新しい旅

 トメの死は宿主によって役場に届けられ、養国寺に埋葬されることが決まった。翌日、四人のうちなんとか動けるソメとマツだけが葬儀に付き添った。巡礼装束を身に着けて埋葬されたトメの墓には金剛杖が立てられた。巡礼の白衣は死装束、金剛杖は墓標。巡礼者は自分の死を身にまとって旅をしているのだ。


「住職に頼んで戒名を付けていただきました。お持ちください」


 忠太郎からは紙の位牌を渡された。ソメは有難く受け取った。

 トメのおかげで四人の病状は快方に向かったが、旅に出られるようになるにはさらに日数を要した。ようやく四人が焼飯村を出立したのは五月二十九日のことである。


「いくらなんでも遅すぎるのではないか」


 知井宮村ではちょっとした騒ぎになっていた。西国巡礼に出掛けた五人の娘が七月になっても帰って来ないのだ。だからと言って何かできるわけでもなく、ただ待つより外に仕方がない。五人の家族はやきもきしながら毎日を送っていた。


「帰って来たぞ!」


 七月二十六日、ようやく娘たちが姿を現した。村はずれの寺で休んでいるというので娘たちの親は急いで駆けつけた。


「よく戻って来てくれた」


 茂助の前にはボロ雑巾のようにくたびれ果てた四人の娘たちがいた。三月に村を出てから五ヶ月近く、どれほど苦しい旅だったかは四人の姿を見れば一目瞭然であった。


「トメがおらぬようだが」


 虚ろな目で境内を見回す茂助の足元にソメが両手をついてひざまずいた。懐から折封と小さな紙包みを取り出し茂助に渡す。


「必ず連れ帰ると約束しておきながら、その役目も果たせず、お詫びの言葉もござらぬ」


 折封には紙位牌が入れられていた。紙包みは開けずともわかる。トメの遺髪だ。茂助は地にひれ伏したまま肩を震わせているソメの背中を優しく撫でた。


「謝ることはない、おソメ。おまえにはつらい役目を与えてしまったな。こうしておまえたち四人が戻って来てくれただけで十分だ。礼を言うよ。ありがとう」

「くっ!」


 ソメはいきなり立ち上がるとフユの元へ走り、革袋を引ったくった。


「な、何するんだ、おソメ」


 その問いには答えずソメは革袋から小刀を取り出した。


「旅が終わり拙者の役目も終わった。おトメ殿一人を逝かせはせぬ。自害して後を追う所存」

「馬鹿、やめろ!」

「この愚か者がっ!」


 フユが止めに入る前にソメの頬は新右衛門に平手打ちされた。倒れ込んだソメの手から小刀を奪い取り、新右衛門が怒鳴り声を上げた。


「これ以上村に悲しみを増やしてどうするつもりだ。誰よりもおトメを思い、おトメのためなら命を捨てる覚悟もある、そんなおまえでさえおトメを守れなかった。何が起きたのか訊かずともわかる。おトメは観音像の力でおまえたちを救った、だから守れなかったのだ。そうであろう」


 ソメは無言で頷いた。


「ならばその命はおまえの命ではない。おトメの命だ。粗末に扱うことなどできぬはず」

「わかりました、父上」


 新右衛門はソメの手を取って立たせると茂助に頭を下げた。


「見苦しいところを見せてしまった。すまぬな。ソメには私からよく言い聞かせておくゆえ心配は無用だ」

「旅から帰ったばかりなのです。少しは労わってあげてください」


 ソメは新右衛門に連れられて寺を出て行った。フユも茂助に頭を下げて迎えに来た要助と共に山へ帰った。


「あの、茂助さん」

「おお、マツか。おまえには話しておかねばならないことがある。清蔵は亡くなった」

「父が、ですか」


 五人が旅に出て五日ほど経った頃、ごろつきのような男たち数人が清蔵の家に押し掛け大喧嘩になった。清蔵は大怪我を負い、新右衛門の治療を拒み続け、数日後に亡くなったのだ。


