第四話 中山道を行く

遠い道のり

 今日は朝からトメの様子がおかしい。まるで生気がないのだ。少し歩いては立ち止まり、歩き出したと思ったらすぐ道端に腰を下ろす。そんなことばかり繰り返しているので少しも道がはかどらない。


「おトメ、何ぐずぐずしてるんだ。置いてくぞ」

「うん、いいよ。先に行って」


 フユがきつい口調で言ってもこんな調子だ。いつものように言い返したりもしない。もちろん置いていくわけにもいかないので、歩き出すまで待たなくてはならない。


(やはり観音像を失くしたことが影響しているのであろうな)


 それはソメだけでなく他の仲間全員の思いでもあった。だからこそあまり強くも言えないのだ。


 昨日、観音正寺を出た五人は中山道の宿場町愛知川で宿を取った。次の目的地である三十三番札所華厳寺へは中山道を赤坂まで進み、そこから谷汲街道を通っていくことになる。愛知川から赤坂までは約十二里。途中に峠はあるがトメたちの足でも二日もあれば歩き抜けるはずだ。だが、


「これじゃあ明日中に赤坂に着くのは無理だろ」

「うむ。さて如何したものか」


 フユとソメの思案をよそに、道端に座り込んだトメは居眠りしている。昨晩はほとんど眠れなかったようだ。四歳で観音菩薩の役目を担わされて以来肌身離さず大切にしていた観音像。それを手放してしまったのだから無理もないことではあるが、こんな有様では先が思いやられる。


「仕方あるまい。少し休むとしよう」


 ソメの決定に不服を言う者はいなかった。ちょうど昼時でもあったので、近くの農家で井戸水を貰い休むことにした。


「おや、そちらのお方は眠っておられるのかね」


 またしてもトメは井戸端で居眠りしている。気の毒に思った農夫がわざわざ母屋の板間にトメを運んでくれた。横になってぐっすり眠れば元気が戻り、いつもどおり歩けるようになるだろう、誰もがそう期待した。


「お礼代わりと言ってはなんだが手伝わせていただきたい」


 農家は大麦を作っていた。三月下旬と言っても今年は閏月があったので今日は二十四節気の小満、もう夏だ。少し早目に今日から大麦を収穫するらしい。


「刃物の扱いならおいらに任せな」


 やる気満々のフユを筆頭にソメとキミが麦畑で鎌を振るった。マツはトメの見守り番だ。


「はい、ご苦労さん」


 今日は試し刈りということで作業は半刻ほどで終わった。母屋に戻ってみるとトメはまだ眠っている。その横でマツが手を動かしている。左手に太い木の棒。右手に小刀。床に敷いた布には削り屑がたくさん落ちている。


「おマツ殿、何をしておられる」

「いえ、何でもありません。すぐ片付けます。おトメさんはまだ起きませんね」

「起きなきゃ起こすまでだ。おトメいつまで寝てんだ。行くぞ」

「う、う~ん、もう朝?」


 フユに体を揺すられてトメはようやく目を覚ました。まだ眠り足りないようだ。しかしこれ以上厄介になるわけにもいかない。無理に立たせて母屋の外に出す。


「手伝ってくれたお礼だよ。宿に着いたら炊いて食べるとええ」

「こりゃありがてえ」


 麦刈りの礼に貰ったのは大麦だ。もちろん今収穫したものではなく昨年の大麦なのだが、無一文の旅人にとっては貰える物全てが宝である。キミは有難く風呂敷に包み込んだ。


「ほら、トメ、しっかり歩け」


 半刻眠ってもトメの様子は少しも変わらない。仕方なくキミが背負うことになった。観音正寺ではあれほど背負われるのを嫌がっていたのに、今はもうその面影すらない。頼りなくキミの背中に乗っている姿はまるで赤子だ。


「ここから峠だ。おキミ、大丈夫か」

「まだまだ行けえよ」


 鳥居本宿を過ぎると摺針すりはり峠に差し掛かる。トメを背負っての登り道はさすがのキミでもきつい。とうとう立ち止まってしまった。


「ちょっこし休まんか」

「あれどうして止まったの。もう宿に着いたの」


 キミの苦労も知らずトメは相変わらず呑気だ。これまでずっと我慢してきたフユの堪忍袋がついに切れた。


「おトメ、いつまで甘えてんだ。観音像を失くしたくらいでみっともない。これじゃ日暮れまでに峠を越えられないぞ」

「そんなこと言われたって。体に力が入らないんだもん」


 フユの怒りは頂点に達していた。旅立つ前、みんなに決して迷惑は掛けないと胸を張っていたトメはどこへ行ったんだ。優しくしているだけでは駄目だ。いつものトメを取り戻すには旅の厳しさを思い出させてやる必要がある。


