二番目の札所 松尾寺
文殊から宮津までは渡し船があるが、さすがに巡礼者といえども無料では乗せてくれない。トメたちは丹後街道を一里ほど歩いて宮津に行き、そこからさらに歩いて由良で一泊。次の日は田辺で宿を取り、今朝、二番目の札所松尾寺に向けて宿を発った。
田辺を出て一里半も歩けば左側に寺への登り口がある。この山道をひたすら登れば寺に着く。
「また登るのか。なしてこうも山の上に作りたがんのかね」
「おキミ殿、西国巡礼は修験者たちの修行の道でもあるのだ。難所を選ばねば修行にならぬではないか」
そう答えながらソメは常に周囲を警戒していた。この二日間、トメたちを見張る者はいなかった。だがそれで諦めたと考えるのは早計だ。成相寺で手を出さなかったのは一人対五人では不利だと考えたからだろう。複数の仲間で仕掛けてくるつもりなら、ずっと跡を付けるよりも確実に立ち寄る場所で待ち伏せしたほうが効率がいい。つまりこの松尾寺が一番警戒すべき場所となる。
「おフユ殿、何か感じるか」
「人はいないな。いるのは蛇くらいだ」
「あー、また二人でこそこそ話してる」
トメはちょっと不機嫌だ。この二日間ソメとフユが妙に親しい。歩く時も食べる時も寝る時もいつも二人一緒だ。
「いつの間にそんなに仲良くなったの」
「その理由は、まあ、今にわかる。おトメ殿、無益な邪推はやめて進もうではないか」
「はいはいわかりました」
トメの不機嫌は治らない。トメたちには怪しい男の存在を教えていなかった。本当に五人を見張っているのかわからなかったし、余計な心配をさせたくなかったのだ。
「おマツちゃん、背負うてあぎょうか」
「いえ歩けます」
マツは強くなった。成相寺でもここでも四人に遅れることなく付いて来ている。それでも不安げな表情は変わらない。
(おマツ殿とあの男、何か関係があるのではないか)
その疑惑は男に気付いた時からずっとソメの心を支配してきた。父から清蔵に関して聞かされていたこともその疑惑に拍車を掛けた。思い切ってマツに訊いてみようか、そんな考えを持ったことさえあった。
「おソメ、要らぬことに気を遣うな。下手の考え休むに似たりだ」
「ああ、そうであるな」
フユは単純だ。やられたらやり返す。やられなければ何もしない。思い煩うことがない。ソメは邪念を振り払って曲がりくねった細い山道を進んだ。
「うわー仁王様がいるよ」
ようやく松尾寺の山門に着いた。階段の上にどっしりと構える山門は約四十年前の明和四年に再建されたものだ。左右に仁王像を置いているので仁王門と呼ばれている。
さらに階段を上ると七十年ほど前に修築された本堂がトメたちを出迎えてくれた。西国三十三所巡礼第二十九番札所真言宗醍醐派青葉山松尾寺。本尊は馬頭観世音菩薩。中に入って納札を終えたトメたちは外に出てもう一度本堂を見上げた。
「これで二つ目かあ」
「腹減った」
「鳥が羽を広げているようなお堂ですね」
「うむ……」
ソメは気付いていた。思ったとおりだ。二人の男がそれとなくこちらを窺っている。鐘楼の後ろに一人。そして本堂横の大木の陰にいるのは成相寺でスケが教えてくれた例の男だ。
「おフユ殿、二人いる」
「違う、三人だ。山門へ歩いていく男も奴らの一味だ」
やはり仲間を呼んでいた。そして二手に分かれたということは帰り道で挟み撃ちにするつもりなのだろう。
「どうするおソメ。このまま奴らの企みにはまるか。それとも全力で逃げちまうか」
「逃げては何も解決せぬ。それにどうして我らを付け狙うのか、その理由も知りたい。ここは素知らぬ振りをして出方を見るのがいいだろう」
「わかった。それじゃ打ち合わせどおりにやろう」
「あー、またこそこそ話している」
トメが割り込んできた。幼馴染のソメが自分よりフユと仲良くしているのが気に入らないのだ。
「何の話をしていたの」
「うむ、ちょっとした遊びを思い付いてな。この辺りは熊が出るらしい」
「ええっ!」
「歩きながら話そう。おキミ殿とおマツ殿も聞いてくれ」