「おまえは磯七が預かってくれるそうだ。長女のおキミとは仲が良いし、あそこは子どもが八人いるから一人くらい増えても大して変わらぬ。遠慮は無用だ」

「わかりました。お心遣いありがとうございます。それから私も茂助さんに用があるのです。これを」


 マツが差し出した観音像を見て茂助の表情が曇った。今ほどこの観音像を恨めしく感じたことはなかった。トメの不幸はこの観音像によってもたらされたのだ。


「わざわざ届けてくれたのか。ありがとう、礼を言うよ」

「あの、その観音像、どうされるおつもりですか」

「正直に言うと見るのも嫌なのだ。それにトメ以外の者には何の価値もない。寺に奉納することになるだろうな」

「それなら私に譲っていただけませんか」


 マツはトメの遺言とも言える最後の言葉を茂助に伝えた。もちろん茂助は了承した。マツは観音像を大切に懐に仕舞い、キミと一緒に磯七の家へ帰って行った。ただ一人残った茂助はしばらくの間、遠い東の空を眺めていた。


 旅の途上で一人の命が失われたことは捨て置けぬ大事であった。二日後、四人は役人の取り調べを受けた。トメの死に不審な点はないか吟味されたのである。病死に間違いないという四人の申し立ては認められ、この件についてはお咎めなしとなった。


 八月も下旬になっていた。茂助は旦那寺の胎泉寺にある墓の前に立っていた。今日はトメの百か日法要だ。葬式も四十九日もしてやれなかった茂助にとって、これが最初のトメの供養だ。一緒に来た女房と子らは木陰に腰を下ろして休んでいる。茂助が帰ろうと言い出すのを待っているのだ。


「茂助さん、いいかね」


 声を掛けてきたのは新右衛門だ。線香を墓に供え手を合わせる。百か日法要は親族だけで行うものだが、わざわざ出向いてくれたのだ。


「ありがとうございます。トメも喜ぶと思います。おソメは元気ですか」

「松江へ養子に出した倅の家に預けてある。村にいるとメソメソしてばかりいるのでな。毎日義姉に花嫁修業を叩きこまれて目を回していることだろう」

「ははは、気の毒に。しかしそれなら悲しむ暇もありませんね」

「茂助さんはどうだ。もう気持ちの整理はついたかね」

「どうでしょう。ただ今もまだわからないことがあるのです。トメは本当に幸せだったのでしょうか。トメを旅に出せば二度と帰って来ないとわかっていました。それはわたしだけではない。おソメも、そして新右衛門様もそんな予感を抱いていたはず。だからこそおソメはあれほどまでに反対したのです。それなのにわたしはトメのわがままを受け入れて旅に出した。戻って来ないとわかっていて旅に出してしまったのです。それが本当にトメの幸せだったのでしょうか。旅になど出さず残りの余生を村で過ごした方が幸せだったのではないでしょうか」

「おトメの幸せか。さて、難しい問題だな」


 新右衛門は木陰を見た。そこでは茂助の女房と子らが楽しそうに遊んでいる。


「茂助さんにとっての幸せとは何かね」

「それは、家族全員が健やかに過ごせること、でしょうか」

「そうだ。人にとって一番の幸せとは自分が幸せになることではない。他人を幸せにしてやることだ。おトメは観音像の力で数え切れないほどの人々に幸せを与えた。これほど幸せな人生が他にあると思うかね」

「それは、そうですが、しかし」

「茂助さん、思い出してみるがいい。旅に出る前のおトメを。茂助さんが最後に見たおトメは何と言っていたのか」


 茂助は記憶をたどった。三月二日、旅立つトメの最後の姿、最後の言葉。ああ、そうだ、トメは笑っていた。これまで見たことのないような笑顔でトメはこう言ったのだ。――これから兄さは自分のことだけを考えて。あたしはこうして旅に出られるだけですごく幸せなんだから――