「決めた。今日は野宿だ。この峠で一夜を明かす」


 突然のフユの言葉は皆を驚かせた。日暮れまでに峠を越えられそうにないのなら鳥居本宿に戻ればよいだけの話だ。しかもこれまで野宿は一度も経験していない。


「おフユ殿、こんな山の中で一夜を過ごすのは危険ではないか」

「そうだあ。夜盗や獣に襲われたらどうするだ」

「危険だから野宿するんだ。おトメの目を覚ますにはそれしかない」

「いや、しかし」

「心配ない。おいらは何度も野宿している。任せろ」


 フユは頑固だ。一度口にしたことは絶対に押し通す。それにトメがこんな調子では旅が終わるまでに何ヶ月かかるかわからない。ここはフユに従ってみることにした。


「まずは場所だ」


 街道を外れて山の中を歩く。少し開けた草地に出た。樹木に囲まれているので突風に吹き付けられることもないだろう。


「おソメは食えそうな野草や山菜を探してくれ。おキミは小枝や倒木みたいな焚き木になるものを集めてくれ。生木はダメだぞ。煙ばかりで燃やし難いから。おマツは手頃な石を拾ってきてかまどを作ってくれ。おトメはおいらと一緒に来い。弛み切った心を引き締めてやる」

「おフユちゃん怖いなあ。お手柔らかにね」


 フユはトメを連れて竹林に入った。竹を切って器にし、農家で貰った大麦を炊くのだ。


「おトメ、この鋸刃で竹を切れ」

「あたしにできるかなあ」

「いいからやれ」


 のろのろと竹を挽くトメ。まったく力が入っていない。刃が表面を撫でているだけだ。これでは埒が明かないので結局フユが切り倒した。続いて節ごとに切るのだが、やらせてもできないのは明白なのでこれもフユが切った。


「結局、全部おフユちゃんにやってもらっちゃったね」

「この作業は初心者には難しいから仕方ない。水を汲みに行くぞ」


 斜面を少し下った場所に清水が湧いていた。竹筒を持たせてトメに汲みに行かせるが、


「ダメだよー。怖くてもう下りられないよー」


 と途中で立ち止まってしまう。仕方ないのでこれもフユがやった。


「さてと、今のところ食える物は大麦とソメの山菜だけか。もう少し欲しいな」


 何かないかと探しながら藪を歩いているとガサゴソと音がした。蛇だ。


「トメ、捕まえろ」

「蛇、嫌い」

「嫌いでもいいから捕まえろ」

「無理!」


 このままでは逃げられてしまう。結局フユが捕まえてしまった。


「おフユちゃん、ありがと」

「くそっ、全部おいらがやっちまった。これじゃトメの修行にならねえ」


 フユはむくれてプンプンしているがトメは上機嫌だ。野宿場所に戻ってみるとすでに焚き木が積まれている。何度も往復して運んでいるようだ。その横でマツが何かしている。木の棒を小刀で彫っているようだ。


「おマツ、何してるんだ」

「何でもありません。それよりもかまどはこれでいいですか」


 数十本の小枝を囲んで石が丸く並べられている。暖房と調理を兼ねたかまどだ。


「上出来だ。さて蛇をさばくか」


 皮を剥き、ぶつ切りにして竹串に刺す。マツは近寄るのも嫌という顔で見ている。やがてソメとキミが一緒に戻ってきた。


「焚き木はこれで足りるかあ」

「十分だ。おソメは何が採れた?」

「アズキナとタラの芽だ。ただ量が少ない。あまり採ると地元の民に悪いからな」

「そりゃいいや。麦と一緒に炊こう。じゃあ飯の支度に取り掛かるか」


 まずは火熾しである。フユは火打ち箱を取り出した。火打石の火花をガマの穂に落として火種を作り付け木に火を移す。火が大きくなれば焚き木を燃やして焚火の完成だ。見ていると簡単だが熟練していないとなかなかできない。


