四番目の札所 長命寺
トメたち五人は竹生島から長命寺へ向かう船に乗っていた。船に乗るまでが大変だった。フユにはソメの考えがわかっていたが他の三人はまったく理解できなかったので説明するのに骨が折れたのだ。
「なして船に乗せてもらわんかった。親切で言うてもらったに」
「あの男は人買いの仲間に相違ない。ゆえに断った」
「どうしてわかったの?」
「近江の他の札所を回ると言っても当然のように聞き流した。あまつさえ京の札所を回るのかとも訊いてきた。我らが順番通りに札所を回っていないことを知っていたのだ」
「それはそうでしょう、私たちは出雲から来たのですから。順番通りに回れなくて当たり前です」
「我らが出雲から来たことは話していない。なのにどうして当たり前だと思うのだ」
「あ!」
ソメも最初から確信があったわけではない。船への同乗を断って鎌をかけたのだ。相手はまんまと引っ掛かった。トメたちの素性を知っているのは人買い以外に考えられない。
「なるほどねえ。さすがおソメちゃん。それじゃ今津に戻って大津行きの船に乗ろうか」
「いや、最初の予定通り長命寺へ行く」
「どうして!」
「おトメ、少しは頭を使えよ。正直に大津から園城寺へ向かえば、そこで待ち伏せされるに決まっているだろ。相手を出し抜くためにおソメは嘘を言ったんだよ。今頃あいつら大急ぎで大津に向かっているはずだ」
「あ、そうかあ」
フユとソメの思考は似ている。剣術は策を仕掛けて相手を欺き、狩りは罠を仕掛けて獣を欺く。まったく違う道を生きているが根底には共通するものがあるのだ。
「それじゃ早く長命寺行きの船に乗ろうよ。同乗を断ったんだから無料で船に乗る方法を思い付いたんでしょ」
「いや、咄嗟に出た嘘ゆえ、何の手立ても考えておらぬ」
「ええ!」
驚きの声を上げる四人。用意周到なソメらしからぬ失態だ。仕方なく船着き場へ行って無料で乗船できないか頼んでみるが、長命寺までは約八里。今津の三倍の距離である。どんなにマツが微笑んでも無料にしてくれるはずがない。
「これじゃ一生島暮らしになっちゃう」
だが捨てる神あれば拾う神あり。女性の巡礼者が声を掛けてくれた。
「もしや路銀を持たずに旅をしているのですか」
そうだと答えると一緒に交渉してくれた。
「私がこの子たちの船賃を出しましょう。でも五人分は大変なので一人分でお願いできませんか」
「駄目に決まってるだろ」
それでも親切な巡礼者は諦めない。このままでは島から出られない。今日は人数が少なくて船に十分空きがある。五人増えたところでそれほど漕ぐ力は変わらない。巡礼者に善行を施せばあなたにも御利益があるなどなど。次第に船頭の表情が変わっていく。そして最後に押しの一言。
「それでは二倍出しましょう。それで如何ですか」
「二倍か。わかった、乗せてやるよ」
「やったー、お姉さん、ありがとうございます」
「いえいえ。これで私にも御利益があるはずですから」
(なんという手馴れた交渉術であろうか)
巡礼者の遣り取りを見ていたソメは感心していた。最初に二人分出すと言ってしまったらきっと断られていたに違いない。最後まで言わず、しかも二人分ではなく二倍と言ったことで船頭の心が動いたのだ。ソメにとっては良い勉強だった。
トメたち五人は他の巡礼者たちと共に乗船した。長い船旅になるが日暮れまでには着けそうだ。
「船の旅は楽でええなあ。歩かんで済む」
「本当だねえ。居眠りしていても進んでいくし」
「だからって眠らないでくださいね。寝ぼけて湖に落ちたりしたら大変です」
トメたち三人はすっかり寛いでいるがソメとフユにはまだ気掛かりなことがあった。もしあのまま男の船に乗っていたらどうなっていたのだろうか。
「長命寺に罠を張っていたのか、別の土地へ連れて行くつもりだったのか、あるいは船の上で何かするつもりだったのか、おソメ、どう思う」
「わからぬ。だが松尾寺の時のような力尽くのやり方ではない気がする。別の方策を考えていたのではないだろうか」
こちらは五人いるが全員娘なのだから相手が舐めてかかるのは当然だった。人買いたちにとって不運だったのは、ソメのような剣術の達人とフユのような狩猟名人とキミのような怪力女が同行していたことだ。力押しは諦め、何か策を弄してマツを取り戻そうと考えたとしても不思議ではない。
「まあ何にしても近江は残り二ヶ所だし、さっさと回って美濃へ行っちまおう。その次は伊勢に寄るってことも知らないだろうから奴らとはしばらく顔を会わせずに済みそうだ」
長命寺から次の札所
「ねえ、ちょっと船が揺れ過ぎると思わない」
乗船して半刻も経った頃、急に風が強くなってきた。波も荒れている。
「こりゃいけねえ、
船頭が漕ぐのを止めた。湖面と雲の動きをじっと見つめている。
「悪いがこれ以上は進めねえ。彦根で降りてくれ」
「えええー!」