 トメもまた自分が帰って来られないことを知っていた。知っていて旅に出たのだ。もし帰って来られなくてもそれは茂助のせいではない、そう言い残してトメは旅立ったのだ。


「トメ、おまえは幸せだったのだな。そしておれの幸せまで考えていてくれたのだな。おまえの兄として生きられたことを今はなにより嬉しく思う。礼を言うよトメ。ありがとう」

「よし茂助さん、今日は飲もう。実はうまい酒が手に入ってな」

「それはいい。付き合います」


 茂助は木陰に向かって声を掛けた。女房と子らがこちらに向かって走ってくる。新右衛門は空を見上げた。秋の実りを告げる爽やかな秋空が広がっていた。



 それから茂助と四人の娘たちがどうなったか詳しくはわかっていない。ただそれから何年か後、知井宮村には小さな寺子屋ができた。そこでは腰に竹光を差した羽織袴の女剣士が、読み書き算盤の他に薬草の知識や製薬の方法を教え、さらに隣接する小ぢんまりとした道場では剣術まで指南していた。ただし剣術指南を希望する者は滅多におらず、道場で木刀を振るのは女剣士ばかりであった。

 奇妙なことにその道場の神棚には古ぼけた頭陀袋が祀られていた。いつかこの頭陀袋を携えてもう一度西国巡礼に旅立ちたい、それが女剣士の口癖であった。


 美濃加納宿では、女だてらに花火師の親方になった商家の娘の話題で持ち切りになっていた。毎年夏に開かれる花火大会では、この花火師の花火玉に観客全てが魅了された。丸く開いた花火の中央に観音様のお顔が浮かび上がり、その周囲に後光のような光玉が放射線状に輝くのだ。人々はこれを観音花火と呼び、手を合わせて拝んだという。


 伊勢路の途中、三瀬の渡しのすぐ近くにはいつからか農閑期になると一軒の茶屋が店を構えるようになった。出されるあんころ餅は口に入れると観音様のように穏やかな気持ちになれるので観音餅と呼ばれていた。

 一人で店を切り盛りするのは男のように大柄でたくましく、それでいて優しい姐御だ。ひどく疲れた旅人がいると荷物を持ってやったり、時には旅人を背負って三瀬坂峠を越えることもあったという。

 茶屋は月に一度、決まった日に休みとなった。店主の恩人の月命日で、その日は一日墓の前であんころ餅を食べながら故人の思い出に浸るのだそうだ。


 そしてここ、江戸吉原では、


「おい、この三味線の音色。今日はこの座敷に来ているみたいだ」

「間違いない。いつ聞いても惚れ惚れすらあ」


 その芸者は数年前にお披露目されるや、たちまち衆目を集めるようになった。唄も三味線も舞いも一分の隙なく完璧にこなし、それでいて優美さと気品を兼ね備えていた。

 何十年も前に吉原からは太夫という呼び名が消えてしまったが、いつしか誰もがその芸者を観音太夫と呼ぶようになった。観音様に抱かれているような歌声、という理由の他に、どのお座敷に呼ばれても必ず古い観音像を持参したからだ。金箔は剥げ、角は丸くなり、ヒビ割れもひとつやふたつではない、実にみすぼらしい木像であったため、誰もが太夫にこう尋ねた。


「どうしてそんなに小汚い木像を肌身離さず持っているんだい」

「これは私の恩人からいただいた大切な形見の品だからです」

「ほう。太夫の恩人となればさぞかし立派な人物なのだろうね」


 すると太夫はにっこり笑ってこう答えるのだ。


「いいえ。家は貧しく体も弱く、誰にも看取られずに逝ってしまった哀しく、そして誰よりも優しい娘でした。でもその人のおかげで私の人生は大きく変わったのです。つらい稽古を乗り越えられたのも、お師匠様の厳しさに耐えられたのも、この観音像が支えてくれたからです。その人は私の幸せを望んでいました。だから私はどんな時でも幸せな私でいたいのです。それこそがその人の幸せであり私の幸せでもあるのですから。その人はもういません。でもその人との旅はまだ終わっていません。この観音像と共にその人と私の旅はこれからもずっと続いていくのです」










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