「おギンには焙烙玉を渡したけど、本当は火打ち箱のほうが大切だったんだ。これがなきゃ焙烙玉も使えないからな」

「おフユもか。おらもだ。一番大切なのは箸ではのうてこの味噌玉だ。今日の飯に使うてごしぇ」

「へえー、二人とも賢いね」


 ぼんやりとした声で答えるトメ。二人は失望した。普段なら「ずるい」とか「ダメだよ」のような非難めいた言葉が返ってくるはずなのだ。それなのに今のトメはまったく覇気がない。体だけでなく心まで眠っているかのようだ。


「おフユ、修行の成果がまったく感じられねえぞ」

「わかってる。それより飯の支度だ」


 焚火の次は調理だ。アズキナとタラの芽を軽く茹でてアクを抜いた後、刻んで大麦に混ぜ込み竹の容器に入れて火にかける。炊き上がったらキミがくれた味噌玉を入れて味噌風味山菜麦飯の出来上がりだ。


「いただきます!」


 熱々の麦飯を頬張る五人。薄味だし量も少ないが風味が良く満足感はある。


「お次はこれだ」


 フユが串刺しにした肉を焼き始めた。いい塩梅に焼けても蛇と知っているマツは手を出そうとしない。知らないソメとキミはフユやトメと一緒に焼き上がった肉をうまそうに食べる。


「あれ、おマツちゃんは何で食わねえ」

「だって、これ蛇だから」

「蛇!」


 驚くソメとキミ。だがもう食べてしまったのだから後の祭りである。


「ほう、蛇とはこれほどにうまいのか。良い体験をさせてもらった」

「これはシマヘビだからな。蛇の中でもとりわけうまい」

「ほれ、おマツちゃんも食いない。うんまいよ」

「じゃ、じゃあ、いただきます」


 マツは恐る恐る口に入れた。途端に幸福の笑顔になった。シマヘビはそれほどうまいのだ。一方トメは淡々と食べている。ほとんど感情がない。


「やれやれ、おいらの目論見は完全に外れちまったな」


 トメに活を入れるために野宿をしたのにその効果は全く見られない。さすがのフユも落胆してしまった。


「おフユ殿、気を落とされるな。日が経てばおトメ殿も元に戻るはず。気長に待とうではないか」

「ああ、もうそれしかないようだな」

「あ、あのおトメさん」


 珍しくマツがトメに声を掛けた。手に何か持っている。


「何? おマツちゃん」

「もしよかったら、これ、受け取ってもらえませんか」


 マツが差し出したのは木の像だ。荒く拙い手彫りではあるが一目で観音像とわかる。


「こ、これ、観音様じゃない。もしかしておマツちゃんが彫ったの」

「はい。おトメさんの像には遠く及びませんけど、代わりになるかと思って」


 マツの父清蔵は宮大工だ。寺社の建築彫刻だけでなく欄間や仏具も作れるほどの腕がある。マツもそんな父にならって幼い頃から木切れを彫って遊んでいた。旅立ちに当たって清蔵から護身用の小刀を持たされていたので、それで彫ったのだ。


「おマツちゃん……」


 トメはマツを抱き締めた。これほど心を震わせる贈り物は初めてだ。


「ありがとう。嬉しいよ。本当に嬉しい」

「そんな。観音像を手放したのは私のせいなのですから」


 マツの思い遣りに感謝しながらトメは観音像を懐に仕舞った。虚ろだった心が一気に満たされた。


「おお! なんか元気出た」

「どうした、おトメ」

「わかったよ。どうしてヤル気が出なかったか。今までずっと懐にあった物がなくなったからなんだよ。こうして懐に何かを入れた途端、力がみなぎってきた」

「なんだ。だったら適当に木の棒でも入れときゃよかったんじゃないか。あーあ、余計な苦労をしちまったな」


 口ではそう言いながらもフユは喜んでいた。とにかくこれでいつもどおりの旅が続けられる。


「それもこれもおマツ殿のおかげであるな」

「ああ、おいらはおトメの気持ちがわかっているつもりでいたけど、一番わかっているのはおマツなんだろうな」

「うむ。そしておマツ殿の気持ちを一番わかっているのも、やはりおトメ殿なのだろうな」


 フユとソメは焚火に当たりながら、元気になったトメと楽しそうに笑うマツを羨望に似た眼差しで眺め続けた。









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