巡礼客がざわつき始めた。しかし船の上では船頭の言葉は絶対だ。船は進路を東に変え岸に向かって進みだした。
「ねえ、比良おろしって何なの」
「比良山を吹き下りてくる強い北西の風をそう呼ぶのですよ」
先程の親切な巡礼者がトメの疑問に答えてくれた。この突風は晩秋から春先にかけてよく発生し、時として大惨事を引き起こすこともある。五十年ほど前の宝暦五年三月。宝厳寺から長命寺へ向かっていた巡礼者の船が比良おろしに襲われて転覆し、船頭三人を含む七十二人が命を落とした。その約半数に当たる三十四人は女性である。一歩間違えれば同じ運命をたどっていたかもしれないと知って、トメたち五人は身震いした。
「うわあ、早めに気付いてくれた船頭さんに感謝だね」
結局巡礼者は全員彦根で降ろされ、その日はそこで宿を取ることになった。親切な巡礼者は夕食の席で比良おろしにまつわる昔話も教えてくれた。
比良山の修行僧が琵琶湖東岸へ托鉢に出掛けた時、急病に襲われた。とある民家で介抱されて元気になったのだが、その家の娘が修行僧に恋心を抱き一緒になってほしいとせがんだ。修行僧は百日間湖を横断して比良山へ来ることができたら一緒になりましょうと約束した。娘は毎日たらい船で比良山へ通い続けたが百日目の満願成就の日に比良おろしに襲われ命を落とした、という悲恋話だ。
「なんとまあ、悲しいお話だなあ」
「本当に。娘さんが可哀想でなりません」
キミとマツは素直に娘の悲恋に同情している。一方フユとソメは、
「悪い坊主だ。娘と一緒になるのが嫌で無理難題を吹っ掛けたんだよ。最初から一緒になる気なんかなかったのさ」
「うむ。大切に思っている相手ならばそんな無茶をさせるはずがない」
と坊主を悪役に仕立てている。そしてトメは、
「その娘はわかっていたんだと思うよ。僧侶が自分を嫌っていることも百日間通うのが無理だってことも。でもやらずにはいられなかったんだ。たとえ恋が実らなくても満願成就できなくても、何もせずに一生を終えるくらいなら何かして終えた方がいい、そう思ったんじゃないかな」
「おトメ殿……」
四人の中でトメの本意がわかったのはソメだけだった。トメは自分と娘を重ねて見ているのだ。西国巡礼の満願成就ができないことも、自分が長生きできないことも、わかっていてトメは旅を続けているのだ。
(もしや三十三歳までしか生きられぬことを知っているのか)
自分の過酷な運命を知っているからこそいつも明るく振る舞っているのだとしたら、これほど痛ましいことはない。西国巡礼を無事終わらせ必ずトメを村へ連れ帰ろう、ソメは決意を新たにした。
翌日は風も収まり波も静かだった。巡礼者の中には夜明け前に宿を発ち陸路で長命寺へ向かう者もいたが、トメたちは船で行くことにした。昨日とは打って変わって湖面は穏やかだ。長くは続かないことも比良おろしの特徴なのだろう。約六里の船旅の末、無事に次の札所長命寺に着いた。
「また長え階段だなあ」
港から上がると本堂へ通じる八百八段の石段がある。一段ごとの段差が大きいので足にはかなり負担がかかる。
「これはキツイでござるな」
これまでの旅で足腰はかなり鍛えられているはずなのだがこの参道の石段はかなり手強い。何度も休憩しながら登り続けて山門をくぐり、さらに石段を登った所でようやく本堂の前にたどりついた。
「もうへとへとだよお」
トメだけでなく五人全員息を切らしていた。西国三十三所巡礼第三十一番札所天台宗単立
「なんだか歴史を感じる境内だね」
「古い建物が多いからであろうな」
伝承によるとこの地を開闢したのは
本堂、三仏堂は室町時代の再建。三重塔、護摩堂、鐘楼などは二百年ほど前の慶長年間の再建である。その寺名が示す通り参拝祈願すれば長生きの御利益を授けられる。もちろん五人も長寿を祈願した。
「細う長う生かしてごしない」
「おいらは太く長くがいい」
「ずっと健やかに生きられますように」
「あたしも長生きできればいいなあ」
トメの遠慮がちな言葉にソメは胸を打たれた。祈願などしても詮無いこと、きっとそう思っているのだろう。
「おソメちゃんは祈願しないの」
「ああ、そうであったな。ここに参上した五人全員の武運長久を祈願いたす」
「おいらたちは武人じゃないぞ、おソメ」
「これは失礼。ならば松柏之寿でいかがであろうか」
「意味はわからないけどそれでいいよ」
その後も五人は境内を散策した。境内には奇岩が多い。巨岩の上に巨岩をのせた
「あいつら、きっと別の寺を探しているんだろうな。まんまとこっちの思う壺にはまってくれたぜ」
「うむ。しばらくは心配せずに済みそうだな」
五人は参拝を終えて港に戻ると、再び船に乗って琵琶湖東岸に着いた。次の札所観音正寺は目と鼻の先、それを済ませれば美濃だ。自然と足早になる五人であった。
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