番外札所 善福寺
四月一日、ソメは一人で善福寺へ向かっていた。と言ってもまったくの一人というわけではない。後ろからトメたち四人がこっそりと跡を付けて来ている。本人たちは気付かれていないと思っているようだが、気配を消すどころからお喋りしながら付いて来るのだから始末が悪い。
(やはりこうなったか。仕方ない、なるようになれだ)
フユの実家にしばらく落ち着くことになった五人は思い思いの時を過ごしていた。午前中、トメはほとんど昼寝。フユは祖母や番頭と昔話に興じ、キミは厨房の仕事を手伝いながらつまみ食い。マツは納戸に仕舞い込まれていた三味線を借りて思い付くままに弦を弾いていた。
午後には四人揃って散歩に出掛け、長良川沿いを歩いたり、神社の門前で見世物を見たり、貰った小遣いで団子を買ったりして楽しく毎日を送っていた。
「おソメちゃんはまた一人で出掛けるの」
「ああ、すまないな」
ソメだけは完全に四人とは別行動を取っていた。午前は素振り稽古と読書。午後は一人だけで外出。行く先を聞いても教えてくれない。
「今日も境内に変わった点はないようだ」
言うまでもなくソメは一人で善福寺に通っていたのである。スケを信用していないわけではないが、四月一日に何が起きるかわからない。どのような事態にも対応できるように境内をしっかり見ておきたかったのだ。
「我らが出雲を出立したのは三月二日。ならば美濃を出立するのも四月二日にしては如何であろう」
「それは別に構わないけど、何か理由があるの」
「いや別に。ちょうどひと月目でキリがいいのではないかと思っただけだ」
三月末になってこんなことを言い出したソメに対し、四人の猜疑心はついに頂点に達してしまった。
「最近のおソメちゃん、おかしいと思わない。毎日一人でどこかへ行っているし、どこへ行くのか聞いても教えてくれないし。絶対何か隠しているよ」
「そう言えば垂井に泊まった時、善福寺を知らないかって聞かれたんだ。何か関係あるんじゃないか」
「こうなったら明日こっそり後を付けてみっか。何かわかっかも知れね」
「あの、他人の秘密を暴こうとするのは良くないことではないでしょうか」
最後のマツの意見は完全に無視された。こうして四月一日の今日、ソメとその他四人は善福寺へ向かうことになったのである。
「まだ来ておらぬか」
善福寺へは朝四つ頃に着いた。時刻の指定はなかったので武士の勤務時間である「四つ上がりの八つ下がり」に合わせたのだ。
「ほらな。やっぱり善福寺だ」
「もしかして毎日ここに通っていたのかな」
「うまえもんでも食うちょったんじゃねえか」
境内の中でもトメたちのお喋りは止まらない。取り敢えずソメは無視することにした。
「すまぬ。待たせたな」
ほどなくしてスケが姿を現した。ギンとカクの姿は見えない。
「スケ殿お一人か」
「ああ。おギン様は先に行かれた。用が済めば私もすぐ後を追う」
思いも掛けぬスケ一人だけの登場に、トメたちの興奮は最高潮に達していた。
「え、何これ。もしかして逢引? 毎日ここで会っていたってこと? あの二人、いつの間にそんな関係になったの」
「天橋立だあ。スケさんがおソメさんを松の木陰に連れ込んだでねえか。きっと一目惚れだったんだあ」
「こりゃおいらには刺激が強すぎるな。おソメもやるもんだ」
「あの、早合点はよくないと思います」
最後のフユの言葉は誰も聞いていなかった。そして当然ながらスケも隠れている四人に気付いていた。
「ところであの者たちは何故あんな場所に隠れているのだ。姿を見せられない理由でもあるのか」
「いや、実は」
ソメは訳を話した。自分一人だけへの伝言だったため四人に知られてはまずいと思い秘密にしてきた。そんな態度を怪しんだ四人がこっそり跡を付けてきた。そう説明するとスケは笑い出した。
「ははは、そうであったか。いや、余計な気遣いをさせてしまったな。おソメ殿だけに話したのはあの場で騒がれたくなかったからだ」
もしトメやフユやキミに言えば必ず理由を訊き返してくるだろう。ギンはあの場でその理由を説明したくなかったのだ。何も言わずに聞き流してくれそうなのはソメとマツ。しかしマツは幼いのでソメだけに話した、それがスケの説明だった。
「では拙者一人に用があるのではなく全員に用があるのか」
「そうだ。おーい、そこに隠れている四人、出て来られよ」
スケに呼ばれて四人は観音堂の陰から姿を現した。自分たちの企みが露見したというのに悪びれた様子はまったくない。
「スケさん。おソメちゃんは家事とか裁縫とかは全然できないけど素直ないい子だから大切にしてあげてね」
「は?」
トメは完全に勘違いしている。キミとフユも同様である。
「おソメさんは薬を作れっけん、食いすぎて腹が痛んなっても安心だ」
「そなたたち、何を言っている」
「で、婿入りなのか嫁入りなのかどっちなんだよ」
「おいおい、何を言っているのだ。私には江戸に妻がいるのだぞ」
