フユの里帰り
六つ目の札所巡礼を無事済ませた五人は、来た道を戻って赤坂で一泊。翌日は少し遅めに宿を出て加納には日が高いうちに到着した。
加納は中山道の宿場町で永井家三万二千石の城下町。そして長良川の水運によって繁栄した商業の町でもある。フユの実家があるのはそんな活気あふれる町だった。
「懐かしいなあ、あの瓦屋根。小さい頃、屋根に登ってよく叱られたっけ」
「え、ここがおフユちゃんの実家なの」
トメを始めとする四人はただひたすら驚いていた。目の前にあるのは切妻平入二階建ての堂々たる商家。漆喰塗りの二階外壁には
「おーい、フユが帰ったぞ」
何の躊躇もなく店の中に入り大声で叫ぶフユ。トメたち四人もおずおずと足を踏み入れる。
「はーい、何か御用でしょうか」
奥から小僧が出てきた。マツと同じくらいの年格好だ。
「だからフユが帰って来たんだ。家に上がっていいか」
「しばらくお待ちください」
奥へ引っ込む小僧。しばらくしたら出てきた。
「どこのフユさんがどのようにして何をしにいらっしゃったのか教えていただきたい、とのことでございます」
「えー、面倒だな」
「おフユ殿、数年間所在不明だった者がいきなり訪ねてきたのだ。身分と用件を伝えるのは当たり前であろう」
「わかったよ。えーっと、出雲の国から西国巡礼に出掛けたんだけど、せっかく美濃まで来たんで、ちょっと立ち寄ったんだ。婆ちゃんは元気かな」
「しばらくお待ちください」
またも奥へ引っ込む小僧。今度は小さな紙包みを持って出てきた。
「西国巡礼とはご苦労さまなことでございます。満願成就おめでとうございます。少ないですが出雲までの路銀の足しにしてください、と言いながらこの紙包みを渡しなさい、とのことでございます」
と言いながら紙包みをフユに差し出す小僧。これだけ長い台詞を覚えられるのだから頭は悪くないのだろうが、言わなくてもいいことまで言っているので少し頭が悪いようだ。そして紙包みの中身はおそらく銭であろう。
「違う。物乞いに来たんじゃない。それにまだ満願成就はしてない。出雲に帰るのはずっと先だ。それよりも爺ちゃんは元気なのか」
「しばらくお待ちください」
紙包みを持ったまま奥へ引っ込む小僧。今度は書付を持って出てきた。
「この地で宿をお探しならば紹介して差し上げます。この書付の宿屋は私共と懇意にしておりますので温かく迎えてくれるでしょう。こちらは紹介状です。と言いながら二枚の書付を渡しなさい、とのことでございます」
と言いながら二枚の書付を差し出す小僧。フユの堪忍袋の緒は切れかかっている。
「違う。宿を紹介してほしくて来たんじゃない。ああもう面倒だなあ。上がらせてもらうぜ」
フユは上り口に腰掛けて草鞋の紐を解き始めた。さすがに捨て置けぬとソメがその手をつかむ。
「待たれよおフユ殿。家主の許しを得ずに上がり込んでは押し入りと同じではないか。今しばらく辛抱されよ」
「辛抱は散々してるだろ。おい、どうすりゃ上がらせてくれるんだ」
「しばらくお待ちください」
書付を持ったまま奥へ引っ込む小僧。今度は紙包みと書付を持って出てきた。
「これ以上わがままをおっしゃるのであれば番屋から人を呼びます。悪いことは言いません。銭と紹介状を持って宿屋へ行き巡礼の旅を続けなさい。無事満願成就を果たされることを祈っております、と言いながら紙包みと書付を渡しなさい、とのことでございます」
「わかった、もういい。みんな、行こう」
フユは解きかけた草鞋の紐を結び直すと店を出た。四人も後を追う。後ろから「ありがとうございました。またお越しください」と言う小僧の声が聞こえる。
「なんだよ、あの言い方。おいらに会いたくないならそう言えばいいのに遠回しに断りやがって。父ちゃんが勘当されたからっておいらまで嫌うことはないじゃないか」
「おフユ殿、それは違うと思うぞ」
「何が違うんだよ」
「家の者は本物のおフユ殿だとは思っておらぬのではないか。恐らくこれまでも行方不明の孫を騙る不届きな
「だからっておいらが本物だなんてどうやって証明すればいいんだよ。ええい、もう家になんか寄らなくてもいいや。さっさと伊勢に行こう」
この言葉にソメは焦った。今ここで加納宿を離れれば四月一日に善福寺へ行く約束を果たせなくなってしまう。
「いや、結論を出すのはまだ早いのではなかろうか。それにおフユ殿を実家へ連れていき祖父母に会わせるよう要助殿に頼まれている。何か良い手立てはないか考えてみてはどうか」
「うん、それがいいよ。今日はこの宿場に泊まって明日もう一度来てみよう。宿の心配はしなくていいしお小遣いもあるし」
トメの手には紙包みと書付が握られている。いつの間にか小僧から受け取っていたようだ。ソメはひとまず安堵した。トメの言葉ならば皆素直に従ってくれるはずだ。
紹介された宿はそこそこ立派な旅籠で、紹介状を見せると愛想よく部屋へ通してくれた。
夕食後、五人は明日の対策を話し合った。
「要はおいらが本当にあの家の者だってことをわからせてやればいんだろ」
「左様。何か手立てはないものか」
「おフユちゃんしか知らない秘密とかないの? 屋根から落ちて大怪我したとか、川で溺れて流されたとか」
「そんなことがあったら今頃生きていないぞ。それにおいら物覚えが悪いから六年以上も前のことなんて思い出せないや」
この方法では無理のようだ。ではどうするか。五人はしばし考えた。
「実家を出る時、何か持ってこなかったのですか。幼い頃大切にしていた物とか」
マツは旅に出る時、母の形見の着物とお守りを持参した。それは片時も離したくないほど大切な物だからだ。フユにもそんな物があるのではないか、そう考えたのだ。
「実家から持ってきた物か。あるにはあるが村に置いてきちまったし。ちょっと探してみるか」
フユは風呂敷包みを開き、さらに革袋の中も漁り始めた。しばらくして、
「おっ、これはどうかな」
取り出したのは野宿の時に活躍した火打ち箱だ。中には火付け道具一式が納められている。
「この火打ち金を見てくれ。持ち手に店の屋号と印、それにおいらの名が刻まれている。七五三の祝いで貰ったんだ」
「うむ、これならいけそうだ」
ソメのお墨付きがあれば大丈夫だろう。その夜は久しぶりの畳の上でぐっすりと眠った。
翌朝、五人は再びフユの実家を訪れた。
「おーい、小僧出てこい」
「はーい、何か御用でしょうか」
昨日と同じ小僧が姿を現した。フユは火打ち金を渡し「これを偉い人に見せてフユが参上したと伝えろ」と命じた。
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
奥に引っ込む小僧。期待半分諦め半分で待っていると大きな足音が聞こえてきた。
「フ、フユお嬢様!」
「おっ、ジイ爺か。元気そうだな」
出てきたのは羽織を着た高齢の男だ。土間に降りてフユの顔をしげしげと見詰めている。
「間違いなくフユお嬢様だ。ああ、ようやくお戻りになられたのですね。昨日は失礼いたしました。まさか本当にフユお嬢様だったとは夢にも思わなかったもので。それで要助様はどこに?」
「おっ父はいない。昨日言っただろ、西国巡礼の途中なんだ。この四人は連れだ」
「ああそうでした。そうでございましたね。失礼いたしました、こんな所で長話などして。ささ、皆様、お上がりください」
五人は店の奥へ案内された。中庭のある立派な屋敷だ。
「もしよろしければこちらのお召し物をどうぞ」
畳敷きの立派な座敷にトメたちの装束はあまりにも不釣り合いだ。用意してくれた着物に着替え、茶と菓子を出されて五人は落ち着きを取り戻した。
「私は番頭の
「違うぞジイ爺。おいらがみんなをここまで連れて来てやったんだ。それより爺ちゃんと婆ちゃんに会わせてくれよ」
「大旦那様は二年前に亡くなりました」
「えっ、あの頑固爺ちゃんが。じゃあ婆ちゃんは」
「ただいまお休みになっております」
「寝坊助だなあ。おいらが起こしてやる」
「いえ、そういうわけではなく体の調子がお悪いのです」
「そんな、婆ちゃんまで……」
いかに気丈なフユでも受けた衝撃は小さくなかった。番頭は粛々と話を続けた。フユの父要助を勘当して家から追い出した大旦那は
「どうして若気の至りと許してやれなかったのか」
後悔の念は大旦那を再び酒に走らせ、それが元で亡くなった。奥方は息子夫婦と孫娘に続き、大黒柱である大旦那を失くしたことですっかり気落ちしてしまい、ここ数年は寝たきりになっている。跡継ぎもおらず店をよそに譲ることも考えている状況なのだ。
「けれどもフユお嬢様が帰ってきてくださいました。もしこのまま店に残り跡を継ぐと言っていただければ、大奥様もきっと喜んでくださることでしょう」
「そ、そんなこと急に言われても、おいら……」
「失礼します。治右衛門様、大奥様がお目覚めになりました」
座敷の外から声がかかった。番頭は「わかった、すぐ行く」と答えてフユの手を取った。
「さあ、フユお嬢様、大奥様にその姿を見せてやってくださいまし」
「うん。だけどこの四人も連れて行っていいか」
「そ、それは……」
「巡礼の旅の途中なのに無理を言って寄ってもらったんだ。ジイ爺だけじゃなく婆ちゃんだっておトメたちに礼を言うのが筋ってもんだろ」
「おフユちゃん、あたしたちのことは気にしないで。ここで待ってるから」
「いいや一緒に来てくれ。おいらに四人の仲間がいると知ったら、婆ちゃんだってきっと喜ぶと思うんだ」
「皆様、フユお嬢様がこれほどまでに言われるのです。どうぞご一緒ください」