五人が歩き出すと隠れていた二人の男も動き出した。距離を取りながら付いてくる。ソメは三人をそばに寄せてなるべく小さな声で話した。――フユは熊を追い払う煙玉を持っている。もし熊が襲い掛かってきたら「熊が出た!」と大声で叫んで煙玉を投げつけるので、素早く両目を閉じ、鼻と口を塞いで息を止めるようにしてほしい――話を聞いたトメはようやく機嫌を直した。二人がここ数日相談していた内容がわかったからだ。
「いいよ。おフユちゃん、熊が出たらよろしくね」
「いいよ、なんて簡単に言ってもらっちゃ困る。いざとなるとできる事でもできなくなるのが人ってもんだからな」
「おフユ殿の言うとおりだ。よって少し修練に励もうではないか」
それから三人は歩きながら煙玉回避術の特訓を受けた。何の前触れもなくいきなりフユが「熊が出た」と言う。それを聞いた三人は素早く懐から手拭いを取り出して鼻と口を塞ぎ両目を閉じる。この動作を十回以上繰り返し、いい加減飽きてきたと感じ始めた頃、二人の男に動きがあった。徐々に間を詰めてきたのだ。
(いよいよか)
ソメはフユに目で合図をした。頷くフユ。
「悪い、用を足してくる。先に行っててくれ」
「えっ、待っててあげるよ」
「いいから先に行ってくれ。すぐ追いつく」
フユは茂みの中へ入っていった。歩き出す四人。前方から一人の男が近付いてきた。
「ちょいとお尋ねしやす。あんたら出雲から来なすったんで」
「そうだけど、それが何……」
「後は拙者に任せよ」
ソメはトメの言葉を遮ると一歩前に進み出た。
「我らに何か用か」
「マツという娘が一緒にいるはず」
「いたとして、それが何だと言うのだ」
「こちらに引き渡していただけませんかねえ」
「断る!」
「何だと。こいつ下手に出てりゃ付け上がりやがって」
ソメの強い口調に男の態度が一変した。袖をまくり上げて睨み付けてくる。だがソメは泰然自若として少しも怯む気配はない。
「おまえらがマツを連れ去ったことはわかってんだ。こっちに返すのが筋ってもんだろ」
「連れ去った? いや、何か勘違いしているのではないか」
「つべこべ言わずに渡せ」
「おい、やめないか」
「あ、兄貴。わかりやした」
知らぬ間にトメたちは三人の男に取り囲まれていた。後ろから付けてきた二人が加わったのだ。数の上では一人多いがトメとマツは戦力にならない。
「ここでは人目がある。その脇道で話をしようや」
数名の巡礼者が怯えた様子で成り行きを見守っている。狭い山道で七人が揉めていては迷惑極まりない。トメたちは言われるままに人気のない脇道へ入った。少し行くと小さな空き地に出た。
「別におまえらに危害を加えるつもりはない。マツをこちらに引き渡してくれさえすればな」
「理由もわからず引き渡すことなどできぬ。貴殿たちは何者だ」
「おまえらが知る必要はない。どうしても理由を知りたきゃマツに訊くんだな」
「おマツ殿に?」
マツは青白い顔をしてキミにしがみついていた。この男たちに連れて行かれるのは嫌だ、震えながら全身でそう訴えていた。
「どんな理由があろうとおマツ殿を引き渡すことなどできぬ」
「ほう、よほど痛い目を見たいようだな」
三人の男が袖をまくった。キミが三度笠を取って身構える。トメはマツをかばう。そしてソメはゆっくりと竹光を抜いて構えた。
「かかれ!」
「へい!」
成相寺にいた一番下っ端の男がキミに襲い掛かった。が、呆気なく投げ飛ばされた。キミは村の相撲大会で優勝したこともある怪力の持ち主だ。弱腰の男が勝てる相手ではない。
「隙だらけだな、それ、それ」
ソメは竹光で二人の男を相手にしていた。父の新右衛門は松江藩御流儀不伝流免許皆伝の腕前だ。幼少期から兄とともに剣術を叩きこまれてきたソメにとって、丸腰の男二人など赤子の手を捻るようなものだった。
「く、くそ。こいつ舐めやがって」
ソメに散々打たれ、突かれ、叩かれた二人は膝に手を当て荒い息をしている。ソメがこれほど強いとは思っていなかったようだ。
「おキミ殿、そちらはどうだ」
「肩の関節を外しちまったみてえだ。ちょっこしやりすぎたな」
キミは横たわった男の腕をゆっくり持ち上げている。脱臼が治っても満足には戦えないだろう。残るはソメが相手をしている二人だけだ。