「えっ、じゃあまさか遊び! スケさんってそんな人だったの」
「許せねえ。おソメさん、ぶん殴ってやれ」
「いや、おいらが代わりに殴ってやる」
「皆さん、落ち着いてください!」
マツが出したとは思えぬ大声が境内に響き、トメたちのお喋りが止まった。ようやくマツの言葉が全員の耳に届いたようだ。
「まずはスケさんとおソメさんの話を聞きましょう」
マツの一声のおかげでスケとソメはこれまでの経緯を話すことができ、ようやく事態は収拾した。
「勘違いしてごめんなさい。考えてみればこんなに簡単に相手が見付かるのなら、おソメちゃんが今も一人でいるはずがないもんね」
「むっ」
ソメは一言文句を言いたかったが墓穴を掘るだけなので自重した。
「それでスケ殿、我らにどのような用があるのだ」
「渡す物がある。まずはこれだ。おトメ殿、お返しするぞ」
スケが取り出したのは納め札だ。借金の形としてギンに取り上げられた質草のひとつだ。
「どうして返してくれるの。お金はまだ用意できていないよ」
「金の心配は無用だ。そもそも質草として預かったのではないのだからな。さあ、受け取られよ」
釈然としないまま納め札の束を受け取るトメ。渡した時より枚数が減っている。
「こんなに少なくなかったよね。残りはどうしたの」
「洛中の札所に奉納してきた。京に行けぬそなたたちに代わってな」
ギンは言葉も態度も冷たく感じるが実は情に厚い女である。成相寺で洛中五寺の参拝を諦めたという話を聞いた時、ギンは五人に深く同情した。西国巡礼は満願成就に至るからこそ意味がある。できればそれを叶えてやりたい。あのまま何もせずに別れるのではなかった。そんな気持ちを抱きながら巡礼を続けていた時、偶然観音正寺で五人に再会した。これは観音様のお導きに違いないと確信したギン。人買いとトメたちの遣り取りを書院の陰で眺めながらスケ、カクと相談。質草として納め札を取り上げ、五人に代わって洛中の札所を回るという計画を思い付いたのである。
「でも別の人が代わりに御札を納めてもいいのかなあ」
「だからこそ大切な物も預からせてもらったのだ。そなたたち本人は参拝できずとも、この物たちが身代わりとなって参拝できるようにな。さあ、これらも返すぞ。受け取られよ」
マツのお守り、キミの箸、フユの焙烙玉、ソメの竹光、そしてトメの観音像。本人の身代わりとなって洛中の札所を回ってくれた品々が、今、持ち主の元に戻ってきた。思ってもみなかったギンの優しさに心打たれ、五人は胸がいっぱいになった。
「おギンさんにありがとうとお伝えください」
「悪口言うて悪かったなあ。許してごしぇ」
「おギンはいい奴だってこと、おいらにはわかっていたんだ」
「そこまで我らのことを考えてくださっていたとは、感謝の言葉もござらぬ。厚く礼を申す」
「でもどうしてスケさんなの。どうしておギンさんが来てくれなかったの。直接おギンさんに謝って直接おギンさんにお礼が言いたいのに」
「それはまあ、おギン様も根っからの善人というわけではないのでな」
上方にまで名前が知れ渡るほどの吉原遊郭の女将ギン。人に言えないことはひとつやふたつではない。今の地位に伸し上がるためにどれだけの人々を苦しめてきたことか。どれだけの人々から
「しかし人とは清濁併せ持つ存在。善人でも追い込まれれば悪事を働きたくなり、悪人でもふとした拍子に善行を積みたくなったりする。そして善人が悪事を働く時は隠れて行うように、悪人が善行を積む時もやはり隠れて行いたいものなのだ。感謝も礼の言葉も今の自分には相応しくない、おギン様はそう思っておられるのだろうな」
「要するにおギンは照れ屋ってことなんだろ。褒められるのが苦手なんだから」
「ははは、おフユ殿の言う通りかもしれぬ。さて私はこれで失礼する。急いでおギン様の後を追わねばならんのでな。おっとその前に」
スケは懐から折封を取り出しマツに差し出した。
「おギン様はまだそなたを諦めてはおらぬようだ。もし江戸へ来る気になったらこれを読まれよ」
「わかりました。お心遣いありがとうございます」
マツは笑顔で受け取った。今はもうギンを信頼しきっているようだ。役目を終えたスケは軽い足取りで境内を出て行った。
「ねえ、ここも観音様のお寺なんでしょ。せっかくだから参拝していこうよ。納め札も戻ってきたし」
善福寺は美濃西国三十三観音霊場の三十番札所である。観音堂には十一面千手観音、本堂には阿弥陀如来像が安置されている。納め札を納札箱に入れて番外札所の参拝は無事済んだ。
「これまで回ったのは六ヶ所でおギンさんが五ヶ所回ってくれたから、あと二十二ヶ所回れば満願だね」
「我らに満願成就の希望を与えてくれたおギン殿に感謝せねばな」
五人は東の空に向かって深々と頭を下げた。「やめとくれ、照れるじゃないか」そんなギンの声が聞こえてくるような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます