神宮参拝

 四日市から少し進むと日永ひなが追分おいわけというあい宿しゅくに着く。ここは東海道と伊勢街道の分岐点であり伊勢国二の鳥居が建っている。東国からの参拝者はこの鳥居をくぐって伊勢街道に足を踏み入れるのである。

 西国からの参拝者は東海道せき宿の東追分から伊勢別街道を経由して津で伊勢街道に合流する。関宿東追分にも鳥居は建っていて一の鳥居と呼ばれている。いずれにしても参拝者は何十里も離れた場所にある鳥居をくぐって神宮を目指す第一歩とするのだ。

 トメたち五人は白子、津、松阪などの主要な宿場町を通りながら伊勢街道を進み、四月七日夕刻ようやく伊勢山田に到着した。


「ねえ、ここって人が多過ぎない」


 山田は外宮の鳥居前町で通りには御師の屋敷がずらりと並んでいる。その数は内宮の鳥居前町である宇治と合わせて約八百軒。日本全国から集まった参拝客がこの二つの町に宿泊するのだから大変な人数になるのも頷ける。


「参拝は明日にして今日は休みましょう」


 しかしトメたちが選んだのはこれまでと同じ小さな善根宿である。自分たちに相応しい物を食べ、自分たちに相応しい場所で眠る。それがトメたちにとって一番快適な宿なのだ。その夜も五人は粗末な食事を済ませ、粗末な寝床で一日の疲れを癒やした。


「さあ、参拝に行かあ」


 翌朝、キミはいつもより一層気合いを入れて宿を出た。今日は一日伊勢神宮の参拝に費やす予定だ。


「神宮の祭典は外宮先祭。だけん、まずは外宮に参拝。正宮と別宮の順に回って次が内宮だ」


 キミが先頭に立って四人を案内する。旅に出る前の打ち合わせで西国巡礼についての知識はまったく頭に入れなかったキミだったが、伊勢神宮に関する知識だけはしっかりと頭に入れていた。火除橋を渡って手水舎で手と口を清めれば目の前には鳥居がある。そこをくぐれば神域だ。玉砂利を敷き詰めた参道を歩いて正宮へ直行する。


「ここの神様は豊受大御神とようけのおおみかみ。食い物の神様だあ。お腹が空いて困らんように、ようお祈りしとかないけんね」


 どうしてキミが伊勢参りをしたかったのか、この一言だけで四人はだいたい理解できた。その後は三つの別宮や神楽殿などを見て回り外宮を後にした。次は内宮だ。五人は古市ふるいち街道を南へ進む。


「ここも人が多いねえ」


 全国から神宮へ集まる参拝者のほぼ全員がこの街道を歩くのだから大変な賑わいである。その盛況ぶりを利用しようと茶屋が立ち並び、茶屋は遊郭へと発展し、今や古市は江戸の吉原、京の島原と肩を並べる三大遊郭のひとつとなった。もちろんトメたちにはまったく無縁の話である。


「ここが内宮の入り口宇治橋だあ。冬至の日には鳥居の真正面からお日様が昇ってくるんだと」


 冬至は一陽来復。陰が極まって陽に転じるように、悪事が去って慶事が来ることを鳥居に昇る朝日に向かって祈願したのだろう。宇治橋の二つの鳥居をくぐり、倭姫命やまとひめのみこと御裳みもの裾をすすいだと言われる五十鈴川の御手洗場で清めをして、トメたちは正宮へ直行した。


「ここの神様は天照大御神。お日様の神様だあ。自分の孫に稲穂を与えて地上に降ろしてごしたけん、おらたちは米が食われるだ。有難えことだ」


 キミが伊勢参りをしたかったのはこんな理由もあったのかと、改めて納得する四人である。その後、二つの別宮と御稲御倉みしねのみくら四至神みやのめぐりのかみなどを見て内宮の参拝を終えた。


「杵築は大きな神社だけど伊勢も想像以上に大きかったね。正宮が二つもあるし」

「そうだなあ。どちらも有難え神様には違いねえなあ」

「やはり来てよかった。おキミ殿には礼を言わねばならんな」

「ほんならもう一ヶ所行きてえ場所があんだけどええか」


 今日は一日伊勢で過ごす予定だ。まだ昼前で特に予定もない。四人はキミの好きにさせることにした。着いたのは内宮の鳥居前町にある餅屋だ。


「おキミちゃん、このお店には入れないよ。あたしたちには路銀がないってこと忘れたの?」

「心配要らねえ。おらが持っちょる」


 伊勢で売られているあんころ餅の評判は旅に出る前からキミの耳に入っていた。伊勢米で作られた餅はとろけるように柔らかく、上にのっている餡はたまらなく甘いらしい。伊勢に行ったら是が非でもこのあんころ餅を食べよう、そう決意したキミはトメたちに内緒でこっそり銭を持参したのだ。