「貴殿たちに勝ち目はない。この場は退かれてはいかがかな」
「くそ、こうなったら」
二人の男は懐から
「おソメちゃん!」
トメが叫んだ。いかにソメでも得物を持った男二人が相手では分が悪すぎる。
「待って。おマツちゃんの代わりにあたしを連れて行って。それで許して。お願い」
「ふざけたことを言ってんじゃねえ。マツ以外の娘を連れ帰っても金にならねえんだよ」
「ご心配召されるな、おトメ殿」
ソメは竹光を左手に持ち替えると右手に鞘を持った。二刀小太刀術。ソメが最も得意とする剣術だ。父と兄を相手に何度も稽古を重ねてきた。今こそその成果を発揮する時だ。
「わかってるな。同時にいくぞ」
「おう」
二人の男が匕首を構える。ソメは竹光と鞘を持った両腕を腹の前で交差させた。
「己を陰と成して相手の陰に入り、己を虚と成して相手の虚を衝く。不伝流二刀小太刀術、参る!」
「くたばれ!」
右前と左前から二人の男がソメに突進した。匕首の最も有効な攻撃法は突き。一人なら横にかわせるが二人ではかわせない。これで確実に仕留められる、二人の男はそう思った。が、
「い、いねえ!」
二人の前からソメの姿が消えた。と同時に足に激痛が走った。ソメの打撃を食らったのだ。たまらず倒れ込む二人。
「い、いつの間に」
横にかわせなければ下にかわすしかない。竹光と鞘で腹を防御することで胸から上の高い位置を突かせ、素早く身を屈めて相手の足元に飛び込み、両腕を水平に払って二人の足を打つ。全てはソメの計算通りだった。
「一人は骨が折れたようだな。すまぬ。力を入れ過ぎた」
「くそっ、なんて奴だ」
「もはや戦う気力もあるまい。さあ、教えてもらおう。何故おマツ殿を付け狙う」
「きゃああ!」
トメの叫び声が聞こえた。見れば一人の男がマツを羽交い絞めにして、その喉元に匕首を当てている。
「親方!」
「情けねえなあ。男三人掛かりで小娘四人に負けるとは」
「くっ、四人目がいたとは、不覚」
恐らく最初からここに潜んでいたのだ。三人に意識を集中させ過ぎて気配を読むことを忘れていた。ソメにとっては痛恨の失態だった。
「おい、そこの娘、竹光を捨てな。それから女関取、尻に敷いたオレの手下を自由にしろ」
マツを人質に取られては従うしかない。ソメとキミは言われた通りにした。ほくそ笑む親方。
「最初からこうすりゃいいんだよ。まったくおまえらは要領が悪すぎる」
「すいやせん」
「さあ、行くぞ」
マツの喉元に匕首を当てたまま四人が歩き出した、まさにその時だった。フユの大声が周囲に響き渡った。
「熊が出たああ!」
トメたち四人は一斉に手拭いで鼻と口を塞ぎ目を閉じた。十回以上も繰り返していたので無意識に体が反応したのだ。
「熊だと。うわあー!」
大きな炸裂音とともに周囲が煙に包まれた。フユお手製の煙玉、鳥の子だ。
「ごほっごほっ、息ができねえ」
「目が痛え。何も見えねえ、くそっ」
煙の中で激しくせき込む男たち。
「おマツは返してもらう。代わりにこいつをくれてやる」
「うがああ」
フユは火吹き竹に詰めた唐辛子粉を男たちの顔に吹き付けてやった。涙と鼻水を流して苦しむ四人を尻目にフユはマツの手を取って他の三人の元へ走った。
「おいらの蓑につかまれ。逃げるぞ」
煙は薄れ始めているが臭いがひどい。四人は鼻と口に手拭いを当てたままフユにつかまってその場を離れた。来た脇道を戻り、巡礼者が歩く山道に出てようやく五人は一息ついた。
「おキミ、三度笠だ。おソメには竹光。拾っておいてやったぞ」
「かたじけない。しかしその面、なかなか似合っておるな」
フユは煙の影響を受けないように面を付けていた。目には硝子がはめ込んである。煙玉を使う時のためにわざわざ村から持参してきたのだ。
「素顔よりかっこいいだろ。それよりも早く行こう。追いかけてきたら面倒だ」
「そうだな」
五人は足早に山道を下った。マツには尋ねたいことが山ほどある。だが今は逃げることが優先だ。様々な思いを胸に秘めたままトメたち五人は先を急いだ。
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