「では我らも参ろう」
五人は番頭に連れられて寝室に入った。調度品のほとんどない簡素な部屋に老婆が寝かされている。フユは枕元に身を寄せた。
「婆ちゃん」
「おお、フユ。よく帰ってきてくれた。おまえたち親子には本当にひどいことをした。どれだけ詫びても許してはもらえないだろうけど謝らせておくれ」
「そんなことはもういいよ。おいらもおっ父もおっ母ももう怒ってないし恨んでもいない。毎日炭を焼いて獣を食って楽しく暮らしているんだ。だから婆ちゃんも早く元気になれ」
「ああ元気になるよ。だからもうどこへも行かないと約束しておくれ。このままここに住んでおくれ。老い先短いこの婆を哀れと思うなら、二度とそばを離れないでおくれ」
「そ、それは……」
フユは答えられなかった。このままここに留まるのが一番いいのはわかっている。だが今はまだ西国巡礼の途中なのだ。しかもフユはトメと同行し村へ連れ帰ると約束した。ここに留まればその約束を反故にしてしまう。そんな苦しいフユの心中を察せぬ四人ではなかった。
「おフユ殿。我らのことは案じずともよい。今は自分の幸福を第一に考えられよ。約束を違えることになったとて誰もおフユ殿を責めたりはせぬ。雲水殿の占いはやはり正しかった。だがこのような結果ならば拙者は満足だ」
「そうだあ。おトメさんのことはおらたちに任せてごしぇ。ちゃんと村に送り届けるけん」
「孝行はできる時にやっておくのが一番です。毎日おフユさんの顔を見せてあげれば、お婆様もすぐ元気になるでしょう」
三人はこぞってフユの居残りを勧めた。だがトメだけは顔を伏せて押し黙ったままだ。
「おトメ、おまえはどう思うんだ。やっぱりおいらはここで旅から抜けたほうがいいのか」
「あたし、あたしは……」
トメはためらいながら、しかしはっきりした口調で言った。
「わがままかもしれないけど、おフユちゃんはみんなと一緒に村へ帰ってほしい。それがあたしの願い」
トメは立ち上がると老婆の枕元に座った。懐に手を入れて取り出したのはマツからもらった観音像だ。
「おトメ、おまえ……」
誰もが息を飲んだ。観音像が皺だらけの額に触れる。だが、何も起きなかった。トメは自嘲気味につぶやいた。
「やっぱりおマツちゃんの観音像じゃ無理みたいね」
「ありがとうよ、おトメ。おいらのためにそこまで気を遣ってくれて」
フユは祖母の手を固く握りしめた。すでに心は決まっている。
「婆ちゃん、おいらも婆ちゃんのそばにいてやりたい。だけどおいらには役目がある。この五人全員で村へ帰る、それは絶対に果たさなきゃならない役目だ。婆ちゃんはいつも言っていた。一旦始めたのなら途中で投げ出さず必ずやり遂げろって。今ここに留まったら役目を途中で投げ出すことになっちまう。だからおいらは行くよ。すまない婆ちゃん」
「そうかい。お役目があるのかい。治右衛門、すまないが起こしておくれ」
「はい大奥様」
番頭の手を借りて老婆は半身を起こした。自分を見守る五人の娘たち。その顔をひとつひとつ、目を細めながら確かめた後、納得したように長い息を吐いた。
「いつも一人で遊んでばかりいたフユに、こんなに頼もしい仲間ができたんだねえ。皆様、孫娘のフユのこと、なにとぞよろしくお願いいたします」
「えっ、じゃあ行ってもいいのかい、婆ちゃん」
「ああ。だけど必ずお役目を果たすんだよ。そしてそれが済んだら必ず帰ってきておくれ」
「わかった。約束する。おっ父とおっ母を連れて必ず帰ってくる」
「それからこれは婆のわがままだが、しばらく屋敷に滞在してはくれないかい。大きくなった孫娘の顔をもう少し見ていたいんだよ」
フユはトメを見た。もちろん異存はないというように大きく頷いている。
「うん、わかったよ。長旅で疲れていたし、ちょうどいいや」
「ありがとうねフユ。治右衛門、寝かせておくれ。疲れたから少し眠るよ」
「はい。大奥様」
老婆は番頭の手を借りて横になると目を閉じた。五人は静かに寝室を出て元の座敷に戻った。
「おトメ、もう一度礼を言う。あの一言でおいらは自分に正直になれた。絶対に雲水の占いどおりにはさせないっていう決意を忘れるところだった」
「あたしのほうこそわがまま言ってごめんね。だけどこれからもおフユちゃんと旅ができて嬉しいよ」
「おらはこの屋敷でしばらく暮らせるのが嬉しえな。うまい飯をたらふく食えそうだ」
「と言ってもあまり長居はできませんね。まだ先は長いのですから」
「そうだな。四月二日までには旅立ったほうがよかろうな」
「四月二日? 何か意味があるのか、おソメ」
「い、いや深い意味はござらぬ」
またしても口を滑らしてしまったソメだった。
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