「みんなに隠し事して申し訳ねえとは思ちょったども、どげでも食いたかったけ許してごしぇ」


 この一言を聞いて、キミが伊勢参りをしたかった理由を四人はほぼ理解できた。


「そんなことは気にしなくていいよ。使う目的があって持って来たお金なんだから。ほら、早く買っておいで」


 トメに言われてキミは店の中へ入って行った。大繁盛しているらしくなかなか出てこない。しばらくして竹の皮でくるんだ餅を持って出てきたキミの表情は冴えない。


「すまね、四個しか買えんだ。こげ高えとは思わだった」


 四人は驚いた。全部キミ一人で食べると思っていたからだ。


「おいらたちにも分けてくれるのか」

「当たり前だ。一人で食ってもうまんない。みんなで食うけん、うまえんだ」

「おキミ、おまえ本当はいい奴だったんだな。じゃあ遠慮なく」


 餅をつかもうとしたフユの手をキミが引っ叩く。


「ちいた遠慮しない。まずはおトメさんからだ。ほれ、どうぞ」

「でも四個じゃ食べられない人ができちゃうでしょ。どうしよう」

「ああ、ならば拙者は要らぬ。どうも食欲がなくてな」


 山田に着く前からソメの体調はよくなかった。昨晩も今朝も無理に食事をしているようだった。時々咳もしている。


「それならおソメちゃんとあたしで半分こしよう。せっかくのおキミちゃんの厚意だもん。有難く受け取らなくちゃ」

「わかった。ならば半分いただこう」


 五人はあんころ餅を食べた。そしてあまりのうまさに言葉を失った。餡の甘さが想像を超えていたのだ。八代将軍吉宗によって砂糖国産化の方針が打ち出されると、琉球地域以外の土地でもサトウキビが栽培されるようになった。それに伴って黒砂糖、白砂糖の流通量も飛躍的に増えた。このあんころ餅の餡には黒砂糖が使われていたので独特の甘みに五人は驚いたのだ。


「この甘さ。舌が喜びに打ち震えちょー」

「柔らかいお餅とよく合うよね」

「おキミ、おいらおまえを見直したぜ」

「良い物を食べさせていただきました」

「おキミ殿、重ね重ね礼を申し上げる」

「ほんならもう一ヶ所行きてえ場所があんだけどええか」


 またかと思ったが今日はキミの好きにさせようと四人は決めていた。キミに付いて五十鈴川沿いに川下へ歩くこと半刻ほど、五人の前には田植えを済ませた水田が広がっていた。


「これって田んぼだよね。ここがおキミちゃんの来たかった場所なの」

「ただの田んぼじゃねえ。ここは神宮の御料地、神宮神田だ」


 かつて伊勢平野のほとんどは伊勢神宮の領地であった。しかし戦国の世になると武将たちによって神宮領は奪われていき、今では宮川右岸にまで狭められてしまった。それでも朱印地と黒印地合わせて一万石以上の石高を誇っている。また二十年に一度の式年遷宮の際には幕府から米三万石が寄進される。トメたちの故郷出雲の杵築大社も相当大きなお社であるが、やはり伊勢神宮は格が違うと言わざるを得ない。


「神宮の御料地、立派なもんだ。伊勢の水、伊勢のお日様、伊勢米の苗、おらもこげな田んぼで米作りがしてえもんだ」


 田植えを終えたばかりの水田を初夏の風が吹き抜けていく。キミが耕している水田は杵築大社の黒印地。神社に納める米を作っている者として、キミは目の前に広がる神宮の御料地から何かを感じ取っているのだろう。そして四人はキミが伊勢参りをしたかった本当の理由を、この時完全に理解できたのである。


 山田の宿に戻った五人は、その夜、お喋りに興じた。明日から再び始まる西国巡礼は満願成就を目指す旅となる。満願成就は極楽往生を願うものだが、もし現世利益を得られるとしたら何を願うか、そんな話で五人は盛り上がっていた。


「おソメちゃんは巡礼が終わったらどんな生き方がしたい?」

「本来なら医術の道と答えるべきなのだろうが、どうも拙者は医者には向いておらぬようだ」


 ソメの家は医者の家系なのだが製薬も治療も父の新右衛門が行っている。ソメが任されているのは薬草の採取だけだ。


「それゆえこれまで得た知識を他人に伝え、立派な医者を育てるような生き方をしたいものだな」

「それは本音じゃないだろ。おソメが育てたいのは医者じゃなく剣士だ」


 ソメの不伝流を間近で見せられたのだからフユでなくてもそう言いたくなる。ソメは誤魔化すように笑った。


「ははは、これは一本取られた。しかし今の世に必要とされるのは武力ではなく知力。剣士など育てたところで何の役にも立たぬ」

「そう言うおフユちゃんはどうなの」

「おいらは火に関係する仕事がしたいな。炭焼き、花火師、鋳物師」

「おフユが一番してえのは婆ちゃん孝行だあ。まだ甘えてえ年頃だけんな」

「な、何言ってんだ。孝行はしたいけど甘えたいわけじゃないぞ」


 と否定はするものの、美濃にいる間はほとんど祖母と一緒にいたのだからまったく説得力がない。


「おキミちゃんはやっぱり米作り?」

「米も作りてえがやっぱりかわえい嫁になりてえ。誰かええ人おらんかな」

「杵築の神様にお願いすればすぐ見付かるよ。おマツちゃんは?」

「私は毎日歌って暮らしたいです。それで誰かが喜んでくれれば私も嬉しいです」

「あれ、おマツちゃんは江戸に行くのじゃねえか」


 キミの質問に頬を赤らめるマツ。今はもうギンへの警戒心は完全になくなってしまっているようだ。


「私のような者に吉原の芸者が務まるとは思えなくて」

「それはあたしが保証する。おマツちゃんは三国一の芸者になれるよ。さあそろそろ寝ようか。明日からはまた長い巡礼の旅が始まるんだし」

「おい待て。散々おいらたちの話を聞いておいて、自分の話はしないつもりか」

「そうだあ。おトメさんはどうしてえんじゃ」

「あたし? あたしは」


 トメの目は遠くを見ていた。ここにはない何かを見ているようだった。


「毎日兄さと、それから兄さの嫁や子らと一緒に仲良く楽しくのんびり暮らせればそれでいいかな」

「夢がないなあ、おトメは」

「いや、それこそが最上の幸福であると拙者は思う」


 できれば最後の瞬間までトメにはそんな生活を送ってほしい、ソメは心の底からそう願った。









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