚われてはいけないんだ。そうも思うから。

 だから、

「…………イブキ、」

「うん、何だ?」

「今から言うぞ?まない」

「へ?っ⁉」

 瞬間しゅんかん、僕は思いきりギンガになぐり飛ばされた。

 僕は、そのまま無様ぶざまにしりもちをついてしまう。一体何をするんだよ。

 そう、思うけど。ギンガを見ると、ギンガはとてもかなしそうな表情をしていた。

「済まない、イブキ。でもな、お前も少しは俺にたよってくれよ。何時いつまでも一人で抱え込もうとするんじゃねえよ。俺達は、親友しんゆうだろ?だったら、俺にもそれを背負わせてくれよ」

「ギンガ、でも……」

「でもじゃねえ。俺達は親友しんゆうなんだ。ただの友達じゃねえんだよ。俺にだって、お前の苦しみとか辛さとか、そう言ったものを共有きょうゆうしたいんだよ。あいつがお前にとって大切な弟だったのとおなじ、俺にとってあいつは家族も同然なんだよ。だったら、俺にも一緒に背負わせてくれ」

「……………………」

「それとも、俺なんかじゃたよりないか?お前は俺に頼ってはくれないのか?」

「……いや、お前は何時いつだって頼りになる僕の親友だよ。ありがとう」

「そうか、ならかった」

 そう言って、ギンガは満面のみで僕に手を差しべた。

 そんなギンガが、なんだかとても眩しく思えて、僕は少し苦笑してしまった。

 そして、同時どうじにギンガに深く感謝かんしゃした。改めて、こいつは本当に僕にとって掛け替えのない親友なんだとそう思ったから。

 ああ、きっと夢の中のシブキもそうだったのだろう。だから、あいつは僕に言ったんだと思う。

 僕は、決して一人なんかじゃない。僕を一人にしてくれないやつらが居る。

 そう、ギンガは僕をなぐり飛ばしたように。僕を一人にしない為に、おせっかいを焼いてくれる人が居るんだと思うから。

 そう思うと、少しだけ泣きそうになった。というより、少し涙が出た。

 そんな僕に、少し戸惑とまどったようにギンガが言う。

「済まん、少しつよく殴り過ぎたか?」

「いや、本当にギンガは相変あいかわらずだなって納得なっとくしていた所だよ。本当に、ギンガって奴は僕を一人にしてはくれないんだな」

「……当たり前だろ?俺はお前の親友だぞ?お前が一人になろうとするなら、殴ってでも止めるのが俺の役目やくめだ」

「ありがとうよ、ギンガ」

「おう、そいつはどうも」

 そう言って、僕達は互いに笑い合った。今日も、一日がはじまる。

 そうだ、今日も頑張がんばろう。

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